神様は知っている 8
ちらほら姿を現わしつつ、しかし今はまだ生徒の少ない玄関にて。俺は小柄な背中を見かけて声をかけた。
「おはよう、長門。」 「・・・おはよう。」 少し間は空いたが、なんとあの長門からしっかりとした返事が! 挨拶を返した長門の顔はぱっと見、無表情を保っている。しかしここ一ヶ月プラス今までの繰り返してきた世界における経験と比較すれば、随分とやわらかな眼差しだった。 ここまで来るのにかかった期間は一月ほど。しかも古泉の物言いたげな視線を受けながらだったから、通常より長く感じてしまった。だがその微妙な心地を引き換えにしても長門の態度の変化には目を瞠るものがある。やはり長門と俺の今の立場――長門が俺を護衛しているというやつだ――を利用して共にいる時間を長くしたり話しかける回数を多くした甲斐があったというものだ。少し前からは何かに付けて俺に判断を仰ぐようにもなっており、当初の目標は完全に達成されたと言っていいだろう。 顔を合わせるのは殆ど学校の中でのことで、長門の部屋に呼ばれたことは無かったから、茶やカレーが振舞われるなんて事態を体験することも当然なかった。が、それはもういい。俺は別に長門から持て成しを受けたくて今までやってきたのではなく、硝子玉のような瞳に温度変化が生じる様を見たかったまでのことなのだから。 さて。それじゃあ次はどうしようかね。長門も古泉と同様、ハルヒに会わせてみるか?大した反応は返ってこないと思うが、他に思いつくことがないのだからしょうがない。 ぱっと思いついたもの以外に何か面白そうなことは無いだろうかとしばらく考えを巡らせていると、 「どうかした?」 長門が抑揚の無い声で呟いた。 「いや、なんでも・・・あー・・・。長門、お前、ハルヒに会ってみないか?」 実際問題、長門をハルヒに会わせるか否かは脇に置いといて。とりあえず長門本人に訊いておこうと思う。本来なら高校一年生の春に接触するはずの人間と今の時点で顔を合わせちまっても良いのかってな。 問われた長門は澄んだ瞳でこちらの真意を探るように俺をじっと見つめると、ややあって口を開いた。 「現時点においてこちらから接触する予定は無い。今のわたしの仕事はあなたの身を守ること。涼宮ハルヒの観察ではない。また接触によって観察対象に不必要な変化が現れるのは望ましくないと考える。」 「そっか。・・・けどもうハルヒは長門が転校して来たこと知っちまってるから、もしかするともしかするかもしれん。あいつ、そう言うのには興味を持ちやすいタイプだからな。」 こちらから問いかけておいてアレだが、長門――と言うより情報統合思念体か?――の意思がどうであれ、ハルヒが長門に会ってみたいと思ったなら、もう会うしかない。それがこの世界の『キマリ』だ。 俺が念を押すと、長門は微かに首を縦に振った。 「と言うわけで、長門はまだハルヒに会うつもりも無いらしいんだが、お前はどうなんだ?」 「キョン、あんたそれ本気で訊いてんの?有希がそう言ってるならあたしのやるべきことも決まりでしょ!」 俺の部屋で今朝のことをハルヒに報告すると、世界で唯一の我が共犯者殿はニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべて高らかに宣言した。 「会いに行く!不意打ち攻撃よっ!」 ちょうど明日、本当ならキョンがあたしの学校に来るはずだしね!油断しているところを突かせてもらうわ!と、それはもう楽しそうに笑う。 ってなわけで長門、残念だがハルヒはお前と会うそうだ。え?俺がけしかけたくせに無関係っぽい顔するなって?そもそもそういう言い方をするなら端からけしかけるな、と?まぁそう言ってくれるな。深く考えるまでもなく俺がハルヒをけしかけるのは当然のことだろう。何故なら俺もハルヒ同様、楽しいことを求めてこの世界に存在しているのだから。 ハルヒと接触するつもりの無い長門に彼女をぶつけてみると言うのが現時点での思い浮かぶ案であるなら、とりあえずそれを実行してみようではないか。案外そこから新しい展開が発生するかもしれん。それがこの世界の寿命を延ばすことになるのか、それとも縮めることになるのかは知らんがな。 で、翌日。 授業が終わった後、いつも待ち合わせている校門ではなくそれよりも幾分学校内部の玄関で俺はハルヒの姿を見つけた。一瞬遅れて俺の斜め後ろを歩いていたはずの長門がぴたりと足を止める。振り返ってその顔を見れば、驚きに分類されるであろう表情を浮かべていた。とは言っても、やはりこれも殆ど無表情であるのだが。 長門がハルヒの接近に気付けなかったってことは、ハルヒの奴、力を使ったな。大方、長門の驚いた顔でも見たかったのだろう。 俺の予想の正しさを証明するかの如く、立ち止まった長門に気付いたハルヒは口元をきゅっと吊り上げて笑った。 ただしハルヒの視線は俺、長門へと順に移った後、更にそのもう少し後方を掠めて俺に戻って来た。つまりあいつは長門の様子を見て笑っただけではなく、その後ろにいた古泉――機関の人間だとバレた後も人前ではままごとみたいな友人関係が続いている――の態度にも笑みを零す要因を見つけたというわけだ。まあ俺は見ていないが、おそらく「しまった」という顔でもしているのだろう。古泉は俺と長門が一緒に居る所をハルヒに見られたくなかったらしいしな。 「やっほーキョン。迎えに来てあげたわよ。そんでもって、その子が長門さんね。」 「ああ。」 はじめまして、と、さも初対面の人間のように――実際、この世界では初対面だが――ハルヒは長門に近付いてその手を握る。長門はなすがままの状態で、表情を固まらせたままぶんぶんと手を上下に振られていた。 「あたし、涼宮ハルヒ。東中よ。」 「・・・、長門有希。」 「有希って呼んでいい?」 「かまわない。」 なんだか俺が一ヶ月かけて作った――俺の感覚からすれば"再構成した"とも言える――長門との関係をハルヒの奴はほんの一瞬で作っちまったような気がするのだが。はてさて、これはハルヒのノリに起因するものなのかね。 上機嫌で長門に接するハルヒを眺めやり、数歩後ろにいる古泉は幾らか安堵したようだった。 心配しなくてもこれくらいじゃハルヒが閉鎖空間を発生させるわけないっての。しかも本人曰く、一応、あの灰色空間は抑えようと思えば抑えられると言うことだしな。 しかし長門とハルヒが(ほぼ一方的な)会話を繰り広げている様をしばらく見続けていると、徐々にハルヒと古泉の雰囲気がよろしくないものに変わってきているのに気が付いた。どちらも通常通りの表情を保ってはいるが、ハルヒはどうやら気に入らないことがあったらしく、古泉はそんなハルヒの感情の変化に気が気では無い様子だ。一体どうしたことか。と言うかハルヒ、お前なんで長門と話してるだけで閉鎖空間の発生を許しそうになっているんだ。 時折、こちらの判断を窺うために長門が視線を寄越してくる。そうするとハルヒが長門の視線を追うように俺へと目を向け、次いで機嫌が微かに悪化する、と。ハルヒのこの変化の原因って、まさか、な・・・。 背後から古泉の恨めしそうな視線をビシビシと浴びつつ、俺の物ではない携帯電話のバイブ音を聞いた。久しぶりに閉鎖空間の発生か。 「用事ができたから今日は先に失礼するよ。・・・・・・お解かりかと思いますが、涼宮さんのこと、よろしくお願いします。」 前半は友人風に、そして後半の囁き声は機関の人間として。自分の立場が俺に知られて以来、こういう使い分けをするようになった限定的超能力少年は微笑を浮かべてそう言い、やや重たい足取りで校門の向こうへと姿を消した。 残されたのは俺と長門、それから他校の制服を着たハルヒの三人であるわけだが、これ以上ハルヒの機嫌を悪化させないためにも――言っておくが、閉鎖空間で戦う古泉のためではなくハルヒ自身のためだ。俺達は楽しむためにこの世界にいるってのに、機嫌が悪くなっちゃ意味が無いだろ?――彼女達の会話を早々に切り上げさせた方が良いかもしれん。 「ハルヒ、もうそろそろ帰ろうぜ。長門、また明日な。」 話の流れ?そんなもん知ったこっちゃないね。 半ば強制的に二人を引き離し、俺はハルヒの手を引いて長門に別れを告げた。 「こらキョン!もうちょっと丁寧に扱いなさい!!」 十分丁寧に扱ってるよ。お前は大事な相棒だからな。 校門の前まで引っ張って行きそう答えると、騒ぎ立てる声が一瞬で収まった。騒がしさを保ったまま家に帰るつもりは無かったのでこれ幸いと思い、握る位置をハルヒの右手首から右手に変更して歩みを再開する。 そうして通い慣れた道を進み、人気の無い道路に差し掛かった時、俺はハルヒに問うてみた。 「お前、さっきはどうしたんだ?」 長門が何かしたようには見えなかったんだが・・・。 「んー、なんかこうちょっとイラっと来たと言うか何と言うか。」 長門相手に?お前が?どうして。 「だって有希ってばチラチラチラチラあんたのこと見てるじゃない。たった一ヶ月で懐かれすぎよ。」 それがお前的に気に入らなかったってことか? 「たぶんね。自分でもよく分からないの。」 ふーん。それじゃまぁこれから気を付けるとしますよ。俺だってお前に嫌な思いはして欲しくないって思ってるからな。 「当然よ。だってあたしたちは、」 「共犯者、だからな。」 「そのとおり!」 銀河を二・三個詰め込んだような輝きが宿る瞳をこちらに向けてそう言い、ハルヒは眩しい笑顔を見せた。 (2007.12.30up) |