昨夜の問題発生から一夜明け、何とか収拾を付けた俺は夕刻に会社を出た。寝不足の頭はもうフラフラだ。しかしまあ、幸か不幸か明日は日曜。心置きなく寝不足を解消したいものである。・・・現実に出来るかどうかは不明だが。
はあ、と溜息を一つ。こればっかりは仕事で疲れたなんてことだけが原因ではない。ああ解っている。解っているとも。家に帰ればこの時間帯、おそらくあいつがいるだろう。顔を合わせ辛くて外出しているという可能性も無きにしも非ずだが、こういったことでそそくさと逃げるほどあいつが情けない奴だとは思えない。 しかしそうなると家に帰れば、俺は絶対あいつと正面向いて話さなくてはならいワケで。こっちに過失があるなんて言われはしないだろうが(たぶん)、それでもやはり気が進まない。世間様の親ってのはこういうものなのだろうか。それとも俺に意気地が無いだけか?ああ、その前に俺は『親』ですらないのか。(という自虐は止めておいた方が良いな。) 玄関ホールを通り過ぎる。だが正面に見える屋外モニュメントのすぐ傍、疲れ果てた意識の中に偶然にも入ってきた人物―――あまりにも見知った存在に俺は目を丸くした。 「うそ、だろ・・・」 視線の先にいるのはややフォーマルな格好の――かつてのSOS団時代を思い出させるような――古泉一樹。立ち止まる俺を見つけたのか、ゆっくりとした歩調で近付いて来たそいつは真剣な顔のまま目の前でぴたりと足を止めた。 「お迎えに上がりました。」 「なんで、」 なんでお前がここにいる。 責めているつもりは微塵も無い。ただ、これは不意打ち過ぎるだろう。 「不肖の息子なりにケリをつけなくてはと思いましてね。」 お疲れだとは存じますが家に帰ったら僕の話を聞いてください、とだけ付け足し、古泉は背を向けて歩き出す。 俺もその後に続き足を動かすが、不意打ちへの驚きとは別にどこかしっくりこないまま首を傾げた。話とは当然昨夜のことなんだろうが、それでも少し、今の古泉の態度はそれに見合わないような気がする。不安と決意を混同させた(と俺には見える)背中は嘘をついてアルバイトをしていた『息子』のものではない。 だが、こちらがいくら疑問に思っても、当の古泉は家に着くまで何も話す気は無いらしい。黙々と先を行くばかりだ。 一体何が待ち受けているのやら。 もどかしさに俺は肺の中の空気をこっそりと吐き出した。 なあ、古泉よ。お前は何を考えている?お前がそんなに硬くなってちゃ、釣られて俺も肩に余計な力が入って・・・ではなく逆に相手を観察する余裕まで出て来るのだから、齢を取るってことは相当なものらしい。たかが十年、されど十年ってね。 そう言やこいつと暮らすようになってから俺の生活も随分変わったな、と思う。いや、変わったのはここ最近のことだけじゃない。その前に一度、ハルヒの力が消えて古泉が倒れた後にも俺の生活はがらりと変わった。 宇宙人やら未来人やら超能力者やら、どこのテレビから飛び出して来たと言わんばかりの連中と関わっていたにしろ、高校の時の俺自身は平凡を絵に書いたような奴で、容姿は突出して良くもなく悪くもなく。成績の方はむしろ低空飛行だった。しかし古泉が倒れ、自分に出来ることを探す中で俺は何をとち狂ってか妙に頑張ってしまい、今じゃ(周りどころか自分でも)高校の時からは考えられないくらいある意味"立派"になっちまった。おかげでハルヒからは時折「あんたらしくないわよ」なんて言われることもあったくらいだ。どこがどう俺らしくないのか説明してもらえる機会は無かったが、それは自分でも何となく感じていたことだったので反論は無かった。要は少し、他の物に目を向ける余裕が無くなっていたってことさ。社会人として周囲に気を配ることは出来たとしてもな。 この変化が一度目。 そして古泉が目を覚まし、一緒に生活をするようになって俺はもう一度変わった。人によっては「戻った」と言う方が適切かも知れない。十年間ずっと張り詰めていた糸がゆっくりと緩むように、少しずつだが周りを見る余裕が出て来たのだ。ま、古泉は以前の俺を知らないわけだから、そういうことに気付くはずもないのだが。 苦笑を噛み殺して先行する背中を眺める。 嗚呼、本当に古泉中心に生きてきたんだよなぁ俺。どうしてそんな風に生きてこられたのかって理由には最近気付いたばっかりなんだけどさ。でも気付けなかった理由ってのもそれなりにあるもんだ。まず第一に、俺は男でこいつも男。ノーマル(のはず)な俺が古泉を恋愛対象として見るってのが俺の中の常識から思いっきり離れていた。そして第二が時間。だって十年も経ったんだぜ?そんな長い年月の間ずっと子供みたいな激しい恋情を抱き続けられるはずがない。高校の時に生まれて無自覚のまま育った想いがどんな形になったのか・・・それに関しては、わざわざこの場で説明させてくれるな。ここまで言っといてあれだが、俺にも羞恥心はあるのさ。 とか考えていたら家に到着。 なあ古泉、お前は俺に話があるらしいが、ひょっとすると俺もお前に話すことがあるかも知れんよ。 □■□ 右のポケットに小さくて硬い感触。それを確かめながら僕は家のドアを開けた。 後ろからは彼の気配。こちらから何も話さなかった所為か、会社から家まで彼も始終無言のままだ。しかし普段なら嬉しくないそれも今回だけは特別。今だけは沈黙でも保っていないと不安に圧されるまま余計なことを喋り出してしまいそうだったから。 けれどそれももう充分だ。先に家の中へと入った僕は彼が後から入りドアを閉めたのを確認すると、居間のソファに座ってくれるよう促した。 「すみません。お疲れでしょうに・・・」 「いや、構わんが・・・話って何だ?」 大方の予想はついているのだろうが、場を改めるように彼が問う。僕はソファに座らず彼の正面に立ち――ああ、以前もこんな立ち位置になったことがあるな――、一度だけ深呼吸をした。そして、 「ごめんなさい!」 「・・・ん。」 勢いよく頭を下げた。のだが、彼の反応があまりにも素っ気無く、短すぎる返答に思わず頭を上げてしまう。 いやいや、「・・・ん。」て何ですかあなた。僕としてはあなたに理由も何も言わず嘘をついて、しかも自分から告白しておきながら二人で居られる時間を減らすなんてとんでもないことなんですよ?それとも僕にとって大切なことでも、あなたにしてみればどうだっていいことだったのでしょうか。 ・・・その可能性は多いにありますよね。だって告白してから今までの生活を振り返ってみても、彼が僕に息子以外の視線を向けてくれたような記憶なんて全く無いのだから。所詮はこの生活も約束もバイトも、僕の独り相撲だったってことですか。 「おい。」 「はい・・・?」 一人鬱々と悩んでいると、不機嫌そうな声で呼ばれた。 ああ、すみません。あなたを前にしているというのにこの態度は失礼でしたね。 「そうじゃねえだろ。・・・まったく、何ぐだぐだ悩んでやがる。お前元々ネガティブ思考なんだからそうやって一人で悩むなってんだよ。」 珍しく彼の眉間には皺が寄っている。それほど疲れているのか、もしくは僕の態度で不機嫌になったのか、両方によるものか。判らないけれど、とにかくあまり芳しくない状況だ。 思わず身を硬くすると、それに気付いた彼がさらに表情を険しくしてしまった。これは年の差と言うより元々の人格の差かも知れない。情けないことだが。 「なあ古泉。」 「はい・・・」 「怖がんなよ。」 「え・・・?」 「お前が話したいなら話せばいいだろ。俺の反応なんか一々気にすんな。別に俺が不機嫌になろうとどうしようと昔のハルヒみたいに面倒な事態が起こるわけでもなし、言いたいことくらい言えってんだ。・・・頭下げて俺の反応見て鬱陶しい顔してんじゃなくてさ、言い訳でも意見でも俺の目を見てしっかり言えよ。ちゃんと聴くから。」 告げて、ふわりと笑う。 彼の暖かな笑顔に僕はなんだか泣きたくなった。本当に格好良すぎますよ、あなた。何だって受け入れてしまいそうなあなたの腕の中は物凄く居心地がいい。でも、だからこそ不安にだってなるんです。あなたにとって僕という存在は決して特別ではないんじゃないだろうか、とね。あなたの反応を一々気にしてしまうのもその所為です。 でも・・・そうですね。あなたの言う通り、自分だけでぐるぐるしているより吐き出してしまった方が良いのかも知れません。 あんまりだった彼の反応に鈍ってしまった決心を再度奮い起こし、僕は彼の前に跪いた。彼はこちらの急な動作に驚いたようだが、それでも何も言わず僕を眺め続けている。 「手を、お貸しいただけますか。」 「こっちか?」 「ええ、左手です。」 自分の左手を伸ばし、彼の左手を取る。右手でポケットの中の物を取り出すが、彼の視線はそちらには向かない。その代わり、取られた左手がどうなるのか不思議そうな顔で見ていた。 「何する気だ・・・?」 「アルバイトの理由、ですかね。」 首を傾げる彼に微笑を返して右手で小さな金属の塊を握り締める。 「少しの間、目を、瞑っていただけますか?」 「あ?・・・ああ。」 不思議そうな表情は変わらず、けれど両の瞼を下ろしてくれる彼。 その彼の手を取ったまま僕はゆっくりと話し始めた。 「三ヶ月程前のことを覚えていらっしゃいますか?」 「お前がバイトを始めた時のことか?」 「それよりも少し前になりますね。ほら、ここの家賃のことであなたと言い合いになったことがあったでしょう?」 「・・・ああ、あの時か。」 目を瞑ったまま彼が答える。しかしその表情を見るに、未だ僕がこうする理由に思い当たらないらしい。彼の今までの態度から予想は出来ていたけれど、やはり僕がこうまでした理由を――彼自身が言葉にしたことだと言うのに――忘れてしまっているということか。そりゃまあ、学生時代に自分で稼いだ金は遊ぶために使え、なんて言う彼のことだから本気で"これ"を欲しがるはずもないし、所詮は僕の勢いを削ぐための発言でしかなかったことは解っているのだけれど。 それでも、やはり少しくらい思い当たることがあってもいいのではないかと思ってしまう。 「解りませんか・・・?」 「その言い方からすると、お前のバイトの理由ってのはあの時のことが関わってるんだよな?」 「ええ。」 「ちょっと待ってくれ、考えるから。」 そう告げ、彼は自由な右手を顎に当た。 彼が思い出すまでの間、僕は手持ち無沙汰になって触れている左手を見つめる。特別綺麗なわけでもない、ごく一般的な成人男性の左手薬指に嵌っているのは銀色のリング。シルバーゴールドで凝ったデザインのそれは、僕が右手に握っている物よりずっと値が張ることは既に承知している。だがここは「値段ではなく気持ちで勝負」と考えるしかない。僕が彼に嘘を吐いてまで溜めたバイト代で購入した"これ"にはその分僕の想いが詰まっているのだ。 しばらくの沈黙の後、やはりすんなりと回答は出ないようで、僕はそんな彼にくすりと微笑を漏らし――まあ、しょうがない――目を瞑ってもらったまま彼の左手薬指から指輪を抜き取った。そして、 「古泉?」 「これが答えです。・・・目を、開けてください。」 ホワイトゴールドのものよりややシンプルなデザインになったプラチナの台、そこに乗った小さな小さな透明に輝く石。瞼を上げた彼が目を見開いて、それ―――僕が買った指輪を見つめる。 「こ、れ・・・」 「つまりはこういうことです。」 僕自身も素早く同じデザインのリングを左手薬指に嵌め、彼の前に翳す。 「あなた、あの時言ったでしょう?『機関』が用意した偽の結婚指輪の代わりになるものを自分で買えるようになってから言えって。」 「だ、だからって本当に買うこたねえだろ!?そんなことしなくても月日なんて勝手に過ぎてお前も大人になっちまうんだし・・・」 「それでは遅いんです。」 「遅い?」 「有り体に言ってしまえば、待てない、ということですよ。」 首を傾げて鸚鵡返しに問う彼へ、微笑を向けた。 「確かに僕は書類上、あなたの息子です。でも僕はあなたに告白をして、あなたはそれを受け入れた。だったらただの息子であった時期よりもう少し対等に扱ってくれてもいいじゃないですか。」 「でも・・・っ、お前にはちゃんと学生生活ってものをやって欲しいんだよ、俺は。」 本心からなのだろう。そう言った彼の目元は羞恥で赤く染まっている。 彼にそう思ってもらえているのは嬉しい。それはもう、言葉では言い表せないくらいに。けれど僕は受け入れられた以上、彼の息子で終わる気は無く、恋人として見てもらいたいわけで。 「ありがとうございます。でも僕の気持ちだって認めてください。僕はあなたの恋人、でしょう?」 「・・・ッ、」 ああ、耳まで真っ赤だ。十歳も年上の男性にそう感じるのは適切ではないかも知れないが、とても可愛らしいと思う。 僕は再び彼の左手を取ると、見せつけるように薬指の指輪へ口付けを落とした。 「こ、古泉!?」 「それに良い機会だと思ったんです。」 「なに、が。」 「今までここに嵌っていたのは『機関』が齎した偽物。僕とあなたを繋ぐものにはなり得なかった。・・・僕はあなたの恋人です。だったらあなたの薬指に輝く物も僕が用意したかったんですよ。」 「だから俺に嘘を吐いてまで時給の良いバイトを・・・?」 問いかけに、僕は首を縦に振る。 「ええ。でなきゃわざわざあなたに嘘を吐いて、一緒に居られる時間を削るなんてことしませんよ。きっとあなたのことだ、酒に関わる仕事なんて許さなかったでしょう。」 「まあ・・・な。お前まだ未成年だし。」 渋い顔で彼が肩を竦めた。やはり、ね。でも短期間で指輪を買えるだけのお金を集めるには無理でも押し通す必要があったのだ。 「すみませんでした。あなたに嘘を吐いて。・・・ああでも、少しくらい寂しく思ってくださいましたか?」 僕は寂しかったですよ。あなたといる時間が極端に減ってしまって。 「おまっえ・・・んな恥ずかしげもなく、」 「本当のことですから。」 微笑み、真っ赤に染まった彼へ顔を近づける。 「ねえ、」 「何だよ・・・ってか顔が近い。」 「いいじゃないですか。高校生の時ならともかく、僕らはもう恋人でしょう?」 だから、キスしてもいいですか? 「っ、」 握ったままだった彼の左手に力が篭る。けれど否定の言葉は無い。これはOKだってことですよね。否定の言葉が無いなら僕はいくらだって図に乗ってしまいますよ。 「古泉、」 「はい、何でしょう。」 「…恋人だって言うなら俺に全部言わせんな。」 きつく目を閉じ、赤い顔のまま彼が囁いた。怒っているような声は、けれどどう見たって照れ隠しだろう。僕は強い力で握り締めてくる彼の手を同じく強く握り返し、そっと唇に触れた。 「・・・・・・好きです。」 「ああ。」 * * * 「ぁ・・・っ、ちょ、待て古泉っ!お前それ性急過ぎるから!」 舌を絡めるようなキスをしながらスーツのボタンを外し始めたところで彼から急にストップがかかった。肩を強く押されるままに身を引けば、間を銀の糸が繋ぐ。すぐに切れてしまったそれは、けれど彼の唇や顎を濡らして僕の心臓を一際大きく脈打たせた。 それにしても"性急"だなんて。今ではなく、僕が思いを告げるきっかけとなったあの時、初めてのキスが深いものだった時点でそんな初々しい言葉は通用しなくなっていると思いますけどね。 「あれはお前の暴走であって、俺の責任じゃない。」 ふん、と鼻を鳴らして彼が横を向く。可愛いなぁ・・・ってすみません。謝りますから睨まないでくださいよ。でもそんな可愛い反応ばかり見せられているとちょっとばかり意地悪もしてみたいな、なんて思ってみたり。どうやら人間という生き物は立場が変われば心境もガラリと変わってしまうらしい。当然と言えば当然か。 と胸中で呟きつつ僕は口元を弧の形に歪め、彼の耳元で囁いた。 「でも今のあなた、決して応えてくれなかったわけではないでしょう?」 「・・・ッ!」 もとより熱を帯びていた耳が更に赤く染まる。 そのことに満足感を覚え、僕は先刻のキスを思い出しながら更に囁いた。 「と言うか、実は結構慣れていらっしゃるんじゃないですか?」 初めてキスした時は不慣れさを感じたけれど、あれは突然のことに驚いて僕にされるがままだったとも考えられる。そう、やはり十年も経っているのだし彼だって慣れて―――・・・・・・・・・・・・、え。 自分で告げた言葉を反芻し、ピシリと音を立てて思考が固まった。いやいやいや、ちょっとまて僕!今なんて言った!?慣れてる!?彼がキスに慣れてるだって!? 高校の時はそんな暇も素振りもなかった。加えてその前、中学時代の経歴が載った資料にもそんなことは全く書かれていなかった。だとしたら僕が倒れた後―――、大学からの十年間にそれなりのことがあったというわけで。 まるで長い間油を差し忘れたロボットのような動きで彼を見る。するとどうか。固まった僕に気付いたのか、彼は一瞬キョトンと首を傾げ、それから視線を遠いどこかへ逸らしながら半笑いを浮かべた。 「いやまあ・・・この齢で未経験ってのもちょっとな。」 ガチガチに固まったまま彼を凝視し、僕は何とか口を開く。 「じゃ、じゃあ、これまでに付き合った女性は、」 「いるよ。」 隠してもしょうがない、という風に彼はそう言った。まあ、それはそうか。いくら彼がその口で僕を十年前から好きでいてくれたと言っても、それは本人さえずっと無自覚だった感情でしかない。ならば人に好かれやすい彼のこと、深い仲になった女性の一人や二人いたって可笑しくはないはずだ。 しかし頭では理解していても心がそれに追いついてくれるとは限らない、というのは使い古された文章のようにどこにでもある現象だ。勿論僕も例外ではなく、今彼が僕を選んでくれているということまで解っていても胸に重くて黒いものがどろりと溜まった。 「けどな・・・」 そんな僕を見透かすように、彼はぽんとこちらの頭に手を置き、そして何故か苦笑を漏らす。どうかしましたか、と問う僕に彼は肩を竦めた。 「確かにお前が眠っている間、俺は何人かと付き合ったことがある。しかしな、情けないことに結局フラれちまった。言い方は色々だったけど、つまるところ、あたし以外を一番にしている貴方は嫌い、ってわけさ。俺としては精一杯愛したつもりだったし、だから当時は何でそんなこと言われたのか全然判んなかったけど・・・今思えば、彼女達は何となく感じてたんだろうな。」 懐かしむように、憂うように、それでもどこか楽しげに。彼は僕を見つめて薄らと笑う。 その視線から目を逸らせぬまま、僕はぽつりと呟いた。 「何を、」 「俺が誰を一番に考えて生きていたのか、ってことさ。・・・なあ古泉よ。十年前からずっと、お前が、お前だけが、俺の一番だったんだ。」 「っ!!」 一瞬で顔の熱が上がったのを感じる。 なんて、凄い、殺し文句だろう。本当に一体どこで覚えてきたんだこの人は! くてん、と彼の肩に頭を乗せて息を吐く。顔の熱はいつまで経っても冷める気配が無い。恋人と言うより――自分でこう表現するのはちょっと気に食わないが――まるで子供が親に抱きつくように僕は彼の背に腕を回し、ぎゅっと力を込めた。 「好きです。好きです好きです好きです。もう、どれくらい好きになれば終わりが見えるのか判りません。あなたが好きで好きで堪らない。」 「ははっ、若いなぁ・・・」 苦笑して彼が告げる。 ええそうですよ。だってあなたは僕より十年も年上なんですから。あなたは既に立派な社会人だけれど、僕はまだまだ学生の身。あなたを想って暴走もする。例えるならば"真心よりも下心"ってところでしょうか。 「『愛』よりも『恋』か。言いえて妙だな。しかしまあ、俺の場合、どうやら十年の月日ってやつは下心も真心に変えちまうらしい。」 「それって、」 身を起こせば、そう言って彼が微笑む。 「・・・愛してるよ、古泉。」 言って、彼は己の左手薬指に口づけを落とした。そして上目遣いで齎される彼の楽しげな視線。ああもう本当にあなたと言う人は!! 視界の端では指輪がキラリと光を弾く。その輝きと溢れんばかりの幸福に僕は眩暈を覚えながら笑った。 |