ネ バ ー エ ン  #4






「あ、とうまだー!」
 夕刻。最大主教アークビショップの御供として正午からこの時間帯まで聖ジョージ大聖堂を訪れていた上条当麻は、自身の主人と離れてからすぐに聞き覚えのある声を聞いた。
 おや、と思ってそちらに顔を向ければ、銀色の髪をした幼いシスターが緑の双眸をキラキラさせながらこちらへ駆けて来る。そして彼女の後ろには苦笑を浮かべる長身の女性の姿。禁書目録ことインデックスとその友人、神裂火織だ。
「おお、インデックス。お前もここに用事か?」
「うん! とうまは最大主教の御供?」
「そ。まぁそれもさっき終わった所だけどな」
 先日の一件で始めて言葉を交わしたばりなのだが、二人の様子はすでに知り合って随分経つような感じがする。おそらくはインデックスの無邪気さと当麻の人当たりの良さが理由だろう。
 と、そんな事を考えながら神裂も遅れて口を開く。
「こんにちは。先日はありがとうございました」
「いやいや、あんな飴玉ごときで礼なんか要らねーって。それよりインデックスの腹はちゃんと目的地まで保ったのか?」
「ええ、お蔭様で。ね、インデックス」
「う。確かにそうだけど改めて言われると女の子としてのプライドがちょっと傷ついてしまうかも」
「あはは、ンなの気にするような事じゃねーって」
「だそうですよ」
 インデックの台詞に当麻が返し、神裂が後を続ける。すると純白シスターは僅かな間だけ納得しかねるような顔を見せていたが、やがてころりと表情を変えて機嫌良さげに瞳を輝かせた。
「そうだ、とうま! これからみんなとお出かけするんだけど、とうまも一緒にどうかな?」
「みんな…?」
 インデックスと神裂は当然『みんな』という単語に含まれているのだろうが、他はどうなのか判らず、当麻は首を傾げる。
「うん! 私とかおりとステイル! 美味しいケーキのお店があるんだよ」
「午後のティータイムにはもう遅い時間帯だろ?」
「お茶の時間はお茶の時間。ケーキを食べに行くのはまた別なんだよ」
 力説する食欲少女の様子に当麻は「へー」と返しながら神裂を見た。彼女は穏やかな表情の中に少し苦笑を滲ませて無言のままインデックスの言葉を肯定している。どうやら彼女らの中ではよくある事らしい。
「んじゃ、お邪魔じゃないなら一緒に行かせてもらうけど……ステイルって奴はいいのか? 俺、そいつとは口利いた事ねーぞ?」
「大丈夫だよ。ステイルは優しい人だから!」
「ふーん。優しい人、か」
 当麻の呟きにはほんの僅かに含むものがあった。
 禁書目録の少女が言う『ステイル』とは間違いなくルーン魔術の使い手・ステイル=マグヌスの事だろうが、それを指して優しいと表現出来るとは、果たして少女の許容範囲が大きいからなのか、それともステイル=マグヌスの所業を知らぬが故なのか。得意の炎でいくつもの魔術組織を生存者ゼロという状況に追い込んだ彼の容赦の無さ―――それを立場上よく知る当麻は両目を細めて少女を眺める。
(でもまぁ、一人の少女のために力を付けた人間ってのは得てしてそういうモンなのかもな)
 少女がステイルのやっている事を知っていようといまいと、彼が彼女に甘い態度を取っているのは確実だろう。実際にそのような場面を目にした事がなくとも、推測するための要素はいくらでもある。ステイル=マグヌスの髪の色や魔術の特性然り、禁書目録の少女の態度然り。
「ねえ、とうまも一緒に行くよね!」
 思考を中断させるようにインデックスの疑問形になりきっていない声が届く。当麻は一度軽く笑うとその問いかけに今度こそ諾と返した。


 上条当麻とステイル=マグヌス。第一印象と言うべきものはすでにお互いが持っている。神裂火織や禁書目録と同様、最大主教越しに顔と名前だけは知っているという状況でだ。
 当麻はステイルではないので彼の正確な心証を知っている訳ではないが、少なくとも好意的なものは含まれていないだろうと思う。言葉を交わした事もないくせに『心証』云々など無いだろうと言われればそれもそうだが、当麻の主たるローラ=スチュアートが非常に喰えぬ人間である事と仕事中の上条当麻の態度を考慮すれば、察する事は然程難しくない。
 ちなみに当麻自身が初めてステイル=マグヌスに抱いた感想は「生意気そうだなー」というもの。自分より一つ二つ年下の神父から漂ってくるきつい香水と煙草の匂いは、彼の年齢やその顔付きと相俟って日本人たる当麻には少々好ましい人間の範囲から外れてしまっていたのだ。(尚、最近は先日の事もあり、生意気そうという印象の他に『健気くん』というのも含まれるようになってきている。)
 しかしながら特に嫌悪している訳でもなく。どちらかと言えば“どうでもいい”部類に入るステイル=マグヌスと言葉を交わす機会を得て、当麻はまず当たり障りの無い日本人独特の穏やかな表情を浮かべた。
「どうも。急にお邪魔しちまって悪いな」
「いや。その子が誘ったんだろう? だったら僕も歓迎するよ」
 インデックス達に誘われてステイルとの待ち合わせ場所を訪れた当麻は、先に到着していたステイルに左手を差し出す。それを握り返しながらステイルが告げた返答はどこか憮然とした気配が滲み出ていた。
(当然だろうけどさ)
 知り合いの――しかも一方は己が想いを寄せる――女性二人だけのはずが、実際にやって来たのはプラス野郎一人。これで機嫌が悪くならない男がいるなら会ってみたい。
 当麻はステイルの態度を淡々と評価しながら左手での握手を終え、腕を脇に垂らした。
 表情は変えない。可もなく不可もない穏やかな笑みを形作っている。しかし今更だが当麻はこの場を辞したくなってきた。『禁書目録の記憶消去』まであと一ヶ月も無い。と言う事は、時期的に今回の外出は少女のための思い出作りの一環なのだろう。この三人にとって大切なはずのそれに、果たして先日知り合ったばかりの上条当麻が参加して良いものだろうか。誘ってきたインデックスはともかくステイル=マグヌスはこの通り歓迎していないし、神裂火織の口から明確な誘いを受けた訳でもない。そしてまた当麻自身、この三人と一緒に行動したいと強く思ってなどいなかった。誘われて、そのまま断ってしまうのも気が引けるためについて来たまでだ。
(ついて行けば少なくともステイル=マグヌスの機嫌は降下。だけどここで用事を思い出したとか言って離れれば、今度はインデックスの機嫌が下がって、釣られてステイルの機嫌も下がる。「あの子を悲しませるなんて!」ってな感じにな。……あーもう、面倒くせー)
 基本的に他人などどうでもいいが、悪意を向けられるのだけは勘弁したい。特に力を持つ者の悪意は時としてひどく巨大で物理的な害意に変換される。片手で数えられる年齢の時、すでに『力なき者』であるはずの同年代の子供達から物理的な害意を幾度となくぶつけられた経験を持つ当麻としては、『力ある者』の害意はぞっとするような凶悪さを伴って容易に想像する事が出来たのだ。
(要はインデックスに誘われた時点でアウトだったって訳だ。ステイルの顔見てたら誘いを受けた方がやや分が悪かったような気がしないでもないけど。しかしながらあんなキラキラした表情を女の子から向けられて無碍に断るのもできませんの事よ。ってな訳で、)
 参加者が揃った所で目的の菓子屋へと進み始めた三人について行きながら、当麻は不要ながらも胸中の独り言に一呼吸入れて呟いた。
(不幸だー)


 ――― 一時間後。目的地である菓子店の喫茶コーナーにて。
「……本当に全部喰っちまった」
 紅茶のカップを傾けながら当麻は目の前に広がる『戦いの跡』を唖然とした表情で眺めやった。
 丸テーブルの手前と両隣にはそれぞれ一つずつのケーキセットがあった事を証明する皿とティーカップ。これは上条当麻、神裂火織、ステイル=マグヌスの分である。そして当麻の正面にも同じく真っ白な皿が存在していたのだが、その枚数が尋常ではなかった。
 ひい、ふう、みいと数えるのも馬鹿らしい。赤いラズベリーソースや純白の生クリーム、こげ茶色のチョコレート等々が付着した白い皿は、丸テーブル上に広げられるだけでは飽き足らず、まるで椀子蕎麦のように――と言っても、この表現で理解してくれるのは三人の中で神裂だけなのだろうが――積み重ねられて『塔』を作っていた。
 注文されたケーキはメニューのほぼ端から端まで。納まった先は銀髪碧眼シスターの胃袋の中。……どう見ても体積に見合っていないような気がするのだが、少女の友人二人は何食わぬ顔で(むしろ幸せ気分大放出中のシスターを微笑ましそうに)見つめている。当麻の方が自身の異常性を疑ってしまうほどに。
(確かに美味かったけどさ、甘い物は別腹なんて言うにも限度があるだろ!?)
 品良く盛りつけられたケーキの数々があっという間に一人の少女の口の中へ消えていったのを目の当たりにしていた当麻は、己が目を疑うことも出来ずに頬をひくりと引き攣らせた。
「腹壊さねーのか…?」
「最初は僕もそう思ったけどね。これがこの子の普通だよ」
 思わず零れ小さな疑問の声にステイルが答える。そこに険が含まれていなかったのは話題がインデックスだからだろう。ただし勿論ながら視線が当麻に向けられる事はない。ステイル=マグヌスの両目は優しげに細められて大切な少女を見つめていた。
(ははっ。主人公ヒーローが悲劇の聖女ヒロインと過ごす一時の幸福、って感じかな)
 優しげな表情の女性、大満足で幸せいっぱいな少女、蕩けそうなくらい柔らかい目をした少年―――三人を順番に眺めて最後の一人に視線を留め、当麻はゆるく口の端を持ち上げる。それに気づく者はいない。
 当麻はティーカップで口元を隠したまま呆れとも諦めとも嘲りとも取れる笑いを浮かべて独りごちた。
(俺には関係ない話だよ。ホント)








(2009.05.01up)



<<  >>