ネ バ ー エ ン  #18






「ステイル=マグヌス」
 聖ジョージ大聖堂の廊下を歩いていると、後ろから聞いた事のある声でフルネームを呼ばれた。何かと思って振り返れば、そこにいたのは魔術組織の中の異端・上条当麻。
 好んで見たくはない顔の一つを視界に捉えながらステイルは隠すつもりもなく眉根を寄せる。
「僕に何か用かい?」
「ああ、お前に話がある」
 返されたのは予想外に硬い声。ステイルの大切な少女の前では決して出さなかっただろう感情を殺した声音でそう言われ、ステイルは反論の言葉を失った。ただ「ついて来てくれ」と続けて早くも歩き出した当麻の背中を、数歩遅れて追いかけるのがやっとだった。
 足音だけが廊下に響き、やがて一つの扉の前で歩みが止まる。何の変哲も無い来客用の部屋だ。地下にある訳でも、隠し部屋であったりする訳でもない。
 一体何のつもりかと、今更ながらに調子を取り戻して問い詰めようとステイルが口を開く。だがその直前に当麻が扉の取っ手を引いて中の様子を見せた。
「神裂……それに、インデックス?」
 当麻に文句を言うため開いた口が別の言葉を発する。
 見知った顔が二つ、陽光の降り注ぐ明るい室内に存在していた。彼女達は三人掛けのソファに隣り合って座り、現れたステイルを驚いた様子も無く眺めている。おそらく事前にステイルも連れて来られる事を聞いていたのだろうが……。
「ここで何をするつもりだい?」
 一歩先に室内へと足を踏み入れた当麻の背中に問う。すると当麻は振り返らぬまま部屋の一番奥まで歩き、窓枠に背を預けてステイルを含めた己の招待客達を視界に収めた。
「大事な、話をしようと思って。お前達三人に……特にインデックスにとって大事な話を」
「どういう事だ」
「まあ、まずは座ってくれ」
 にこりともせず当麻がソファを手で示す。
 ステイルは先に着席していた友人達を見つめ、そのうち一方―――神裂が頭を縦に動かしたのを確認してから渋々当麻の言葉に従った。彼女達から見て左斜め前にある一人掛けのソファに腰を下ろし、視線で当麻に話を促す。
「さってと。いきなり集まってもらって悪かったな」
 やっと当麻の表情が変化した。それは苦笑と名のつく笑みであったが、一瞬前までの無表情よりはずっとマシだ。神裂達もそう感じたようで、ステイルの斜め前方から安堵の気配が漂っている。
「当麻、私達に話とは一体何ですか。呼ばれ方からして『必要悪の教会』の正式な指令ではないと思うのですが……」
「その通り。これは俺個人の意思による所が大きい。でも決して『必要悪の教会』ひいてはイギリス清教そのものに対して完全に無関係って訳でもないんだ」
「御託はいい。言うべき事をさっさと言って僕達を解放してくれ。これからまだこっちには予定があるんだ」
 神裂が再び発言するよりも前にステイルの口が開いた。当麻の視線が移り、同時に苦笑を引っ込める。
 無表情に戻った当麻は同情も嘲りも無い真っ黒な瞳でステイルを捉え、
「例えば思い出作りとか?」
「……ッ! 解っているなら―――」
「解っているから、ここに呼んだんだ」
 向けられた声には感情など一片も含まれていなかったが、逆にそれがどうにも苛立ってステイルは声を荒げる。しかし彼とは正反対に落ち着いた声で当麻は淡々と答えた。ソファから腰を浮かしていたステイルも思わず座り直してしまう程に。
「ステイル、お前がインデックスを大事に思っているのは解る。だからこそ今は俺の話を聞いて欲しい」
「っ、ああ解ったよ。聞く。聞いてやるからさっさと言え」
「ありがとう」
 当麻は微かに双眸を細めて礼を告げた後、三人を、特に禁書目録の少女を見据えて語り始めた。
「お前達三人に、特にインデックスにとって大事な話とくれば大体予想はついてるだろう。インデックスの記憶についてだ」
 記憶。その一言だけでステイル達の緊張が高まる。
「インデックスの脳は魔道書の知識で圧迫されて、彼女自身の思い出なんかは一年分しか記憶する事が出来ない。だから『必要悪の教会』はインデックスが壊れないよう一年毎にその思い出を消す事にした―――。これが今、完全記憶能力を持つ禁書目録に関わる人間の共通認識だ。そこまではいいな?」
「当たり前だ。僕達にそれを問うのは愚問としか言い様が無い」
「当麻。ステイル程キツく言うつもりはありませんが、私にとってもそれは今更な事です。確認するまでもありません」
 ステイルに続き神裂までもが視線を鋭くする。しかし向けられるそれに怯みもせず、当麻は「焦るなよ。これもちゃんと確認すべき事なんだから」と肩を竦めた。
「ま、その認識だけどな、神裂達がそれを疑っていないのは今の反応で判った。ついでに訊くが、これまでインデックスの記憶消去に関わってきた人間は完全に魔術サイドの人間って事も間違い無いよな? 過去に科学側の知識を充分に備えた人間がいたとか、そんな事は」
「有り得ません。インデックスは魔術サイドにとって大変重要な人材です。そう易々と科学サイドの者に会わせるはずが……」
「ない、ね。ありがとう、神裂。ちなみに俺は『必要悪の教会』に属するまで学園都市にいた経験があるから、これは先に言っておくな」
 さらりと告げられた上条当麻の過去に神裂が「え……?」と唖然とした顔をする。
 何せ『必要悪の教会』メンバーにおける上条当麻の認識は“いつの間にか最大主教の傍で控えるようになっていた非魔術師”であり、それ以外、つまり元々科学側にいた等、そんな話は全く無かったのだから。
 だが事実を知った神裂やステイルが対科学側の人間として反応する前に、彼らの戸惑いや怒りが発生するのを見越していた当麻が言葉を付け足す。
「とは言っても、魔術側に入り込んだスパイとかじゃねーから。つかあんたらも知ってる土御門元春だって学園都市とこっちを行き来してるだろ? まあ、あいつはスパイとしてだけどさ」
 だからいきなり自分を敵として見るのはやめてくれ、と当麻は小さく苦笑した。
 その笑みに毒気を抜かれた訳ではないが、結果的に誰も怒鳴る事なく事態は進む。
「じゃあ話が脱線したから元に戻すよ。……神裂達が知っているその話は“上”から聞かされたもんだよな。で、皆は科学的知識に触れる機会が無かったばっかりに、それを信じるしかない」
「君の言い方は、まるでインデックスの記憶を消さなきゃいけないと言うのが嘘だと言っているように聞こえるね」
「そう飛躍しないでくれ。今の状態じゃ本当に一年毎の消去が必要なのは事実だからな」
 ステイルの物言いに当麻からそう返される。
 ほんの微かだが抱きかけた希望を消されたようで、ステイルの顔が歪んだ。
「……おいおい、そんな顔してくれるなよ。まるで俺が悪者になったみてーじゃねえか。とりあえず最後まで話を聞いてから怒るなり喚くなりしてくれ」
 そう告げ、当麻は一呼吸置き、
「結果から言おう。“上”の話は半分嘘だ」
「なに……!?」
「確かに今のインデックスは一年毎の記憶消去が必要な状態にある。でもそれは完全記憶能力者だからでも、魔道書の知識を詰め込みまくったからでもない。インデックスがイギリス清教を裏切らないよう、“上”が取り付けた『首輪』の所為なんだ」
「「「!?」」」
 ステイル達は三人揃って息を呑んだ。
「勿論、『首輪』の役目を“上”に問えば、あっちはインデックスの自由を保障するために必要だったと答えるだろう。なにせその頭の中身は本当に貴重な知識が詰まってるからな。それをホイホイ自由に外へ出すには、相応の保険が必要になる。魔道図書館を悪用しようとする者達にインデックスが捕まった場合、その悪用を制限したりとかさ。あとこれを言うとインデックスは心外だって思うかもしんねーけど、もし禁書目録がイギリス清教を裏切ろうとしたら“上”は『首輪』を通してそれを止めるだろう。インデックスの意思や行動を強制的に変更するとか、たぶんそんな感じで。でなきゃ今頃、想像するのも嫌な話だが、四肢を切断してロンドン塔の地下に幽閉って可能性も無い事は無いんだぜ」
「だからって、そんな!」
「この子の人権を無視しすぎています!」
「……。」
「その辺の議論は、今は止めておこう。話が進まなくなるし、俺がどうこう言える立場でもねえからな」
 パタパタと片手を振って当麻がいきり立つステイル達に落ち着くよう求める。
 それに従わなければ話が聞けないのは分かり切った事なので、ステイルはなんとか感情を抑えてソファに深く腰を下ろし直した。
 当麻の話が再開される。
「そもそも人間の脳味噌ってのは意外と凄いやつでな、完全記憶能力者だろうが何だろうが、普通の人間の一生よりも長い記憶を溜め込む事が出来る。あと記憶にも種類があって、魔道書の“知識”とインデックス個人の“思い出”は記憶する場所が違うんだ。だから互いに記憶領域を圧迫するなんて事態も起こらない。……まあこの辺はちょっと複雑で一概にどうこう言い切る事は出来ねえんだけどさ、とりあえずはそんな感じで」
「……おい、上条当麻。それってもしかして」
 ステイルの言葉に当麻が頷く。
「つまり“上”が付けた『首輪』の所為でインデックスの脳は圧迫されて記憶を消す必要があるって事。『首輪』が無ければインデックスはそれだけで思い出を失わずに暮らしていく事が出来る。今後何冊、何十冊、何百冊の魔道書を記憶しても、それに変わりはない」
「じゃあ早くその首輪とやらを……!」
 壊してしまおう、とステイルは当麻に半ば叫ぶような形で言った。
 どうせ魔術組織がインデックスに取り付けたものだから、『首輪』は魔術の一種だろう。そして目の前に立つ上条当麻には魔術を打ち消す力がある。以前インデックスが他の魔術師達に襲われた件でステイルはそれを知っていた。ゆえに当麻に少女の『首輪』を破壊するよう言ったのだが―――。
 当麻は首を横に振った。
「上条当麻! 貴様、どういうつもりだ!!」
「破壊しない、なんて言うつもりは無い。でもその前にまだ言っておく事があるんだ」
 ひたとこちらを見据える双眸は鋭く、これまで幾つもの修羅場を潜り抜けてきたステイルや神裂ですら一瞬声を失う。部屋の空気がピンと張り詰めていた。
「まず一つ。俺が今こうして話してるっていう状況だけどな。どうして邪魔が入らないと思う?」
「…………、」
 ステイルは無言を貫いたが、胸中では「確かにこの状況はオカシイ」と当麻の言葉に同意する。
 インデックスの『首輪』が“上”の意思なら、こんな部屋で結界も何も張らずに相談している事など一瞬でバレているだろう。そして当麻の話を止めるために動くはず。しかし現実にはそれが無い。
「俺がインデックスの『首輪』について知ったという事実は、既に最大主教にバレている。確認は取れねえけど、この部屋で話してる事も筒抜けと考えた方がいい。にも拘わらず邪魔が入らないのは何故か」
 ステイルが抱いたのと同じ疑問を口にした当麻は、そうしてうっすらと笑った。そんなはずは無いとステイルは思い直したが、まるで自嘲でもしているように。
 そしてその自嘲に見えた笑みの理由を、ステイルはすぐに知る事となる。
「実はさ、あの人から俺がどうするのか自由にしろって言われてるんだ。あの人は俺に『やめろ』とは言わなかった。何故だか解るか? 俺がインデックスの『首輪』を外すにしろ外さないにしろ、どちらになってもあの人なりに魔術側の利益があると考えているからさ。ああ、想像がつかないか? じゃあ言おう。もし俺がインデックスの『首輪』を破壊した場合、“上”はその『首輪』の代わりとして俺を、この右手を持った上条当麻を新たな『枷』にするつもりなんだよ」
 上条当麻の右手は魔術を消す事が出来る。それを知っている三人は、当麻が『首輪』を破壊した後、どうして新たな『枷』になり得るのか解らず首を傾げた。
 その心情を汲み取ったかのように当麻は右手を目の前に掲げて抑揚の無い声を放つ。
「俺の右手は魔術を消すだけじゃない。記憶も消せるんだ」
 それを聞いたステイル達は一瞬の間を挟み、
「そんな、有り得ない!」
「実際目にしなければ魔術を消すだけでも信じがたい事なのですよ!?」
「そう言われても本当なんだからしょうがないだろ」
 ステイルと神裂の信じられないと言う言葉に当麻は声を荒げるでもなくただ苦笑した。
「小さい頃に一度だけ偶然発動しちまった事があってさ。まあ、それだけで済ませておけば良かったのかもしんねーけど、学園都市にも力の事がバレてて色々実験させられたりとか。その所為で小さい頃のあれは幻だった、なんて思えなくなっちまってる訳なのですよ、上条さんは」
「事実、なのか」
「じゃなきゃ最大主教も『首輪』の破壊を容認したりはしないだろ。ともあれ、俺がインデックスの新たな『枷』になり得るのは理解してもらえたと思う」
 でもな、と当麻は続ける。
「インデックスの『首輪』を壊す代わりとして新たに科せられる事が二つある。これが、俺が素直に『首輪』の破壊を望めない理由でもあるんだ」
「? 一体どういう……」
 ステイルの問いに対し、当麻は人差し指をピンと立てた。
「一つ目、さっきも言ったけどインデックスは『枷』として俺を傍に置く事。これから派生して、俺がどこかに行かなきゃならなくなった場合はインデックスもそれに同行する事が義務付けられる」
 勿論反対の場合――俺がインデックスに同行する場合――もあるけど、と付け足しながら二本目の指が立てられる。
「そして二つ目、非常時には俺の力でインデックスの記憶消去を行う事。……これはさ、悪いんだけど、俺の力は調整がきかねえから。消すとなったらどこまで消えるか判んねえ。上手いこと魔道書の知識だけ消えりゃあ良いけど、まあそれは無いだろうな。良くて知識と思い出の全消去。悪くて赤子のようになってしまうか―――」
 上条当麻が口元を歪める。
「―――廃人だ」
 笑みと言うにはあまりにも不恰好で悲痛な気配の漂う表情だった。
「消すなと言われてもそれは聞けないからな。俺だって色々しがらみはあるんだ。お前らの意思より優先したい事もある。……ああ、言い忘れてた。一つ目の件に関わってくるんだけど、俺、どうやら近々学園都市に来いって要請されるっぽいぜ。だからもし『首輪』を消すならインデックスも学園都市へ行く破目になる。ステイルや神裂達と離れて科学側の中心へ、だ。そしてこの事実が最大主教が考える“利益”の元になる。科学側にも魔術を知ってる人間がいるらしくてな、“安全装置”でもある『首輪』を失った際の保険が俺だって解ってるから、俺を学園都市に呼んだ場合、完全に魔術側の人間であるインデックスの同行を認めざるを得なくなる。これがどう言う事態を呼ぶのか。あの人は、最大主教は、インデックスを学園都市における魔術系の問題対処に当たらせるって言ってたけど、実際はそれだけじゃなくて、きっと科学側に魔術師を送り込む際の呼び水にするつもりなんだと思う」
 この数々のマイナス要素を踏まえた上で三人に問おうと当麻は言った。
「『首輪』を保持してこれまで通り記憶消去を行う代わりに、魔術側の中で親しい者達の手によって安全にインデックスを守り続けるか。それとも『首輪』を壊して記憶の消去を逃れる代わりに、俺という新たな『枷』をつけ、親しい者達から離れて科学側の中心地で暮らす事を余儀なくされるか。加えてもしもの時は廃人になる覚悟も必要だ。どうする? 俺は三人が決めた事に協力するよ」
 当麻が口を閉じると、部屋に沈黙が満ちた。当然といえば当然だろう。そう易々と答えられる事ではないのだ、この問題は。
 しかしその沈黙を破るように、これまでずっと沈黙を貫いていた禁書目録の少女が透き通るような声で告げた。
「壊して」
 ステイルと神裂はぎょっと目を剥く。
 彼らの視線の先で銀髪のシスターが真剣な瞳を当麻に向けていた。
「とうま、私の『首輪』を壊して。忘れるのは、もう嫌だよ。忘れたくないって思いすら忘れちゃうのは嫌なんだよ」
 忘れたくないという思いすら忘れてしまう。それがどんな感覚なのか、少女にしか解らない事だろう。しかし今、彼女の苦しみを想像するのは可能だった。『首輪』を壊す事で他人を道連れにするのを理解していながら、それでも唇を噛み締めて懇願する少女の姿を見てしまえば。
「……ステイル達とは滅多に会えなくなっちまうかもしんねーぞ」
「でも思い出が消えるよりはずっといい。私はもうかおりやステイルの事を忘れたくない。記憶を消して、また目覚めて、その時に向けられる視線も、その度に一年間また思い出を作り直す事も……もう、嫌なんだよ」
 少女の記憶の中にはたった一度しかない経験。しかし実際には何度も体験してきた悲しい出来事。それを頭ではなく心が覚えていたのだろうか。
 そう考えてしまうほど少女は痛みに耐えるように語った。
 そんな彼女を見て、ステイルも神裂も言うべき言葉は無い。二人が尊重すべきは自分達の意思でもなく上条当麻の意思でもなく、この目の前の愛しい少女一人なのだから。
 ゆえにこの場で答える権利を持っていたのは禁書目録の少女が見据える人物のみ。
 上条当麻は少女から向けられる視線を受け止めてゆっくりと息を吸い込む。瞬きを一回して再び目を開いた先に映る姿へと優しく笑いかけた。
「ああ。インデックスが望む通りに」


 いくら『首輪』の破壊が決定しても、今この場でという訳には行かず、色々準備を整えてから実行しようという話になった。
 という訳で、詳しい事はまた後日連絡するからと言って当麻は部屋を出る。しかしその手がドアの取っ手を掴む前にステイルの声が名前を呼んだ。
「上条当麻。どうして君はここまでしてくれるんだ」
 その問いに当麻は振り返る。
 確かにステイルの疑問はもっともだ。上条当麻はステイル達ほどインデックスと深い仲にある訳ではない。つまり『首輪』を破壊しようとも利益はほとんど無いのである。むしろ破壊した時の方が当麻の負担は増える。にも拘わらず、どうして少女を、自分達を助けてくれるのか、と。
 赤髪の少年神父を前にして当麻は薄く笑った。
「そんなのは簡単」
「?」
「俺が、偽善者だからさ」
「は……?」
 目を見開いた相手に再び背を向け、当麻は扉から外へ出る。
(そうだ。俺はただお前達に“決定する”という問題を丸投げしたにすぎない。一人の女の子とその周囲の人間の気持ちを背負う責任が持てなかったから、今こうしてるんだ)
 その言い訳を実際に教えるのはなんだか情けなくて、言わないまま扉の向こうに相手の疑問や反論を押しやった。「ちょっと待―――」とか何とか聞こえたが、それも無視。そして一度扉を閉めてしまえば、当麻よりも禁書目録を重視しているあの神父がわざわざ少女を放って追い掛けて来るとは考えられない。
 当麻は足を踏み出した。
 と、その時。
「当麻、お前は優しすぎる」
 背後から、正確には扉の陰になっていた場所から聞き慣れた声が。おそらく当麻が話の途中で激昂したステイル達に危害が加えられないよう、もしもの時に備えてこっそり控えていてくれたのだ。
 予想をしながら振り返ると、そこにはやはり想像通りの姿―――腕を組んで壁に背を預けている土御門元春がいた。
 ふっと、当麻の口元が極度の緊張から解かれたように淡く緩む。
「違うよ、土御門。俺はただ自分に甘いだけだ」
「それが他人にとって優しいと思える結果になるなら、お前はやっぱり優しい奴だろう」
 普段の奇妙な口調とは違う、真剣な声で告げて土御門が当麻の横に並ぶ。そのまま共に歩きながら「そうかなぁ」と当麻は苦笑した。
「俺は優しくなんかない。だってお前や舞夏と一緒に居るためなら俺は何だってやるよ。たとえ一人の女の子を廃人にする事になっても。それを優しいとは言わねえだろう?」
「オレや舞夏にとっては充分すぎるほど優しいさ」
「……そっか」
「ああ」
「なら、いいや」
 そう答えて当麻は廊下の窓から見える景色に目を向けた。まだまだ高い位置にある太陽が建物の壁や緑の草木を照らしている。
「っあー……近々学園都市行きかぁ。お前も来るだろ? んで、おんなじ学校に行こうぜ」
「そんなの当たり前だにゃー。オレがカミやんを放って別の所に行くはずないですたい」
 口調を戻しながらサラリと告げる土御門。
 その言葉に当麻はまた笑みを深めて「うん」と小さく頷き返した。
 お前と舞夏が居れば、俺は大丈夫だよ。と。



* * *



 それから数日後、禁書目録の『首輪』の破壊が実行された。
 途中で半壊した『首輪』こと『自動書記ヨハネのペン』の発動によってインデックスが強力な魔術を当麻達に向けてくるという事態にもなったが、なんとかこれを鎮圧。多少の怪我を負いつつも、重症の者はおらず、目的は達成された。



* * *



「さて。『首輪』の破壊も終わったし、次は日本に行く準備だな。インデックスは日本語大丈夫か?」
「うん。ちゃんと話せるよ」
「そうかそうか」
 上条当麻が傍らの銀髪少女に朗らかな声で答えた。
 少女の反対側には金髪サングラスの少年が、彼らの後ろには日本刀を持った女性と赤い髪の神父が続く。
 禁書目録の『首輪』を破壊する事で彼女の新たな『枷』になる役目を負った当麻だが、そのすぐ後に最大主教から日本の学園都市へ向かう日が知らされていた。それが『首輪』の破壊を見計らって通達されたのか、それともただの偶然か、当麻には判らない。だが己と少女と、そして当麻の傍にずっといる事を約束してくれた人間が共に日本に渡るのは決定事項である。
 多少の不安はあるが、後悔は無い。
 隣の友人を一瞥し、それに気付いた土御門が視線を合わせサングラスの奥で目を細める。
(ああ、大丈夫だ)
 当麻は小さく微笑んで前を向いた。
(これからも一緒にいられるんだから)








「禁書殺しの書」終了。

(2010.06.19up)



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