ネ バ ー エ ン ド #15
「……ああ、夢か」 懐かしいものを見た、と呟いて上条当麻はベッドから身を起こす。カーテンを開ければ窓から入り込む夏の日差しが真っ白なシーツを更に白く輝かせた。だが日本とは違いここはイギリス。太陽光は夢で見た幼い頃と比べてやはり弱いし、朝の気温もずっと低い。当麻の今の服装も薄手のTシャツなどではなく厚めの生地を使ったものだ。 伸びを一つしてからスリッパを引っ掛けてぺたぺたとキッチンへ向かう。 あんな夢を見たのはやはり久しぶりに能力を使ったためだろうか。禁書目録を守るために。 だがどうせなら幼い土御門達と過ごした平穏な日常だけを再生して欲しかった。忘れていいものだとは思わないが、自身の能力に目覚め尚且つ意識してその力を使った時のことなど改めて回想したくはなかったのだ。 今でも目を閉じれば甦る。当麻の能力で身体の一部を失った者からは真っ赤な血が噴き出して空気を朱に染め、能力の効果範囲に全身が入っていた者は血も悲鳴も全て呑み込まれてしまった。抉れた地面と空気さえ失われた事による烈風。その風が無慈悲に頬を撫でた時の感触も忘れる事はない。 「ホント、朝から思い出す光景じゃねーよなぁ―――っうお!?」 「悪い夢でも見たのかにゃー?」 「土御門っ、お前いきなり……」 後ろから抱きついて来た友人の名を呼ぶ。土御門が住んでいるのはこのマンションとは別の『必要悪の教会』の寮であり、昨夜食事を共にしたあと面倒だからと言ってそのままこの部屋に泊まったのだ。尚、当麻の部屋は独り暮らしの割には広いのだが、流石にゲストルームのようなスペースまでは確保されていないので、彼はリビングにあるソファをベッド代わりにしていた。今もソファの上にはくしゃくしゃになった毛布が乗っかっている。 「おはよ。寒くなかったか?」 「平気ですたい。つか、いつも思うがあのソファ質良すぎ」 「あ? ああ。そういや最大主教に頂いたやつだしな」 「へぇ……」 何か含みのある言い方をしながら土御門が当麻から離れる。が、実は以前にも似たような会話を交わした事があるので当麻も気にしない。確かその時はクッションだったはずだ。 当麻が土御門の寝床に関してアレコレ言う事はない。最初の頃は土御門にベッドを使うよう提案していたのだが、部屋の主を差し置いてベッドを使うなんて出来ないと言われたり、またそれなら一緒に寝るかと問えば「いや流石にそれは……」と顔を赤くされたりしたためである。尚、土御門が顔を赤くしたのは「この年にもなって同じ布団(ベッドだが)で眠るなんて恥ずかしい」という意味だと当麻は思っている。 「ま、それはさて置き。カミやん、マジで嫌な夢でも見たのか?」 「んー。まぁな。ちょっとばかり昔の事を……」 「……そっか」 それだけで当麻が何を見たのか理解したのだろう。土御門の声は優しさを帯び、くしゃりと当麻の髪を撫でた。 「オレはカミやんといられて幸せだからな」 「ああ。俺も、土御門と一緒にいられて幸せだよ」 照れくさい台詞ではあるが本心なのだから仕方ない。土御門の言葉につられるようにそう告げると、先に言った相手の方が一瞬目を見開いて、それから嬉しそうに表情を崩した。そんな土御門の顔を見ているうちに、当麻は悪夢の所為で冷え切っていた胸の奥が再び熱を取り戻している事に気付く。やはり一人の聖人よりも一人の友人の方がずっと心強い。そう、昨日も思った事をもう一度胸中で繰り返して当麻も土御門と同じように笑ってみせた。 同日、正午を少し回った頃。 上条当麻は一人で聖ジョージ大聖堂の一角にある執務室にいた。 書類の一番上には『必要悪の教会』に属する魔術師達の(記録に残しても良いと言う意味で紙面上に記載出来る範囲での)任務内容が書かれていた。 記載されている文章を流し見ていると、最近会話を交すようになった禁書目録らの名前もいくつか見つける事が出来る。が、その頻度は、当麻の記憶違いで無ければ、一月ほど前よりも随分と少ない。 「……ああ、そっか」 その理由に思い至り、当麻は独りごちる。 禁書目録の記憶消去まで残り三週間を切った。今頃彼女とその友人達は思い出作りに勤しんでいるのだろう。そしてどうやら最大主教もこの時期にそんな彼らのスケジュールをあえて仕事で埋めるつもりは無いらしい。ただしローラの場合、それが善意からであるのか、それとも彼女なりの打算が働いた――仕事を入れると禁書目録らの時間を奪う事になり、それによって彼女らに悪感情を抱かせるのを防ぐ。もしくは今の時期に仕事を入れても普段通りの成果が期待出来ない――ためであるのか、よく分からないのだが。 尚、そのローラ本人であるが、彼女は執務室に当麻を置いて既に昼食のため席を外している。護衛役として付き添いが必要かと当麻が問えば、本日の目的地(昼食を摂る場所)は食事を共にする相手方のガードがあるので心配無用だと返された。 と言う訳で、この部屋に残って仕事を片付けていた当麻だったが、それもたった今区切りが付いたので自分も昼食にしようと席を立った。自炊はするが弁当を持参する程でもなく、外に出て適当に何かを見繕ってくるつもりだ。好みの店が空いているならそこに入ってもいい。 裏門から出るための近道として中庭を突っ切ろうと、渡り廊下から屋外へ出る。今日の天気予報は一日晴れの予定で、見上げれば青い空に綿雲が数個浮かんでいた。ゆったりのんびりとした空気。これで腹の虫さえ鳴かなければ昼寝でもしてしまいそうだ。 「……で、お前は何やってんだ?」 問い掛ける当麻の視線の先には休憩用のベンチが一つ。そこに見知った人物が座っていた。しかもこの気候に見合わず何やら不機嫌そうな面持ちで。 昼飯行かないのか、と続けて問うと、その人物―――銀髪碧眼を持ち成金趣味のティーカップのような白の修道服を身に纏った少女・禁書目録は眉根を寄せたままぼそぼそと何事かを喋る。だが声が小さすぎて彼女が何を言ったのか当麻には聞き取れなかった。 「え、何だって?」 「…………だよ」 「?」 「だから、喉が痛くていつものご飯が食べられないんだよ」 不服そうに、悔しそうに、インデックス。痛みの所為で物は食えないは声も満足に出せないはで相当なストレスを抱え込む羽目になっているらしい。ひょっとして風邪でも引いたのだろうか。だとすればこんな状態の彼女を置いて彼女の友人であるステイル=マグヌスと神裂火織は一体何処で何をしているのだろう? 「二人は今の私でも食べられそうなご飯を買いにお出かけ中なんだよ」 「へー。じゃあインデックスはお留守番って訳か。部屋ん中に入ってなくていいのか?」 こくり、と真っ白な頭が縦に振られる。どうやら喉が痛いだけで発熱や身体のダルさ等は無いようだ。 (うーん……風邪じゃねーのかもな) 風邪以外にも喉が痛くなる原因など幾らでもある。 「ちょっと見てもいいか?」 問えば肯定の頷きがもう一度。専門的な医学的知識を持っている訳ではないが、扁桃腺の腫れや喉の炎症を確認するくらいなら当麻にも出来る。 こちらに向けて大きく開けられた口の中を覗き込みながら、奥がよく見えるよう自分の頭の位置を移動させたり禁書目録の顔の向きを微妙に調整したりする。手元に懐中電灯も何も無いので光源は太陽だ。そうしてしばらく矯めつ眇めつしていた当麻だったが、ふと見えた『ソレ』に気づいて相手に悟られない程度に顔を顰めた。 (あー……なんか見つけちまったかも。つかステイル達も気づけよな) 真昼の光に照らされて見えた、禁書目録の喉の奥。脳に最も近く人目につかない場所であるそこに不穏な魔術文字が刻まれていた。魔術を扱えずそういった勉強も触り程度にしか行っていない当麻だが、そんな知識が無くとも嫌な雰囲気だけはビシビシと伝わってくる。 きっとこれが、あの『首輪』なのだ。 一〇万三〇〇〇冊の魔道書を保護するため少女の人格を無視して取り付けられた安全装置。上条当麻の右手に触れられただけで効力を失ってしまうだろう仕組みがそこにあった。 ちょっと ゆえに。ゆえに上条当麻は、 「とうま、どうかした?」 「うんにゃ、なんでもねーよ。あ、でもちょっと腫れてるな。ノド飴でも買って来てやるよ」 何でもないフリをした。 記憶消去が必要無くなれば確かにこの少女の周囲から悲劇が一つ取り除かれるだろう。だが、それだけだ。 もし当麻が手を出したとして、当の『首輪』をつけた教会の上層部はどうなる。どう思う。誰に対してどんなアクションを取ると言うのか。 目の前の少女と自身の平穏を天秤に掛けて当麻はあっさりと後者を選んだ。もし彼女の『首輪』を無効化しても上条当麻と彼が大切にする者に危害が及ばないならば、当麻は少女を助ける事に躊躇いは無い。だが現実は残念ながら違う。ローラ=スチュアートという権力者の傍にいて、尚且つ多重スパイという役目を持つ友人と共に歩む事を選んだ当麻には、“上”の動きを無視してまで行動を起こす気にはなれなかった。 (悪いな、禁書目録) 心の中でだけ謝罪し、「それじゃあ」とその場を離れる。 躊躇わない。振り返らない。罪悪感を感じてもそれを表に出す事は無い。上条当麻には禁書目録の少女よりずっとずっと大切なものがあるのだから。 (この生活だけは壊させない) 時間軸が元に戻りました(「魔術殺しの書」の直後(翌日)からスタート)。 当麻には幼い土御門達と一緒に必至で築いた今の立ち位置を壊す事なんて出来ないので、 インデックス側から見るとかなり酷い人になってしまいますね(苦笑) (2010.03.07up) |