町に着いて早々、古泉は買い出しに行って来ると言ってどこかへ消えてしまった。記憶も無くふらふらしては危険だからという理由で、青年は別れた場所から一歩も動いていない。正確には古泉が「そこから動かないでくださいね」と言ったためなのだが。
(暇だな・・・) 見上げる空は、相変わらずの鉛色。町まで歩くうちに雪は止んだのだが、それでも青い空が顔を覗かせることはない。それが今のこの世界の日常だった。 以前は四季もあり、人々がその季節に合った暮らしをしていた。だがいつの頃からか、世界は雪に覆われ始め、今や一年のほとんどが白く染まるようになってしまっている。植物は育たなくなり、人々を飢えが襲う。飢えは人同士、国同士の争いを誘発し、世界は数多の命を散らしていった。だが雪は止まない。それどころか寒さはより増すようだった。 バサッ――― 「ん・・・?」 空を見上げていた青年の視界に黒い影が映る。同時に聞こえたのは羽音だ。 鉛色の空の下を黒い翼の鳥が飛んでいる。鷹、だろうか。なんとなく猛禽類ではあるだろうな、と考えながら青年はその影を視線で追う。 鳥はその大きな翼を広げて青年の頭上を何度か旋回し、やがて町の奥の方へと消えて行った。まるで青年を誘うような仕草に足が動きそうになったが、この場で待つよう言いつけた連れの顔が甦る。もしここであの男とはぐれでもしたら、困るのは青年自身なのだ。 未だ惹かれる気持ちはあるが、青年は小さく溜息をつき、姿勢を正した。 数十分後。 「遅い。」 待てど暮らせど古泉は帰って来ない。まさかこの町に置き去りに去れたのか?などという考えまで浮かんできて、青年は顔を顰めた。それにいい加減身体も冷えてきた。これでは町に来た意味も半減してしまうではないか。胸中でそう零しつつ、青年は自分自身で腕をさする。これでもしないよりはましだろう、と。 そんな時。 「きゃあ!」 ザッと雪を蹴る音、それから少女の声。青年の見ている目の前で愛らしい顔立ちの少女が見事な転びっぷりを披露してくれた。 「だ、大丈夫か・・・?」 思わず手を差し伸べてしまう。すると転んで雪塗れになった少女は大きな瞳を更に見開いて青年を見上げ、次いで差し出された手に気付くと華やかな笑みを咲かせた。 「おにいちゃん、ありがとう!」 「いや、気にするな。」 少女を助け起こし、辺り障りの無い部分についた雪を手で払う。 何が嬉しいのか少女はそれをにこにこと受け入れ、澄んだ色の瞳でこちらを見上げてくる。どうかしたのか、と青年が問えば、少女はほんのりと目元を赤くしてはにかんだ。 「あのね、だってね・・・おとなの人にこんなことしてもらったの、久しぶりだったから・・・」 「え・・・?」 「ほら、最近とくに雪が多くなってきたでしょ?だからパパもママもみんな、こーんなこわい顔して、いつもいつもお話合いばっかりしてるんだよ。今日だって・・・。だからね、あたしのことなんか、誰もなでてくれなくなっちゃったの。」 少女の言った話し合いとは、おそらくこの雪による食料の不足に関することなのだろう。決して小さくはないこの町でもすでに楽観視していられない事態であるならば、もう滅びはすぐそこまで来ているのかも知れない。 「・・・っ、」 何故か胸の奥に鋭い痛みが走り、青年は咄嗟に右手で胸を掴んだ。しかし少女は己が走って来た方向に視線を向けたため、こちらの様子に気付かない。そのことにホッと息をつき、また数瞬で収まった胸の痛みに安堵と疑問を抱きながら、青年は少女の頭を優しく撫でた。 「あっ、でもね!」 頭を撫でられて嬉しそうな顔を復活させながら、少女は逆接で続ける。 「もしかしたら、もうすぐ世界は春を迎えるかもしれないの!」 「春、を?」 「うん!だって救世主様が玄冬をたおしてくださるはずだから!」 「くろと?救世主?倒す・・・?なんだそれ。」 「・・・お兄ちゃん、救世主様と玄冬のこと知らないの?」 「、ああ。」 答える青年に、少女は不思議そうな顔をする。それを疑問に思えば、少女が「だって、」と教えてくれた。 「だって、世界が雪におおわれたとき、救世主様が玄冬をたおして春を呼んでくれるって、みんな知ってることだもん。あたしも小さいときにママからお話してもらったもん。」 「御伽噺のようなものなのか・・・?」 「おとぎ話じゃないよ!本当の話!王都にはちゃんと救世主の花白様がいらっしゃるんだもん!」 「はなしろ、ねえ。」 聞いたことのない名前だ。玄冬も、花白も。 それにその花白とやらが玄冬を倒す(おそらくは殺す)ことで世界の終焉を止めるなんて、御伽噺以外のなにものでもない。大方、こんな世界で生きる人々が一抹の真実を混ぜ合わせて作った気休めの物語なのだろう。 今は記憶が無いため絶対的な否定は避けた方が良いのだろうが、とりあえずそんな風に結論付けて、青年は「そっか。」とだけ相槌を打った。 「くしゅっ!」 「こんな所にいたら風邪引いちまうぞ。ほら、早く家に帰りな。」 くしゃみをした少女に心配の目を向けて青年は穏やかに促す。自分の身体も相当冷えてきていたが、小さな身体の少女とは比べるべくもない。下手をして本当に風邪でも引いてしまっては大変だと、少女が走っていくはずだった方向に身体を向けさせた。 「うん。じゃあね、お兄ちゃん!」 「ああ。気をつけてな。」 素直に頷き手を振る少女に青年もひらひらと手を振り返し、「転ぶなよ。」と付け足してその背を見送る。やがて小さな背中が見えなくなると、先刻のように空を見上げ、ぽつりと呟いた。 「・・・また降ってきそうだな。」 世界を永遠の眠りへと導く、儚くも美しい白。人々が忌み嫌う破滅の象徴。 理由は目の前に広がっていると言うのに、それを心の奥底ではどうしても理解できぬまま青年は白い息を吐き出した。 「とりあえず、あいつを探すか。」 * * * 「まったく、どこ行きやがったんだよあいつは・・・」 買い出しに行くと言っていたことを思い出し、一応それらしい所を見て回ったが、古泉の姿はどこにもない。露天商や小さな雑貨屋、旅行者のための商品を取り揃えた店。そんなものが集まる界隈は、しかしこんな天気の所為か、意外と人気は少なかった。知り合いが居ればすぐに見つけられることだろう。 (他を探すか?) そうは思うも、下手に路地裏などに迷い込んでしまえば、元の場所で寒さに凍えるよりも悪い結果になることは必至。記憶がないのは不便だな、と今更ながらにそんなことを思って――古泉といた時はそれほど意識しなかったと言うのに――、青年は周囲を見渡した。 「・・・ああ、降ってきやがった。」 ふわり、視界に映る白いもの。 再び降り始めた雪を見つめ、青年は独り言つ。と、その時だった。 「・・・、・・・・・・っ!・・・・・・・・・!」(あ、貴方はっ!花白様ではありませんか!) 「・・・・・・!」(どうしてこんな所に!) 「・・・・・・、・・・・・・・・・。」(あーあ、見つかってしまいましたか。) 「・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」(救世主様、貴方の使命をお忘れになった訳ではありませんよね?) 「・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」(貴方は『花白』。この世界を救うことが出来る唯一の存在なのですよ!!) (なんだ?) 誰かの言い合う声が聞こえる。耳を澄ましてみたが、音を吸収する雪と距離との所為で何を言っているのかまでは解らない。だが気が付くと青年の足はその声のする方向へ向かっていた。 「・・・うるさいですよ。」 ぼそり、と聞こえた声。それは確かに青年の連れ―――古泉の声だった。 建物の陰に隠れて様子を窺えば、古泉はこちらに背を向け、彼と対峙している四人の・・・兵士?身につけている紋章や武器から察するに、この国の者達だろう。 (なんでそんな奴らとよろしくない雰囲気になってんだよ。) 若干兵士達の方が圧倒され気味なのが気にかかるも、彼らを包む空気は決してありがたいものではない。これで殺気だっている方――嫌なことに古泉の方だ――が腰に下げた剣を抜けば、どうなってしまうことやら。連れの力量なんてものは知らないが、だからと言ってあの優男が兵士四人を一度に相手に出来るほど強いとも思えない。 ここは自分が出て行くべきなのだろうか。 手の平にじっとりと汗をかきながら悩む青年の前で、しかしとうとう古泉が動いた。 「まだ連れ戻される訳にはいかないんです!」 言うが早いか、シャっと空気を切る音。古泉が剣を抜いたのだ。 そのまま居合いの要領で一番近くに居た兵士を袈裟懸けにする。一歩踏み出し、返す刃でもう一人。白い雪の上に真っ赤な血が飛び散った。 (強い・・・) 建物の影から飛び出すことも、声を出すことも出来ず、青年は古泉の立ち回りを見つめる。あの優男のどこにそんな力が眠っていたのだろう。信じられないまま、気付けば三人目。瞬きの間に古泉は三人の兵士を斬り伏せ、残る一人の首筋に血塗れた刀身を宛がっていた。 「仕事とは言え、僕を見つけたのが運の尽きでしたね。では、さようなら―――」 「待て古泉っ!」 「えっ?」 最後の一人が殺されそうになって、ようやく青年の足が動いた。 まさかこんな所にいるとは思っていなかったのだろう、古泉が先刻の殺気はどこへやら、真ん丸に目を見開いてこちらを見つめてくる。 「ど、して・・・」 どさり、と古泉が剣を引いて緊張が解けたらしい兵士が雪の上に尻をつく。そんな相手には一切注意を払わず、古泉は青年から視線を外さない。微笑みが消えたその顔は、まるで親に叱られる寸前の子供のようだ。しかし古泉はやがて目を伏せ、刀身に付いた血を払って鞘に納めながら呟いた。 「見られてしまいましたね。」 「お前・・・」 「ですがお気になさらないでください。」 そう言って古泉が顔を上げた時、そこに悲壮感は微塵も無かった。容姿に見合った穏やかな微笑を浮かべ、青年を見る。 「それよりも、どうしてこんな所へ?僕はあそこで待っていてくださるようお願いしたのに。」 「・・・・・・。お前があんまりにも遅かった、から。」 その背後に三人の兵士だ倒れているというのに、青年はそれについて言うことは出来なかった。一瞬だけ古泉が見せた表情によるものか、それとも記憶を失くす前の自分達にとってはこれが日常的だったのか、理由は解らないけれど。 だからなのか、代わりに口を突いて出た言葉はこの場に似合わぬものだった。しかし古泉に向けるには適した言葉だったらしい。 古泉は微笑を更に柔らかなものに変えて「すみません。」と双眸を細めた。 「雪も降ってきましたし、長居は無用ですね。そろそろ今晩泊まる場所を探さないと。」 「あ、ああ。そうだな。」 古泉が歩き出し、青年もそれに続く。尻餅をついた兵士はそのままだ。もう古泉に彼を害す気は無いらしい。ただその耳元で何かを囁いたのは見かけたが。 「僕らがこの町にいたことを『あの人』に告げたらどうなるか・・・その時は、覚悟しておいてくださいね。」 |