ネ バ ー エ ン ド #16
「ああ……知りてしまったのね」 正式ではないルートからの『報告』を受け取り、イギリス清教『 イギリス清教という大きな組織のトップに立つ彼女には公式・非公式を含め多くの目や耳がある。それらの一つから今回届けられた情報は、彼女が仕事の一環として昼食会に赴いていた時間帯の聖ジョージ大聖堂でのある出来事についてのものだった。 報告に出て来る登場人物は二人。記憶の消去まであと三週間を切っているシスター・禁書目録とローラの傍仕えをしている非魔術師の少年・上条当麻だ。 それは傍から見れば他愛の無いひとコマであっただろう。風邪か何かで喉を痛めた少女を少年が心配して素人なりに調子を窺ったという、ただそれだけの事。だが禁書目録に科した『首輪』、そして自身の傍に仕える少年が魔術組織たる『必要悪の教会』の人間にしては珍しく科学的思考を得意とする事や何よりも彼が有する能力をよく知っているローラにしてみれば、その出来事は声を沈ませるのに充分な事態を予測させた。 つまり、上条当麻が禁書目録の『首輪』に気づいたのだ。 ひょっとしたら彼が今まで口にしなかっただけで、禁書目録の定期的な記憶消去の理由に上条当麻は気づいていたのかも知れない。だが一年毎に頭の中身を弄らねばならない状態を保つための仕掛けがどこにあるかまでは流石に知らなかったはずだ。 そんな状況で今までやって来られたのに、ここに来て綻びが生じ始めた。 上条当麻は禁書目録と言葉を交わすようになり、誰もが好む少女の純真無垢な心に触れた。自分の立場を良く理解している彼がそう易々と『首輪』解除に動くとは思えないが、それでも行動を起こさないだけで彼の心は随分苦しめられるだろう。 「…………」 ローラは無言で車内から空を仰いだ。昼食会の後、そのまま相手方と仕事の話(こちらが本来の目的)をしていたため、外はすでに朱から紺、そして黒へと色を変え始めている。 今日は聖ジョージ大聖堂には寄らず、ランベス宮へと帰る予定だ。つまり当麻と顔を合わせるのは明日の朝になる。ならば自分はその際に最大主教として『首輪』の話をしなくてはならないだろう、とローラは思った。 (ただしそれはあの子の心を助けるためでなし、イギリス清教のため行う事になりけるわね) ローラはローラ=スチュアートである以前にイギリス清教の最大主教だ。ゆえに彼女は常に組織の長として振舞わなければならない。それが周りから求められる事であり、また彼女自身が選んだ道である。 上条当麻が禁書目録の『首輪』を知った――正確にはそう推測させる事実がローラの目の前に差し出された――状況を鑑み、彼女が下すべき決断とは。これまで幾つもの政治的策略を巡らしてきたその頭脳は、最大主教としての行動を瞬く間に描き始めていた。そしてローラは目を瞑り、一呼吸置くと―――。 「上条当麻に連絡を。明日の朝九時、聖ジョージ大聖堂ではなくランベス宮の方に出向くように、と」 美しく、しかし感情を殺しているためどこか無機質な感じのする 「さて、結果はどちらに転びけるのかしら」 同時刻、聖ジョージ大聖堂の執務室。上条当麻は未だ一人で仕事を続けていた。 最大主教が本日の訪問先から直帰する事は事前に聞いていたため、彼女を待っている訳ではない。ただ単に、午後から突然大量の書類整理が舞い込んで来たのが原因だ。今日は適当な所で切り上げて残りは明日に回すという手もあるのだが、それをすると明日がきついのは当たり前であるし、ひょっとしたら今日のように明日も予想外の仕事が降ってくるかも知れない。と言う訳で、当麻は残業手当という概念が希薄な仕事場で未だ机に齧りついているのだった。 「ふ、不幸だ……。あ、誤字発見」 呟きながらも仕事を続け、提出者に書き直しを命じるのも手間と時間が掛かるので、こっそり自分で直しておく。順調に書類の確認と仕分けを行う当麻の姿はいつもと変わらないように見えた。だが―――。 カタリ、とペンを置く音。 「うだー。絶対どっかからバレてるよな、あの人に」 大きな独り言を呟きながら当麻は机の上に突っ伏した。「えーこれどうなんの、スルーしてもらえんの? ……無理ですよねー」と更に呻いている。上条当麻が『あの人』と称するのは、基本的にこの場において一人しかいない。年上または立場が上、それから女性。つまり自分が仕えているローラ=スチュアートの事を指す。ならばローラに一体何がバレたと言うのか。 仕事をしていても当麻の頭の片隅から離れなかった出来事が一つ―――それは今日の昼に見つけてしまった禁書目録の『首輪』の事。上の意向を無視してまで当麻が手を出すつもりは無いが、それでもやはり気になる物は気になるのだ。ましてや当麻には異能を打ち消す右手がある。そして、おそらく。 ローラ=スチュアートはすでに“上条当麻が禁書目録の『首輪』に気付いた事”に気付いたはず。 あの女性の下で仕事をしていれば嫌でも解る。イギリス清教の最大主教は聖女のように清らかな笑み湛えながら、悪魔的な智略を張り巡らせる人だ。当麻には明かさないつもりらしいが、恐ろしいくらい多くの情報提供元を持っているのも必至。そんな人間に隠し事など出来ようものか。ましてやイギリス清教の暗部とも言える禁書目録の『首輪』に関する情報は、どんな些細な事であっても彼女の耳へすぐさま届くに違いない。 きっと今夜遅くか明日の朝に『お呼び出し』確定である。そして、呼び出された先で下手を打てば上条当麻の立場は失われる。大切な人に作ってもらった大切な居場所を失う事になるのだ。 「……さて、結果はどちらに転ぶのやら」 あはは、と苦笑して当麻は再びペンを取る。確認待ちの書類を全て終わらせるにはもう少々時間が掛かりそうだった。 翌日、上条当麻はランベス宮の客間に案内されていた。推測した通り、昨夜のうちにローラから指示があったのだ。明日の朝は聖ジョージ大聖堂ではなくランベス宮に来るように、と。 この敷地内では至る所に術式が構築されているため、飾られている花一本ですら当麻の右手が触れる事は出来ない。不用意に術式を構成している物に触れないよう注意しながら当麻が部屋を訪れると、そこにはすでにローラの姿があった。 「おはようございます、最大主教」 「おはよう、当麻。急にすまぬわね」 「いえ」 「さあ、そこに座りてくれるかしら」 ローラの繊手が示す先、テーブルを挟んで彼女の向かいのソファに着席を求められ、それに従う。 当麻がソファに腰を下ろすと、ローラは綺麗な笑みを浮かべて告げた。 「率直に言いけるわ。当麻、あの事に気付きたるわね?」 「偶然ですが発見致しました。俺の推測は間違っていなかったようですね」 「そうよ、あれは我らが設けた首輪。禁書目録に一年と言うリミットを科せし物。当然、当麻の右手で破壊可能である事は必至なりけるのだけれど」 「俺がわざわざ壊すとお思いで?」 「まさか。私は当麻の考え方を多少は知りているつもり。なればそう易々とあれが破壊されるとは心配せぬなのよ」 「では何故俺をこの場に? 釘を刺すためでしょうか」 「それも不正解。今日は上条当麻に選択肢を与えたもうて呼びけるの」 選択肢とは何か、それを当麻が問う前に二人のいる部屋の扉がノックされた。この屋敷で働いているメイドだ。ローラが入室を許可すると、いくつかの陶器がワゴンに乗せられて運ばれてくる。 テーブルに並べられたのは紅茶のセット。手際よく配膳を終えたメイドはまるで影のようにしずしずと部屋を去り、微笑んでメイドの動きを眺めていたローラの視線が再び当麻へと向けられる。 「そんなに長き話をするつもりは無いのだけれど、まずはお茶でも頂くのがこの国の伝統だとは思わぬかしら」 「……頂戴します」 口にした琥珀色の液体は、流石ローラ=スチュアートの住まいで出される物と言うべき一品で、最高級の茶葉を使っている事が容易に知れた。ローラも当麻の向かいで早速紅茶の香りを楽しんでいる。 「当麻も随分と上達しけれど、流石にまだこのレベルには至りておらぬわね」 「まあ、紅茶をペットボトルに詰めて販売するような国の出身ですから。最大主教にご満足頂けるよう今後も精進致します」 「よろしく頼みたるわ」 当麻の“今後も”と言う単語に殊更反応を見せる事なく、ローラは微笑を保ったままそう告げた。この様子なら、禁書目録の『首輪』に気付いた人間として簡単に処分される、という事態にはならないだろう。だがまだまだ楽観視は出来ない。むしろ警戒すべきはこの後。目の前で微笑む女性が当麻の居場所を奪わない代わりに、当麻に(おそらく)提示してくる条件だ。 ティーカップの中身が半分ほど減った頃、カチャリと小さな音をさせてローラは紅茶をテーブルの上に戻した。それに合わせて当麻も白磁のカップから手を離す。 「ねぇ当麻。あの『首輪』の事なりけるど、壊すも放置するも、私はどちらでも構わぬのよ」 「それは、どういう意味でしょうか」 「言葉の通りに取りてくれれば良いわ」 「では一つお聞かせください。俺が『首輪』を見なかった事にしてそのまま放置すれば、今までと何も変わらないというのは解ります。ならば反対に、この右手で『首輪』を無効化した場合、俺はどんな役割を負えばいいのでしょう?」 「……賢き子は好きよ、当麻」 ローラが双眸を細める。 そう。もし当麻が禁書目録の『首輪』を破壊したとしよう。これだけならばイギリス清教にとってマイナスの要素しかない。膨大な知識を擁する彼女を何の枷も無く放置する事になるのだから。ゆえに最大主教が『首輪』の破壊を許可するには理由がある。折角設けた『首輪』を失っても、それに相当する他の何かが得られるに違いないのだ。 尚、禁書目録に彼女の意志を無視した魔術を刻んでいた事が公になれば、ローラが禁書目録の友人たるステイル=マグヌスや神裂火織といった強力な魔術師から反感を買うのは必至である。だが元々『必要悪の教会』に忠誠を誓って所属している訳でもない彼ら魔術師が上層部の行いに対して実際に反旗を翻すかどうか―――可能性はゼロだ。所属する事で自分に利益があるからこそ彼らはこの場に留まっているのであり、その利益を与え続けてやれば彼らが離反する事は無いのである。 「もし既存の『首輪』を破壊した場合、当麻には禁書目録の新しき『枷』になってもらいたるわ」 「それは、いざと言う時には俺の力で彼女の記憶を消せという事だと考えても? 魔道書の知識どころか、下手をすると“全て”失って赤子まで退行するかも知れませんよ」 「最終的にはそうなりたるわね。ただしそのような事態に至りし前に、当麻にはその右手を使いて全力で禁書目録を守護してもらいたしと思うているの」 「……俺が『首輪』の代わりを務められる事は理解しました。だとしたら俺と彼女は常に行動を共にする必要が出てくると思いますが、最大主教は俺がいずれ学園都市に戻らなければならない事をご存知ですよね」 「それを見越して言いておるのよ、当麻」 「?」 疑問符を浮かべる当麻に向けて、ローラはほんの少し偽悪的に笑ってみせた。 「科学側にもそれなりに話を理解したる者がおるのよ。つまり『首輪』が破壊されて禁書目録に対する安全性が保障されぬようになりし場合、科学側にも当麻と禁書目録を引き離す事は難しくなりたるの。そして当麻はいずれ……いいえ、近々学園都市に戻る事になりけるでしょう。つまりは禁書目録も学園都市へ滞在する。科学側の中心部に魔術側の人間を半ば公式に容易く紛れ込ませらるるわ。そして禁書目録を取っ掛かりとし、他の魔術師達もいずれは……」 「敵地に尖兵を送り込んで学園都市と戦うおつもりですか」 「それは有り得なしなのよ当麻。学園都市―――科学側で起こる魔術側の問題をより迅速に、より効率よく片付けるための手段と考えて欲しいわ」 言い終えて、ローラはティーカップを手に取った。が、話をしている間に紅茶が冷めてしまい、彼女は残念そうな顔でカップを元に戻す。 「どちらの選択肢を取るか、当麻の好きにしたりて構わぬわ」 机の隅に置いてあった魔術的通信装置を使って紅茶のお代わりを求めた後、ローラはそう言って微笑んだ。その笑みを受けて当麻はしばらく沈黙していたが、淹れたてのお茶を持って再びメイドが現れる前に一言だけ返す。 「しばらく考えさせてください」 「ええ、好きなだけ考えたれば良いのよ。今回の“消去”に間に合わぬのなら来年であっても。……もっともその場合、当麻が学園都市に滞在せし可能性の方が高きたるから、禁書目録を日本へ送る事が必要になりけるのだけれど」 「承知しました」 当麻は小さく答える。 その直後、お茶の用意を持ったメイドがドアを叩き、先程と同じようにローラの許可を受けて入室して来た。テキパキと二人分のティーセットを交換するその姿を眺めながら、もうしばらくこの茶会が続く事を知る。 「さあ当麻、今度はゆっくりとお茶を楽しみたるわよ」 「仰せのままに」 (2010.03.28up) |