ネ バ ー エ ン ド #17
ランベス宮を出た当麻はその足で一度自身の部屋に帰り、しばらく何もせずただぼうっとしていた。 頭の中をぐるぐる回り続けているのは、ローラから与えられた二つの選択肢についての事。禁書目録の『首輪』を外すか、外さないか。 もし当麻が『首輪』を破壊した場合、禁書目録は上条当麻という存在を軸にしてその行動を大きく制限されるだろう。いざと言う時の手段を持っている当麻から禁書目録がなるべく離れないよう、上から少女に指示があるはずだ。そして最大主教の言葉を信じるなら、当麻は近々学園都市―――科学側の中心地へ戻る事になるらしい。きっと禁書目録もそれに同行する事となる。 さて。一から十まで魔術側の存在である少女をステイルや神裂と言った友人達から引き離し、そんな場所に連れて行って、果たして彼女の心は耐えられるのだろうか? 折角記憶を消さずに済むようになっても、大切な友人達と大切な記憶を築けない状態は、毎年毎年大切な思い出を消される事と、それほど悲しみに差があるとは思えない。 加えて当麻が有する“最終手段”にも問題がある。最大主教にも告げたが、もし当麻が禁書目録に対して己の能力を行使した場合、彼女の頭はこれまで一年毎に消されてきた『思い出』の他に、必至に記憶してきた『知識』、更には赤子から成長する過程で身につけてきた諸々の記憶を全て失う可能性があるのだ。 当麻の右手が有する“対象の記憶を消す”力は、特定の部分だけを削除すると言ったような都合の良い使い方は出来ない。その時の状況によって多少変動するだろうが、基本的には消すか消さないか、オール・オア・ノットである。思い出を失い、知識を失い、今まで生きてきた人生の全てを失う可能性があるというのに、それで少女は幸せになれるのだろうか。 ならばいっそ、魔術側の重要人物である少女が彼女を大切に想う者達の中で守られながら暮らしていける今の状態を保った方が、ずっと幸せなのではないだろうか。 「わっかんねーよ……」 天井を仰ぎ見て当麻は苦しげに呟いた。 「カミやん…?」 同日、午後。上条当麻がランベス宮からそのまま帰宅した事を知った土御門は、嫌な予感を覚えてすぐに友人の元へと向かった。 ノックをするも返事は無く、扉には鍵がかかっていなかったので恐る恐る部屋に入ってみると、ソファの端で片膝を抱えた当麻がぼうっと空中を見つめているのが目に入った。 「おい、カミやん」 「っ、あ。土御門か……」 傍に寄ってもう一度呼びかけると、今度はビクリと過剰な反応をして当麻の視線がこちらに向く。土御門の来訪に気付かなかった事といい、今のこの驚き具合といい、どうにも何か考え事をしていたようだ。 「ランベス宮で何かあったのか?」 「ん? んーまぁちょっと」 土御門の問い掛けに当麻は苦く笑ってそう答えた。 そのはぐらかすような答え方に、土御門は一瞬、当麻が自分に詳細を話してくれないものだと思った。しかしどうやらその心配は杞憂に終わるらしい。窺うような土御門の視線を受ける当麻は、自分の頭の中を相手にどう説明すれば適切に伝わるのか考えるためにそのような答え方をしたらしく、僅かに間を置いて言葉を続ける。 「発端は昨日の昼、偶然禁書目録に会ったんだけど―――」 そう語り始めた当麻は、二つの事実を土御門に伝えた。 まず一つ目は、自分達が以前から予想していた通り禁書目録の少女に魔術的な『記憶消去の原因』が科せられていた事、及び当麻がその核を偶々見つけてしまった事。 そして二つ目は、“当麻が禁書目録の『首輪』を見つけた事”が最大主教に知られ、その上で彼女から二つの選択肢を提示された事だ。 「それでカミやんはどっちの選択肢を取るか悩んでたって訳ですにゃー」 当麻が『首輪』を破壊した場合とそうでない場合に発生する各々の問題も理解した上で、土御門はしみじみと呟く。ふと視線を遣れば、黒髪の友人は視線を床に落として再び思考の迷路に嵌り込み始めている模様。 土御門は真剣に禁書目録の少女の事を考えているそんな当麻の姿に幾許かの嫉妬を自覚しつつ、その感情とはまた別のベクトルを持つ暖かな想いに促されて口の端をゆっくりと持ち上げる。 「まったくもって他人の事しか考えてない……実にカミやんらしいな」 苦笑混じりにそう告げた。真面目だがどこまでも優しい口調で。 すぐ傍に寄り添って、土御門は当麻の黒髪を優しく撫でる。 本当になんて愛しい人間なのだろう。禁書目録とまともに会話するようになってまだ間が無いと言うのに、そんな相手に対してここまで心を砕く事が出来るのだ、上条当麻と言う人間は。かつて自分の心もこの目の前の人によって救われたから、土御門にはその尊さが良く解る。 ゆえに土御門は続けた。 「だからオレはこう言おう。オレは『首輪』の破壊に反対だ」 土御門のきっぱりとした物言いに、当麻が顔を上げて目を見開いた。 「ぶっちゃけオレには禁書目録の事情などどうでもいい。だがもし壊しちまえば、カミやんの鎖が増える事になる。カミやんは優しい。自分では偽善使いだなんて言って否定するが、お前は何処まで行っても優しい、優しすぎる人間だ。そんな所にまた一人、人間が増えてみろ。カミやんの身体はそいつを絶対に守ろうと動くだろう。どんなに傷つき、涙を流しても。―――オレはそれが嫌だ。絶対に、絶対に嫌なんだ」 エゴだと言われても構わない。 上条当麻はかつて土御門兄妹のために自分を犠牲にした人間だ。なのにこれ以上、どうして他人“なんか”のために、彼が傷つく所を見なければならないのか? ……そんな事、出来るはずもない。 土御門の強い想いはそのまま口調にも現れていた。当麻もそれを察したのだろう。友人の気持ちを嬉しく思いつつも、一方で少女の事情を容易く切って捨てる考え方に諸手を挙げて賛成する事も出来ず、複雑な表情を浮かべる。 当麻の顔を見た土御門は二人の間の空気を払拭するように大袈裟な身振りで肩を竦めた。他人を切り捨てられないその優しさこそが上条当麻足らしめるものなのだと思い、けれどもそんな友人の態度にもどかしさを感じながら。 「ま、最終的に決めるのはカミやんぜよ。オレはカミやんの決めた事に従うし、必要ならサポートもするつもりにゃー」 本当なら先に告げたように当麻に新たな枷を増やすなど以ての外だ。しかしそれには前提として、当麻の意志に沿っている事が必須条件となる。 大事なのは上条当麻本人の意志。 選択肢を突きつけられて押し潰されそうな当麻の心が少しでも楽になるよう、土御門は代替案を口にした。 「だが、そうだな……。本当にカミやんには決められないってんなら、いっそ本人達に全部話して決めさせればいい。表の事情も裏の事情も全て教えて、責任も一緒に丸投げぜよ」 「でもそれは―――」 「今は時期が悪いってか? まあ、それもそうだろうにゃー。何せ禁書目録の記憶消去までもう日が無い。失う恐怖に追い詰められているあいつらには、双方の条件を公平に判断するのも難しいだろう」 「ああ、その通りだ」 当麻が頷く。 もし禁書目録の記憶消去までまだ余裕があったなら、詳しい事情を話して本人達――ここでは禁書目録および彼女と親しい友人達を指す――に判断させても問題はなかっただろう。しかし切羽詰った今の彼らが、当麻の話を聞いて正常に判断出来るかどうかは正直疑問が残る。目先の事に囚われて安易なまま『首輪』の破壊を願うのではないか、と。当麻が心配しているのはそこなのだ。 それを理解していながら、しかし土御門は続けた。 「ただし今を逃せば、つまり来年以降になっちまえば、もうあいつらに細かい事情を話せる機会があるかどうか……その辺がだいぶ怪しくなってくるってのはカミやんにも解るだろ? 何せカミやんは近々学園都市に移るらしいからにゃー。つまりあいつらに判断させるなら、これがラストチャンスだって事ですたい」 「…………、」 返答は沈黙。 土御門の言葉が理解出来ない、または納得出来ないからではない。十二分に理解し、納得しているからこそ当麻は迷っているのだ。 「カミやん」 やさしく包み込むような声で名を呼ぶ。 「壊すか、壊さないか。どっちが正しいかなんて考える必要は無い。どうせ二つとも狂った答えなんだ。だがらカミやんは自分のしたいようにすればいい。オレはいつだってお前の傍にいるから」 「土御門……」 「事態がどちらに転んでも、上条当麻の大切なものはお前から離れたりしないんだぜい」 そう言って、土御門は明るくニッと笑ってみせた。 土御門(と舞夏)は、自分が当麻に想われてる(当麻の特別である事)をちゃんと自覚してます。 相 思 相 愛 ! ちなみに彼らの中では「自分達(当麻、元春、舞夏)」と「それ以外」という大きな区分けがあったりします。 土御門兄妹にとって「自分達=最優先」「それ以外=どうでもいい」であり、当麻にとって「自分達=非常に大切」「それ以外=蔑ろには出来ない」(←この辺が当麻的「偽善使い」な所)といった差異はありますが。 ただ右手の所為で人間不信に陥りかけていた当麻がそんな考え方を出来るようになったのは、土御門に出会えたおかげなんですけどね(笑) (2010.04.10up) |