黒鷹から許可を得、青年達が出立したのはそれから半月後のことである。本当ならば古泉が一度城に戻って白梟の許可を得た後、すぐに出発する予定だったのだが、ちょうど彼が青年達の所へ戻って来たその日からチラチラと雪が降り始め、様子見のためにもう少しばかり延期されたのだ。
そして現在、青年と古泉の二人が立ち寄っているのは青年が生まれた村から更に街道を上ったところにあるやや大きめの街。古泉も青年の生家と『玄冬』がどのような経緯で黒鷹と暮らすようになったかはすでに知っているらしく、青年が説明も無しに山から最も近いところにあるその村を通り過ぎたことには何一つ言葉を挟まなかった。 古泉の気遣いをありがたく感じつつ、青年は街の中心部で開かれていると言うバザー方面へと足を向ける。その傍に当の古泉は居ない。集合場所を決めた後、今夜の宿を取りに行ったためである。変な路地裏なんかに入って行っちゃいけませんよ、と些かこちらの年齢を考えて欲しい忠告を告げ、早く街の中を見て回りたかった青年の意志を優先してくれたのだ。 (・・・そんなに分かりやすかったかね、俺の態度は。) もう少し抑えた方が良いかもしれないと、これまでの己を振り返り、青年は頭を掻く。 ちょうどその時。 「きゃあ!」 「わっ・・・と。」 外界に充分な注意を払っていなかったため、前から走って来た少女とぶつかってしまった。少女は可愛らしい悲鳴と共に薄らと雪の積もった地面にしりもちをつく。 「ああ・・・悪い。怪我は無いか?」 体格差ゆえに倒れずに済んだ青年は謝罪を口にしながら少女を助け起こすために手を差し出した。少女は目の前に差し出された手を見、次いで青年をその大きな瞳で見つめる。そして二つに結った髪を揺らしてにこりと微笑みを浮かべると、 「おにいちゃん、ありがとう。」 そう告げ、青年の手に引っ張り上げられる形で立ち上がる。だが何か用事があったらしく、ぱたぱたとチェック柄のスカートについた雪を払うと、彼女はぺこりと頭を下げながらもう一度感謝の言葉を述べてまたどこかへ走って行った。 この街の子だろうか。微笑ましいその姿に嬉しく思う。だが同時にこの街にも薄らと積もり始めた雪を同時に視界に入れ、青年は胸にチクリとした痛みを覚えた。終わる気配を見せない今年の冬は世界の限界が近付いている証拠。もう、あまり時間は無いのだ。 (だから、なのか。こうして俺の我侭が叶えられているのも。・・・最期だからって黒鷹が――それから白梟も――許してくれたんだろうな。) 確かに黒鷹が過去の自身の台詞を取られて咄嗟の反論が出来なかったのも理由の一つであるとは言えるだろう。しかし彼が本気で青年の長期外出を望まないならば、今この場に青年が立っていることなど出来ない。そして白梟に関しても、これまで外界に出たいと望まなかった青年が突然――古泉が最初に提案したのは事実であるが――その願いを出したことに対し、時期的なことも相俟って『玄冬』という運命から逃亡を計ろうとしていると思われても仕方の無いことだったのだ。しかし彼女も今回、許可を出している。己が育てた『花白』への信頼もあるのだろうが、やはり青年の考えもあながち外れてはいないに違いない。 「・・・っと、いかんいかん。」 己の顔が自嘲の笑みに歪んでいたことに気付き、青年は咄嗟に手で口元を覆う。 バザーの開催場所に近付くにつれ人も多くなり始めているこんな中、一人口元を歪ませているのはあまり良くないだろう。幸いにして青年の表情の変化を見た誰かはいないようだが。 (それに折角の機会だ。どうせなら楽しんでやろうってモンだろう?) 胸中で呟き、手の平の下の表情が元に戻ったのを確認して青年は足を動かした。代わりに口元に刻んだのは微笑。古泉のような如才ない笑みとまではいかないだろうが、外見だけでも取り繕っていれば幾らか気も晴れてくると言うものだ。 ブーツの裏でサクサクと雪を踏みしめ、本格的に賑やかさを増してきた通りを時折店を冷やかしながら進んで行く。道の先に在るのはこの街の(そして現時点ではバザー開催地の)中心に立つ銅像。随分と大きなそれはどうやら初代市長をモデルにしているらしい。そして初代市長の銅像の足元が古泉との待ち合わせ場所であり、青年のとりあえずの目的地だった。あとは古泉をそこで待ち、幾度かこの街を訪れたことのある彼に案内をしてもらうというわけである。 (ま、あいつが追いついて来るまでまだ時間はあるよな。) しかしながらそんなことを考えつつ、青年は一軒の雑貨屋の前で再び足を止める。人好きのする笑みを浮かべて店の奥から出てきた主人に挨拶する際、告げた声は真っ白な息を伴っていた。 「お待たせしました。」 青年が銅像の足元に辿り着いてからそう経たないうちに古泉が姿を現わした。 「それほど待ってねえよ。色々やってもらって悪かったな。」 「いえいえ、僕が最初に言い出したことですし・・・それじゃあ、早速行きましょうか。」 こちらですよ、という古泉の促しに従って銅像から離れる。 初代市長像はこの街でよく待ち合わせ場所として利用されているらしく、青年達の他にも相手を待つ人々が居た。そんな彼らのうち年頃のお嬢さん方の視線が青年の連れに合わせて動くのに気付き、青年は内心苦笑を浮かべる。やはり初めてこの男と会った時に自分が抱いた感想は正しかったらしい、と。 「・・・?どうかしましたか。」 「いや、何でもない。」 古泉が青年の変化に目聡く気付いて問うてくるが、青年は首を横に振って答えた。 この古泉の態度はわざとなのだろうか。わざと自分を追いかける視線に知らん振りをして通り過ぎているのか、それとも本当に何にも気付いていないのか。 (・・・こいつの顔なら前者のような気もするんだが・・・どうにも後者っぽいんだよな。) ずっと白梟の庇護の下、城で育ってきたらしい古泉。そして『花白』としての特性――殺しても罪にならない。世界のカウントに入らない――や戦争の種が至る所に転がっているこの国のことを考えれば、ひょっとするとひょっとして、と思うのだ。もしかして古泉はこうやって少女達の視線を受け取れるような普通の暮らしを送ることが出来ぬまま、ずっと剣を握ってきたのではないかと。 もしそうだとすれば、例え『玄冬』であっても―――否、"『玄冬』であるからこそ古泉に人殺しであることを求めない存在"に懐いてしまうのかもしれない。 ちらりと視線をやった先では古泉がにこにこと楽しそうに笑っている。青年自身、経験値不足であるがゆえに言いきれる訳ではないが、その姿はまさしく友人との交流を楽しむ様子そのものだ。 そんな古泉に今の自分が真っ先に抱いてしまう感情の名前は喜びなどではなくきっと同情で、それに気付いた青年は罪悪感と自嘲で己を満たす。自分にそうする権利など元より在るはずが無いと言うのに、一体何様のつもりでそう思うのか。『玄冬』が生まれるからこそ『花白』の存在も必要になり、つまりは青年の所為で古泉が苦しんでいると言い変えられるにもかかわらず。 ただ今は隣に古泉がいるため感情を表に出すわけにもいかず、青年は心臓の上辺りで渦巻く思いに目を瞑る。しかしそんな時、古泉が青年の気持ちを切り替えさせるが如く「そうそう、」と周囲を手で示しながら話を切り出した。 「ちょうど時期が良かったようですね。今は他の街からも隊商やら何やらが来て、普段以上に賑やかになっているそうです。」 「そういやサーカスのポスターも貼ってあったな・・・」 ふと立ち寄った商店の横に貼られていた色鮮やかなポスターを思いだしてその名を口にする。すると古泉が「僕の記憶違いでなければ、王都でも知られたサーカス団ですよ。」と目を丸くした。 「本当にタイミングが良かったみたいだな。」 「ええ、折角ですし見てみたいですよね。チケットがまだあればいいのですが・・・」 「とりあえず行ってみるか。」 「そうですね。・・・ああ、あちらのようです。」 タイミング良く視線を少し移した先に青年が見たのと同じポスターが貼られていた。古泉がそれを確認し、迷うことなく進行方向を右に変える。どうやら古泉の頭の中にはこの街の地図すら入っているらしい。青年がそのことに対して素直に感嘆の意を示すと、古泉は照れくさそうに苦笑を漏らした。 「大まかなものでしかありませんけどね。メインストリートとそれに交差する道が幾つかってところです。裏道にまでなると流石に・・・。ここには王都から別の街へ行く際に少々立ち寄るくらいでしたから。」 肩を竦めて古泉が告げる。ただしそれで終わることなく、ちらりと青年に視線をやって「ですが、」と続けた。 「こうやって今あなたをエスコートするならば、もう少し詳しくなっておくべきだったと思いますよ。そうすればもっと色々な所へ案内出来たはずですし。」 未来を知ることが出来ないのが誠に残念です、と大仰な動作と共に告げる古泉へ青年も未来を知るなど有り得ないこととは理解しつつ苦笑を返す。 「そんな程度のことのために未来を知ってどうする。もっと有意義なもののために知ったらどうだ。」 「今こうしていることが僕にとっては充分有意義なんですけどねえ。」 「それはそれは光栄、と答えておくべきか?」 冗談めかして言えば、古泉の顔が楽しそうに綻んだ。青年がそれを素直に嬉しく思えないのはブーツ越しに伝わる雪の感触の所為、だったのかもしれない。 * * * その一週間後、青年達は別の街へ向かうため街道を進んでいた。しかも自分達が見ようと思っていた(そして実際に最後尾の座席であったがきちんと入場することが出来た)サーカスの一団と共に、本来ならば徒歩の予定だったはずを馬車に乗って。どうしてこんなことになったんだっけと過去回想へと頭を働かせる青年のすぐ隣には古泉、だけではなく、初めて先の街を訪れた日に道でぶつかってしまった少女も楽しげに座っていた。 青年を挟んで古泉の反対側に居るこの少女、実はサーカス団団長の一人娘なのだと言う。加えて幼いながらもすでに舞台に上がる立場で、青年達がチケットを買った公演日にも可愛らしい衣装を纏いマスコットキャラも兼ねて演技を披露していた。その少女が青年達の存在に気付いたのは公演の途中で客席から参加者を募ることになった時。スポットライトを浴びながら客席の合間に設けられた通路を少女が軽い足取りで歩み、最後尾の列まで辿り着いた際、青年と少女の視線が合わさったのだ。近くに来てようやくそれが見知った少女であることに気付いた青年は一瞬目を見開き、隣の古泉が「どうかしましたか」と囁いた。それに回答する間も無く、青年と同じような表情を浮かべた少女は次いで笑顔に切り替えて青年の腕を取ったのだ。「お客さま、どうぞ舞台の方へ!」と。 その後、観客参加型のものを含め全ての演目が終わってから、ここで再会出来たのも何かの縁と言うことで青年達は少女に舞台裏へと案内された。そこで少女の父親でありこのサーカス団の団長である男性とも顔を合わせ、話を交わすうちに気に入られて、決まった目的地が無いなら次の公演を行う街へ共に行かないかと誘われたのだ。青年達の方にもその好意を特に断る理由は無く、今に至る。 サーカスを観覧した日から五日後。そして街を出発し馬車に乗って移動するのは本日で二日目となり、今日明日中に次の街へ到着するらしい。このサーカス団は次の街で半月ほどの興行を予定しおり、一緒に街道を抜けるのはこれが最初で最後になるのだが、それでも青年達が街に滞在する間は顔を合わせることが出来ると、この五日間でしっかり青年達に懐いた少女が嬉しそうに語ってくれた。 「キョンおにいちゃん!イツキおにいちゃん!見て!街が見えてきたよ!!」 馬車の窓から顔を出し、少女が声を弾ませる。同じように窓から顔を出して彼女の視線を辿れば、遠目にやや高めの建物を幾つか確認することが出来た。街の周りをぐるりと取り囲む壁は野盗や危険な動物を入り込ませないためのものだろう。王都もまた城壁で囲まれているのだが、視線の先に在る街のように立派な壁を持つということは即ち、それだけ位置的に王都に近くなっているということでもある。 青年がちらりと古泉に視線をやると、彼は少女に笑顔で応えながらも決して心から笑っている訳ではないのだと気付いた。 あの街よりも更に王都に近づいてしまえば、青年が『玄冬』であると判る人間も現れ始めることだろう。人々の混乱や暴走を防ぐために『玄冬』を特定出来るものはその呼び名しか明かされていないが、それでも中央に関わる者の中には詳細を知っている人間もいるのだ。そして人の口に戸は立てられない。―――しかし育った環境ゆえに青年の思考がそこに至ることはなく、古泉の表情に内心首を傾げながらも、結局は何も言うことなくその場は済んでしまった。 |