俺達は追われているのか?
 宿を探して町の中を歩く途中、口を突いて出たのは疑問の言葉だった。音にするつもりのなかった青年は自身の行動に驚く。が、それよりも顕著に古泉の方が驚きを露わにしていた。
「・・・・・・。随分、時間が経ってから仰るんですね。」
 返す古泉の言葉は事実その通だ。
 彼が兵士達に剣を振るった場所からはもう随分と離れてしまっている。別段そこから走ってきたわけでもないので、時間もそれなりに経っていると言い替えることも可能だろう。少なくとも、青年も古泉も頭や肩に積もる雪を何度か払うくらいはした。
「いや、すまん。ってなんで俺が謝ってんだよ。・・・まあ、とにかく。口にするつもりは無かったんだ。あそこからずっと思ってたモンでもないけどな。」
 やや慌て気味に――どうして自分が慌てなければならないのか不明だが――青年は半ば以上独り言のように呟く。そうだ、何を今更。
 何やってんだろ俺、と頭を掻く青年に対し、古泉が横で小さく笑い声を上げた。はっとして青年の意識がそちらに行く。
「えっと、古泉・・・?」
「いえ、すみません。困るあなたを見ていると申し訳ないと思いつつも、同時に面白くって・・・、ああ、そんな顔しないでくださいよ。これも一種の愛情表現です。」
「男からの愛情表現なんてこれっぽっちも必要ないけどな。」
「それは残念。」
 肩を竦め、古泉が嘆息する。だがその表情は未だ面白そうに緩んでいる。
 青年が「けっ、」と悪態をつけばそれを更に助長する結果になってしまった。笑うなよ、と言えばもっと。どうやら古泉は変な悪循環に入り込んでしまったらしい。
「ああもう、本当にすみません。ほら、眉間に皺が寄ってますよ。」
「癖になったらお前の所為だからな。」
「ならば頑張って責任を取らせてもらいましょうか。」
 くす、と笑って古泉が視線を合わせてくる。しかしその瞳の色になんとなく微笑以外のものを感じ取って青年もからかわれる前の空気を取り戻した。
「古泉、」
「・・・少なくともあなたは何も悪い事なんてしてませんよ。そう、絶対に。」
 最初の疑問の答えとして古泉はそう囁く。しかし古泉の言葉が青年ではなく自分自身に言い聞かせているようだと感じたのは、ただの思い過ごしだろうか。
「こ、い・・・」
「ほらほら、ボケっとしてばかりでは野宿になってしまいますよ。こんな季節に野宿なんてイコール凍死ですからね。早く暖かい場所でゆっくりしましょう。」
「あ、ああ。」
 短い付き合いで判ったことだが、本当に古泉一樹という男は表情の切り替えが速い。それまでの会話と空気をばっさり斬って捨て、青年の両肩を押す。添えるだけのような力に抗うことが出来ず、青年が履いたブーツの底はギュっという音を立てて雪を踏み占めていた。


「あっ!」
 高く幼さを感じさせる声が二人の耳に届く。青年と古泉が振り返ると、そこには寒さで鼻の頭を赤くした少女が立っていた。
「あ、さっきの・・・」
「知り合いですか?」
「まあな。」
 二人の視線の先に居たのは、青年が古泉を探しに行く前、目の前で転んだあの少女だ。
「また会ったね、お兄ちゃん。何してるの?」
「連れと一緒に今晩泊まる宿を探してるんだ。なかなか見つからないんだがな。」
「そっちのきれいなお兄ちゃんと一緒に探してるの?あっ、それならいい所知ってるよ!」
 きれいなお兄ちゃん、の部分で古泉に笑顔を向け、少女は嬉しそうに手を打ち鳴らす。
「あたしのおうちに招待してあげる!パパもママも困ってる人は助けてあげなさいっていつも言ってるもん!」
「えっ・・・いいのか?」
「うん!」
 まさかの展開に二人顔を見合わせ、青年がそう問えば、少女の元気な声が返ってきた。本当にお邪魔してしまって良いのだろうか。少女の身なりからして、そうそう貧しい家庭の子ではない――むしろかなり裕福な家庭なのかも知れない――と察することが出来るが、それでも多少気が引ける。
 しかし。
「・・・?」
 青年の視界の端でふらり、揺れる影。何だと思って視線だけ送れば、そこに立っているのは微笑を浮かべた古泉だ。しかし僅かばかり高い位置にある彼の目元がうっすらと赤味を帯びてきているように見える。
 色白ゆえに目立つその赤味が妙に気になって眉根を寄せると、
「僕の顔に何かついてますか?」
 穏やかで落ち着いた、何の異常も感じられない声で問われた。
「いや・・・で、どうするよ。」
「僕はどちらでも。あなたはこの小さなレディとお知り合いのようですが、生憎僕は今会ったばかりですからね。あなたの判断に任せますよ。」
「って言われてもな・・・」
 こっちは記憶の無い身だぞ、一応、と青年は胸中で続ける。
「ねえ、お兄ちゃんたち来てくれるでしょ?」
「んーそうだなぁ、」
 少女の見上げて来る瞳を受け、迷いの残る頭で思案する。(おそらく)タダで泊めてもらえるのはありがたい。しかし雪が降り続けるこの町のことを考えれば―――。
(そう簡単にお世話になるってのもなぁ。思いつきだからこの子の親御さんの了承なんて勿論得てないだろうし。)
「なあ古泉、やっぱり・・・」
 青年がもう一度チラリと古泉に視線をやった、その時だ。
「は、い・・・っ、れ?」
「古泉!?」
「お兄ちゃん!?」
 ぐらりと古泉の身体が力を失う。隣に立っていた青年は慌ててその身を受け止めようと動くが、己と同等の体格の相手をしっかり支えることは出来ず、共に雪の上に倒れてしまった。焦りを含む少女の声が追いかけるように降って来る。
「くそっ・・・熱があるじゃねえか。」
 触れた古泉の身体には妙な熱っぽさがあった。注視すれば息も平常より荒い。
 よくもまぁこんな体調で笑って居られたものだな、と連れの我慢強さに驚き、そしてそんな相手の様子に気付けなかった己の不甲斐無さに悪態をつきながら、青年は古泉の片腕を己の片に回して立ち上がる。
(こりゃ、遠慮だとか如何とか言ってる場合じゃないぜ・・・)
 よっと掛け声をあげて体勢を整え、少女に視線を向ければ、彼女は「こっち!」と自分の家があるらしい方向を指差した。
「悪いな。」
「いいの。早くそのお兄ちゃんをあったかい所に連れて行ってあげなくちゃ!」
「ああ。」
 短く答え、青年はなるべく古泉を引き摺らないよう慎重に、ただし勿論のこと急いで、小走りで道案内をする少女の後に続いた。



* * *



 少女に連れられてやって来たその家は、やはり少女の身なりに似合った屋敷だった。部屋も客専用のものがいくつかあり、青年は古泉を寝かせるためにその部屋の一つを借りることになった。
 ありがたいことに、家にいた少女の母親は古泉の状態を見るなりすぐさま部屋を整え、加えて医者まで呼んでくれる始末。その医者によれば、古泉の症状はそう大したものではないらしい。寒さと、おそらくは心労が原因だろうと言われた時には、口を硬く引き結んでしまったが。
「ぅ・・・」
「目が覚めたか?」
 看病のためベッドサイドに椅子を置いて座っていた青年が、横から漏れた呻き声に反応して読んでいた本から顔を上げる。
「ここ、は・・・?」
「あの子の家だ。」
「・・・ああ、そうか。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。」
 熱でダウンしていても頭の回転は速いらしく、古泉は早々に己を取り巻く現状を理解する。しかしながら要らぬ気まで回して謝るその男に、青年は感心するよりもまず言い様の無い苛立ちが募った。
(病人は病人らしくしてろってんだ。)
「どうか、しました、か?」
「・・・いや。それじゃあ俺はお前が目を覚ましたってここの人に言ってくる。あの子も心配してたしな。」
 不快な感情を振り払うように青年はそう言って立ち上がる。ついでに何か食べられる物と薬も貰って来ようと算段を付けながら、暇潰しで読んでいた本を己の代わりに椅子へと陣取らせ、青年は細かい彫りが入った扉に手を掛けた。その背に古泉の声がかかる。
「あの、」
「ん?どうかしたか。」
「・・・いえ、ここの方にありがとうございます、と伝えておいていただけると嬉しいです。」
「わかった。お前はそこで大人しくしてろよ?」
「はい。」
 引っかかる言い方ではあったものの、古泉が本当に言おうとしていた言葉を口にしてくれるとも思えず、青年は短い返答を耳に入れてからそのまま部屋の外へ出る。そのために扉が閉まった後、古泉が零した呟きを知ることはなかった。
「傍にいてください、なんて言えませんよね・・・」






















(2008.09.25up)















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