古泉を家に招き入れ、茶を出した後。日も暮れてそのまま帰すわけにもいかず、青年は古泉をここで一泊させることにした。最初にそれを提案した時、黒鷹は好きにすればいいと告げ、古泉も特に拒絶を示さなかったことには多少の驚きを感じたが。
 とにかくそんなわけで一夜明け、青年と古泉は同じ食卓に着いて朝食をとっていた。この家にいるはずのもう一人―――黒鷹は青年が朝食を用意し始める直前に(献立を悟ってか)黒い羽根を持つ鷹の姿となって窓から外へと出かけてしまっている。今朝の食事は森に住む小動物にするらしい。
 ちなみに黒鷹が人型から鳥型に姿を変える際、青年の他に起きてきたばかりの古泉も同席しており、僅かに眠そうだった目を大きく見開いていたことを記しておく。どうやら白梟に育てられたはずの彼は育ての親や彼女と対の存在である黒鷹がその名の通り鳥型になれることを知らなかったらしい。
「・・・そういやフクロウも肉食の鳥だったよな。まさかそっちのも肉しか食べないとか。」
「いえ?彼女は何でも食べられたと思いますが・・・それが何か?」
「いや、いい。気にするな。」
(なんかちょっと白梟に好感を抱いてしまったぞ、おい。)
 などと言う会話が食事中に交わされたことも事実である。
 カチャリと皿にフォークが置かれる音で朝食の終了が告げられる。「ごちそうさまでした」と律儀に告げる古泉に青年は短く返答すると、相手を見据えて口を開いた。
「これからどうするつもりだ?まさかこの後すぐにまた剣を抜くなんてことは、」
 勿論無いよな?と冗談混じりに続ける。
 何故口調がそんなにも軽いものになってしまったのかと言うのは、古泉の軟化した態度を見れば充分理由になるだろう。一夜明けた古泉の目には昨日青年へと向けられた溢れんばかりの敵意というものが無い。無論、『花白』である彼が『玄冬』への負の感情を全て失うはずなど無かったが、それでも何も考えず、迷わずに顔を歪ませることは無くなっていた。今はただ、その相貌に迷いが垣間見える、と青年は感じている。黒鷹に言われたことがそれ程強烈だったんだな、とも。
「これから、ですか・・・」
 古泉は顎に手を当ててふむと考え込んだ。その仕草はいくらか芝居がかっているように見えたが、悪意は感じられない。そのため青年は笑みを崩さず相手の言葉を待つことが出来た。
 やがて古泉は顔を上げると整ったそれに苦笑を滲ませて答えた。
「一度、城に戻ります。僕もまだまだ知らなければならないことが多いようですし、そういった知るべきことをきちんと理解した上で自分の行動に責任を持ちたいんです。」
 古泉の言う「責任を持つ」とはつまり、未だ彼が『玄冬』を殺す気でいるということ。それは世界を存続させるために必要なことであり、『花白』を背負う者として当然の心理・行動であると言える。『玄冬』と『花白』を背負う個人が各々心の奥でどのような思いを抱いていたとしても。
「・・・そうか。」
 青年は相手からの苦笑が伝染したように同じ表情を浮かべて短く、けれど詰まることなく答えた。
 会話に間が空かぬうちに青年は立ち上がり、食器を片付け始める。古泉もそれにハッとして立ち上がり手伝おうとするが、青年は彼の動きを手で制して軽く肩を竦めた。
「お客様は座って待っていること。・・・ま、今度遊びに来た・・・・・・・時にでも手伝ってくれればいいからさ。」
「っ、あ。はい!」
 くしゃり、と幼い子供のように古泉が表情を崩し、椅子から浮き上がっていた腰を元の場所に落ち着かせる。青年はそれを見届けると、それほど数の無い食器類を一度で流し台へと運んで行った。



* * *



 ―――数ヵ月後。
「おう、いらっしゃい。何か飲みたきゃ自分で淹れてくれよー。」
「では紅茶を頂きますね。」
 出迎えたのは青年。それに答えながらまるで自分の家にいるかの如くキッチンの食器棚からティーポットを取り出したのは古泉一樹。二人の様子を呆れ混じりに見守るのは黒鷹で、これが現在の彼らの『普通』になってきていることを示していた。
 薪ストーブの上にかけられていた薬缶からお湯を注ぎ、古泉は慣れた様子で(多少雑に)紅茶を用意する。本当ならばもっときちんとした手順を踏み、時間等も正確に計るのだろうが、青年も古泉も味や香りにそこまで頓着しないため問題は無い。
 やがてコトリ、と小さな音と共に目の前にティーカップが置かれると、青年は読んでいた本――タイトルは『野菜嫌いの子供に野菜を食べさせる方法』とある。以前古泉に街で買って来てもらった物だ――を閉じ、躊躇いも無くそれに口をつけた。そしてこれまた自然体で正面に座った古泉へと視線を向ける。
(・・・相変わらずキレーな顔してんのな。)
 たとえ香りが飛んでしまった紅茶を手にしていても優雅に見えるその容姿。彼が、自分を、『玄冬』を殺す存在なのだ。
 この数ヶ月、時折古泉がこのような辺鄙な所に顔を出し、他愛も無い会話を交わして去っていくというのが常になっていた。おかげで今や、『花白』『玄冬』といったことが無ければ友人として立派に通ったことだろう。しかし現実として自分達の前に横たわるのは殺す者と殺される者という関係。・・・そう、この期間は古泉が『花白』を全うするための知識と覚悟を得ることを目的として設けられた、ただの執行猶予でしかなかったのだ。
(の割には妙に懐かれてる気がしないでもないんだが・・・。あんまり仲良すぎると古泉だって辛くなるだろうに。いや、俺はそれを望んでいるのか?出来れば殺されずにいたいなどと。)
「・・・?僕の顔に何かついてますか?」
 青年の視線に気付いて古泉が首を傾げる。だが青年の方は軽く首を横に振ってそれを否定した。己の思考と共に。
「別に。ところで古泉よ、」
「何でしょう。」
「王都からここまで大分距離があると思うんだが、実際どのくらいかかってるんだ?」
 古泉が住む王都――花白は白梟と共に王城で暮らしているらしい――と青年が住むこの山奥(正確にはその近くの集落)を結ぶ街道はかなりの長さを持っている。人の足では出発したその日中に到着するなど到底無理なことであり、また『花白』と『玄冬』の交流をあまりよく思っていない白梟が手を貸すとも思えない。(黒鷹と白梟は一瞬で遠く離れた所に辿り着く術を持っているのだそうだ。)と言うことは古泉の移動にはそれなりの日数がかかっており、途中いくつかの町や村を抜けてくることになるのだろう。
「そうですねえ・・・天候にもよりますが、大体五日でしょうか。途中、馬を使えばもっと早く着けますけどね。」
「あれ?それだとキミ、寄り道とかって全くしてないんじゃない?」
 古泉の答えに返したのは青年ではなく、その話を少し離れた所で聞いていた黒鷹だった。彼は面白がるような呆れているような、そんな複雑な表情で古泉を視界に納めながら続ける。
「しかも徒歩で五日?・・・城からここまで、普通の人間ならもう一日か二日かかるでしょ。」
「・・・何を、おっしゃりたいんですか。」
「単に現実を語っただけだよ。気にしないで。」
 黒鷹は古泉から視線を逸らしてそっけなくそう告げると、会話の相手を譲るように青年へと微笑みかけた。
「ごめんね、会話の邪魔しちゃって。どうぞ続けて?」
「え?・・・あ、ああ。」
 話を振られた青年の方は少々呆気に取られつつも頷く。今から元の話題と雰囲気に持って行くのは骨の折れる作業だと思うのだが、致し方ないだろう。
「あー・・・で、だ。古泉よ。」
「はい?」
 古泉も己の中で思考の切り替えをしてくれるらしく、普段どおり如才ない笑みを浮かべて青年の言葉を待つ。そのことにありがたく思いながら青年は話題を強引に当初の目的とした方へ移した。
「五日だっけ?・・・ってことは、いろんな街に寄ったりもするんだよな。」
「ええ。王都と比べればやはり華やかさに欠けますが、結構賑わっている所も通りますよ。」
「へぇ・・・」
 この近辺では体験しにくい賑わいの気配を感じて青年の目がやや大きく見開かれる。
「あのさ、」
「はい。」
「よかったらお前が知ってる他の街のこととか話してもらえねえかな。」
「僕が知っている他の街のこと、ですか。」
「ああ。黒鷹だとここから王都まで一瞬で移動しちまうから他の街の話なんて聞けねえしさ。」
「キョンはキミがよく来るようになってから『外』に興味を持ち始めたらしくてね。」
 青年の申し出に戸惑う古泉への説明として黒鷹が付け足す。それを聞き、古泉は「なるほど。」と微笑を浮かべた。
「それならば、僕の知っていることでよければいくらでもお話させていただきますが・・・そうですねぇ、」
「?」
 どうやら話してくれるだけではないらしい古泉の様子に青年は首を傾げる。それを見た古泉は淡い笑みを浮かべて、ふと思いついたことを言葉にしてみせた。
「どうせなら一度、僕と一緒に軽い旅でもしてみませんか?」
「へ?」
 突然の申し出に青年が呆けた声を出す。
 それを古泉が楽しげな顔で見つめるが―――
「何を考えてるんだい、花白。」
 黒鷹の些か厳しい声に青年がハッとなってそちらを見た。黒鷹の視線は古泉にのみ固定され、双眸がすっと細められている。ここ最近見なくなっていたはずの敵意とも呼べる感情がその声と表情には含まれていた。
 彼がどうしてそんなことになったのか。青年は訳が分からず混乱したが、幾らもしない内に何故自分がここ――人里離れた山奥――に住んでいるのか思い出して「あ・・・」と小さく声を上げる。そうだ、『玄冬』である自分は人に拒絶され畏怖され、憎まれる対象でしかない。ゆえに人のいる所に行っても碌なことが無いはずなのだ、と。
 小さな声を漏らした後、表情を硬くさせた青年をチラリと盗み見、黒鷹は再度古泉を睨み付ける。だがそんな視線に反し、古泉は如才ない笑みを浮かべたままだ。まるで黒鷹が反論するのを解っていたかのよう。否、本当に予想出来ていたのかもしれない。その証拠でもあるように、古泉は黒鷹と青年に向かって多少身振りを大袈裟にしながら答えた。
「見聞を広めるのは良いことではありませんか。誰に言われずとも興味を持ったことなら尚更。それに黒鷹・・・あなたが心配していることはご尤もですが、要は彼が『玄冬』だと知られなければいいのでは?どうせ『玄冬』の顔を知る者などごく限られた数しかいないのですから、どうにでもなると思いますけどね。」
「けれどキョンが悲しい思いをする可能性はゼロじゃない。」
「そうおっしゃいますか。」
 古泉がそう言ってクスリと笑う。が、それは彼がよく青年に向ける優しげなものではなく、まるで青年と古泉が初めて顔を合わせた時を思い起こさせるかのように冷たい微笑だった。
 そんな冷笑を浮かべたまま、古泉は青年と黒鷹を順に見遣る。そして「ああ、それとも。」と口元を嘲りの形に吊り上げた。
「『花白』が『玄冬』を殺すために知識と覚悟を準備しているのだから『玄冬』も己が生きることによって世界がどのように滅んでいっているのかを"実感"すべきだ、とでも言いましょうか。彼がここを出るために理由が必要なら、ね。」
「・・・・・・・・・っ、はいはい、わかったよ。今回は僕が退いてあげる。キョンの意志も優先させてあげたいからね。」
 以前の自分の言葉を取られたためか、不服そうにそう告げて黒鷹はバサリと羽音を立てた。人型から鳥型になった彼は窓から外へと飛び去って行く。いつもと比べるとその動作は些か乱暴で、黒鷹が決して心の底からOKを出したわけではないことを如実に語っていた。が、それでも青年の保護者たる黒鷹が認めたのは事実。古泉は先の自身の発言で更に身を硬くしていた青年へと淡く優しげな笑みを向けた。
「あれは建前ですから。そんなに怖がらないで。・・・何、大丈夫ですよ。外の世界はそれほどあなたを悲しませたりしないはずです。あなたは『玄冬』ですけど、あなた自身は素晴らしい人だと最近、僕はいつも思っています。だから僕以外の人だってそう思うはずなんです。」
「こい、ずみ。」
 青年の声から僅かだが硬さが抜けて抜けていく。
 そうして古泉は仕上げとばかりに微笑みながら青年の手を取った。
「それに、何があっても僕が必ずあなたを守りますから。」






















(2009.01.11up)















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