ネ バ ー エ ン ド #11
一体どうすればこんなに広い土地が用意出来るのか。土御門とその父親に連れて来られた先で当麻は目を丸くしたまま唖然とするしかなかった。 目の前にはずっと向こうの山が霞んで見える程の広大な土地が広がり、その至る所に水路らしきものが張り巡らされている。縦横無尽に走る水路は上空から眺めれば何か規則的な形になっているのかも知れないが、地面に立つだけの当麻からではその全貌を到底窺い知る事など出来そうに無い。 「ここは……」 驚きも露わに呟く当麻。その肩をぽんと叩いて傍らの土御門が誇らしげに笑った。 「だから車に乗ってる時に言ったにゃー。ここは親父とオレが作ったカミやん専用のフィールドだぜい」 「俺専用の…?」 「おう。カミやんのその右手の能力を調べるためにな。家ン中じゃ広さも使える魔術も限定されるし、だったら別のデカい所に強力な結界を張ってやれるだけやろうって寸法だ。結界を作るこれら水路もカミやんの手に直接触れられちまうと一発でアウトだとは思うが……ま、そこんとこだけ注意しておけば、あとはどんな魔術も使い放題ってワケだ」 「とは言うけれど、水路を手がけたのはほぼ全て元春だからね。もし当麻君が触れて壊してしまってもすぐに直してくれるから思う存分動いてくれていいよ。むしろそのために元春がここに居ると言った方がいいかな」 車を降り、遅れて二人の元に辿り着いた土御門家の当主が優しげに表情を緩ませながら補足とばかりに言葉を繋ぐ。 当麻の父親と同じかやや年上といった所のこの男性は流石この大きな陰陽道系一族の当主についていると言うべきか、彼が纏うやわらかな空気とは裏腹に非常に強力な魔術師でもあった。そして今回、この場に用意した広大な結界の中で彼が上条当麻の能力を測るために動くと言う。 「当麻君が土御門の家に来てすぐ、元春の魔術を完全に無効化しているのを見て私も出ようと思ったんだけどね……場所を用意するのに季節がひと巡りしてしまった」 「地脈を始めとして色々調査・検討したからにゃー。しかも土木工事も結構時間かかるし。でもそのおかげでかなり出来のいいのが作れたんだぜい。これなら親父の魔術も使い放題だ」 「いやいや土御門さん方、一体俺にどんだけヤバい魔術をぶつけるつもりなんですか」 目の前の親子に向けて当麻は半眼で呻く。だが確かに彼らの言う通り、これだけ広い所でしかも天才・土御門元春が自ら得意と公言する水属性魔術で結界を作ったならば屋敷で到底出来ないような事もあまり躊躇わずに行えるだろう。元々当麻が土御門家にお世話になっているのも自身の右手の能力を調べるためなのだから、別に間違った事など無い。気になるのは右手がどれだけやってくれるか、という一点である。 「はは、そんなに緊張しなくてもいいよ。いきなり大きなものは使わないから。当麻君の右手の様子を見て調整していくとも。それじゃあ早速だけど、準備しようか」 「は、はぁ……よろしくお願いします」 当主に促され、当麻は結界の中へ。それによって結界が揺らいだり消えたりするような事はない。土御門が言った通り、要となる水路に触れなければ大丈夫らしい。 結界の最も外側は大きな堀になっており、当主と当麻の二人は橋を渡って中へ入る。橋を渡りきって後ろを振り返れば土御門がひらひらと手を振っていた。そんな友人に当麻も手を振り返し、更に先へと進んだ。 長らく歩いて――とは言ってもこのフィールドの広さは相当なものであり、まだまだ中央部には辿り着いていないのだが――二人は足を止めた。ここは更地で起伏も少ないため、遠くに金髪少年が見えている。 「さて、じゃあこの辺で始めようか」 「はい。お願いします」 軽く頭を下げ、当麻は両足を肩幅程度に開いた。その位置から更に数メートルの距離を取って当主もこちらを見据える。 「まずは軽く」 当主が差し出した手の平の上にはとても小さな赤い折鶴が何羽も乗っていた。それらが一羽ずつ浮かび上がり、ふわふわと空中を漂い始める。一見して平和な様子だったが全ての折鶴が空中に移った瞬間、それら小さな赤い塊は当麻目掛けて突撃を開始した。 「っ!」 息を呑む当麻。だが既に右手の能力を知っている身体はほぼ無意識のうちに眼前へと自身の右腕を掲げる。赤い折鶴達はその手に吸い込まれるように激突し、触れた瞬間からただの紙に戻って地面に落下した。全て防げた事にほっと一息吐く当麻だったが、肺を一度膨らませる程度の暇しか与えられずに次が来る。 「我ガ聖域ヲコノ場ニ制定ス。盟約ニ従イテ顕現セヨ、南ノ赤式」 (キミの狩場は用意した。出番だよ、朱雀) 土御門が当麻の目の前でやって見せた術式よりも遥かに短い言霊で当主が新たな魔術を放つ。最初の一文で男の足元に光の線が四角く描かれたかと思うと、次の一文でその線が光を増し当主の頭上に全長二メートルにもなろうかという赤い鳥が現れた。鳥の輪郭ははっきりと定まる事なく、まるで炎のようにゆらゆらと揺らめいている。そして目も嘴も勿論翼も赤く染まった巨鳥は、 「翔ケヨ」 (攻撃) 当主の命令に従って当麻に襲いかかってきた。 「ちょ、レベル上がりすぎ!!」 最初の折鶴とは比べ物にならない攻撃に当麻は慌てふためきながらも咄嗟に横へ跳ぶ。揺らめく翼は当麻の頬のすぐ傍で空気を打ち、強風を起こしながら通り過ぎた。だがそれで終わってくれるはずもなく、巨鳥は結界内を大きく旋回して再びその嘴を当麻へ向けてくる。 「これ右手で触れて消えてくれりゃあいいけど、少しでも消し損ねたらヤバいんじゃねーか…!?」 巨鳥の二度目の突撃もなんとか躱しながら当麻は呻く。右手の異能を消す力がどこまで働いてくれるのか正確に解らない以上、無闇に正面からあの攻撃を受け止めるのは避けた方が良いに違いない。かと言って翼や身体の一部に触れるだけで相手が消えてくれるのも怪しいのだが……翼の一方でも失って飛行能力を奪えれば良しとしようと思う。 「そんなに怖がらなくても君なら大丈夫だと思うんだけどねぇ」 「いやいや、どんだけ過大評価してくださってるんですか!?」 当主の苦笑にすぐさま反論しながら当麻が走り出した。視線は悠々とフィールド内を飛ぶ赤い鳥から外さない。そのまま三度の目の突撃に合わせ、まるで怒り狂う雄牛を相手に舞う闘牛士のように当麻はギリギリの位置へと身を移した。と同時に右手を精一杯伸ばす。 (届け…!) バチン!と音がして当麻の指先に触れた翼が半分ほど消し飛んだ。羽ばたくための機能を欠いた鳥は声も無く地面に激突する。撒き上がる粉塵や飛び散る礫から守るため腕で顔を覆いながら見据えた先では赤い鳥が地面に身体を伏せていた。だが消されずに残った身体も半分失われた翼の方から徐々に薄れていく。 やがて地面に激突の跡を残したまま鳥の全身が消え去ると、当麻は額に浮かんでいた汗を拭って鳥の召喚者を見た。どうだ!と言いたい訳では勿論ない。ホントいきなり何してくれんですかアンタは!という顔である。 しかし当麻にそんな視線を向けられている本人はと言えば、 「正面から突っ込んで行けば一瞬で消せたと思うんだけど」 などとのたまっているではないか。 加えて、そんな相手の態度に愕然としている当麻に対し、「それじゃあ次はこれだ」と早くも三つ目の魔術を発動させた。 「我、赤キ鳥ヲ贄ト捧ゲテ南ノ赤式ノ再臨ヲ請ウ」 (そんなんじゃ駄目だよ、ほらおいで) 言霊に合わせ男が空に向かって赤い折鶴を投げると、それは一瞬にして巨大な炎の鳥へと姿を変える。しかもその体長は先程の倍近くあるではないか。巨鳥が一度羽ばたきする度に本物の炎から成る翼は羽根の代わりに火の粉を散らし、周囲に容赦ない熱風を巻き起こした。 再臨などと言っていたが、これはどう見ても再臨やら復活やらの類ではないような気がする。明らかなレベルアップ、もしくは別の物だ。……などと胸中で呟いてみてもそれだけで都合よく鳥が消えてくれる事はなく。当麻は灼熱した鉄のような鳥の瞳から視線を逸らせずに頬が引き攣るのを感じていた。 赤い巨鳥を従えて陰陽一族の頂点に立つ男が笑う。 「こいつは身体の中心にある『核』に触れなきゃ消えてくれないから、そのつもりで―――…翔ケヨ」 当主のその一言だけで炎の鳥が滑るように滑空を始めた。先程当麻が消した鳥と同じように真っ直ぐ向かって来るが、その威圧感は比べようもない。転ぶようにして鳥との接触を避けるも、翼から生まれる熱風がじりじりと肌を炙った。 「こんにゃろ…っ!」 地に伏せながらも毒づきすれ違いざまに手を伸ばす。右手の指先が巨鳥の尾に触れると長い尾の一端が弾けるように消え失せた。異能を消した確かな手応え。だが消えたのは当麻が触れた箇所とその周辺のみで、鳥本体はまだ健在だ。それどころか失われたはずの部分も空を旋回するうちにみるみる回復していく。 「冗談じゃありませんのことよ!? 本っっっ気で俺死んじまう!」 やはり炎が魔術によって生じたものであるためか、鳥の尾羽に触れた手は火傷を負わずに済んでいる。だが右手以外があの鳥に触れたならば―――肌で感じる痛い程の熱風が証明するように、下手をすれば火傷程度では済まないかも知れない。 「あんな奴の中心に『核』だって? そんなの魔術師でもない上条さんには無理なの無理なんだよ無理なんです!!」 「だから大丈夫だって。当麻君の右手の効果範囲だけど、見ているとどうも手の平サイズしかないって事はないようだから」 「何をどう見てそんな結果が!?」 「ははは……っと、そんな風に余所見ばかりしていると、私の術式が本当に君を焼き尽くしてしまうかもね」 「…げっ!」 当主の忠告に素直に従って彼の視線を辿れば、青空をバックに悠然と翼で風を切る巨大な赤。当麻の意識が男に向いていた間、そいつはじっと待っていたらしい。そして当麻の意識が再び自分に向いた事を知ると、ようやくかと言わんばかりに攻撃態勢を整えた。 「はい、それじゃあ行ってみようか」 「鬼だ……」 友人の父親が放つとは到底思えない台詞にそう呟く。あんなものを真正面から受け止める事に覚悟なんぞ決めたくないのだが、どうにもこの場面では決めるしか道は残されていない。 「だぁもう!!」 頭をかきむしって喚き、だがそれもすぐさま止めて当麻は右手を前方に構えた。左手を右手首の手前に添えて、ぶつかった時の衝撃になるべく体勢を崩さないよう足を踏ん張る。 「どうにでもなれだ! 来やがれ!!」 当麻が叫び、鳥が大きく羽ばたいた。そして――― 「おーおーやってるにゃー」 遠く、友人と己の父が生み出した赤い鳥の激突を眺めながら土御門元春は呟いた。視力はかなり良い方なのでこの距離からでも彼らが何をやっているのかはっきりと判る。 上条当麻の右手の力を確かめるため、現時点で父親が使った魔術は三つ。一つ目は呆気ないほど容易く、二つ目もこちらから見ればそこそこ楽に打ち消されている。だが現在進行中の三つ目の魔術も合わせてそれらはどれも赤ノ式を用いた魔術であり、そして土御門が黒ノ式を得意とするように彼の父親は赤ノ式を得意としていた。と、言う事は。 「親父も結構本気出してやがるってことですたい」 土御門の視線の先で、紅蓮の巨鳥が当麻と正面からぶつかった。バン!ともバキン!とも例えられるような、破裂音と物が砕ける音の中間の音を出して異能の無効化が行われている。あの赤い鳥は身体の中心に『核』を持っているタイプであるため、『核』からの魔力の供給と当麻の右手による無効化がしばらく拮抗状態に陥っていた。だが後者の方が勝っていたらしく、接触から数秒後にはひときわ大きな破裂音と共に巨鳥が空中に爆散する。炎の身体を消し尽くし、当麻の右手が『核』に触れたのだ。 「簡易召喚とは言え親父の朱雀を消しちまうとは……カミやんの右手ってホントにどうなってやがんだ」 三つの魔術と対峙した時点で当麻の右手の能力が異様(もしくは異常)とも言える処理速度を持つ事が窺い知れた。ならば次に試すのは異なる複数の魔術を同時に相手にしなければならない場合。―――そうやって次に使われる魔術の種類を予想する間にも、土御門の父親は穏やかな微笑のまま行動を開始していた。 「当主様おかえりー、兄貴おかえりー」 当麻、土御門、そして彼の父親。三人が帰宅したのはとうに日が暮れて空が濃い群青色に染まってからだった。そして彼らを迎えた第一声が間延びした少女の声―――土御門の義理の妹、土御門舞夏である。 舞夏は義父である男を「当主様」と、義兄を「兄貴」と呼んで先に二人を迎えると、次いで彼らから視線を外し、最後のもう一人へと笑みを向けた。それはそれは無邪気で愛らしく、少女に相応しい笑みを。 「そんでもって本番。当麻お兄ちゃんおかえりなさいー」 「ただいま、舞夏」 血も書類上でも関係を持たない当麻に対し、舞夏は一番親密に接してくる。そんな彼女の反応にもこの半年ですっかり慣れ、今では苦笑を抑えながら相手するまでに至っていた。 そしてそんな男女の様子を目にした親子はと言えば。 「舞夏さんは相変わらずだなぁ」 「いっそカミやんも“土御門”になっちまえばいいにゃー」 当主は客人たる少年に対する義理の娘の実に分かりやすい好意を微笑ましそうに眺め、土御門も土御門でかなり真剣な顔をしてそう呟いている。彼らにとっても“慣れた事”なのだ。ちなみに、 「でもその前にオレと舞夏で一度 と続く言葉も土御門の本心らしい。生憎その台詞が他者に聞かれるような事態にはなっていないようだが。―――とにかく、この半年の間に舞夏は驚くほどしっかりとこの家の娘として立つようになっていた。が、その心の変化に大きく寄与したのは赤の他人の上条当麻であり、ゆえに彼女の中心には当麻が据えられて動く気配は微塵も無いまま今日まで来ているのだ。 「聞いておくれー。今日の夕飯作りにはなんと私も参戦したのだ。と言う訳で、当麻お兄ちゃんはしっかり食べてくれると非常にうれしー……勿論、当主様と兄貴もなー」 当麻に抱きついた格好のまま二人に視線を向けるため首を逸らして舞夏が笑う。その笑みに当主は殊更やわらかく表情を崩し、土御門も双眸を細め歯を見せるようにして笑い返した。 「……で、親父。カミやんの力について、親父はどう思う?」 「危険だね。とても」 夕食を終え――舞夏が作ったと言う一品は彼女の年齢からするととてもよく出来たものだった――、各々が就寝までの時間を自由に使っている頃。土御門は父親と二人だけで今日の事について話し合っていた。 当麻の力を一言で危険と告げた土御門家当主は真剣みを帯びた表情でずっと遠くを見据える。 「危険だ……簡易召喚とは言え私の朱雀、そしてそれ以降の強力な魔術全てを消し去ってしまった。一瞬で対応出来る魔術の量も種類も、普通の魔術師…いや高位の魔術師ですらそう簡単には追いつけないだろう。しかも彼の能力にはまだまだ余裕があった。―――この事実は魔術世界を揺るがすよ」 「やはり他人に知られる訳にはいかないか」 「そして“他人”には我が一族も含まれている」 「…ッ!」 「お前も解っているだろう? あの子は兵器だ。今はただの不幸な少年でも使い方次第では異能全てに対する兵器になる得る。『聖人』とまでは行かずとも、どこかと戦いたがっているような集団にとって彼は畏怖しつつも喉から手が出るほど欲しい存在なんだ……そして、その集団には我々も含まれる。多少の差はあれど、魔術師とはそう言うものだからな」 最後に付け足された言葉は悔しさと自嘲が混同するような声だった。そしてその声に同意するかの如く土御門も黙って下を向く。 まだ小学校すら卒業出来ないような年頃の息子が持つ不釣合いな聡明さに、父親も思わず目を伏せた。だが事実までから目を逸らす訳にはいかない。土御門家の当主は一呼吸分だけ間を開けた後、静かに言葉を紡いだ。 「この家も随分大きくなってしまったからね。本家と分家、そして後継者選びを始めとする本家内での諍い。勿論他魔術勢力に対する姿勢もそうだ。どこもかしこも平穏を装って、その実、ギリギリの所に立っている。どこか一ヶ所に力が片寄れば一気に崩れてしまうだろう」 「もしくは無所属の大きな力があると知れば―――」 「それを手に入れようと動くだろう。しかも魔術世界で生まれ最初から聖人として存在していた者達とは違い、あの子は自分の価値を自覚していない。つまり自衛出来ない。……来るよ、彼を取り込むために」 本家の誰かが。もしくは――今はまだ知らせていないはずだが――分家の者達が。 「もしあの子が狙われた時、傍に居られるのはきっとお前だ。だから、」 「解ってるよ、親父。上条当麻はオレが守る」 顔を上げ、強い視線を向けてきた息子に当主である男は「嗚呼」と感嘆の息を吐いた。状況は決して油断出来ないものだが、それでも我が子がここまで変わってくれた―――より明確に言えば、人間らしくなってくれた事に喜びを覚えてしまう。そしてだからこそ息子を孤独から救ってくれた上条当麻という少年に、土御門元春の父親である自分も何か報いたいと強く強く思うのだ。 男はいつしかその顔にいつも通りの微笑を浮かべ、背筋の緊張を解いていた。「そうだ」と息子に語りかける。 「もしもの時はお前が当麻君を守りなさい。勿論私はその“もしも”が訪れないよう、当主として責を果たすつもりつもりだがね」 父親の言葉に金色の頭が頷いた。誰の目から見てもはっきりと、力強くその意思を表すかのように。 土御門パパが得意なのは赤ノ式。 なので黒ノ式が得意な土御門ですが、赤ノ式も結構使える…なんて(笑) (2009.11.14up) |