知っ 7






「長門さんとどんな話をしたんだ?」
「お前が想像している通りじゃないのか。」
 長門有希が転校して来た翌日の放課後。
 彼を捕まえて問えば、そう言ってほんの少し面白そうな表情が返って来た。
「・・・信じるつもりか?」
「お前がこうしているってことは、お前と長門にとってはアレが真実なんだろ。」
「まあ、そうだけど。・・・いえ、そうですけどね。」
 僕は同世代の友人としての口調ではなく、機関に所属する人間として仕事口調に切り替える。
 どうやら『鍵』は長門有希との接触によって自分とその周り(正確には「涼宮ハルヒの周り」だが)の状況を理解してしまったらしい。これで僕の苦労は水の泡、機関の思惑もおじゃんと言うわけだ。
「僕のこと、怒っていらっしゃるのでは?」
 機関の人間である僕が彼に近付いたのは純粋な友情を育むためではなく利用価値を見出してのことだと、今の彼になら解るだろう。そうなれば、少なくとも良い気分はしない。
 よって十中八九肯定の言葉が返って来ると予想していた僕は、しかし次いで齎された彼からの返事に目を瞠った。
「いや。特に何も思わんな。」
 驚きをもって見返す顔には苦笑の色が浮かんでいる。
 自分が利用されるかもしれなかったのに、どうしてそんな何でも無い顔をしていられるのだろう。まるで最初から全てを知っていたかのように、突然与えられた情報に対し特筆すべき反応が見られない。驚きも、戸惑いも、彼の中に見出すことは出来なかった。
 自分が目の前の人物の手の平の上で踊らされているような感覚に陥り、僕は無意識のうちに腕をさする。そんなことは有り得ないのに。
「・・・古泉?」
 どうかしたのかと言う問いかけに僕は微笑を浮かべ、首を横に振ることで答える。
「怒っていらっしゃらないのなら結構です。自分でも人に褒められるようなことではないと思っていましたから。」
「それが仕事なんだろ?ご苦労様なことだな。」
「ありがとうございます。しかしご苦労様という言葉はこれからのあなたにも当て嵌まりますよ。あなただって世界の崩壊は避けたいでしょう?」
 涼宮ハルヒの力を知ったなら、これからは彼女に対する接し方に今まで以上の気配りをするようになるはずだ。何せ自分の不注意で世界を失ってしまう可能性だって否定出来ないのだから。
「世界崩壊、か・・・。随分大きく出たな。」
「有り得なくは無いでしょう。彼女が認めなければ『それ』は消されてしまいます。それだけの力が彼女―――涼宮ハルヒにはあるのです。」
 僕がそう答えると、彼は一瞬の間を置いてから口元に手をやり、くすくすと笑い出した。
 突然のことに何事かと驚いて反応が遅れるが、その混乱を静めて咎めるように少しきつめの声を作る。
「何がそんなに可笑しいのですか。一人の少女が世界の運命を握っていると、やはり一般人であるあなたには信じられませんか。」
「一応信じてるさ。長門が変な力を持ってるらしいことは昨日のあれで判ったしな。だったらハルヒやお前のこともそうなんだろう。」
「では何故、」
「秘密だ。」
 呟いた口元が楽しそうに弧を描く。
 ふざけているのだろうか。涼宮ハルヒのことに関して、僕らは冗談や遊びで済まされるような立場に立っていないというのに。
 知ってしまったからにはそれ相応の働きをせざるを得ない。そうしなければ自分の持つ責任の大きさに潰されかねないからだ。
 世界が崩壊するかも知れないという状況を理解しながら何もしない自分ほど、恐ろしいものは無い。己の成すべき事から逃げている間中ずっと、世界の全てから責められているような気になってくる。僕が今ここにいるのもそのためだ。誰も、テレビのヒーローのように「世界のため、皆のため」働いてなどいない。課された責任の重さに押し潰されたくないから動く。ただそれだけなのだ。(世界が作り物かもしれないと知った者に、その世界を守ろうとする意志なんて芽生えるはずもない。少なくとも、今の僕の中にはそんな意志など無い。)
 彼も(機関の調べた彼の性格が正しい情報であるならば)そのように考えてくれると思ったのだが・・・。どうやら違うらしい。
 僕は溜息を吐いた。
 そう。重要なことは彼の内心ではなく、彼が彼女に与える影響。例えどこか得体の知れない部分があったって、彼が下手をせず世界の安定が保たれれば、僕達がそれ以上言うことなどない。
「・・・でしたら、もうそれで構いませんよ。僕達『機関』があなたに望むのは涼宮ハルヒを安定させることです。そのためならばこちらからのサポートも惜しみません。」
 苛立つ自分を宥める意も兼ねて彼に告げるが、しかし彼本人は憮然とした表情を作り、こう答えた。
「言っておくが、俺は俺の意思で動くぞ。お前らがどう思っていようとその通りに動くなんて御免だね。」
「僕達の思い通りだなんて、そんな大それたことを申し上げているのではありません。ただあなたの良心に従ってそれ相応の対応をしていただきたいと・・・」
「それがつまり"お前らの思う通り"だって言ってんだよ。俺は世界を守るためにハルヒのご機嫌取りをするつもりはない。怒る時は怒るし、機嫌が悪けりゃ冷たく当たりもするだろうよ。」
「なっ・・・それでは困ります!あなたは長門さんの話を聞いて自分がどれほど重要な位置に立っているか理解なさったのではないのですか!?」
「あのな、古泉。」
 はあ、と溜息を吐き、彼はいかにも面倒ですと言わんばかりの表情でこちらを見据えた。
「今のお前には酷なことかも知れんが、もう少しハルヒのことを信じてやれ。あいつは俺がちょっとどうかしたくらいじゃ世界を消しちまおうなんて思わないからさ。」
 あなたはそう言うけれど、軽くそんな言葉を信じられるような境遇ではないのだ。彼女に選ばれたその瞬間から、今までの自分に対する絶望とこれからの世界の消滅に対する恐怖を抱えて生きていく僕達には。
 こちらが口を噤んで何も言わずにいると、彼はもう一度溜息を吐いて「これで話は終わりか?」と問いかけてくる。
「・・・僕があなたに対して言えることはそれが全てです。」
「そうか。それじゃあ俺はこれで。お前らがどうであれ、ハルヒと会う約束もしてるしな。」
 ひらひらと片手を挙げて背を向ける彼。
 それを黙って見送っていると、彼が突然足を止めてこちらを振り返った。
「どうかしましたか。」
「ヒントを一つ、お前に教えておくよ。理解出来るかどうかは知らんが。」
「ヒント・・・?」
 それは何に対するヒントだ?彼の言った『秘密』に関して?微笑の仮面に綻びが出ているのが判る。
 訝しげなこちらの顔を見て彼が人の悪そうな笑みを浮かべた。
「正確に言うと俺はハルヒの『鍵』じゃない。」
「それはどういう・・・」
「やっぱり解らんか。ならいい。・・・また、明日。」
 トーンの落ちた声で呟きながら彼は背を向けて歩みを再開する。
 結局、彼が何を言っているのか理解出来ないまま僕はその背を見送るしかなかった。



□■□



「とは言ったものの、今のあいつに解るはずがないよな。」
 古泉と別れた後、人気の無い廊下を歩きながら独り言つ。
 ヒントと称して告げた台詞は本当のところ、俺とハルヒが共犯者であることを知る者つまり俺とハルヒにしか理解出来ないものだ。ひょっとするとひょっとして、勘の良い者なら思い当たるかもしれないが、すぐに「まさか」と切り捨ててしまうに違いない。そもそも今のこの世界が既に何度も繰り返されたものであり、俺とハルヒがそれを自覚しているなんて考える奴はいないだろう?考えたくない、とも言い換えられるかもな。
 さて、俺が古泉に告げたヒントの説明といこうか。
 俺はハルヒの『鍵』ではない。共犯者だ。そしてその真実から導かれるのは、「世界を変えられる力を持っているのはハルヒだが、何の力も無い俺は共犯者という立場ゆえに彼女を通して間接的に世界へと影響を与えることが出来る」ということ。
 前はハルヒが世界を退屈に感じ、自身の意思で改変してしまった。けれど偶々前回はそうだっただけで、俺がハルヒに退屈だと言って世界を改変してもらったことも実は無いわけではないのだ。そして俺の一言が原因で世界がやり直される可能性は今この時にも存在している。例えば、俺が退屈を感じたからというのではなく、俺が非常に嫌な思いをしたならば、その嫌な思いの原因を取り去るために世界をやり直すことだって有り得るのである。(ハルヒのやつ、自分だけじゃなくて俺が退屈や不快感を味わった時にも改変する気満々だからな。あんたはあたしの共犯者なんだからね!って。)
「まあ、解らんなら解らんままで構わないさ。遅かれ早かれ、どうせ世界はまた書き換えられる。」
 一生退屈しない世界や嫌な思いをしない世界なんてそうそう有りはしないからな。








つまりキョンが古泉に言おうとしたのは、
ハルヒだけではなくキョンの機嫌が損ねられても世界は改変される、ということです。
(だから煩く言って俺の機嫌を損ねてくれるな、と。)

(2007.12.22up 2007.12.30一部修正)



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