『三者面談のお知らせ』
古泉が申し訳なさそうな顔で持ってきた紙には十年前の自分にも見覚えのある文章がはっきりと書かれていた。 「もうそんな時期か。」 「前期の中間考査も終わったことですし、受験の山場を向かえる前に、とりあえず志望大学を決めておけということでしょう。」 徐々に「似非臭い」という形容詞を取り除いても良さそうになってきた笑顔がそう告げる。 こいつの通っている高校はこの地域じゃそれなりの進学校であり、殆どの学生は大学へ行く。古泉も、聞けば例に漏れず進学したいらしい。お前の頭だったらほぼ好きな所に行けるんだろうよ。この前のテストの結果もさすが元進学クラスとしか言い様のない出来栄えだったしな。 と言うわけで、古泉が自分の進路に対し何か無茶を言って俺を困らせることなど有り得ない。『機関』や金の力を使って裏口入学させてくれ、とかな。そんな必要、こいつには全く無い。羨ましいくらいに。まぁ元々そんなことを言う奴でもないが。 ではどうして、こうも申し訳なさそうな顔をしているのか。 考えずとも解っていただけていることだろう。そう、古泉は俺が保護者として、仕事があるはずの平日に、進路相談を含めた三者面談のために学校へ足を運ぶということに対して、それが大層いけないことのように考えているのだ。 全く、こいつはいつになったらその他人行儀な遠慮を取り去ってくれるのだろうか。一緒に暮らし始めた頃と比べれば随分マシになっているものの、それでもまだまだだ。そもそも三者面談だなんて保護者としては是非にでも行っておくべきものじゃないか。迷惑だと思うはずが無い。むしろ、もしこの知らせを隠しでもしたら、その時こそ俺はこいつに怒ってみせるだろう。俺を何だと思ってるんだ、と。そして同時に悲しくもなるだろうな。自分はまだ古泉の支えに、家族になれていないんだ、と感じて。 まあ、そんな杞憂はさて置き。俺は古泉の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回して、 「うっわ!?なんですか!?」 「で、お前の空いてる日は?学校の友達と何か約束してるとか。」 「いえ、特にありませんけど・・・」 「そんじゃ俺が勝手に決めるぞ。」 「え?」 一応(少しだが)自分より低い位置にある薄い色の双眸に微笑みかけ、それからペンを手にする。三者面談お知らせのプリントの下部、出席希望日時の欄に予定を空けられそうな日と古泉の名前を書き込み、切り取り線の所で切り離して相手に返した。「欠席」の所に二重の打ち消し線を引いてな。 「あ、の・・・いいんですか?」 「良いも何も、当然のことだろうが。お前の大切な将来に関わってくるんだぞ?」 「でも、あなたには仕事が。」 「仕事を理由に子供を蔑ろにする奴は親じゃない。少なくとも俺はそんな親にはなりたくないんでね。」 確かに今の俺はそう易々と休める位置にいるわけではない。半日休みをもぎ取るためにはその前後でかなりの労力が必要となってくるはずだ。しかしそれをやってこそ親というものだと思う。「絶対無理」と言わざるを得ないような状況ならいざ知らず、頑張れば何とかなることを頑張らずに何とかしないってのは、決して褒められたことじゃないだろう? 「あなた、高校生の時はもう少し怠惰な人間じゃありませんでしたっけ。」 「怠惰になるのは時と場合によりけりだ。そして今は面倒臭がって欠席に丸しちまう場面じゃないってことだな。」 なにせ古泉一樹、お前は俺の大切な家族なんだから。 かなり恥ずかしいが、ここは言っておくべきだろうと判断してそう告げる。するとそれを聞いた古泉が徐々に顔を赤く染め始めではないか。 「あなたって人は・・・!」 俺という人間は一体何だと言うんだ、古泉よ。そこで目を背けて口を手で覆うな。年相応の反応なのかもしれんが、言ってしまった&その表情を見せられてしまった人間としては、元々あった羞恥心を更に煽る以外の何物でもないんだぞ。 「すみません。・・・でもありがとうございます。嬉しいですよ。」 「・・・そうか、それは何よりだ。」 互いに視線の合わないまま顔を赤くして笑う。 家族らしい家族の関係に至るにはまだまだかかりそうだったが、それでもこの瞬間、ほんの少しだけ前進出来たような気がした。 そして、三者面談当日。 息子の面談があるんで早引けさせてもらうと言ったら部下に「室長、お子さんがいらっしゃったんですか!?」「いやその前に既婚者だったなんて・・・!」等々、驚かれつつ見送られてしまった。お前ら、俺の左手薬指の指輪には知らん振りか。そう目立つモンじゃないのは認めるが・・・。それともファッションの一つとでも見られていたのか? あと「信じられない・・・」やら「ショックだ!」って言った奴、悪かったな。どうせ俺は結婚してあまつさえ子供を儲けているような人間には見えませんよ。なにせ理由――言うまでもなく古泉のことだ――もあって仕事一筋だったしな。 それはさて置き、古泉の通う学校に到着である。 本日ばかりはグラウンドでの部活動も一切禁止となり、砂の上で存在感を放っているのは学生達ではなく、その保護者達が乗ってきた車を始めとする乗り物達だ。グラウンドに面する門が開かれて、今も車が出入している。 すでに面談を終えて帰った親子の跡だろう、ぽっかりと空いた場所を見つけ、俺はそこにストラフィアブルーのフーガを突っ込ませる。この車は今の俺の会社での立場・・・というよりもむしろ古泉一樹という存在を考慮し、あいつが助手席または後部座席に乗っていても可笑しくないものとして、この春に森さんが選んでくださったものだ。 そのことを古泉が知れば絶対何か言ってくると思うので、これは俺と森さんだけの秘密だ。俺個人としては別に車一台くらいどうってこともないんだがな・・・。なにせそれまで稼いでも使う機会が全くと言っていいほど無かったのだから。 駐車して降りれば、もうそこですでに女性の保護者率が高いことに気付かされた。やはりこういうものは今でも母親の場合が圧倒的多数というわけか。しかし生憎、こちらは父親になれても母親にはなれないので、古泉にはスーツ姿の俺――会社からそのまま来たからな――で我慢してもらうとしよう。 あらかじめ決めておいた場所に向かえば、古泉が手持ち無沙汰に待っていた。・・・う、もう少し早めに来るべきだっただろうか。 「時間はまだ大丈夫だよな・・・」 「ええ、余裕ですよ。それでは教室まで案内します。」 こちらへ、という声に従って(親子が交わす会話じゃないぞ)教室へと向かう。道すがら、学生さんやらその母親やらにチラチラと視線を向けられているように感じたのは決して気の所為じゃなさそうだ。古泉も多少居心地が悪そうにしていたし。 視線の意味は古泉の容姿によるものか、それとも父親(俺)によるものか。後者だったら本当にスマンな、古泉。まあ三者面談参加者の何割かは俺と同じく父親の方々だし、それで勘弁してくれ。 □■□ 三者面談が終わった次の日、僕は昨日学校で『彼』の姿を見たクラスメイト達から質問攻めに遭っていた。 「古泉くん!昨日、古泉くんと一緒にいた人って・・・!」 「お兄さん?」 「顔は似てなかったし、親戚の人?」 「つーかあの車!」 「着てたスーツも、あれ、高いやつだよね!?」 「や・・・あの、一気に訊かれましても・・・」 僕だってさすがにたじろぐ。 と言うか、どうしてこんなにも人が集まって来ているのだろう。三者面談で昨日、珍しくもクラスメイトの親の顔を見たからと言って、その話題で持ち切りになるというのは少々可笑しくないだろうか。まさか僕の保護者が『男性』であったから、とか?いや、そんなことはないと思う。だって僕以外にも(少ないとは言え)父親を連れて歩いていた同級生はいるのだし。 「皆さん、どうしてそんなにも僕の父親のことをお気になさるのですか。」 こちらから問いかけた声音はいつも通りだったはずだ。しかし質問を耳にしたクラスメイト達は一瞬にして視線を逸らした。どこからか「お兄さんじゃなくて父親!?」「若い・・・」との声は聞こえてくるけれども。あと「え、なんか黒・・・」というのは何です。心外ですね。 「どうかされましたか。」 「へ?いや、・・・まあ、何と言うか・・・」 「あっ、あのね!変な意味じゃないんだよ!?ただ、」 口篭っていた隣の男子に助け舟を出すかの如く、一人の女子生徒が慌ててそう言った。 「ただ、何でしょう。」 「えっと・・・ただ・・・ただ、そう!古泉くんのお父さん?って、見た目は若いのにすっごく包容力がありそうで素敵だねーって。仕事もバリバリやってますって感じだし。」 見た目が若いのではなく実際に若いのだが、『彼』のことをそこまで話す必要は無いだろう。それと包容力があるのは高校時代からのことなので(そして大人になると彼の包容力は更に大きくなっていた)、軽く頷いておく。 『彼』のことを思い出して少しばかり穏やかな気持ちになっていると、なんとなく周りの空気に存在していた緊張感(?)も消えたような気がした。・・・はて、それ以前にどうして皆さんはそれほどまでに緊張していらっしゃったのでしょうね。どなたかご存知ですか? 「なあ・・・お前、その顔で実はファザコンなわけ?」 「はい?」 休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴って皆が席に着いた後、教師が現れるまでの僅かな時間にそう問いかけてきたのは、前回の席替えで隣になった友人―――谷口氏と国木田氏を合わせたような性格の木戸幸也だ。 オブラートに包むことをしない友人の言い様に多少頬が引き攣るのを自覚しつつも、「そんなことありません。普通ですよ。」と答えておく。 「自分の父親が他人に甘えられやすい性格なのは認めますけどね。」 「ふーん。ま、それならそれでいいんだけどよ。」 歯切れ悪くそう言って木戸氏は前を向く。 その顔に浮かんだ表情が苦笑だと感じたのは僕の被害妄想だろうか。 |