ネ バ ー エ ン ド #13
「始まったようだね」 ずうぅぅん……と地響きが聞こえて屋敷全体が揺れる。この日に備えて屋敷を囲うよう張り巡らせておいた結界に分家の誰かが攻撃したためだ。その揺れを座敷の奥に坐したまま感じていた土御門家の当主は、静かにそう呟いてゆっくりと腰を上げた。 この屋敷のほぼ中央に位置するこの部屋には当主以外にも人間が三人。その三人―――土御門元春、土御門舞夏、そして先日の一件により未だガーゼや包帯が取れていない上条当麻を順に見据え、当主たる男は二度目の揺れの中で告げる。 「当麻君、君はここにいなさい。この“魔術戦”で君の力が非常に有効である事に違いはないが、それだけの理由で君を危険に晒したくはない」 「……っ」 当主の真摯な瞳に当麻は何も言えない。 分家の人間が本家宅に攻め入ってくる事はすでに予想済みで、その際に当麻が決して表に出ない事もこの四人の中できちんと話はついていた。だがそれでもこうして現状を目の当たりにすると、――たとえ怪我を負っていようとも、また己が子供であろうとも――膝の上で拳を強く握っていなければ今にも飛び出して行ってしまいそうになる。 そんな当麻を見て当主は優しげに笑い、次いで頬の筋肉を引き締め視線は息子へ。 「元春、解っているね。いざと言う時はお前が二人を守りなさい」 「モチロン解ってるぜよ、親父。舞夏とカミやんは俺が守る」 術者として、兄として、友人として。双眸に強い光を宿して頷く息子に父親もまた頷き返した。 「舞夏、無鉄砲に二人が飛び出して行きそうだったら止めておくれ。何せ二人とも男の子だから」 「わかっていますともー。こーいう時こそ女たる私が落ち着いておかなきゃならん訳ですからー」 「そうだね」 「ちょ、親父。オレ達そんなに向こう見ずじゃねーつもりなんだけどにゃー」 おどけて言う土御門に当主と舞夏が揃って笑う。するとつられて当麻の硬く引き結ばれていた口にも弧が描かれた。「だよな」と同意を求める土御門に当麻が「おう」と返すのを聞いて、土御門の姓を持つ三人は密かにほっと息を吐く。誰もこの少年に厳しい顔をさせたくはないのだ。たとえこの笑いが一時凌ぎであったとしても、その一時を大切にしたいと思う。 「それじゃあ、行って来る」 「おう。しっかりやって来てくれよ親父」 部屋を出て行く当主。魔術戦へと出向く父親の背に土御門が声をかけると、彼は気楽な仕草でひらひらと手を振り姿を消した。 土御門は部屋の出口から部屋の奥へと視線を戻す。そこにはもう……やはり、と言うべきなのか、笑顔を失った友人がいた。土御門は出来るだけ優しい声が出せるよう意識してから、両腕を伸ばして黒髪の頭を引き寄せる。 「そんな顔するんじゃないにゃー。あんなのでもこの家の当主だ。そう簡単に負けるような―――それどころか怪我するような人間じゃねーぜよ」 「そうだぞー当麻お兄ちゃん。あの人、結構強いらしいからなー。あとこの本家と分家の争いだけどなー、どうせいずれは起こるはずだったやつなんだろー? だったら当麻お兄ちゃんが気にするような、ましてや責任を取らにゃならんと思うよーな物ではないはずだ」 この争いが上条当麻の能力をキッカケとして勃発した事、そして自分を保護してくれている人をこの争いの場の中心に立たせてしまった事。その両方が当麻の心配と後悔の種になっているのを的確に読み取り、土御門兄妹は当麻に寄り添いながら安心させるようにやわらかく微笑んだ。 二人分の温もりに包まれ、未だ胸の中の淀みが晴れずとも当麻は身体中の無駄な力を少しずつ抜いていく。 徐々に激しくなっていく戦いの気配を感じながら幼い子供達は互いで互いを守るようにしっかりと身を寄せ合っていた。 どのくらい時間が経っただろう。 戦闘の音が途絶え、辺りは静けさに包まれていた。が、その静けさは当麻達を安心させるものではなく、更なる不安を煽るように不穏な何かを含んでいる。 身を寄せ合った三人の内の誰かがごくりと息を呑む。その直後だ。ギシギシと木製の床を軋ませて何者かが当麻達のいる部屋に近づいて来たのは。 「……誰だ」 短く、土御門が問う。警戒心を高めながら見据える先には障子越しに人影が写っていた。 無言のまま佇むその人影は体格から推測するにおそらく大人の男。だが当麻達を残してこの部屋を出て行った当主とはどうにも違って見える。障子越しに写る人影より当主の体格はもう少し痩せ型のはずだ。 「誰だ、答えろ」 硬く鋭い声で再び土御門が問う。しかし今度も答えは返って来ない。 土御門は懐から折紙で作った黒い亀を取り出し、いつでも魔術を放てるよう眼前に構えた。当麻も自分と然程変わらない大きさの前方の背中を見据えながら、舞夏を庇うように少女を自分の後方に移動させる。当主には「使わせたくない」と言われた右手を心持ち胸の辺りに翳して。 そして、ややもしない内に両開きの障子の右側がスッと開いた。 「やあ、元春くん。久しぶりだね」 濃いグレーのスーツを身に纏ったその男は左手で障子を開いたまま朗らかに笑った。右手は不自然に後ろへと回され、背中に何か隠しているのが窺える。何を隠しているのかは解らないが。 現れた男を土御門越しに見ていた当麻は彼に対してどこかで見た事があるような……という感情を抱く。会った事などあるはずないのに、だ。誰か見知った人物に似ているのだろうか。 「誰……?」 独り言と変わらない音量で零れ落ちた疑問は、当麻ではなく少女―――舞夏のもの。当麻と同じ疑問を感じていたらしい。その舞夏の声を聞き取った土御門がちらりとこちらを振り返る。そして再び男の方へ視線を移すと、なるべく隙を見せないよう――そう、土御門は自分を「元春くん」と親しげに呼ぶ人物に対して全く警戒を解いていないのである――義妹の疑問に答えた。 「こいつは親父の弟……オレ達の叔父だ」 「ああ、そちらにいる女の子は君の妹さんか。兄さんが他所の娘を引き取ったという話は聞いているよ。はじめまして、だね」 「舞夏、こいつと会話する必要なんかないからな」 「相変わらず冷たいな、元春くんは」 冷たく言い放つ土御門に当主の弟は薄く笑う。しかしさっきから笑っているのは頬と口元だけで、甥とよく似た色の双眸は全く笑っていない。 酷薄な笑みを浮かべたまま男は先を続けた。 「―――ま、今の状況じゃそれが妥当なんだけどね」 その台詞を放つと同時に男が右手に隠していた『何か』をこちらへ放ってきた。ボールのように放られたそれは僅かにバウンドして転がり、土御門と当麻のちょうど中間の位置でゴロリと動きを止める。その『何か』の正体とは―――。 「ひ……っ」 引き攣るような悲鳴が当麻の背後から聞こえた。また当麻と土御門も驚愕に目を見開き、言葉を失う。 「おやじ…?」 「当主、さま」 畳の上にゴロリと転がされたのはこの部屋を出て行った、そして帰って来ると約束したはずの人物。土御門家の当主であり、当麻が世話になっている人であり、当麻の友人達の父親であるその人だった。 「……ッ、テメェ親父を!!!」 叔父を強烈に睨みつけ、土御門が折紙の亀を投げつける。と同時に詠唱開始。 「黒キ玄武ヲ略式ニテ召喚。放テ!」 (とっとと準備しやがれウスノロ亀! ンでもって攻撃!!) バシュッと音がして黒い折紙が大量の水へと変化する。そして対象を押し流そうと勢いよく男へと迫った。 しかし。 「さすが兄さんの息子だ。凄い凄い」 一瞬、水の塊は男を外――当麻達がよく利用していたのとは別の中庭――へ押し流したかと思えたのだが、余裕のある声は水が流れた方向より少しずれた所から発せられた。男はグレーのスーツに僅かな水滴を付けたのみで、他には何の外傷も無くさっきと同じように立っている。また男の代わりに土御門の魔術を受けたと思われる白い紙製の 「―――でも、やはり子供だ。敵に対して甘すぎる」 男が掲げた右手には長方形の和紙に墨で文字を書いたお札が一枚。そのお札が一瞬にして細長く伸びたかと思うと、紙だったはずのそれは鋭利な刃を持つ日本刀に変化した。 日本刀が大きく振りかぶられる。この距離から金属の刃が届くはずなど無いのだが、叔父の目を見た土御門は嫌な予感を覚えて咄嗟に横へ跳んだ。 「……ッ!?」 ビュオッ!と風切り音を立てて彼のすぐ脇を何かが通り抜ける。直後、土御門が先刻まで立っていた場所に刃を振り下ろしたような大きな裂傷が生じた。 鋭い傷口が刻まれた畳を一瞥して土御門の顔が青くなる。 「敵にはこれくらいしないと」 「最初からオレを殺す気か……」 「今更何馬鹿な事を。君にはそこにある父親の首が見えないのかい? これは君達本家に対する僕ら分家の反乱なんだから、僕が君を殺そうとするのは当たり前じゃないか」 何の悪気も無いように、男は余裕と嫌味を含んだ声で答えた。 「自分の兄を殺してまで当主になりたいってのかよ」 「勿論。と言うよりね、むしろ当主が自分の兄だからこそ殺したいのさ。折角本家の男として生まれたのに、兄がいるだけで僕は分家という立場になるしかない。実力だってほら……そこの首を見れば解るだろう? 兄さんより僕の方が力だって上なのは明確じゃないか」 薄らと笑い、男は自分の兄だった物を見る。 その目が土御門や実兄から外れたと思うと、次は当麻達を捉えていた。 「本当にそこの少年―――上条当麻くんだったよね? 彼には感謝しているんだ。こんな機会を与えてくれて。いやぁ、いくら僕が兄を憎んでいても、分家が本家と実際に事を起こそうと考えない限りは動けないからね。……上条くんが本家側に居てくれて本当に良かった。分家が反乱を起こすのにちょうどいい起爆剤になったよ」 「……っ俺の、所為で…?」 「そう。君のおかげで」 引き攣るような当麻の声を聞いて男の笑みはますます深くなる。しかし男が続けて何か言おうとする前に土御門が大声を上げて遮った。 「それ以上言うな!! カミやんは何も悪くねーだろうが!!」 叫びながら男へと駆け出す。日本刀が振り下ろされる度に生じる不可視の攻撃をギリギリの所で避けながら。 だが駆け寄ってくる土御門に対し、相手は余裕の態度を崩さない。土御門が何かを握り締めて――おそらく体術の威力を増す術式だろう――殴りかかってくるのをひょいひょいと躱し、視線を当麻へと向ける。 「上条くん、君の右手は魔術を消せるんだったね。分家の皆は君のその力が怖くて仕方ないそうだよ。自分達の側に付けば心強いものであっても、敵方に付けば正反対になるのだと」 「言うな! カミやんもこんな奴の言葉なんか聞く必要無ェ!」 男の台詞一つ一つに身を固まらせる当麻の様子が土御門には本人を見ずとも判るのだろう。必至な形相で右手を振りかぶる。しかしその一撃も宙を薙ぐだけで対象には掠りもしない。 が、男には多少の煩わしさを与えたようだった。笑みを一瞬だけ崩した男は苛立たしげに舌打ちし、何も持っていないはずの左手を一振りする。土御門の視界の外で。そして。 「ぅぐ……!」 「油断大敵。見えない所も判るようにしておかないと。……ま、子供の君にはまだ無理な話か」 語りかける声に答える事なく、どさり、と少年の身体がくずおれる。そこからじわじわと広がったのは真っ赤な血だ。 「っ、土御門!!」 「兄貴!?」 顔を青褪めさせ、当麻と舞夏が土御門を呼ぶ。だがそのすぐ近くに日本刀を二振り携えた男が立っている所為で近付こうにも近付けない。駆け寄ろうものなら土御門と同じ結果が待っているだろう。 (でも、あのままじゃ土御門が死んじまう!) 止まる事なく傷口から溢れる鮮血を見つめながら当麻は唇を噛んだ。 男が携えている日本刀は、発生手順から察するに完璧な魔術の産物。つまり当麻の右手があれば消す事は可能だと考えられる。しかし一方の刀を右手で受け止めてももう一方が残っているし、運良く両方を回避出来たとしても子供と大人の体格差には大きな壁がある。何も攻撃手段が剣だけではないのだから。また記憶を消す事が出来るあの竜も、当麻がそれを出す前に男が何らかの行動を起こすだろう。つまり力は相手に届かない。 どうしてこんな事になってしまったのか。 上条当麻が力を振るってしまったから? 土御門家で世話になっていたから? それとも、奇妙な力を持って生まれてきたから? ならばこんな力など最初から要らなかったのに。友人を傷つけ、その父親を死に追いやり、全てを失わせようとするこんな右手など。 自己嫌悪で吐きそうになる。 しかしそんな当麻の思考を待ってくれるはずもなく、男は血を流しながらもまだ息のある甥を見据えて右手の日本刀の刃先を土御門に向けた。 「苦しいだろう? すぐ楽にしてあげるよ」 「―――やめて!!」 叫び、当麻の後ろから飛び出して行った小さな影。 その小柄な人影が土御門の代わりに鋼の刃を受け止め、呻き声と共に倒れ伏す。その一連の出来事を当麻は息も出来ずに眺めていた。 「あ……。まい、か…?」 土御門舞夏は土御門の姓を得る前、両親を魔術によって失っている。本人がどう言おうと、きっと大切な人だっただろう。そんな記憶を持ったまま新しい『家族』が殺されようとする場面に理性が耐えられなかったのか。結果が解りきっていながらもその小さな身体は義兄を庇って傷ついた。 「おやおや、美しい兄妹愛だね」 酷薄な男の声が響く。だがもう、当麻にはその言葉すら耳に入って来なかった。 大きく見開かれた黒色の双眸には真っ赤な血に濡れた二人の姿しか映っていない。 (俺の所為、だ。俺の所為だ俺の所為だ俺の所為だ俺のせいだおれのせいだおれのせいおれのおれのおれの…!) 上条当麻の存在がこの戦いの引き金を引いた。この戦いの所為で大事な人が死んだ、傷ついた。土御門達がどれだけ否定してくれようとも、やはりそれこそが当麻の中にある消えようの無い真実だった。 転がった生首と血に塗れた友人達と。それから他にも外で死んだだろう沢山の本家の人々の事で頭の中が埋め尽くされる。謝っても許されない事だ。何をしても償えない罪だ。 息が止まり、声も出せない喉を掻き毟る当麻の双眸から透明な液体が溢れ出す。 「ぜんぶ、きえちまえばいいのに」 小さな声で当麻が呟いた。 その『ぜんぶ』とは一体何を示すのか。この現状か、大事な人を傷つけた人間か、それとも引き金となった自分自身か。当麻本人にも判断がつかないまま、彼はその言葉を口にしていた。 その時“あの感覚”が当麻を襲った。未だ癒えぬ右手に穴が空けられた時に感じた、何かが変化する感覚。だが今回のそれは似ているようで異なるものだ。ぷつりと切れるのではなく、重い扉が開くように。奥底に眠っていた物を見つけたと思っても、まだその更に奥があった事を示すように。 全てを理解したと思いながら見つけてすらいなかった部分に触れて、当麻はゆっくりと目を閉じる。そして再び目を開けると、不思議そうにこちらを見遣る男を真っ直ぐに見据えて立ち上がった。 零れ落ちる涙は未だ止まらない。罪の意識で飽和し一線を超えた心は何も感じない状態とよく似て、漣一つ立たせる事なく当麻の中に存在している。その所為か、思考は明瞭だった。自分が何をしているのかも、これから何をしようとしているのかも、理解していたし自覚出来ている。 ただ、これから起こす行動の動機に関してはもうよく解らなくなっていた。 状況を鑑みれば憎いのだと思う。この目の前の男の事が。何せ友人の父を殺し、友人に瀕死の重傷を負わせた人間なのだから。それと同時に当麻は自分自身も憎い。一線を超えるまではそう感じていたはず。 だから上条当麻は。 「―――とりあえず、助けたい人を助ける事だけはしとかねーとな」 平坦な声でそう告げると、男に右手を向けた。 全てを終えた後に自分で自分をどうするかは、その時になって決めようと思う。第一に考えなければならないのは、まだ息のある友人二人をどうやって助けるかだ。自らの死を望むなら、その後で。最早上条当麻にとって己の死や生にはその程度の価値しかない。 「どうする気かな?」 決して届くはずのない距離で右手を向けてくる子供の姿に、男は恐れを微塵も抱く事なく問い掛ける。力の差は歴然としているのに恐怖でそれすら解らなくなってしまったのか、と当麻を嘲って。 しかし問いを発してからいくらもしない内に男はハッとなって横へ大きく跳んだ。立ち位置を変えたのは男の攻撃を避けた土御門の時と同じくただの勘だ。そしてその勘が男の命を少しだけ長らえさせる事となる。 「なっ……!?」 ゴウッ!と強風が吹き荒れる。加えて一瞬で生じた目も開けられぬほどの風の中―――ちょうど当麻が右手を向けた一帯の床や地面が抉れていた。否、その惨状は抉れていると表現するよりも、消失していたと言うべきだ。 当麻の右手を頂点として巨大な円錐を描くように全てが消失していた。きっと強風もその円錐の範囲にあった空気が失われ真空状態になったために、周囲の空気がそこへと流れ込んで発生したのだろう。 「…………」 己が生み出した現象を当麻は無言で眺めていた。研究者が淡々と実験の結果を観察するように。 上条当麻の右手は異能を消失させる。では『異能』の区切りに入るのは一体どんなものだろうか。魔術? 超能力? ……双方とも然り。そして(陰陽道等一部の魔術はやや異なるかも知れないが)魔術の基本は神への信仰に由来する。神は異能の象徴だ。ならばその神が創った物もまた異能と分類される事も有り得るのではないだろうか。―――例えば、人間を含めたこの世界そのもの、とか。 「ははっ……。本当に恐ろしい力だ。味方にすれば心強いと言ったけれど、これじゃ味方であっても恐ろしいと思うだろうね」 瞬時に起こった事をどこまで推測したのか判らないが、男が引き攣った声で笑った。その背には嫌な汗が伝い、声自体にも隠しきれない動揺を滲ませている。 一方、当麻本人はそんな相手の様子とは正反対で、心が飽和しきっているため完璧に凪いだ表情をしていた。そして、そんな当麻の様子が男の動揺をますます煽る結果となる。 動揺して正確で素早い判断を下せなくなっていた男に当麻は躊躇いの無いスムーズさで右手を向ける。位置が確定すれば間髪おかずに力を解放。消失、烈風、轟音。 加えて今回は――― 「が、ああああああああああ!!!!」 男の絶叫。 判断を鈍らせ行動を遅らせた男の左腕が肩からばっさりと消失していた。滑らかな断面からは勢いよく鮮血が吹き出す。 痛みと死に対する本能的な恐怖で両目を血走らせた男はギッと当麻を睨みつけて叫んだ。 「このっ化け物がぁぁぁああ!!」 「そうだな。俺もそう思う。自分が生きる世界をも 男とは対照的に当麻が薄く笑って静かに答える。 「でも、そんな化け物でも化け物なりに助けたいと思う人はいるんだ」 そして容赦なく放たれる三撃目。 今度は悲鳴すら飲み込んで対象の消失が行われた。 吹き荒れる風の中、いつしか止まって乾き始めていた涙の跡をそのままに当麻は数度瞬きして足を動かし始める。外へと。まだ残っているであろう、友人達を助けるのに障害となる者達を全て消し去るため。 「……ああ。救急車、呼ばねーと」 人の気配が殆どしなくなった敷地内で当麻が独りごちた。その声に抑揚はまだ戻っていない。 一体どれだけの物と人を消し去ったのだろう。数えるのも愚かしく、そして恐ろしい。だがそれでも当麻は大切な人のために動かなければならない。早くしないと手遅れになってしまう。 当麻は今にも崩れそうな自分を叱咤し、連絡手段を求めて屋敷の中へと足を進める。と、その時。まだ室内に足を踏み入れていなかった当麻の耳にピリリリリと電話の着信音が届いた。 (どこから―――) 音に誘われて周囲を見渡せば、倒れ伏した人物――本家に仕えていた者だが、すでに事切れている――の胸元から聞こえてきている。当麻はふらふらと頼りない足取りでその人物の元に歩み寄り、しゃがみ込んで着信音を鳴らし続ける携帯電話を手に取った。 相手は不明。開いたディスプレイにはただ非通知とだけ表示されている。 本来ならば他人に掛かってきた電話など取るべきではないのだろう。しかしその時、当麻はこの電話が自分に掛かってきたものだと感じた。根拠は無い。何か不思議な力に導かれるように当麻は携帯電話の通話ボタンを押す。 「―――はい」 『やあ、上条当麻だね?』 電話の向こうから聞こえて来たのは男とも女とも老人とも子供とも取れる声。その奇妙で不可解な声は可笑しな事に電話の持ち主でない当麻の名を言い当て、名前どころか当麻を取り巻く現状を全て理解していると言った風情で先を続けた。 『私はアレイスター。アレイスター=クロウリーだ。ま、名乗っても君は知らないだろうからこう言おう。以前君が住んでいた学園都市の統括理事長である、と』 「学園都市の統括理事長……」 『そう。あの街を治める人間だ』 鸚鵡返しな当麻の言葉に頷き、学園都市の統括理事長を名乗るその人物はほんの少しだけ笑い声を含ませる。 『君が今どんな場所にいてどんな物を望んでいるのか、こちらは全て承知している。あと勿論、君の能力についても大まかにはね。と言う訳で私は君に交換条件を申し出たい』 「俺に交換条件、ですか」 『君が大切にしている二人の友人達……どうせ普通の病院に運んでも手遅れだ。死亡は免れても後遺症が残ってしまうだろう。女の子に関しては傷跡が残る事すら避けたいのにな』 「けれど学園都市の技術なら傷も後遺症も残さず治せると?」 『そうだ。こちらには最高の技術と最高の名医がいる。死んでいなければ必ず治してみせるという男がね』 アレイスターの言葉を頭の中で反芻する。目を閉じれば瞼の裏に移る血塗れの友人達。早くしなければ本当に最悪の結果しか得られないだろう。 当麻は双眸を開いた。 「―――じゃあ、あんたは俺に何をしろって言うんだ」 『なに、簡単な事さ。詳細は君がこちらに来てから話そうと思うのだが……簡単に言うと、私が求めた時に君のその力を貸して欲しいんだ』 「…………」 アレイスターの条件に当麻は口篭る。力を貸せ、とはなんとも大雑把な表現だ。魔術や超能力などの異能を消して欲しいのか、誰かの記憶を消して欲しいのか、それともこれと同じ惨状を作り出して欲しいのか―――。だが上条当麻はすでに決断し、そして実行したのだ。大切な者達のために自分を含めた他の誰かを犠牲にする、という事を。 そんな当麻の答えなど聞かずとも解っていると言うように、電話の向こうでアレイスターが笑う。 『君が必要な時に必要な分だけ私に力を貸すと約束してくれるなら、私が君の友人達を助けよう』 (2010.01.27up) |