ネ バ ー エ ン ド #9
当麻が土御門家にお世話になり始めてから半年ほど経った頃、すでに魔術師としての仕事を請け負うようになっていた土御門がいつものように仕事を終えて帰って来た。だが今日はどうにも様子がおかしい。いつもならば軽い笑顔のまま「ただいま帰ったにゃー。いやー今日もちょろかったぜい」などとふざけて笑うのだが、それが全く無く、今はただ黙って下を向いているという有様なのだ。 また当麻は知らない事だったが、土御門と共に出掛けていた他数人の大人達もあまり明るい顔をしていなかった。仕事を終えた後の晴れやかさや安堵感はなく、暗く重いものを抱えている空気を醸し出していた。 だが大人達はまだいい。彼らは年の分だけ処世術や自分の精神を御する方法を心得ている。すでに起きた事を「仕方なかった」の一言で済ませる気持ちの切り替え方も。一方、いくら天才(の片鱗をしっかりと見せ付けている)と言っても土御門元春はまだまだ幼い子供だった。 その幼い子供である土御門は当麻が居る部屋を訪れ、何を言うでもなく、静かに当麻の服の裾を掴んだ。 「つちみかど…?」 友人の異変を感じながらも当麻に出来る事は無い。立っていては疲れるからと畳の上に直に腰を下ろせば、合わせて土御門も無言のまま膝を折る。 こちらの服の裾を掴んだまま俯く友人の金色の頭を見下ろしながら、当麻はもう一度彼の名を呼んだ。 「土御門」 ぐっと服を掴む力が強くなる。引っ張られるような形で当麻の背が曲がり、頬が金色の髪に触れた。 「どうした?」 問い掛けながら、自分が落ち込んでいた時母親が慰めてくれた記憶を思い出して土御門の髪を梳く。ゆっくりと何度も同じ動作を繰り返し、繰り返し。少しでもこの友人の気持ちが宥められればいいと願いを込めて当麻は金色の髪に指を潜らせた。 どれくらいその行為を続けていただろう。短い金色に指を潜らせていると、土御門が微かに身動ぎして平均よりも長い腕を当麻の背中に回してきた。 「カミ、やん……」 抱きしめる、よりも、しがみつく、と表現した方が正しいだろう力の強さで当麻を腕の中に収めながら土御門は掠れた声を出す。 当麻はただ黙って続きを待つ。何を言っていいのか戸惑っているからではない。何も知らない自分には告げるべき言葉が無いと解っているからだ。だから、待つ。縋るような声と腕が当麻に向けられている理由を土御門が吐き出したいままに吐き出してくれるまで。 「カミやん……カミやん……カミやん…………」 一度堰を切ると、何度も何度も、まるで呪文のように土御門の口から当麻の名前が零れ落ちた。当麻の名前が一つ呟かれる度、土御門の腕の力は徐々に強まる。離したくない、と声無く告げるように。どうか離さないで、と懇願するかのように。 そしてついに当麻が痛みを覚えるほど腕の力が強まり、 「オレ……人を、殺した」 絞り出すような声で土御門が言った。 「男と、女。一人ずつ。……どっちも、魔術師、で」 詳しい事情は話さない。どうしてそうなるに至ったのかの経緯も理由も、勿論言い訳も。一から十まで語って「仕方なかった」という逃げ道を用意するのではなく、土御門は自分が招いた一つの結果だけを当麻に打ち明ける。ただ、言葉が途切れ途切れになってしまうのはそれだけショックが大きかった証だろう。当麻はまだ土御門と出会って半年ほどしか経っていないが、それでも『殺人』という行為が土御門にとって初めての事だったというくらいは解る。 当麻とてその体質ゆえに他人を害した、もしくは他人から「お前の所為で害を被った」と言われた経験は決して少なくない。しかしながら殺されそうになった事はあっても、誰かを死に至らしめた事は無かった。ゆえに今の土御門の心情を正確に推し量る事は出来ない。だが当麻はそれでも必至に考える。たった一〇年ではあるが“これまで生きてきた自分”と“出会って半年間傍にいた当麻視点での土御門”を合わせて、この目の前の『友人』ただ一人のためだけに。そして――― 「きっと俺には今の土御門を責める理由も、慰める権利もない……と、思う」 殺人を犯したという短い告白の後、しばらく間を置いて土御門の元に小さな声が降って来た。台詞の所々で空白を挟むのは声の主が慎重に言葉を選んでいるからだろう。 土御門は自身が縋りつくような格好になっている相手のその声にじっと耳を澄せて、まるで全身が音を聞くための器官であるかの如く神経を尖らせる。これから与えられるのは責めか慰めか、それは当麻の最初の一言で否定されたが、では一体何を言われるのか。解らない。そして解らないというのは恐怖だ。幼いながらもすでに先を見通すための能力を身につけている者にとって予想がつかない事ほど怖いものはないと思う。それこそ初めて“そう”意識して他者の命を奪った事態よりも、次に当麻が放つであろう言葉の方が土御門にとって怯えるべき事柄だと言っても過言ではなかった。予測不可の言葉の主が他でもない上条当麻である事もまた土御門の恐怖心に大きく関わっている―――というのは、土御門本人も無自覚ではあったが。 「理由も権利も無い、でも……だから、俺は言うよ」 土御門の内心を知ってか知らずか、当麻は止まっていた金色の髪を梳く手の動きを一度だけ再開させて、戸惑いながら、けれどはっきりと告げた。 「起こった事は無くならない。だから拒絶するか受け入れるかの二択しかない。……拒絶なら、あと自分が出来る事なんて何も無い。目を閉じて耳を塞いで蹲っていればいい。そうすればこれ以上自分が傷つく事も、自分が新たに動く事で他人を更に傷つける可能性も無くなる」 その言葉は確かに抽象的ではあったけれど、どこか具体的なものを含ませている。おそらくは過去の――土御門元春と上条当麻が出会う前の――当麻が実際に取った行動から来ているのだ。自分の能力が誰かを傷つけ、今よりももっと幼かった当麻が拒絶という選択肢を選んだ。もしくは拒絶を選ばず新たに動いた所為で更に悪い方向へ事態が進行したという過去が。 「………」 チクリ、と土御門は上条当麻の事をまだ何も知らないのだという現実に胸の痛みを覚える。本当に小さな痛みだったが、それは土御門に人を殺したという事実を一瞬だけ忘れさせる程の効力を持っていた。どうしてそんな効力があったのか―――……土御門には解らない。解らないが、まるで答えを暗に示すかの如く、自身の全意識が上条当麻の一言一句に向いている事だけは自覚出来ていた。 当麻が言葉を続ける。 「だけどもし受け入れるなら、自分が出来る事を考え続けなきゃなんない。自分が動いた所為で事態が悪化するかも知れないって恐怖心を無理やり押さえ込んで、自分に何が出来るんだろうって不安と焦燥感を抱えながら。ずっと、自分より大きなものと戦わなきゃなんねえんだ」 ふと、当麻が苦笑するように小さく息を吐いた。 「ま、俺がそう考えられるようになったのは、土御門……お前と出会って、他人と拒絶以外の関係を結べるって知ったからなんだけどさ。それまでの俺は何をどうやったって一つの答えしか与えられなかったから……動くための余裕なんてどこにも残ってなかった」 最後は独白のように小さく今にも消えそうな声で告げられる。しかし土御門は当麻の言葉をしっかりと最後まで聞き取って、ちっぽけな身体に回した腕にぐっと力を込めた。痛いよ、と非難の声が上がっても構いやしない。当麻の言葉は土御門元春のために捧げられたものだったが、彼の言葉を聞き終えた土御門はただひたすらに「もっと身体が大きければカミやんをその心ごと抱きしめる事だって出来たかも知れないのに」と思ってしまったのだから。 (人を殺した事が怖くてカミやんに情けないトコ見せちまってるってのに……こんな状態でカミやんのために何か出来る自分を望んじまってるオレって、ひょっとしなくても相当オカシイ奴なのかもにゃー) 苦笑の入った呟きは心の中だけで。代わりに土御門は、当麻の言葉に答えるため伏せていた顔を上げた。 「……カミやん」 「なに、笑ってんだよ。バカ」 「カぁミやん」 「……ん?」 「オレは動く」 「うん」 「何をやればいいのかサッパリだけど、オレは動いてみせるぜい。そんで、カミやんの目の前で、動けば希望が見えてくるんだって実践してやるぜよ」 「……おう」 その数日後、土御門が命を奪った二人は夫婦であり、彼らの間に一人の子供がいた事が発覚した。子供は両親を“交通事故で亡くした”という理由により、今は施設に預けられているのだという。両親共々親戚はいないため、おそらくはこのまま施設で育てられる事になるとも。 子供の存在を当主―――自身の父親から聞かされた土御門はその場で頭を下げ、懇願した。どうかその子をこの家で引き取って欲しい、と。 「それは随分と変わった願いだな。普通なら自分が殺した相手の子供を引き取りたいとも思わないし、きっと向こうだって――事情はまだ知らせていないが――知れば己の両親を殺した者と家族になりたいなどと思わないだろう? それでも、かい」 「はい。それでもオレは動きたいんです。起こった事を拒絶するのも自分の殻に閉じ篭るのも嫌だ。引き取る事でどうなるのか……良い事態に持って行くには相当の運と努力が必要だと思います。でも、」 「何もしないままではいられない?」 当主の言葉に土御門はこくりと頷く。先日当麻が語った言葉を思い出しながら。 以前ならばきっとこんな申し出をしなかったはずの息子の決意を悟り、家の当主であり彼の父親でもある男は僅かに目元を緩めて言った。 「わかった。考えがあるならお前に任せよう。……『舞夏』というお前の新しい妹の事を」 土御門のパパさん(オリジナル)はイイ人設定です。 当麻を預かったことで自分の息子が変わりつつあることを喜べる人。 (2009.09.22up) |