「・・・俺は、死んだのか?」
過去の記憶の本流から現実へと意識が戻り、青年はポツリとそう告げた。 「まあね。でも正確には違うわ。」 「それは、どういう・・・」 軽い調子で答えた『創造主の残滓』に、青年は怪訝な顔を向ける。 すると相手―――少女の形をしたそれは一本立てた指をくるりと回転させ、当然のことだとでも言うように口を開いた。 「『玄冬』を殺せるのは『花白』だけ。玄冬自身ですら玄冬を殺すことは出来ないわよ。」 花白以外の手に掛かった場合、玄冬は何度でも再生する。それは無闇に人々を凶行へと駆り立てないためのシステム。言葉にされず、また一般の人間達には知らされずに無意識下で行動を支配していた決まり事。だがそれも考えれば予想可能だったことだと少女は語る。 しかし青年の感情は納得してくれない。過去の事実を思い出し、少女の口から否定を求めた。 「で、でも黒鷹は俺の自殺を止めさせた。それは俺が死のうと思えば自殺出来たってことでっ、」 「そんなの黒鷹が吐いた嘘に決まってるじゃない。」 「なんであいつがそんなことっ!」 青年の声がひときわ大きくなる。だが少女は怒るでもなく、ただほんの少し呆れたような、それでいて母が子を慈しむような表情を浮かべた。 「あのねぇ、もし死ななきゃならない自分の死を特定の他人にしか求められないなんて知ってみなさいよ。そうなったらあんた、絶対、そいつに殺されるためだけに生きようとするでしょ?自分に己の殺生与奪権があると思っていたからこそ、母親にすら死を求められても尚、生きるために生きようとしてきたんじゃない。」 「・・・!じゃあ、黒鷹は俺を『生かす』ために―――」 「本当に、あんたにだけは優しい奴なんだから。」 青年の言葉を肯定しながら少女は肩を竦めてそう呟く。と、その時だった。突然、青年の目の前で少女の身体が一瞬透けて見えたのは。 「・・・っ、今。」 「あー・・・これ?」 目を瞠る青年に対し、少女の方は暢気な態度で再び透けて元に戻った自身の身体を見下ろす。どうしてそんなにも平気な顔をしていられるのか。理解出来ないという顔をする青年に、少女は両手を広げて苦笑を浮かべた。 「ほら、あたしって『残滓』だから存在が不安定なのよね。別に何かあるって訳でもないのに、こうやって急に消えそうになったりするのよ。」 「・・・いつのものこと、なのか?」 「ま、そういうものかしら。と言っても、普段はあんまり具現化自体しないから・・・今日はあんたがいたから姿を見せただけ。それもまぁここまでってことになるんだけど。」 ―――あんたは『特別』だからね。本当ならもうちょっと話してみたかったかな。 特別。記憶を思い出す前にも言われたその言葉に青年は眉根を寄せる。特別とは一体どういう意味で言っているのか。 しかし少女はその疑問に答えるつもりなど無いらしく、また時間的余裕も同じく存在しないようで、ゆっくりと明滅を繰り返す身体のまま片目を瞑ってみせた。 「また縁があったらどこかで会いましょう?あたしの大事な―――」 「お前の何・・・・・・って、地震か!?」 消える間際、少女が継げた台詞の最後が聞き取れずに青年が呟きを発したその直後、地鳴りのような大きな音と共に塔全体が大きく揺れた。あまりの大きさに棚からは本や置物が派手に落下し、テーブルの上に乗っていたカップがカチャンと倒れて中身を零す。青年も立っていられずに膝をつき、その所為で少女から視線を外すことになった。 揺れが収まり再び顔を上げると、そこに存在していたはずの少女の姿は既に無く、ただ荒れた室内だけが広がっていた。 「本当に何だってんだ・・・いや、それよりもまずはこの揺れか?」 これまで失われていた記憶が一気に戻って来て混乱が残る上に、突然のこの揺れ―――消えた自称『創造主の残滓』に割ける余裕は少ない。それにこちらを後回しにしても大きな不都合は無いだろうと勘で判断して、青年はとりあえず同じ塔に居るはずの古泉と黒鷹がどうなったのか確認すべく移動することにした。 部屋を出る直前、無意識に首筋―― 一度己で切り裂いた箇所だ――をひと撫でしたことに気付かぬまま。 □■□ 「怖がらずに最初からこうすれば良かったんだ。」 噴き出す、赤。崩れ落ちる身体。青年の首筋から勢いよく迸ったそれは古泉のコートにまで達し、周囲を真っ赤に染め上げる。その光景に古泉は力無く座り込み、双眸を見開いたまま言葉にならない声を喉の奥から零れさせた。 死んだ。死んでしまった。己を、花白ではなく古泉一樹という存在として初めて見つめてくれた彼が。 喪失の恐怖が古泉の全身を縛りつける。 彼の存在は古泉一樹の全てだった。古泉が『花白』ではなく『古泉一樹』として存在出来ていたのは、この青年が花白ではなく古泉一樹を見ていてくれたからこそ。初めて出会ったあの時、名前を訊いてくれたあの声。今でも鮮明に思い出せる。古泉はあの時に初めて『古泉一樹』を認められたと思ったのだ。 ―――それなのに。 「・・・ぅ、あっ!」 奈落に突き落とされたような痛みと悲しみ。『古泉一樹』が死んでいく。 涙を流すことすら出来ずに古泉は声も無く慟哭した。 しかし青年の心臓が動きを止めてから幾許もしないうちに異変は起こった。 傷口から溢れ出す金色の粒子。血液が、雪上に散った赤が同じく金色の粒子になって消えていく。傷は塞がり、頬に赤味が差す。肺が上下し始め、ゆるやかな呼吸が再開される。 その様を唖然と見つめながら、古泉は昔、城の中で何度も耳にした声を思い出していた。 "あなたでなければ・・・『花白』でなければ、『玄冬』を殺すことは出来ません。" かつて白梟が語ったその言葉は、『花白』の殺人が世界のカウントに含まれないことだけを示しているのではなかったのだ。その言葉のまま、『玄冬』は『花白』にしか殺せない―――『花白』にしか、『玄冬』の命を奪うことが出来ないのだと、古泉は理解した。 そして理解と同時に生き返った青年を見て感じたのは、『古泉一樹』が戻って来る感覚。唯一『花白』ではない自分を見てくれる存在の再生に、古泉の胸は喜びで満たされる。青年の死は古泉一樹の死と、青年の生は古泉一樹の生と同義なのだ。 再び空虚感が埋められていく中、しかし古泉はふと今後のことを思った。もしこのまま生き返った青年が目を開けたとして、そうして自分を見た時にどんな感情を抱くのか、と。 自身を化け物と蔑んだ少女にすら、その死を怒りを持って悼むことが出来る心優しい彼。そんな彼が当の少女を殺した古泉のことをどう思うのか。他人を殺すくらいなら自分を殺して世界を救えと言った彼が、世界よりも彼を取ると答えた古泉のことをどう思うのか。「もういい」と、こちらの手を離れて自分から命を絶ってしまった彼が、殺せなかった古泉のことをどう思うのか。そして、それからどんな行動を取ろうとするのか。 想像し、心臓が凍り付いた。 いくら優しい彼だとしても―――否、優しいからこそ、次に目覚めた時、彼は古泉を見限るかもしれない。そして一度自身で命を絶ち、世界を選んだ彼は、再びその刃で己を切り裂くかもしれない。 それはどちらも古泉にとって、青年による古泉一樹の否定だった。 彼に見限られては、もう生きてはいけない。古泉一樹を認めてくれた彼が自身で再びその命を絶とうとするならば、それは古泉一樹を認めたことをも否定することとなる。 また彼自身も己の特性(『花白』の手が無ければ死ねない)に気付き、自分から命を絶つ真似などしなくなったとしても、それはそれでもう一つの未来を予測させる。―――きっと彼はこう言うことだろう。今度こそ俺を殺せ、と。そして古泉が拒否した場合、顔を歪めて罵るのだろう。もしくは本心から『古泉一樹』ではなく『花白』を求めるのだろう。 (そんなこと、耐えられない・・・!) 奥歯を噛み締め、古泉は横たわる青年を見つめた。 生きていて欲しいのに、目覚めて欲しくない。名前を呼んで欲しいのに、その声で『花白』と呼ばれたくない。 ―――そう、思っていた。だから。 「お前は、誰、だ?」 彼の記憶が無くなっていると知った時、古泉の心は静かに歓喜に打ち震えた。これで僕は彼を殺さずに済む。このまま国や軍や白梟から逃げ切り、また何も思い出させずにいれば、彼に憎まれずに済むはずだ、と。 (誰にも、あなたを失わせたりはしない。世界にも、僕にも、あなた自身にも・・・) * * * 「・・・っ、なんだ!?」 覚醒は突然だった。 突然部屋を揺るがした大きな振動に、古泉は目を瞠ってベッドから飛び起きる。ぐらり、と未だ体調が完全とは言えないゆえに眩暈を起こすが、それでも床に足を付けて立ち上がった。 何か酷く怖いような、それでいて大きな安堵感も抱いたような感覚が胸の奥に残っているのだが、それを齎したであろう夢の内容は全く頭に残っていなかった。古泉はわだかまる感情を無視して部屋の外へと出る。揺れの原因は不明だが、何やら良くない予感がするのだ。 (彼の傍に、行かないと。) 自分が守らなければ。彼を。 これまで以上に強くそう思ったのは、やはり根拠不明の予感によるものかもしれない。 古泉は逸る気持ちを抑えながら使い慣れた剣を腰に吊るし――ベッドを離れる際に意識せずとも立て掛けられてあったそれを掴んだのは、最早習性と言えるだろう――、その柄をひと撫でする。だが残念なことに、不安は薄れることなく強まるばかりだった。 ―――そして古泉は、彼女と再会する。 |