※「3」から続いています。






 ハルヒのお呼び出し終了後、俺はいつもの定位置に戻ってゲームを再開する。"アナログゲーム好きの優等生"は気配りが出来る性格を行動で示すかのごとく、道具を片付けたり教本を開いて一人練習をしたりせず俺が戻って来るまで盤面をそのままに保存していた。結構長いことハルヒとあーだこーだやっていたはずなのだが。
 それどころか対戦相手――俺だ――の帰還を心から喜ぶように穏やかな微笑つきで迎えてくれる始末。奴の内心を考えると非常に寒気がする事態であることこの上ない。
「悪いな。」
「いえいえ、僕が勝手にお待ちしていただけですから。それでは早速続きと行きましょう。あなたの番でしたよね。」
 俺が席を立った時のあの苛立ちようは何処へやら。また退屈なゲームが始まると言うのに、いつもの如才ない笑みを浮かべてそんな感情など微塵も悟らせないとはね。
 相手の仮面の厚さに呆れ混じりとは言え尊敬の念さえ覚えつつ席に着く。どの駒を何処に動かすかは既に決めていたから着席後すぐにナイトを動かしてターン終了。対戦相手が再び長考するのをぼんやりと眺めた。


 パタン、と本を閉じる音。それを終了の合図とし、団長がパソコンの電源を落とす。
「それじゃ、帰りましょうか!」
 ああ、そうだな。ゲームの途中だが彼女が言うなら―――・・・
「すみません、僕達はこのゲームが終わってから帰宅してもよろしいでしょうか。鍵は僕が返却しておきますので。」
 なっ!?お前、何言って。
「そう?じゃあよろしくね、古泉くん。」
「かしこまりました。」
 にこやかに微笑んで一樹が鍵を受け取る。長身が神と俺の間に立ったので、彼女が俺の、俺が彼女の表情を窺い知ることは出来ない。彼女が一樹の行動に不審を覚えた気配は伝わって来ないが・・・おいおい如何した。なんでイエスマンであるお前が神の言葉に逆らう。彼女は俺達に「帰りましょうか」と告げたんだぞ。
 そう思いつつも思考が音になることはなかった。俺はただ静かに一樹の背を見据え、椅子に座っているだけ。何故かって?そりゃあ一樹が、自分達は残る、と言っているからさ。神の精神状態を一番よく理解している超能力者がそう言うなら、別に今日俺達が彼女達と共に帰る必要なんてないのだろう。
 それからもう一つ。俺は異父兄が嫌いだ。なのにわざわざゲームの続行を沈黙という形で承諾している。こちらは神の意思に関係ないことなのにな。しかしそれでも俺が従っているのは、一樹がそれを望んだからだ。あいつの考えていることなど知らないが、その望みを叶えたと俺の頭が納得すればその分この胸に巣食う罪悪感が軽減されるからこそ、俺は異父兄の言葉に従うのである。
 超能力者に鍵を渡した神はいったん俺達を部室から追い出し、朝比奈さんの着替えが終了してから入れ替わるように部屋から出て行った。人口密度が半分以下になった文芸部室の定位置に腰掛けてチェスを再開させる。
 俺から言うことは何も無い。一樹も無言。しかし俺に用は無く、加えて一樹の方がわざわざ団長に言ってこの状況を作り出したのだから、向こうには俺に何か言いたいことがあるのだろう。まさか本当にこの一戦を終わらせたかった訳でもあるまいに。
 カタン、と硬質な音を響かせて駒を動かす。自身の黒い女王を動かした時点でようやく一樹が口を開いた。
「最近、涼宮ハルヒを優先しているようじゃないか。あの空間で惚れたか?」
 古泉一樹の仮面を剥がした異父兄は鼻で笑いながら嘲りを隠そうともしない瞳を向けてくる。
 全く何を言っているんだお前は。俺が彼女を優先するような行動を取るのは、お前がそうしろと言ったからだろう。
「・・・それとも何か。こんどは逆に神様の機嫌を損ねるのがご希望か?」
 嘲りを返すようにわざと相手を苛立たせるような声を出す。生憎こちらは一般的な顔立ちなので整った顔をした相手よりも迫力の面では劣ってしまうが、それなりに嫌味は通じるだろう。
 案の定、一樹は憎い俺に神経を逆撫でされて勢いよく椅子から立ち上がった。ガタン、と大きな音を立てて椅子が後ろに倒れる。あまり大きな音を立てるなよ。もうそろそろ校門を出たはずの彼女達がその音を聞き付けて部屋に戻って来るなんてことは無いだろうが、近くの他の部活の人間やら偶々この部屋の前を通りかかった奴やらがいたら少し問題だろう。『古泉一樹』はそういう乱暴な仕草をしない人間なのだから。
「本当にごちゃごちゃウザイんだよお前は。」
「ご希望とあらば黙るぞ。俺に『鍵』として振舞えって言ったのと同じように、今度は自分に余計なことを喋るなって命令すりゃいいんだ。」
 茶色の瞳を睨み返しながら嗤う。そう、嫌ならそれをやるなと命令すればいい。お前の所為で自分は不幸になったのだと俺を糾弾し、だからその代わりに命令を聞いてせめてもの償いをしろと言えばいいのだ。
「じゃあ僕が望めばお前は何だってやると?」
「可能なことならな。」
 机を回って一樹が俺の前に立った。こちらを見下ろす視線には苛立ちと、あとは何だ?憎しみは勿論含まれている。でも他に何か、悲しみに似たもの。しかし悲しみではないはずだ。俺を見てこいつが一体何を悲しむと言うのか。
「お前の所為で僕の世界は一度壊れた。」
「ああ。」
「涼宮ハルヒが三年前にこの世界を作ったのだとしても、今ここにいる僕とお前にはそういう共通の記憶がある。」
「そうだな。三年より前に俺がお前の世界を滅茶苦茶にした。これは俺達の間で違えることの無い真実だ。」
「だから僕はお前が憎い。」
「憎めばいい。俺にはお前に対する負い目がある。憎まれるだけの理由がある。」
 そして俺はその罪悪感から救われることを願っている。
「救われたいから僕の命令を聞くと言うのか。」
「気に食わないか?だったらそれはそれで、命令しなけりゃいいだけだ。」
 確認にもならない問答を嘲りでもって締め括った途端、襟元を捕まれて床に引き倒された。視界がぶれて背中を強打したと思ったら目前に嫌味なくらい整った顔、その更に向こうが天井だなんて、碌でもないシチュエーションだな。馬乗りになって殴るならどうぞお好きに。ただし顔とか見える位置は止めとけよ。あと、入院せにゃならん事態も避けろ。お前らの神様の機嫌が悪くなる。
「言われなくても解ってるんだよ、そんなことは。」
 それはそれは失礼致しました。とんだお節介を。
 不自由な体勢のまま肩を竦めると見下ろす視線が更に鋭さを増した。
「どこまで僕を苛立たせれば気が済むんだ。」
 さあな。しかしお前が俺を憎んでいるように、俺がお前を嫌っているということを忘れるなよ。人間ってのは嫌いな人間に対して何だって出来る生き物なんだ。だから相手を苛立たせるくらい造作も無い。
「俺はお前の父親のようにお前を拒絶したりしない。でも大嫌いなんだよ。俺にこんな感情を植え付けたお前が。」
「うるさい!」
「・・・っく、」
 癇癪を起こし、再度一樹が俺の襟元を持って床に叩き付けた。強く打ちつけられた背中がじわりと痛む前に一度呼吸が止まり、目尻に涙が溜まる。ついでに後頭部も痛い。絶対にこぶが出来てるぞ。悪い頭がこれ以上悪くなったら如何する。
 だがそんな俺に対し、一樹はこちらの襟首を掴んだまま力無く項垂れた。馬乗りになった状態で俺の胸元に額をつけ、低く小さな声で呻いている。
「お前なんか嫌いだ・・・」
「嫌いなんじゃなくて憎いんだろ。」
 言い返せば、キッと鋭い瞳と間近で焦点が合わさる。
「僕はお前が嫌いなんだよ。」
 一樹は顔を上げてはっきりと告げ、更に「だから」と接続詞を続けた。だから、何だ。わざわざ「憎い」と「嫌い」を言い換えてお前は何を言いたいんだ。
「だからさぁ、」
 猫撫で声とも取れる声音が俺の上を滑り、鋭かった瞳がチェシャ猫のように狭まった。視線の先の相手は更に一呼吸置いた後でスッと口元に弧を描くと、
「"人間ってのは嫌いな人間に対して何だって出来る生き物"なんだろう?」
 それはそれは綺麗に嗤った。
 同時にシュルリとネクタイを解かれて両腕を拘束される。なんだこの早業は。機関とやらはこんなことまで教えてくれるって言うのか。いやそうじゃないだろ俺。
 一つに纏められた両腕で相手の動きを妨害しようと躍起になるが、すぐに左腕一本で頭上に押さえつけられ、残った右手がシャツの合わせ目にかかる。そのまま勢いよくボタンが弾き飛ばされて自分で言うのもアレだが決して立派とは言えない胸板が相手の目の前に晒される。
「何しやがる!」
「これから僕が何をしてもお前は絶対に拒絶するな。それが僕からの命令だ。」
 ひたりと床を這う冷気のような冷たい声。
「命令、かよ・・・」
 見下ろしてくる異父兄の瞳が俺に対する憎しみだけでなく、小さな子供が何かにしがみ付いているような必死さを宿しているような錯覚を覚えたのは・・・何なんだろうね、全く。おかげで嫌だと声を出すことすら出来ないじゃないか。



* * *



 無理矢理だった行為の間中、俺はずっと声を殺して相手の好きにさせていた。イかされて突っ込まれて血を流して、小一時間もしないうちにもうそこら中がボロボロだ。はっきりと覚えちゃいないが最後の辺りになると呻き声や悲鳴くらいは上げたかもな。嬌声なんてあるはずないし。ああ、でも"命令"どおり拒絶の言葉だけは吐かなかった。
 行為が行為なだけに身体中に散らばったのはキスマーク、ではなく、容赦ない噛み付き跡と見事なまでの青痣だ。あの野郎、俺が抵抗しそうになると――身体の防衛機能が勝手に働くのだからしょうがない。アレの前に逃げ腰になることすら許されなかった――殴ってこちらの動きを止めようとしやがったのさ。こりゃ体育の時間が来たらヤバイな・・・。教室外で着替える場所を考えておく必要がある。
 そんなことを、俺はベッドの上でつらつらと考えていた。異父兄に犯されて放って置かれて、それでも何とか帰宅した身体は、現在風呂から上がりほかほかと温まっている。痣の位置を確認出来たのも風呂に入る前、脱衣所で自分の身体が鏡に映っているのを見たからだ。
 服を着れば隠れて判らなくなる青痣に指でそっと触れながら、あいつは何がしたいんだ、と呟く。特別見た目が良いわけでもなく、男で、しかも半分は血が繋がっている人間を、憎んでいる(それとも嫌っている、だっけ?)にもかかわらずどうして抱く気になれるのか。・・・考えても意味なんて無いのにな。
 俺はただ自分の罪悪感を軽減させるために、あいつの言葉に従っていればいいんだ。あいつが『鍵』として振舞えと言うなら振舞うだけだし、今日みたいなことをさせろと言うなら好きにさせればいい。
 再会した当初――『鍵』として振舞えと言われたばかりの頃だ――は、まだその命令を聞くに足る理由を欲していたりもしたけれど、今はもう如何でもいいと思う。今の俺はあいつの言葉に従うことにより、再会によって復活した罪悪感が軽減されるという事実をこの身で感じてしまったのだから。
 人はこんな俺を、堕ちた、と表現するのかもしれない。だが、それがどうした。人一人の、しかも半分とは言え血が繋がっている人間の人生を滅茶苦茶にしたんだぞ?この苦しみから逃れられるなら俺は何だって出来るね。

(それが例え、神の機嫌を損ねることだとしても。)
(世界を、壊してしまうことだとしても。)








(2007.10.11up)



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