ネ バ ー エ ン  #3






 ―――上条当麻と神裂火織が出会い、言葉を交わす三〇分ほど前。


 一年周期で記憶を失う少女の現パートナーは、彼女と同じ年頃の赤い髪をした少年。名をステイル=マグヌスと言う。現存するルーン24文字全てを解析し、さらには新たな6文字までもを生み出した幼き天才。しかしそのルーン魔術の申し子であってもかつて少女が記憶を失わずに生きていける術を探り、そして挫折していた。
 今回もまた何も出来ずに真っ白になった少女と顔を合わせる事になるのか。
 ステイルは自身が扱う炎の魔術の火種にもなる煙草を燻らせながら、肺の底に溜まった重い息を吐き出す。残された時間はあと一ヶ月。それを過ぎれば、また全てがゼロからになる。
 失われる幸福を恐れるならば、もういっそ笑顔も喜びも分かち合うことなく、喪失への恐怖が出来得る限り少なくなるようにした方がいいのかも知れない。
 確実に近づいて来る『喪失リセット』に近頃ステイルはそんな事をよく思うようになった。だって皆嘆くのだ。忘れたくない、忘れられたくない、失いたくない、失わせたくない。それなのに少女に科せられた運命は過酷で、小さな希望さえ叶えてはくれなかった。
 完全記憶能力を持つ頭からたった一年分しかない思い出を抜き取り、少女が次の一年を生きるための余力を紡ぎ出す。関わる者に絶望しか与えないその繰り返しに、少年は拳を握り締めた。
「……ッ、」
 手に力が入りすぎ、ステイルは小さく呻き声を上げた。
 痛みを発した右の掌を開けば、そこには小さな十字架のネックレスが納まっている。十字架の裏に刻まれた文字はIndex-Librorum-Prohibitorum―――過酷な運命を背負う少女の名であり、またこの十字架が彼女の記憶を消すために用いられる霊装である事を示すものでもあった。
『貴方にこれを預けるわ』
 美しい英国語クイーンズで告げる最大主教からそれを渡された時の事を思い出し、ステイルは唇を噛む。  諦めろ、と言われた気がした。
 これを壊せば、少女が記憶を失う事はない。しかしそれでは記憶を失う前に彼女を襲う激痛から彼女を救う事が出来ない。―――そしてステイルが想像を絶する激しい痛みに苦しむ少女をそのままにしておけるはずがなかった。
「くそ……っ、くそ! 僕には何も出来ないって言うのか…!」


 そんな苦悩する少年の様子を二階の窓から見下ろす影が二つ。
「悩んでるにゃー青少年」
「青少年って……そう言ってるお前も“青少年”だろうが」
 くすくすと可笑しげな声と呆れるような声。それはどちらも英語ではなく日本語で、声変わりをする前後の少年達の口から発せられていた。
 ここは聖ジョージ大聖堂内にある部屋の一つ。主に客人や要人が利用するために設けられた、広さも調度品も普通以上には整えられた所だ。そこの窓辺に立って下を見れば、中庭を分断する形で柱と屋根だけで作られた渡り廊下の近くに座り込み、顔を歪める少年を眺める事が出来る。
 上から見れば判るのだが、その赤い髪は地毛ではないらしく、根元の辺りが少し金色になっていた。おそらくわざわざ染めているのは『炎』を象徴する色を纏うことで自身の炎の魔術をより強力にするため。
「……健気な事で」
 ぽつり、と声が呟く。
 あの髪の色は魔術の威力を高めるため。そして魔術の威力を高めるのは、その力で守りたいものがあるため。赤い髪の少年の立場と彼が守りたい者を知る人間として、声の主は何の感情も浮かばせずに黒色の双眸を狭めた。
「カーミやん。どうかしたのかにゃ?」
「いや、何でもねーよ。土御門」
 狭められた双眸を覗き込むような形で薄い色のサングラス越しに、最初に声を発した人物・土御門元春と視線が合う。身長は170を超えた所でしかもまだまだ伸びる気配を見せる友人を見上げながら、カミやんと呼ばれた少年―――上条当麻はうっすらと笑った。
 当麻の視線はすでに赤い髪の持ち主から外れている。しかし当麻の意識が未だ完全にはこちらに向いていない事を察して土御門は微かに眉根を寄せた。視線は外れていても、今の上条当麻の意識はあの赤い髪の少年と彼が守りたい人間の事に向かっている。
「気になるのか?」
「……さぁな。だが、高が一〇万冊の本如きで人間の脳の85%を使うってのは嘘だろう。しかも残りの15%だけじゃ一年しか生きられないって? 有り得ないな。それじゃあ完全記憶能力を持つ人間はたった六、七歳で死んじまう計算になる」
「それに気付けないってのが、魔術に頼りきってる人種のダメな所ですたい」
「ああ」
 魔術を使えない者と、とある事情により魔術に頼りきる事が許されなかった者。
 赤い髪の少年と同じ『必要悪の教会ネセサリウス』に所属する人間であっても普通の魔術師とは異なる二人は嘲るでもなくそう言った。
「で、」
 ふと一瞬沈黙が降り、しかしそれを退けるように土御門が口を開く。
「カミやんは助けてやんないのかにゃー?」
「まさか」
 あは、と小さく笑い声を上げて当麻は再び窓の外を見下ろした。
 未だ少年は蹲っている。が、
「……頼まれてもいない事をするつもりはねーよ」
「頼まれたらやるつもりですたい?」
「その前に、俺の能力を知ってる奴なんてほとんどいないさ」
 当麻は笑う。
 きっと禁書目録の『一年』という枷は教会の上層部が施した処置によるものだ。彼女が教会を裏切らないように、教会の力が無ければ一年しか生きられない身体を作り上げた。と言うことは、魔術による強力な首輪を付けられた禁書目録は当麻が能力を使用する事によって簡単に解放されるだろう。
 だが下手に手を出せばイギリス清教の上層部から睨まれる。そんな事態を誰が好き好んで招くというのか。
 ただし考慮すべき事がもう一つ。もし禁書目録を大切に思う人間に力が知られた場合、それでも当麻が何もしなかったならば、彼らから相当の非難を受ける事になるだろう。加えて少女の周りにはその純粋さに惹かれた強力な魔術師も含まれている。彼らを敵に回すのもまたひどく厄介な事なのだ。
「ってな訳で逆説。俺の事情が知られない限りは手を出す事も無い。頼られてもいないのにわざわざ面倒で危ない橋は渡りたくないんだよ」
「そっか……そうだな」
 当麻の考えに同意を示し、土御門が頷く。
 土御門元春もまた当麻と同じく、己に害を及ぼす事態は避け、そして自分にとって毒にも薬にもならない事にはただひたすら静観するのみという姿勢を持っているのだから。
「ま、ねーちんが悲しむってのにはちょっとばかし心が痛まんでもないが」
「……神裂火織か」
「ああ。しかし潰れたら潰れたで、そこまでの人間って事ですたい。変な情けを掛ける理由は無い」
 きっぱりと告げる土御門だが、当麻はそんな相手を見て偽悪的に口元を歪めた。
「土御門が望むんなら俺は力を貸してやるけど?」
「いいよ。遠慮する。それでカミやんが上に睨まれたらオレが嫌だ」
「そっか」
「そうだ」
 間髪置かず返される土御門の言葉。
 その響きにどうやら自分は相手に大事にされているらしい事を知って、当麻は淡く微笑を浮かべた。
「ありがとな」








某所でステイルとインデックスの出会いは原作開始二年前という記述を見かけましたが、
ステイルや神裂達の様子から、おそらくインデックスの記憶消去は二回以上体験していると仮定し、
執筆させて頂いております。
なのでこの物語上では、ステイル達とインデックスとの出会いは原作開始の三年以上前となりますね。

(2009.04.12up)



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