「「「三日間よろしくお願いしまーす!!」」」
「こちらこそ。」 僕の隣で『彼』が微笑を浮かべる。それが向けられる先は僕の友人と称すべきクラスメイト達。挨拶が済み、彼ら(彼女ら)が車に乗り込むと、"古泉一樹の父親"が運転する車は滑らかに走り出した。 今日、僕らは海へ行く。 事の始まりは夏休みを一週間後に控えた夜。家族で(と言っても二人だが)夕食を取っている時だった。 「なあ古泉。」 「何でしょう?」 「お前、海行く?」 その言葉の意図が測れず首を傾げた僕に、彼は「実はな、」と続ける。 「高一の時、夏休み入ってすぐに多丸兄弟の別荘に行っただろ?今あそこって俺が働いてる会社の保養所になってるんだが、聞けば自分の家族だけじゃなくてその友達やらも連れて来て良いって言うし、だったらお前のクラスメイトも誘ってどうかな、と。」 「そうですねえ・・・」 考える素振りを見せながら僕は胸が温かくなるのを感じ、しかし同時に切なく思った。理由は解っている。自分も彼も同じ齢で高校生だった時のことを思い出したからだ。 彼の口から出た言葉は僕と彼に共通の思い出があることを示し、けれどその思い出が僕にとっては二年前、彼にとっては十二年前であることを自覚させる。 あの頃、僕はまだ涼宮さんの気を損ねまいとピリピリしてばかりだったのに、彼は『鍵』であることを全く気にせず自然体で(それでもその態度に神も宇宙人も未来人も、そして超能力者も救われていたのだと、今なら素直に認めることが出来る)振舞っていた。そんな時分のSOS団での活動を思い出す彼はまさにずっと昔のことを懐かしむ顔で、「ああ、彼は僕の全く知らない十年間を過ごしてきたのだな」と嫌でも思い知らされるのだ。勿論それだけの月日が流れても彼の本質が変わらずにいたのは喜ぶべきことだけれど。 「・・・あ、やっぱり受験生が遊びに行っちまうのはマズイか?」 「いえ、そんなことはありませんよ。そこまで切羽詰っているわけでもありませんし、勉強ばかりではなく息抜きも必要でしょう。」 海か。きっとこれも彼が僕に普通の高校生らしい生活をさせようとする思いやりの一つなのだろう。そう考えると何やらくすぐったい気分になる。 十年のブランクが空いてしまったが、こうしてまた彼と共通の思い出を作ることが出来るんだ。―――このこともまた僕を高揚させた。だから。 「明日、友人達に聞いてみます。ノリの良い方達ばかりですから、きっと首を縦に振ってくださるでしょう。」 そう言うわけで、二泊三日の旅行に参加したのは、おそらく僕にとってクラスで一番仲の良い木戸氏、それから女子が二人と、僕、引率者として彼、この計五人である。SOS団とは逆だな、と男女比について彼が苦笑したのは参加者が決まったその日のことだ。続けて「で、お前の好きな娘は?」と訊かれた瞬間には「いません!」と全力で否定したけれども。 全く、あなたは突然なんてことを言い出すんですか。彼女達は僕の"友人"であり、そんな気はこれっぽっちもありません。むしろ今の時点であなた以上に優先したい人間なんて・・・いや、ちょっと待て自分。これじゃあ本当にファザコンじゃないか。よし、今の台詞は無かったことにしよう。 車の次はフェリー、そしてレンタルのクルーザーで目的地へ向かう。 あの時クルーザーを運転したのは執事に化けた新川さんだったが、今回はなんと『彼』自ら舵を取った。船の操縦なんて出来たのか、と驚く僕を他所に、友人達(主に女性二人)は瞳をキラキラさせている。 「格好良い・・・!」 「性格も良いし、これで独り身だったらねぇ。」 ちょっとそこ、何を話しているんですか。あと木戸君、そんな生温かい目で僕を見ないでください。「お前はどっちの母親がいい?」なんてふざけた質問には絶対に答えませんよ。ただ強いて言わせていただくならば、彼の人生の伴侶を決めるのは僕ではなく彼です。あと、彼は甘やかし上手なだけでロリコンではありませんからね。 多丸兄弟の別荘、おっと今は違いましたね。『彼』の会社の保養所が建つ島に着くと、女性二人だけではなく木戸氏までもが目を瞠り、彼を尊敬の眼差しで見つめた。十も年下の少年少女達からそんな視線を受けて、彼は照れ笑いなのか苦笑なのか判断つけかねる微笑を浮かべる。あの立派な建物は俺のじゃなくて会社の物だからな、と。 僕はそんな彼の背中を眺めていたのだが、 「・・・・・・。」 面白くない。何故だか無性に面白くなかった。 現在、視線の先には何歩か先行して別荘(保養所)までの道を歩く彼の姿。その両脇に女性二人が並んで色々と話しかけている。 彼女達が彼に向ける瞳には以前学校で彼が話題に上った時よりも更に大きな好意が上塗りされているように見えた。性格、車、クルーザーの運転、立派な館と来て、おまけに彼がその女性二人の荷物を持ってあげていたからだ。 これは、フェミニストと言うよりは、おそらく高校時代に涼宮さんの命令で女性陣の荷物は男が運ぶものだと教え込まれて(習慣付けられて)しまったからだろう。 瞳を輝かせる二人に両脇を固められ、彼の視線はそちらに向けられてばかり。後ろを歩く僕とは殆ど目が合わない。 「おい古泉。」 そんな中、ぼそりと横から声をかけてきたのは木戸氏。はい何でしょう、と普段の自分を取り繕いつつ顔を向けるが、相手の表情は苦笑と呆れを合わせたものになっていた。 「お前、今の顔は早めに何とかしとけよ。女子が見たら目ぇ剥くぜ。」 「・・・・・・・・・。そんなに酷い顔してますか、僕。」 そんなつもりは無かったのだが。 「おう。不機嫌ですって全面に出てる。」 「別に言うほど不機嫌というわけでも・・・」 「自覚無ぇのかよ。・・・ま、心配すんな。小娘ごときにお前の父親はなびかねえんだろ。」 どういう安心のさせ方ですか、それは。まるで僕が彼女達に嫉妬しているような言い方だ。前にも言いましたが、僕はファザコンなんかじゃありませんよ。 「でもお前、クラスメイトの女子二人が自分以外の男と一緒にいるって状況にイラついてるわけじゃないんだろ?」 「当然です。彼女達は僕の友人であって、恋人ではありません。」 はっきりと告げるこちらに相手は溜息をつく。 「そこまで解ってんのに・・・」 続きの台詞を聞き取ることは出来なかった。そして僕が木戸氏の言葉の続きを問う前に、 「一樹!友達と話してるのもいいが、あんまり遅れるなよー。」 呼ばれたのは僕の名前。呼んだのは先行していた『彼』。 高一の映画撮影等で「イツキ」と声に出されたことはあったけど、それ以外で彼が僕を称する時は「古泉」となっている。家族になった今だってそうだ。彼は僕を昔と同じように「古泉」と呼ぶ。なのに、「一樹」と。 ああそうか。ここには僕達の事情を知らない人間が三人もいる。彼と僕の姓が違うことくらい説明しても(設定はきちんと存在しているので)大きな問題は無いのだが、それでもクラスメイト達が僕との接し方を変える可能性はゼロではない。それを考慮して彼は呼び慣れない「一樹」の方で呼んでくれたのだろう。 と、彼の呼び方の理由に思い至ってみたが、それよりもまず僕は彼に下の名前で呼ばれたという事実だけで顔が熱くなり始めているのを自覚した。どうしてだろう。ただ単に名前を呼ばれただけなのに、すごく、うれしい。 「いーつーきー!」 「っあ、はい!すぐ行きます!」 はっとして足を速める。 とりあえず何を言われるか判ったものではないので、隣の木戸氏の顔を見ることだけはやめておいた。 * * * 宿泊先での部屋割りは、女性二人、僕と木戸氏、『彼』の三つ。男三人で一室でも良かったのだが、彼が「大人がいちゃあ話したいことも話せないだろ、若人よ。」とニヤニヤ笑いながら辞退したのだ。そのあと「まあ何かあったら気軽にこっちにも来てくれよ。」と付け加えて。 それぞれ割り当てられた部屋に着いてからすぐにビーチへ向かうことになった。 プライベートビーチさながらに、そこには遠慮すべき他の人間の姿はない。おかげで僕達は日が暮れるまで思い切り楽しむことが出来た。しかし気になることが一つ。僕達高三組が浜辺で遊び始めて早々に『彼』が建物内へと帰ってしまったことである。大人がいては気が散ってしまう、と気を使わせてしまったのだろうか。(彼は自分が楽しくないからという理由でこの場からさっさと立ち去ったりはしないはずだ。) そう考えると少し申し訳ない気分になってくる。 木戸氏も僕と同じことを考えたようで、 「あの人がいてくれた方が楽しいと思うんだけどな・・・主にお前と女子。」 最後に不要な言葉を加えつつそう言った。 だから僕はファザコンじゃありませんってば。 ビーチから部屋に戻り、シャワーを浴びて私服に着替える。夕食までにはもう少し時間があるので彼の部屋を訪ねても良いだろう。そこで「明日は一緒にどうですか。」と誘うのだ。 そんなことを考えながら洗面所で髪を乾かしていると、先にシャワーを終えて着替えていた木戸氏が姿を見せた。 自分の後方、鏡に映った友人は困惑気味に眉を顰めており、あまり良い表情とは言えない。どうしました?と問えば、数度口を無意味に開く。 「何かありましたか。」 「いや・・・何て言うか・・・」 普段の木戸氏らしくない。何を言いよどんでいるのだろう。 笑みを保ったまま内心首を傾げて鏡に映った相手を眺めること、しばらく。木戸氏がようよう変化を見せた。 「これ、お前のだよな。」 そう言って木戸氏が手に持っていたのは紐を通した指輪。『彼』の左手薬指に輝くものと同じデザインの。それを見た瞬間、頭にカッと血が上るのが分かった。 「返してくださいっ!!」 「ちょ・・・わっ!?」 友人手から半ば無理矢理に指輪を取り上げる。己の指には合わないだろう小さなサイズのそれを首から提げていたことに対し羞恥を感じていたから、では決してない。ただひたすら、これが自分以外の人間の手にあるという事実がたまらなく不快に思われたのだ。『彼』に繋がるモノを所有するのは僕だけいい、僕だけであって欲しい、と。 だが、指輪が己の手に戻った後、唖然とした顔でこちらを眺める友人に気付き、今度は一瞬にして冷水を浴びたような気分になった。 「っ、あ・・・すみません。」 「あー・・・いや、大事な物なんだよな。勝手に触って悪かった。」 居心地悪そうに言って木戸氏は頭を掻く。視線は逸らされてしまった。しかし僕がこの「父親と同じデザインの指輪」に異常な反応を見せたことに関してはかなり気になっているらしい。視線とは反対に意識がこちらへと向けられていることがよく分かる。 「・・・そうですよ。とても・・・何よりも大切な物です。」 「お前の母親から貰ったのか?」 「最初から僕の物です。僕にはこの指輪を身につけるべき母親なんていませんから。」 最初から?母親がいない?と訝しげな表情を浮かべられるが、言葉での回答の代わりとして二・三年前なら頻繁に作っていた笑みを向ける。それ以上のことを君に教えるつもりはありません。何より教えたとしても到底信じてもらえないだろう。『神』やら『鍵』やら『超能力者』やらが登場する話なんて。 こちらの微笑に込められたメッセージを相手は正確に読み取ってくれたらしく、じゃあ、と質問を変えてきた。 「なんでお前がそういうのを持ってんだ?」 「持っていたかったからですよ。」 「父親の・・・その・・・結婚指輪、なんだぞ。」 「それに何か問題でも?僕はこの指輪を欲しいと言って、きちんと許可を貰った上で所持しているのですが。」 どうやら今の僕は少々気が立っているらしい。言い方が普段よりキツくなっている。自覚しているのにそれを直そうとしないのは、この話に『彼』が関わっているからだろうか。 こちらの返答の後、木戸氏は口を噤んで何事かを考えているようだった。やっぱり、とか、そんなまさか、といった小さな呟きが聞こえてくる。 だがそんな状態も長くは続かず、木戸氏は口を開いてきっぱりと言った。 「やっぱお前ファザコンだろ。そうじゃないならお前が父親に対して持ってる感情は親子にゃそぐわない代物だぜ。今の古泉、まるで恋してる女子みてーだ。」 「こ、い・・・?」 僕が?彼に?恋を?そんなまさか! 理性的な部分が木戸氏の言葉の後半を激しく否定する。有り得ない。『彼』は自分と同じ男で、元SOS団の仲間で、今は親子で・・・それで、と。 その一方で友人の言葉は僕の胸の奥にストンと落ちた。ああそうだったのか、と。 理性よ、今回はお前の負けだ。木戸氏の「恋」という言葉は、僕が『彼』と家族として生活する中で、子が親に抱くには些か可笑しい感情に正確な名前と理由を与えてしまったのだから。 なんだ、簡単なことだったんじゃないか。指輪を欲しがったのも、『彼』の意識が自分以外に向けられて嫌だったのも、『彼』の左手薬指に嵌る輪と対のものが他人の手に存在しているのを見て頭に血を上らせてしまったのも。それらは全て僕が『彼』に友人や親子以上の想いを持ってしまっていたからだ。 己の想いを自覚した今、それまでの自分の行動が可笑しく思えて肩が震える。なんて乙女チックな。どうやら自分は相当ロマンチストだったらしい。 「こ、古泉・・・?」 突然こちらが笑い出した所為で、木戸氏が戸惑った声で僕を呼ぶ。ああ、すみません。あなたを放りっぱなしにしてはいけませんね。 「あなたの言う通りですよ。どうやら僕は『彼』が・・・自分の父親のことが好きらしい。もちろん親子愛ではなく、ね。」 「・・・は?」 唖然とするのは尤もだろう。しかし事実なのだから仕方が無い。 「ですから、こう言っているんですよ。僕は『彼』を愛している、と。」 「え・・・ちょ、はあ!?マジか!」 「マジもマジ。大マジです。」 「だってお前ら親子なんだろ!?」 「僕と『彼』に血の繋がりはありません。」 「そうだったのか・・・じゃなくて!お前ら男同士、しかも年の差とか。」 「男同士の何がいけないんですか?好きになった相手がたまたま同性だからって非難される覚えはありませんね。あと年の差ですが、『彼』と僕は十歳しか違いませんよ。」 「・・・・・・・・・、あぁそうかい。」 「そうです。・・・ああ、認めてくれとは言いませんけど、周りに吹聴するのだけはやめてくださいね。僕だけなら構いませんが、『彼』に迷惑はかけたくないんです。」 笑顔で告げると疲れ気味の声で「わかったよ。」と返って来た。事実、この友人の頭は新たな情報――古泉一樹は育ての親に恋愛感情を抱いている――に混乱して随分疲労したことだろう。 はぁ、と大きな溜息を一つ吐かれた。 「道理で女子に興味が無いわけだ。もう好きなヤツがいたんだからな。」 「そのようです。」 答えると、それに対する返事には溜息が再来。ただし、 「全く・・・俺の友人殿は随分と変り種らしいな。」 苦笑混じりの言い様から察するに、決して嫌われたわけではないようだ。 そのことに安堵を覚えつつ、僕は作り物ではない笑みを目の前の友人に捧げた。 |