れた

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 その夜、古泉は俺を抱き締めて眠った。俺と俺の首の輪をうっとりと見つめて「あなたの綺麗な首筋を隠すのは惜しいんですけどね・・・」と本気で零しながら、しかしそれ以上に幸せそうな顔で。
 抵抗?勿論最初に反射で思い切りやりそうになったさ。しかし抱き付いてきた古泉を突っ撥ねようとして腕に力を入れた瞬間、こちらを覗き込んできた目が酷く怯えていたから―――、だから許したんだ。
 抱き付くのを許した後、古泉は更に調子に乗ったらしく、眠りに落ちるまでその台詞を呟いたりこちらの首筋に顔を埋めたりしていた。だがそんな古泉とは対照的に俺はこれまでの十分な睡眠と現状の所為で眠るに眠れないでいた。第一、ノーマルである俺が男――しかも小さな弟ポジションならまだしも古泉は俺よりデカイ同級生だ――に抱き付かれて素直に眠れるかってんだ。
 図体ばかりが大きく、しかし寝姿は子犬の如く。あどけなささえ感じ取れそうな表情を浮かべ、古泉はこちらに身を寄せて静かな寝息を立てている。連続で発生している閉鎖空間の所為で疲れも溜まってきているらしく、俺が多少動いても起きる気配は微塵も無かった。ただし距離を取ろうとするとむずがるような仕草を見せたりするのだが。・・・おい古泉、お前本当は起きてるんじゃないのか?
 ふと思いついて頬を指でつついてみた。『古泉一樹』のイメージを守るために一応肌の手入れもしているらしい――それでも「一応」の手入れだけでこの状態を保てるのだから世の女性にとっては羨望の対象となるだろう――こいつの頬はぷにぷにと笑えるような感触を返してくる。それでもまだ目を覚ますことは無いが、何度か続けてつつくと眉間に薄らと皺を寄せるのが面白い
 ・・・―――面白い、か。たった数時間で既に俺の意識も変化し始めていたようだな。もともと古泉に対してそれほど嫌悪感を持っていたわけでも無かったから無意識の順化が思ったより進みやすくなっていたのだろう。
 思わず自嘲が零れ落ちる。古泉の頬をつついていた指は場所を移動して俺の首に触れていた。正確には金属製の首輪に。映画等で囚人に付けられるようなゴツい鉄製のものではないが、まず人力じゃあ絶対に曲げることすら出来ないだろうと思える艶消しブラックのそれ。古泉曰く、鎖と色を合わせて銀色にするかそれともこの黒いものにするか悩んだのだそうな。つうかお前、こんなもん何処で買ってきたんだよ。まったく。
 やれやれと小さく首を振る。
 俺は既に選択したのだ。自分のエゴのためにこの状況を受け入れるという選択を。突き付けられた選択肢はたった二つで、一方を選べば解放の代わりに仲間の一人が壊れ、もう一方を選べばそいつは壊れずに済むが俺の自由が無くなる。そして俺は人一人の心を殺してしまうのを恐れて間違っているはずの選択肢を選んでしまった。だからもう悩んだって仕方が無い。悩む時間は終わったのだから。
 こうして後悔を紛らわすために浮かんでくるくだらないことも、時間が経つに連れて紛らわすためのものではなく笑うためのただのネタと成り果てることだろうしな。
 人間なんて良い意味でも悪い意味でも順応しやすい存在だ。大抵はその場の環境に合わせ、自分にとって最もダメージが小さくなるように己を作り変えてしまう。そして俺は非一般的な目に合うことも度々あるとは言え中身は一般人なので、立派にその「大抵」の一員であり、つまりは己を作り変えやすい存在だと言うわけさ。
 銀色の鎖に触れる。今は煩わしくてしょうがないこれもいずれは平気になるだろう。古泉が抱きついてくることも平然と受け入れて、更には抱き返すようになるかもしれない。
 はぁ、と己の所業に溜息をつく。三日間の許容、か。もし俺が最初から全力で拒絶していれば古泉もこんなことしようとは思わなかったのだろうか。
「眠れませんか。」
「やっぱり起きてやがったのか。」
 随分はっきりとした音を伴って降って来た声に一瞬前とは違う意味で溜息を零す。
「さっきまで寝ていましたよ。本当です。」
 至近距離で微笑む顔から齎される言葉はどうにも冗談半分――つまり半分本当で半分嘘だ――にしか聞こえない。まあとりあえずその言葉を真実として話を進めよう。
 お前が起きたのは俺の所為か。随分と動き回ってたしな。
「そうなんですか?気が付きませんでした。」
 眉根を寄せた微苦笑はおそらく本気で戸惑っている顔だろう。なんだ、俺が動いてたのに起きなかったってのはお前にとってそれほど奇妙なことなのか。
「これでも力を得た時から人の気配には敏感になってましたからね。事情が事情ですから眠りが浅いと言った方が正しいかもしれません。他人が居ると眠れないという程ではありませんが、腕の中で動かれるとそれなりに気が付くと思いますよ。ああ、勿論実際に誰かを抱いたまま寝たことなんてありませんけどね。」
 最後の付け足しに古泉の僅かな焦り具合を感じ取った俺は一体何だろうね。安心しろ。俺はお前が誰とどうなっていようが口を挟むつもりなど毛頭無い。
「それはそれで悲しいんですが・・・。でも本当に、こんなことをして眠ったのはあなたが初めてですよ。」
 ああそうかい。
 ところで自称眠りの浅いお前だが、本当に気付かなかったのか?俺、結構色々やってたぞ。頬も突っついてたし。
「・・・なっ、」
「な?」
 目元を赤く染めた古泉の台詞(というか一音)を疑問系で返せば、奴は抱き締めていた腕を解いて己の口を手で覆い隠す。耳まで真っ赤になって視線が泳ぐその様は女の子ならばかなりぐっとくるものなのだが、如何せんこいつは古泉一樹だ。すまん、正直言って萎える。それにしても一体何事だ。いきなりそんな反応をされてもこっちは対処に困るばかりだぞ。
 古泉はうろうろと視線を彷徨わせた後、俺からは微妙に目を背けてポツリと呟いた。
「なんて可愛らしいことをしてるんですかあなたは・・・」
「殴るぞ。」
「殴った後に言わないでください。」
 体勢の所為で如何せん力が入らなかったのがよろしくない。よし古泉、今すぐ起き上がれ。改めてもう一発お前の腹にキめてやる。
 ああもうなんか俺まで顔に熱が集まってきたような気がする。お前の所為だ。お前が変なことやるからだぞ。寝ている間にちょっかい出されて赤くなるとは何事だ。照れるな恥じるな悦に入るな!気持ち悪い!つーか俺も何やってたんだ!?今更ながらに恥ずかしいとか思えてきちまったぞオイ!
 とか言ってる間に今度は抱き付いてくるのかお前は。しかもめいっぱい。
「本当にあなたは可愛い人だ。・・・大好きです。愛してます。僕にはあなた以上の存在なんて居ないし、もとよりそんなものは必要ない。」
 こちらの首筋に顔を埋めたまま古泉は切なそうに想いを吐き出す。感情の高まりにより掠れた声はそれから何度も何度も俺に愛を囁き続けた。
 さて、それを気持ち悪いと感じないのはどういうことだろうね。慣れか?いやいや、自分で言うのもなんだが俺は他人から好きだとか愛してるとか言われることにそうそう耐性があるわけじゃない。そんな境遇に今まで恵まれなかったし、実はこうして囁き続ける古泉が初めてだったりするのだから。幸か不幸かと言われれば真っ先に不幸を選択するしかないな、これは。
「じゃあ僕があなたの初めての人なんですね。」
「背筋が冷たくなるような言い方はよせ!見ろ、鳥肌が立っちまったじゃねえか・・・!」
 腕を見せて訴えるが、目の前の奴はてんで聞いちゃいない。ひたすら幸せそうに微笑んでいるだけだ。
 まったく、何だろうねこの状況は。
「しかし今更なんだが、お前は俺の何処がそんなに好きなんだ。あと、いつから。」
「そうですねえ、"全部"と言ってしまえれば楽なんですけど、それでは心が篭っているように思えませんし・・・。声と、それから時折見せてくださる笑顔が特に好きですよ。あと、初めてお会いした時から気になっていたのは事実です。それが何故なのか、当時の僕はあなたが『鍵』――つまり神である涼宮ハルヒに選ばれながらも僕達超能力者とは違って平凡かつ幸せな環境にいる存在――であることに嫉妬しているから自分はあなたに他人とは違うモヤモヤしたものを感じているのだ、と分析していましたね。それが恋心に変化して今の状態になったのか、それとも元々恋心だったのかは、今でもよく分かっていないのですが。」
 そう締め括った古泉は俺を見てこれはちょっと他人に見せちゃいかんだろ的な顔の崩れ方を晒している。あなたが僕に興味を持ってくれたことが嬉しくてたまらないんですよ、ってお前それをその顔で言うな。あと俺の顔の赤さについて指摘するのも止めろ。
「もういい。訊いた俺が馬鹿だった。そんでもって俺は寝るぞ。だからこれで話は終わりだ。明日は学校なんだしお前も寝ろ。」
「ええ、そうですね。寝ましょうか。」
 改めて俺を抱き締めながら――まだこの体勢を続ける気かお前――古泉は微笑む。俺は呼吸と溜息の中間くらいの息を吐いて相手の好きにさせることにした。


 気が付くと朝になっていて、つまり俺はすんなりと眠ってしまっていたわけだ。
 古泉とは未だに密着したまま。やっぱりこいつ、眠りが浅いとか気配に敏感だとか絶対嘘だろ。昨日だって朝飯作ってる時にようやく起き出したくらいだし。
「おい起きろ。このままだと朝飯をつくるどころかトイレにも行けんだろうが。」
 腕やら胸やら顔やらを小突きながら相手の覚醒を促す。ついでに足も蹴ってやれ。早く起きねえと昨夜みたいな一発を再々度キめてやるからな。
 終いに「んー」だか「う゛ー」だか、微妙な声が聞こえ始める。そんな風にしぶとく間抜け顔で眠る古泉を眺めながら、いつしか俺は笑っていた。








ベッドの中でイチャついているようにしか見えない。
キョンがとにかく自分の感情(の変化)に理由を付けようと必死。無意識ですが。

(2007.10.21)



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