ああ、夢を見ているのだ。
 何故解ってしまうのか解らないが、青年は目の前に広がる光景を眺めながらそう独りごちた。ただし呟きは音になることなく、代わりに別の台詞が別人の言葉のように零れ落ちる。
「またあの人をからかって来たのか?」
「からかうだなんて失礼な。僕は説得しに行ってるだけだよ?」
「その割にはいつもスッキリした顔で帰って来るじゃないか。」
「そう、見える?」
 会話の相手――誰かは知らない――は、ほんの少しトーンを落として淡い笑みを浮かべた。しかしながら青年が相手の容姿を認識出来たのは彼の口元までで、表情の要となる双眸は前髪が特別長いというわけでもないのに不自然な翳りを帯びているため確認することが出来ない。
 その人物の背後に広がるどこかこじんまりとした室内の様子ははっきりと判るにも関わらず、相手の顔だけが窺えないことに青年はむず痒さを覚える。が、夢で再生される自分はそんなことなどお構い無しに憮然とした態度で答えた。
「見えるな。それにお前の性格ならやりかねん。と言うか猫被りバージョンならまだしも、あの人相手だとお前、猫なんてちっとも被りゃしないだろうが。」
「まぁねー。ついでに『あいつ』とキミにも素で接してるしね。そうでしょ、■■■。」
「・・・だからなぁ、その名前で呼ぶなって何回言ったら解るんだよお前は。」
 自分の名前が呼ばれたはずなのに、そこだけ不自然な雑音が入って聞き取れない。それは自分が記憶を失っているためなのか。むしろそれなら、さっさと夢の中で思い出して他の記憶も芋蔓式に復活してくれれば良いものを。
 ぼやくが、これもまた音になることなく、溜息だけが漏れた。ふふ、と相手はそんな青年の様子に悪戯好きの子供のような笑みを浮かべる。
「キミこそ何度呼ばれれば解るんだい?僕は決してキミを『玄冬』だなんて呼んであげない。そんなものはキミの名前じゃないからね。キミは■■■。僕の大事な■■■だ。それ以外の何者でもないよ。」
「はいはい、そりゃどうも。でももうちょっとマシな音にならんのか、それは。間抜けすぎるだろ。」
「そうかな?僕は結構親しみやすくて好きだけど・・・ま、他に良いのが思いついたら変えてあげなくもないけどね。」
「・・・全く変える気無しの顔でよく言う。」
「解ってるなら話は早い。潔く諦めてよ、ね?」
「本当にお前という奴は・・・」
 こいつには敵わん、と考えたのは今の青年ではなく、そうやって額に手をやっている方の青年の思考なのだろう。
 そう思いながら奇妙なこの夢の登場人物に意識を戻すと、ちょうど相手が話を切り上げるところだった。
「ほらほら、そんなことばっかり言ってないでそろそろ夕飯の支度でもやってくれないかい?今日は僕が作っても構わないけど、それじゃあキミの方が嫌なんでしょ?」
「当たり前だ。なんでお前が作ると生肉ばっかりなんだよ。俺は人間だぞ?」
「僕は『■■』だからね。むしろ火を通した肉とか野菜とかの方が有り得ないよ。ってなわけで、今日も夕飯よろしく!」
「・・・絶対野菜食わせてやる。」
「泣くよ?」
「泣けよ。」
「ひっどーい、■■■く〜ん!」
「気持ち悪いからよせ!身体をくねらすな!」
 眉間に皺を寄せてそれだけ言うと、青年は扉へと向かう。おそらくキッチンへ行くのだろう。
 なんだかんだ言いつつも決してこの生活を嫌ってはいないのは、これを第三者の視点で見ている記憶の無い青年にも手に取るように解ることで、それを自覚した途端、胸に小さな痛みが走る。それは忘れてしまったことへの罪悪感なのだろうか。解らず、頭を振る。
 その間にも青年に足はドアを越え、部屋を去る。
 しかし相手を残したまま部屋の扉が閉まる直前、
「寂しいけど、あの人は勿論違うし、たぶん『あいつ』も違う。・・・僕だけが君の味方なのかもね。」
 告げられた言葉が夢の中で再生される青年の耳に届くことは無い。しかしそれをもう一つの視点で見ている青年には、どういうわけか相手の寂しげな声ごとはっきりと聞こえた―――ような、気がした。



* * *



「・・・っ、」
「あ、目が覚めましたか?」
「こい、ずみ?」
 夢を見ていたのだろうか。何を見ていたのかすっかり忘れた状態で、それでも何かを見ていたことだけははっきりと自覚して青年は瞼を押し上げた。
 視界に映ったのは旅の連れ―――古泉一樹の顔。その向こうにあるのは冷たそうな石の天井で、事実、コート越しに感じる床も冷たかった。そして思い出す。そう言えば、自分達は捕まったのだ。
(つーことは、ここは牢屋ってわけか。なんだか頭も妙に痛いし、こりゃここに連れて来られるまでに殴られでもしたか、俺。)
 そしておそらく、殴られてそのまま昏倒でもしたのだろう。『玄冬』には容赦など必要ないということだ。
 古泉の方は・・・と考えて様子を窺うが、どうやら酷い目には――牢屋に入れられたことを除いて――遭っていなさそうだった。そのことに安堵の息を零す。ただし見た目は大丈夫でも昨夜からの体調不良を些か引き摺っている可能性はまだ否定出来なかったが。
 仰向けに倒れていた状態から起き上がり、冷たい床の上に座り込む。背凭れがない状態は今のところ少々辛く感じたため、背中は石の壁に預けることにした。すると古泉もそれに倣い、青年の隣に座り直す。
「・・・だから逃げてくださいと言ったのに。」
「そしたらお前だけこんな所に閉じ込められるんじゃないのか。」
「僕は平気ですよ。」
 それはどう言う意味で平気なのだろう。こんなに暗く冷たい所に閉じ込められても気にしないということか、それとも元より自分一人ならば牢屋に入れられる目には遭わなかったと、そういうことだろうか。
 考えるが、自分は何も知らないのだから当然判るはずもない。それに今更こんなことを考えても無意味なのだと悟って青年は言葉を音にする代わりに深く息を吐き出した。
「怒って、ますか?」
「何をだ?」
「僕があの少女を人質にしたことですよ。」
「ああ、それ・・・・・・ぁッ、」
 古泉が少女の話題を持ち出した瞬間、突如として青年の脳裏に覚えのないはずの映像がフラッシュバックした。息を呑み目を見開くが、その目に映るのは現実に在る石の床や壁ではなく、真っ白な雪の上に散った赤い液体。そして片手で折れそうなほど細く儚い手足を持った誰か。表情は判らない。だが何故かその瞳に生きる者の光が宿っていないことは理解していた。
(また、か・・・っ!)
 怒りにも似た感情を覚える。どうしてこんな映像が己の脳を焼くのだろう。まさか記憶がなくなる前の自分がその少女を殺したとでもいうのだろうか。
 ズキン、と酷い頭痛に襲われ、青年は片手を床に付いた。
「大丈夫ですか!?」
 異常を察し、慌てて古泉が手を差し伸べる。だが痛みに呻く青年はその差し伸べられた手を、
「ぁ・・・」
 パチン、と妙に響く音と共に弾き返してしまった。
 すぐに正気づき「しまった!」と焦りながら青年が古泉を見るが、古泉は弾かれた手をもう片方の手で守るように引き寄せ、加えて俯いているために表情を窺うことも出来ない。ただ、心なしか一回り小さくなってしまった印象を受ける。
「こいずみ、あの、」
「・・・・・・いで。
「え・・・?」
「ごめんなさい。嫌わないで・・・僕を、嫌わないでください。」
「古泉?」
 古泉の声は震えていた。自身を抱きしめる古泉は幼子のように身を縮めている。
 連れの突然の変化に青年は戸惑いを見せ、手を伸ばすもどうすれば良いのか分からず空中を彷徨わせるだけ。しかしこのまま古泉を原因不明の何かで怯えさせておくわけにもいかず、意を決して震える肩に手を添える。びくり、とその肩が強張るのを感じながらもそのまま、青年はなるべく優しく触れ続けた。
「古泉、どうして俺がお前を嫌わにゃならんのだ。」
「・・・、だって・・・僕は、」
「うん?」
「だ、って・・・」
「あの子を人質にしたことなら、俺がお前を嫌う理由にはならねえよ。あれは俺も悪い・・・いや、むしろ原因は俺にある。」
(『玄冬』、らしいからな。)
「、そうじゃ・・・それ、だけじゃ・・・なく、て!」
 古泉が言葉を詰まらせる。
 余程言いたくないことなのだろう。しかし青年は古泉が語ることを止めようとは思わなかった。
 何故だろうと考えて、ふと気付く。今この目の前の必至に口を開こうとしている古泉は言いたくないと思うと同時にどうしても言いたいと思っているのだ。それは――望まれない人間であるらしい自身がそう感じるのも滑稽なものだが――教会で罪人が罪を告白する様によく似ている。
(ああ、そうか。こいつはだぶん許されたいんだ。)
 ならば古泉の言葉を止めてはいけない。自身の記憶としては本当に短い付き合いでしかないが、それでも簡単には見捨てられなくなってしまっているのだから。相手が許しを求めているのなら、それが己に可能だと言うのなら、青年は古泉の手助けをしてやりたいと思う。
「古泉・・・、俺は大丈夫だ。」
 ひっそりと呟かれた言葉に古泉が顔を上げる。泣いてはいなかったが今にも泣き出しそうな色男の顔面崩壊っぷりに青年は苦笑を折り混ぜた微笑で返した。
「大丈夫、だから。」
「・・・っ、僕は・・・・・・」
 古泉はそう言って内から溢れ出る感情を抑えるように一度だけ強く目を瞑ると、再び開いた双眸で青年から少し外れた箇所を眺める。揺れる瞳は未だ強固に残る不安や戸惑い、そして決意の現れなのだろう。
 青年はそれを静かに見据え、言葉を待った。
「僕はこれまで沢山の人を・・・。あなたがこの世界に現れたという知らせが入るまで、ただひたすらこの国に仇名す者達の命を奪って来ました。」
「・・・それは、どういう、」
「戦争孤児だった僕を拾い育ててくれた女性の命令でしたから。・・・つまりは恩返し、でしょうか?」
「なんだよ、それ・・・。どうしてお前が、」
 目の前のこの男が人殺し?
 信じられないのか、信じたくないのか、青年は意味のある言葉を告げられないまま目を瞠る。その様を、視線を上げた古泉が諦めにも似た微笑で見つめる。
 だがその微笑も長くは保たず、くしゃりと崩れて掠れた声を出した。
「ほら、僕はこんなにもあなたに嫌われる要素を持っている。でも僕はあなたに嫌われたくない。嫌われたくないんです。・・・だってあなたは人殺ししか知らなかった僕に初めて優しさを教えてくれた人だから。」
「それ、は・・・」
 記憶を失う前の俺だろう?
 そう言いかけて青年は口を噤む。その言葉はいくら真綿に包まれているとは言え、今の古泉にとっては鋭い棘がついた凶器でしかない。おそらく青年の記憶が失われてからずっと堪えてきた様々な思いや、青年を逃がすために取った凶行に我慢の限界が来てしまったのだろう。
(つまり古泉がこんなにボロボロになっちまってるのは全部俺の所為ってわけだ。)
 そこまで理解して申し訳なく思うならまだしも、どうしてこの目の前の男を嫌いになることが出来よう?
 青年は再び視線を下げた古泉に謝罪と慈しみの視線を向け、うっすらと微笑んだ。
「嫌いになんかならないさ。」
「本当、ですか・・・?」
「ああ。今までのお前にはそれしかなかったんなら、今ここで俺がとやかく言えることなんて無い。」
 チラリと上目遣いの視線でこちらを見遣る古泉に肩を竦めてそう返す。
「と言うかさ、町の人達の話を信じるならどうやら俺の方がとんでもなく『悪』らしいじゃねえか。ま、他人に言われただけで容易く信じてやれるほど俺も自分嫌いじゃないつもりだけどな。」
「・・・と言うことは、勿論『救世主』と言われてあなたを殺しに来る人間なんて好きになるはずありませんよね。」
「そりゃあ、な・・・」
 沈んだトーンで訊いてくる古泉の様子に訝しく思うところはあったが、青年はそう答えた。すると古泉は「ですよね。」と告げて眉尻を下げる。
 力無く笑ったその顔はさっきまで持っていた大切なものをごっそりと落とし、しかもそれはもう二度と手に入らないと諦めてしまった人間の表情だ。微かに残った笑みは、残りの僅かな希望を決して手放さないようにするための最後の砦と言ったところか。少なくとも青年が古泉にさせたかった表情ではなかった。
(なんで、)
 何故古泉がそんな顔をしなくてはならないのか理解出来ず、青年は苦しげに眉根を寄せる。答えが喉の奥まで来ている気もしなくはないのだが、音になってくれないそれは己を苦しめるためのものでしかない。
 理由を古泉に問いかけても良いのだろうか。ただ、もしかしてその問いは古泉を酷く傷つけてしまうかも知れないと思うと、青年の口は太い糸で縫い合わされたかのように動かなくなる。
 葛藤する青年と黙り込んで顔を伏せる古泉との間に思い沈黙が降りかかった。
 が、そんな時。

「随分見ない間に弱々しくなったものだな、『花白』。救世主が聞いて呆れるぞ。」

 沈黙を突き破り、古泉の顔を上げさせ、そして青年の目を大きく見開かせたその声は、新たに現れた第三者のものだった。
 カツンカツンと硬質なブーツの音を響かせながら牢屋の鉄格子の向こうに姿を見せたのはこの国の軍人、しかもかなり高位の者が着用する軍服に身を包んだ男。
「・・・え?」
 しかし青年の意識を根こそぎ持って行ったのは勿論新たな登場人物の格好ではない。軍人が古泉に向けた台詞そのものだ。
 ゆるゆると横の古泉の顔を見やれば、整った彼の顔立ちは絶望に色を失っていた。その顔を見つめたまま青年はぽつりと零す。
「古泉が、『花白』?」
(俺を殺す"救世主"・・・?)
 己の命を奪う者。世界に望まれ、自分とは正反対の位置に立つ存在。
 それがこの目の前の男だというのは信じられない――否、信じたくない――ことだったが、古泉の顔色を見れば嫌でも理解せざるを得ない。そして新たな事実を知った青年の口から短い言葉が零れ落ちた。
「お前が俺を、殺すのか。」
「ぁ・・・ぼく、は・・・」
 問いかけと言うには確信を含み過ぎるその言葉に古泉の顔がより一層色味を失くす。答えは明確な言葉にならない。
 しかしまともに口が利けなくなった古泉の代わりに、鉄格子の向こう側に立つ軍人が冷たく言い放った。
「そうして貰わなければ我々が困る。『花白』は世界でたった一人、殺しを許された人間だからな。」
「殺しを許された人間。」
 鸚鵡返しに青年はその言葉だけを繰り返す。現実味の薄い台詞にも関わらず、響きにざわりと背筋に嫌なものが走った。これまでも時折青年を襲った、知らないものを知っている感覚だ。しかも、悪いものに対する。
「・・・?お前『玄冬』だろう?なのに何故そんなに不思議そうな顔をする。」
 青年の心情を知ってか知らずか。少なくとも軍人であるその男は青年が『花白』の定義に疑問を感じたと受け取ったらしく、器用に片方の眉だけ上げてそう問いかけた。
「『白梟』と『黒鷹』を除けば、お前達が一番よく知っているはずだろう。この世界の仕組みなんてものは。」
「・・・・・・知らない。」
「なに?」
「今の俺には自分が『玄冬』だっていう記憶が無いんだ。自分の名前すら忘れちまったしな。」
「・・・は?おい、どういうことだ『花白』。」
 眼鏡の奥で不機嫌そうに双眸を細め、男は視線を青年から古泉に向け直す。釣られるように青年も古泉の方に視線をやると、青年と目が合った古泉は数瞬だけ見つめ返した後、フイと黙り込んだまま顔を背けた。
「おい、『花白』・・・」
「・・・僕は『花白』などという名前ではありませんよ、第三兵団隊長殿。」
 石の床を見据えたまま古泉が小さく呟く。時間の経過と共になんとか我を取り戻してきているのか、それとも青年と視線を合わせずに居るおかげでなんとか我を保つことが出来ているのか、それは解らない。ただとりあえずまともに口が利けるようになった古泉を見て、軍人の男は「ふん、」と不遜な態度で鼻を鳴らした。
「どう名乗ろうとお前が『花白』であることに変わりはない。・・・それよりも、『玄冬』の記憶が無いとはどういうことだ。お前が王都から出たのはそこの『玄冬』を殺すためだろう?ま、途中で行方を眩ませやがったがな。それがどうしてこんなややこしいことになっている。」
「・・・・・・。」
「はっ、だんまりか。だがいつまでもそうしていられると思うなよ。お前はこの後、俺達第三兵団がきっちり王都に送り届けてやる。『玄冬』と一緒にな。」
「そして王とあの人の前で自分の役目を全うしろ、と?」
「勿論。」
「・・・嫌ですよ。」
「何?」
「古泉?」
 話について行けず(『白梟』やら『黒鷹』やら、意味の解らない単語がぽんぽん出てきても理解など出来るはずがない)静観するしかなかった青年がその一言により軍人と同じように虚を突かれた顔で古泉を見た。
 自分を殺すはずの(殺さなければいけないはずの)人間がそれを嫌だと言ったのだ。驚かずにはいられない。
 益々頭を混乱させる青年に対し古泉はもう随分と気をしっかり持ち直したようで、決心するように一度ゆっくりと瞬きすると、やや色素の薄い双眸を眇めて青年に微笑みかけた。
「嫌ですよ、あなたを殺すなんて。そのために僕はあなたを連れてここまで逃げてきたんですから。」
「王と『白梟』に背を向ける・・・いや、世界を裏切るつもりか?」
「隊長殿、あなたには言ってません。」
「俺に対して言われていなくとも、無視出来ん内容には変わりない。」
「かつての英雄の子孫も堕ちたものですね。国の狗と成り下がりましたか。」
「何とでも言え。俺はただ、この世界全体と一人の命を天秤にかけて物を言っているだけだ。」
 古泉の棘を含んだ物言いに全く怯まず、男は平然と告げる。
「それに英雄と言っても、どうせお前と同じく人を殺すしか能の無かった『救世主様』だ。元よりそう落差のあるものでもなかろう。」
 眼鏡を直しながら軍人が告げた台詞は皮肉が混じったものだった。ぐ、と古泉が眉根を寄せる。しかしそれでも古泉が何か反論を口にしようとした瞬間、先に青年が声を発していた。
「古泉は人を殺すしか能の無い人間なんかじゃない。昔の救世主の子孫だか何だが知らないが勝手に決めつけてるんじゃねえよ。」
「・・・!」
 真横で古泉が息を呑む。
 だが青年の言葉を受けた軍人の方はと言えば、全く何も気にしていない雰囲気でスッと目を細めるだけに留まった。温度を感じさせない冷めた視線が青年を射る。
「それは『玄冬』としての自覚が足りていないからこそ言える台詞だろう。自分が殺されると心底理解すれば、そんな悠長なこと言っていられなくなる。」
「・・・言えるさ。」
「はん?」
「言えるさ、言ってやるよ。古泉はそんな奴じゃないってな。」
 たとえ覚えている時間が少なくても青年の中にはそう言い切れる自信があった。目覚めてから今に至るまで、古泉の言動に嘘が無かったとは言わないし、言えないが、それでも全てが嘘だったわけではない。チラチラと覗く連れの本質に気付ける程度には自分も相手を見ていたはずだ。
 記憶を失う前に自分達がどんな関係だったのか知らないが、だったら今覚えている分だけで判断することだってアリだろう。
 口端を持ち上げてそう言う青年に軍人の男は苦虫を盛大に噛み潰したような顔をし、古泉は―――
(あ、れ・・・?)
 古泉は嬉しそうな顔をして・・・いなかった。
 決して「嬉しくない」という表情ではなかったが、うっすらと浮かべられた微笑の中に後ろめたさを含んでいるように感じる。まるで先程の告白でもまだ言っていなかったことがあるかの如く。いや、本当にまだ何か重要なことを言葉に出来ていなかったのかも知れないが・・・。
 訝しんだ青年は僅かに眉根を寄せて古泉の表情を注視する。しかし何か言おうと口を開いたその時。

「キミは本当にお人好しだねぇ、キョン。」

「・・・!?貴様はっ!!」
「あなたは・・・!」
「やあ、白梟ンところの隊長さん。そして『花白』くん。」
(誰だ・・・?いや、それよりさっき呼んだ名前は―――)
 突如として鉄格子のこちら側に現れたのは古泉とはまた違う甘さの顔をした男。それほど長身でもない体躯を黒を基調とした服で包んでいる。しかも羽飾りのついた黒い帽子と、こちらも同じく鷹と思われる羽根で作ったらしい襟巻きをつけ、小じゃれた雰囲気を出していた。
 古泉や軍人の反応から察するに、彼らは既知の仲であるらしい。
 しかし今一番青年の気を引いていたのは現れた男が言った名前らしきもの。「キョン」というやや間の抜けた音は確かに青年を見て言ったものだった。
(そうだ。あの間の抜けた・・・あ、れ?)
 間の抜けた音、という箇所に引っかかりを感じて疑問を抱く。内容を忘れてしまった夢の中で自分はその感覚を抱かなかっただろうか。そう考え始めると目の前の男も先刻の夢の中に出てきたような気がしてくる始末。
 喉の辺りで言葉になり損ねた何かがわだかまる感覚に青年の手が己の喉へと伸びる。その動きを目に留めて黒衣の男はうっすらと微笑んだ。
「記憶が無くなってもキョンはキョンのままだ。お人好しなキミのことだからこうなる可能性は判ってたのに、今まで助けてあげなくてごめんね?」
「見ていたんですね・・・僕達のこと。」
 答えたのは古泉。横から挟まれた口に黒衣の男は大して気分を害した様子も無く、「うん、まあね。」と口元に笑みを刷くだけ。ただその古泉を見る目だけは、古泉が何かを発する以前からずっと冷めた色のままだった。―――気付いているのは古泉とその視線を持つ本人だけだったが。
「だって僕は『黒鷹』だもん。"管理者"として見守るのは当然のことでしょ?」
「ですがあなたは彼とこれまで一緒に「うるさいなぁ。」
 ぴしゃりと古泉の台詞を遮り、黒衣の男――『黒鷹』と言うらしい。先程、古泉と軍人の会話に出てきた存在だ――が剣呑さを含んだ声音で呟いた。
「だから助けに来たんじゃない。それにさ、わざわざキミに何か言われなくちゃいけないとも思えないんだよね、『花白』くん。」
 ―――キミは僕から大切なものを奪うくせに。
 最後の言葉は音にならない。だが古泉には意味が通じたようで、彼は唇を噛み締めた。
 そんな黒鷹と古泉の会話にもまた記憶の無い青年が言葉を挟めるわけもなく、連れである古泉を刺々しい口調で切り捨てる黒鷹に怒りを感じればいいのか、それにもかかわらず何故か微かな安堵を感じてしまうこの存在に無意識が動くまま信頼を寄せても構わないのか、自分の感情の曖昧さにただひたすら混乱するだけ。
 だがここにはもう一人、人間がいるのだ。そしてその人物は黒鷹を睨みつけ、警戒心を露わにしていた。
「黒鷹・・・貴様、何をするつもりだ。」
「何って、それはさっきそこの花白くんに言ったじゃないか。キョンを助けるんだよ。」
「俺がそれを黙って見過ごすとでも?」
「そうは思ってないけどね。」
 黒鷹はにこりと軍人に微笑みかけ、次いでスッと青年達の方に手を差し出した。唖然としてその手を見る青年に彼は握り返すよう促すと、「でもさ、」と言葉を続ける。
「・・・たかがこの世界で生まれた人間ごときが、僕に何か出来ると思ってるの?」
「なに―――っ、!?」
 次の瞬間、黒鷹とその手に触れていた青年の身体が白く発光し始めた。青年自身、突然のことに驚いて手を離しそうになるが、黒鷹が強く握り締めていたため外れない。
(な、ん・・・)
「大丈夫。僕はね、キョン・・・僕だけがキミの味方だから。」
 穏やかな声が青年の耳朶をくすぐる。その響きに切なくなるような痛みを感じて、青年はいつの間にか手を振り解こうとしていたのを止めていた。
「逃げる気か!?」
「勿論。同じ管理者とは言え僕は"あの人"とは違うからね。・・・じゃあ、ばいばい。」
 軍人の怒鳴り声に黒鷹が笑う。そして彼と青年の姿はひときわ強い光の後、牢の中から消え去った。
 一人・・その場に取り残された軍人は―――
「おい、まさか・・・」
 空間転移をした黒鷹本人すら予期していなかった事態が起こったであろうことに、眼鏡の奥の瞳を見開いていた。






















『黒鷹』国木田様登場。人外です。

そしてキョン至上主義です。おそらく。

目に入れても痛くない(どこの孫だそれは)

あと時折出て来る「あの人」は白梟さんのことです。


(2008.10.13up)
















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