ネ バ ー エ ン  #10






 舞夏と言う名の八歳ほどの少女が土御門家の人間になった日、土御門元春が一番最初に教えたのは、今後この家で彼女に接するであろう人間の名前と顔だった。ごく普通に彼女の養父母となる自身の父と母を紹介し、義兄となる己の名前を教え、家に仕える者達を(一部ではあるが)指で示し、そして土御門家の客であり自身の友人である上条当麻を隣に立たせて。だが屋敷の案内も兼ねて順に彼等を紹介した後、次に土御門が教えたものは、決して一般家庭のそれではなかった。
 たとえ舞夏の年齢がようやく二桁になった自分よりも更に幼く、理解するのが容易でなかろうと、これから家族として暮らす上で絶対に知らせておかなければならないと思った事。
 一つ目は、魔術の存在及び舞夏の両親が魔術師であった事について。これは彼女の両親が魔術に関する知識を娘に一切教えていなかったという情報があったためだ。二つ目は、土御門家の人間の多く――勿論、土御門元春自身も――また魔術師である事。三つ目は、この魔術師一族(陰陽師一族)に滞在中の上条当麻は非魔術師であり、それどころか魔術を始めとする異能の一切を無効化する能力を持っている事。
 ここまでは土御門も然程どころか全く躓く事なく説明を終えた。しかし問題はこの後である。
 魔術を実践して見せるために日本庭園風の中庭へと出ていた土御門は、縁側にいる舞夏から庭の一角にある大きな岩に腰掛けていた当麻を一瞥。当麻が小さく頷くのを確認すると、少しでも緊張を解くように大きく深呼吸をした。そして舞夏がいる縁側の方へと歩み寄る。
「…………」
「…………」
 舞夏の態度は魔術の存在を知った時も、両親が魔術師だったと教えられた時も、然程変化を見せていない。土御門元春や上条当麻がその境遇ゆえに一般的な子供とかなり異なっている事を自ら理解した上で、舞夏の様子は意外なものに思えた。両親が一度に死んだ所為で塞ぎ込んでいるのだろうか。だがその割には、説明する土御門を見る瞳は澄んでおり、真っ直ぐに相手を見つめる事が出来ている。
 そう言えば、舞夏の目はしっかりと土御門や当麻に向けられているが、彼女の声は数えるほどしか聞かされていない。一番初めの顔合わせの際に「舞夏と言います」と名乗った時、それから土御門の説明に対する受け答えとして「はい」や「うん」もしくは幾つかの否定語を口にした時のみだ。
(ま、オレの説明を聞いている時に関しては、まだこの齢の女の子にゃちょーっとばかりちんぷんかんぷんな話だった所為とも考えられるんだがにゃー)
 要は理解していないから質問も出来ず、受け答えは単調になるという事。
 しかし土御門はそう独白しておきながら、この考えは違うとも思っていた。ただの直感ではあるのだが。
 ザリ、と靴の裏で砂利を小さく鳴かせ、縁側に座る舞夏の前で足を止める。距離は一メートル程度。相手を見上げる形になる舞夏からは、土御門の姿が逆光になってしまっている。昼を過ぎて少しばかり時間が経った今はまだ陽も高く、彼女に土御門の影が被さるような不吉とも取れる場面にならずに済んでいるのだが、なんとなく嫌な感じは拭えない。とは思いつつも、やはりこういう事は正面向いて話すべきだろう、と土御門はその場に立ったまま口を開いた。
「オレが今からする話を聞いた後、お前は何をやってもいい。罵っても、殴りかかってくれても」
 舞夏の黒瞳が僅かに狭まる。急に冷静な口調になった義兄を訝しんでか、それともその言い方から不穏なものを感じ取ってか。ただしそうであっても彼女はまだ何も言わない。じっと土御門を見据えたまま彼の言葉を待っている。その視線を真正面から受けながら、土御門は告げた。

「舞夏、お前の両親は事故で死んだんじゃない。……オレが、魔術師・土御門元春が、殺したんだ」

 しばらく沈黙が続いた。
 上条当麻は岩に腰掛けたまま自分が口を挟むべき事ではないと思っているし――今回の彼は見届ける事こそが役目なのだ――、土御門元春は義妹となる少女の反応を待つ事しか出来ない。事情の説明を求められれば行うが、それは舞夏が声に出して要求した後の事になるだろう。そうでなければ無様な言い訳にしかならない。
 緊張でカラカラになった口内を自覚しながら土御門はひたすら少女の応えを待つ。そして―――
「なるほど」
 黒瞳の少女は一度ゆっくり瞬きをし、口を開いた。
「両親は事故死ではなく殺されたんですか。……まあ、本人達は隠しているつもりだったようですが、何か危ない事も相当やっているみたいでしたし。実の所、事故死と言われるよりも殺されたと言われる方がすっきりします。……まさか『魔術』なんてものが関わっていたとは思いもしませんでしたが」
 年齢に見合わぬ落ち着いた態度と口調。
 土御門の話を一通り聞き終えた舞夏は、これまでの無口ぶりを払拭するようにスラスラとそう言ってのけた。大した感情も見せずに淡々と。またそこに土御門を咎めるような気配は無い。よって土御門はほっと息を吐き出したのだが、
「舞夏、それじゃあ……」
「だからって、許すなんて一言も言ってないのだぞー私は」
 一瞬前までの形式ばったものよりもずっと間延びした――そしておそらくこちらが彼女本来の――口調で、舞夏は続けた。無表情であったはずの顔にも今や僅かではあるが嘲笑とも取れるような笑みが浮かんでいる。
 幼い少女らしからぬ舞夏の態度と台詞に土御門はその場で凍りつき、言葉を失った。許してもらえないのは確実だと前々から予測出来ていたが、それでも一瞬とは言え許されたと思った後にこの反応。仕方ないと言えば仕方ないだろう。
 だがそこで止まっている訳にも行かない。土御門は当麻に約束したのだから。―――動けば希望が見えてくる事を実践してやる、と。
 土御門はその場に両膝をつき、舞夏を見上げる格好になる。両手は拳を作って腿の上に。言葉が本心からの物である事を示すように真っ直ぐ相手を見据えて言った。
「オレは舞夏……お前と『殺人者と両親を殺された娘』以外の関係を築きたい。それは、お前にオレがした事を隠したままでいた方が容易だったかも知れん。だがそれでは駄目だと思った。そんなまやかしに意味は無い。お前には全てを知った上で判断して欲しかった。……だから今、その第一歩として、お前が望む事をしてくれていい。オレに罵声を浴びせるなり、そのまま蹴りつけるなり。オレは全て受け入れる。そんなモンでお前の憎しみを収められるとも、オレのした事が無くなる訳でもないと解っているが、オレはオレなりにお前に対して誠意を見せたいんだ」
 静かに語られる土御門の言葉を舞夏は黙って聞いていた。話が終わると彼女は縁側に腰を下ろしたまま地面に届かない足をゆらゆらと交互に揺らし、目を閉じる。その様子は土御門の言葉を反芻しているようにも、全てを遮断しているようにも見えた。
 だがそれもしばらくして終わり、再び舞夏が双眸を開く。土御門の格好には全く変化が無い。舞夏は「よっ」という掛け声と共に用意されていたサンダルを足に引っ掛け、土御門を見下ろす格好で立ち上がった。
 そして、やや呆れたように、笑う。
「別に私はお前が考えているほどお前を憎んでいる訳ではないのだがー」
 土御門の目が大きく見開かれた。「は…?」と呟くその顔には、俄かには信じられないという思考がありありと浮かんでいる。
 舞夏は呆然と間抜けな顔を晒す年上の少年を見下ろしたまま、彼を円の中心に据える形で歩き始めた。
「確かに私の両親を殺したのはお前だろー。そんな表情で語ってくれたのだからなー、偽りではなかろー。だが、私も私なりに両親の異様さには気付いていたしー、そんな両親の下で育った所為か、私もこんな風に『普通』とは違ってしまっていてなー。土御門元春という人間をことさら憎んで蔑もうとは思わん」
 肩を竦める舞夏。幼い少女に不似合いなその動作を土御門が首を巡らせ視線で追う。
 ちょうど土御門の真後ろまで来た所で舞夏は足を止め、
「私はただ、忘れないだけー。土御門元春という人間が、私の両親を殺したという事を。それで特別に何かをするつもりは無いのだ」
 相手の背中に向けてきっぱりとそう言い切った。そして土御門が振り返る前に歩みを再開する。来た道を戻るように、次に彼女が向かった先は母屋の方だ。
「ま、でも流石に当分お前には近寄らんだろうがなー」
 後ろ手にヒラヒラと片手を振って舞夏は部屋の中へと姿を消す。その姿を土御門が無言で見送っていると、傍に人の気配。顔を上げるまでもなくそれが誰か判っていた土御門は、未だ視線を少女が消えた部屋の方へと向けながら小さく溜息を吐いた。
「カミやん……オレ……」
「なーに辛気くせぇ溜息吐いてんだよ。お前とあの子の事なんて、まだまだ『これから』だろ? それに急に変わった態度とあの話し方……親の事をちゃんと話した後にどうやら本性らしきモンまで見せてくれたじゃねえか。進んでるよ、お前は。ちゃんと、俺の目の前で」
 土御門の傍らに立った当麻が苦笑混じりにそう告げる。その声を聞き、土御門が小さく、けれど力強く頷いた。


 しかしながら、その翌日。
「昨日あんな事があったのに、どうして貴女様はわたくしの横にいらっしゃるのでせう?」
「んー? そんなに気になる事かー?」
「はい、非常に」
 ギクシャクと首を縦に動かした上条当麻のすぐ右横に、なんと舞夏の姿があった。
 当麻自身もどうしてこんな事になっているのかさっぱり解らない。
 昨日、土御門から話を聞いて当分彼には近付かないと宣言したのは彼女自身であるにもかかわらず、その土御門と一番長く一緒に居るであろう当麻の傍に自発的にいる舞夏。あの宣言はただの冗談だったのだろうか―――。と当麻が思っているちょうどその時。
「カっミやーん!! ……っと、舞夏?」
 二人の前に土御門が姿を見せた。
 彼もまた当麻の隣にいる舞夏の姿を目にして不自然な身体の硬さを見せ始める。よく回るその頭でもおそらくは当麻と同じ事を考えているのだろう。
 その一方で、土御門を目にした舞夏もまた別の反応を示した。まずは土御門の声を聞いた瞬間、僅かに身を硬くする。そして土御門が舞夏の姿を視認及び名前を呼ぶ頃には、まるで当麻が庇ってくれるとでも言うように少年の背後に半分隠れる形で一歩後ろへ下がったのだ。
「まいか、さん?」
 思わぬ少女の反応に当麻が舞夏の名を呼ぶ。すると彼女は土御門に向けていた警戒を含む視線を止め、先刻までの感情が読み難い視線で当麻を見上げた。
「……あー、すまんすまん。ついなー」
「つい?」
 またも疑問系で、当麻。だが舞夏がそれに答える事はなく、彼女は薄く苦笑いをしながら当麻を別の場所へと引っ張って行こうとし始めた。
「ちょ、お前……」
「説明はこっちでやるからー」
「オレがいると話し難い内容かにゃー?」
 土御門の問い掛けに舞夏の足がピタリと止まる。そのまま土御門の方へと振り返る事なく立ちっぱなしになったが、彼女の答えを察して土御門が「りょーかい」と肩を竦めた。やはり自分は憎まれている、少なくとも好んで顔を合わせたい人種ではないという思いで。
「んじゃカミやん、オレはこれで。また来るぜい」
「え?」
 背を向けた舞夏が知る事は無かったが、当麻に退散を告げた土御門の表情は太陽の光をキラキラと反射する金髪とは正反対の様相を呈している。その変化に気付いた当麻はきゅっと眉間に皺を寄せ、苦しげな表情を形作った。
「土御門……」
「カミやん」
 当麻の表情を見た土御門が嬉しさ半分情けなさ半分の苦笑を浮かべて名前を呼ぶ。そんな顔してくれるな、と。彼の気持ちを察した当麻は眉間に篭っていた力を抜き、付け足すように口の動きだけで「この子のことは任せとけ」と呟いた。
(土御門が頑張るだけじゃねえ……俺だってやれる事はやってやりたいしな。土御門のためにも。勿論、この子のためにも)
 背を向けて去っていく土御門を見送りながら胸中で独白する。
 その土御門の姿が視界から消えると、続いて視線を舞夏の方へ移す。土御門が去った事で舞夏は再び当麻の横に立っていた。
「……ほら、これで話が出来るんじゃないか?」
「そうだなー」
「で、どうして俺の傍なんかにいるんだ。それに土御門へのあの態度」
 問い掛ける当麻に、舞夏は瞬きを一つ。そして、
「昨日言った事には少し嘘があるのだ」
 遠くを見るようにうっすらと笑った。
「私は“こんなの”で、普通の女の子とは考え方がずいぶん違っているだろー。だから親を殺した人間に対しても、普通の人間が抱くような『相手を殺したいと思う程の憎しみ』なんてモンは正直抱けんのだ。……が、だからと言って憎んでいないと言えばこれもまた嘘になる。やはり私を育ててくれたのは両親だからなー」
 そこまで言って一呼吸置き、舞夏は続ける。浮かべる表情には苦笑が混じり始めていた。
「私はあの『義兄』が憎い。多少はなー。しかしそれ以上に私が感じたのは『恐怖』だったりするー」
「恐怖?」
 土御門への?と続いて問い掛けた当麻に、舞夏は首を横に振る。
「あの人に対する恐怖ではないよー。私が恐れているのは魔術そのものさ。私をこんな境遇に貶めた、な」
 苦笑の気配を纏ったまま舞夏が当麻に視線を向けた。
「で、あの人は魔術を扱う人間―――魔術師だからなー。それで今はまだ近付きたくないのだ。その点、上条当麻、お前は非魔術師でしかもその右手があるだろー。だから私はお前の傍にいようと思うー、ってワケ。あと付け加えると、そう思ってるくせにここから出ようとしないのは、あの人が見せてくれた誠意に答えるためー」
「そういう事か」
「そういう事さー。まー、しばらくは期間限定『ライナスの毛布』でいてくれ。いてくれたらたぶん今後この家の誰とでも会話が出来るはずだからー。今みたいに不意打ちに対して無言で追い返すような事もないはずー」
「その『期間』とやらが終わった後に、ちゃんと俺無しで土御門と話すって約束してくれたらな」
「おや、あざとい」
「二人の事を心配してるんだ、これでも」
「ん? 心配の対象には私も入っているのかー」
「当然だろ」
 言って、当麻は歩き始める。「じゃあ早速、俺と一緒に土御門の所へ行くぞ」と付け加えながら。
 尚、その呟きを発していたため、
「当然、かー…。なにやらくすぐったいぞー」
 と、僅かに顔をほころばせて呟いた舞夏の変化に当麻が気付く事はなかった。








スレ(黒?)舞夏で失礼致しました。
そして出会った翌日にフラグを立てる上条さん。

(2009.10.10up)



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