壊れた世界に響く詩
+4+
いつの間にか眠っていたらしい。意識が浮上したばかりのぼやけた頭で辺りを見渡す。白色光を放つ天井の照明器具、自分が寝ていてシーツに皺がよったベッド、床に敷かれている落ち着いた色のカーペット、小難しい本やらミステリやらSFやらが詰まった本棚、モダンなデザインの机の上にはノートパソコン、洋服の端が飛び出している・・・なんてことはないクローゼットや箪笥、棚には幾つかのボードゲーム、他諸々。実に『古泉一樹』らしい部屋だった。
もしやと思ってまずはパソコンの電源を入れてみる。ファンが回り出し、画面には起動中のマーク。スペックが良いらしく、程なくしてパソコンはログイン画面を表示させた。どうやらSOS団の団室もとい文芸部室にあるパソコンとは違い、わざわざパスワードを入力する必要があるらしい。これじゃあ俺は使えない。マウスを操作して何も出来ぬまま電源を落とした。 次はジャラジャラと煩い右足の鎖を引き摺って部屋を出る。照明は点いたままだったからスイッチの場所を探す必要は無かった。 リビングに辿り着き、俺は窓から見える景色が真っ暗なことに気付いた。もう少し早い時間なら眼下に住宅の窓から零れ出る光を見ることも出来たのだろうが、今はそれすら消えてポツポツと街灯の明かりが見える程度である。もうそんな時間だったのか。 正確な時刻が知りたくなってキョロキョロと首を巡らせ、時計を探す。俺が眠っていた寝室にも探せば(ベッドの脇とかに)置時計の一つくらいあったのだろうが、その時は気付かなかったのだからしょうがない。・・・っと、あった。液晶かプラズマか判らんが、とにかく薄型大画面のテレビの横にぽつんと置かれていた。 「二時かよ・・・」 呟いた声は随分と引き攣っていた。 もうそろそろ新聞配達員の方々がお仕事をスタートなさる時間じゃないか。それなのに俺はこの家で一人、つまり家主である古泉はまだ帰宅していない。神人狩りがそんなに大変なのか、それとも俺をこんな風にしていることがバレて如何にかされてしまったのか。 いや、前者は有り得るとしても後者の可能性は低いんじゃないか。ハルヒにとって『鍵』らしい俺のこんな状況を知っているなら現状維持を望んでいる(らしい)機関の誰かが助けに来てくれてもいいもんだ。しかしその様子は無い。また機関が――古泉の話を信じるなら――情報統合思念体と同じように趣旨変えをしたとしても学生生活や神人退治という雑務をこなさなければならない多忙な身の古泉に鍵の監禁までやらせるとは思えない。つまりその場合でも俺を監禁するための誰かがやって来るというわけだ。 元々広い部屋は俺一人しかいない所為で更に広く見える。ガランとした冷たい雰囲気が末端から身体を冷やし始めたような気がして思わず腕をさすった。 ここに居ない古泉に、早く帰って来い、と思ってしまう俺はどこかがイカレちまっているのかね。それともまだ、あいつはこんなことをする奴じゃない、とSOS団団員として信じているのだろうか。 自分の思考回路が理解不能で、眉間に皺を寄せながら溜息を一つ。ダイニングテーブルの椅子を引き出して腰掛け、置かれていた小型の観葉植物の葉を撫でた。瑞々しい葉は白と黄緑のマーブル模様を描いて実に爽やかなイメージを受けるが、生憎俺の心中は同じマーブル模様でも配色が最悪だった。 どろりと渦巻く気持ちの悪いもの。怖いのか、俺は。それとも怒りが行き過ぎてこんな風になってしまっているのか。はたまた別の何かか。 耐え切れず、テーブルに額をつけて腹を抱える。伝わってくる冷たさはただの熱移動の結果でしかなく、こちらの胸の内を冷やしてくれたり浄化してくれたりするわけではなかった。マーブル模様が渦巻く。ぐるりぐるりと。ぐるぐる、ぐる。ぐぅ。 「・・・・・・・・・・・・腹減った。」 どんなに悩んでいようと、否、悩んで頭を使っているからこそ、腹は減る。シリアスシーンぶち壊しの我が腹の音に苦笑して俺は椅子から立ち上がった。 家主が出かける前に何でも好きにしてくれて良いと言ったのだから、遠慮なく好きにさせてもらおうではないか。 まずは冷蔵庫の中身をチェック。まあ、それなりに揃ってるな。あいつも自炊とかしてるんだなー・・・と思ったのだが、賞味期限をチェックしているうちに気付いた。これ全部、最近買ったやつじゃないか。飲料系はミネラルウォーターを除いて未開封のまま、野菜室の野菜もドアポケットの卵もフリーザーの肉や魚も新鮮そのもの。もしかして俺が食うためだけにわざわざ用意したのか、あいつは。いやいや冗談だろ。 しかしながら、冷蔵庫の中身を冗談にしたい俺が次に見たのは全く使われていない調理器具達だった。一応買った後に洗った気配はあるのだが、傷一つ無いその様にとても調理を経験した調理器具とは思えない。 「あいつ普段何食って生きてやがんだよ。」 ご近所のコンビニか?それとも店屋物か?まさか水とサプリメントだけ、とか言わないよな。 頬を引き攣らせながら見つけたサプリメントの瓶を振る。半分以下になった中身がカラカラと音を立てた。これはマルチビタミン・・・。ああ、こっちは鉄、それにカルシウム?ブルーベリー(アントシアニン)だなんてものも発見したし、店じゃ売ってなさそうな怪しげな薬も見つけた。 サプリメント系の探索は思った以上に精神的なダメージがあったので途中放棄。俺は自分の腹の虫の催促に従ってまともな食べ物探しに戻った。 材料は色々揃っているのだが、それ程レパートリー豊富とも言えない俺が作れる物なんて高が知れてる。妹と齢が離れている所為でおやつの類なら普通の男子高校生どころか女子高生よりも作れる品数は多いと思うが、残念ながら主食には向いていない。しかも手間だってかかる。とにかく丸一日以上食ってない俺の腹の虫は早急なる食物の摂取を望んでいたので、手早く作れて腹の膨れるものにしたい。 そうこう考えていると―――。 「・・・あいつもラーメンとか食うんだな。」 見つけたのはカップ麺。中々に種類も豊富だ。一個だけのものや二・三個あるもの等、数が種類によって違うので、古泉がそれを食っているのだと見当をつけることが出来た。もし俺用に買っているのだとしたら、一種につき一個、もしくは二個、といった感じに全て個数を揃えているんじゃないかと思うね。 幾種もあるカップ麺のうち、二個以上あるものから一つ頂く。お湯はポットのものを使わせてもらおう。98℃設定だったから使えるよな。箸は未使用の塗り箸が食器棚の見えやすい位置に置かれていたのでそれに。古泉が使っているらしきものは別にあったし、どうせこれも俺用に買ってきたんだろうよ。 お湯を注いで三分後。カップ麺の中で最もオーソドックスな一つをズルズルと口に運びながら俺はテレビを眺めていた。 ラーメンが出来上がるまでの三分間で俺が何処まで移動することが出来るのか確かめてみたが、古泉が言った通り寝室やリビング以外の部屋にも、勿論トイレや風呂にも自由に辿り着くことが出来たが玄関まではどうしても届かないようになっていた。あいつはこの移動範囲を考えた上で俺をあの部屋に繋いだのだろうか。何もそんなところで頭を使わずとも・・・と思うのは俺が捕らえられた立場にいるからだろうか。いや、それとも普通はこんなにも気楽にはいられないものか?イマイチ自分で自分がよく解らん。 それにしてもそういう変態的なところに頭を使う前にもっと常識的な方で色々考えて欲しかったね。本人が出かける前にも言ったが、なんであいつはわざわざ自分を危険な目に晒そうとするんだ。自殺志願者か。自殺しようと思ったのは力を自覚したばかりの頃だけじゃなかったのか。 今もこうして神人狩りに行ったまま帰って来ないし、そんなに大変なら最初から自分で原因を作るようなマネをするなってんだよ。俺は閉鎖空間での怪我や、そもそも機関の人間がどんなことを感じて戦っているのかということについて何も知らないが、あの暗い場所で戦わなくて済むと思うだけでほっとするくらいには歓迎出来ないものなんだろう?世界云々の前にさ。お前達は、少なくとも古泉、お前は嫌だと、やめたいと思ってるんだろう? そんな感情を持ちながらこういうことをするあいつの神経が解らない。いや、話の筋としては解ってるんだ。あいつは俺が好きで俺を手に入れたくて、閉鎖空間の多発やその他諸々の危険性を差し引いてもその願いの方を優先した、と。 では俺が理解していないのは何なのか。そりゃ至って簡単。根本的なもの。つまり古泉の感情だ。「理解出来ない」と表現するよりも「信じられない」の方が適切かも知れないな。 好きって何だ。どうしてあいつみたいなデキた奴が俺なんかにそんな言葉をかけることが出来るのか。その好きという言葉で表現出来る感情が(行き過ぎた感のある)友人に対するものなのか恋人に対するものなのか、ここでは言及するつもりなど無いが、とにかくそれは自分の生死を賭けてでも優先すべきものなのか? 高校生だなんていう(一応)多感な時期に抱く想いなんて大抵は成長するに連れて消えちまうものだ。中高生の恋愛なんてそんなもんだろ?そりゃ中には学生の時に出会った人間と最後まで添い遂げるなんて事例もあるが、それはごく僅かなものでしかない。しかも古泉の場合は俺、つまり同性。もし万が一成人した後もその想いを抱き続けることが出来たとして、それで何になる。俺は同性に恋心なんて抱いたことが無いからそう言えるのかもしれないが、第一生産性が無いだろう。初っ端から生き物の道を踏み外しているじゃないか。おいおい、自己の保存はどうした。生き物は皆、自分の遺伝子を残すために生きてるんだぞ。恋愛感情なんて身近に最も自己の遺伝子の存続に相応しい相手と巡り合えないストレスを軽減させるためのものだと言う説もあるくらいなのに、真っ向からそれに反対するってわけか。 ・・・なんか自分が何言ってるか解らなくなってきたな。しかも最後あたりは俺の考えじゃないだろ。それは本に書いてあったことだ。俺自身は恋愛感情がそれ程無意味なもんじゃないと思ってる。恋愛万歳。青春万歳。いつかはドラマみたいなベタで幸せな体験もしてみたいと思ったりするさ。 で、結局俺が言いたかったのは、古泉が自己の喪失よりも――簡単に言えば、死ぬことよりも――俺を閉じ込めたいと思っているというのが信じられないのだ。古泉よ、お前はそんなに俺が好きか。今この瞬間ですら、俺を閉じ込めたことについて後悔を覚えていないのか。あまり考えたくないが、もし閉鎖空間で俺が原因で酷い目に遭ったとしたら、お前はその時負う傷や痛みや苦しみを無かったことにしたいとは思わないと言うのか。・・・俺はそのことが信じられない。 「あー・・・伸びちまった。」 ふと気が付くとカップラーメンがエラいことになっていた。思考を飛ばしすぎたか。つうかなんで俺が、あんなことをし、そして現在進行形でこんなことをしてくれている古泉に対してぐるぐる考えねばならんのか。テレビから聞こえる名前も知らない芸人の薄ら寒いコントが余計癪に障る。 些か乱暴にリモコンでスイッチを切り、伸びたラーメンをさっさと胃の中に収めた。 腹は膨れたが部屋はまた静寂に支配されて居心地が悪い。やはり番組が気に入らなくてもテレビを点けておくべきだったか。チャンネルを変えれば気に入らずともマシと思えるものくらいあったかもしれないし。 カップ麺の容器をゴミ箱に捨て、箸を適当に洗った後、俺は再びリモコンを手にしていた。夕方頃から眠っていた所為か、普段なら寝ている時間なのにあまり眠くならない。テレビの前のソファに座り、膝を抱えるような格好でチャンネルをパチパチと変える。サイズがピッタリだったのでソファの横に置かれていたクッションを抱きかかえて。どうしてこうもっと普通に座れんのかとも思ったが、この体勢を好んでしまうのは今が夜だからだと適当な言い訳をすることにした。反論は認められん。 しかしその体勢の所為か、それとも有料放送の番組が映し出す穏やかな映像と音楽によるものか、俺はいつしかクッションを抱えたまま眠りに入りかけていた。画面に映っているものが何なのか殆ど認識出来ず、記憶には空白の時間が増えていく。このまま寝たら起きた時大変なんじゃないか・・・?あちこち痛かったりしてさ。それなら寝室に戻ってベッドを借りた方が・・・。そのベッドって俺が古泉にイかされたベッドだよな。そんな所で眠れるのか。眠いんなら眠れるんじゃねえか。それよりも移動するのが億劫だ。眠い。眠いなー・・・。 その時、カチャリ、と扉の開く音が聞こえて俺の意識は一気に覚醒した。ソファの端に乗っていた足が落ちて鎖が鳴る。その直後、部屋に入って来た何者か――と言っても誰なのかは想像つくけどな――は驚いたような気配を漂わせながらバタバタとリビングに現れた。 「まだ起きてたんですか・・・!?」 時間帯の所為で声は抑えられているが、そう言った古泉は随分戸惑っているようだった。なんだ、俺が起きてちゃ悪いのか。 「あの、いえ・・・そういうわけではないのですが。」 視線を周囲に彷徨わせながら落ち着きなく答える。実に古泉らしくない。まあ、俺をこんな目に合わせている時点で俺の中の古泉像は様々な箇所に綻びを生じ始めているがな。 「もうそろそろ眠らないと明日に響きますよ?」 「その口ぶりは、明日になったら俺を解放してくれるというわけか?」 「いえ、そうではありませんが・・・」 「だったら俺が何時に寝て何時に起きても一緒だろう。それともお前、自分と同じリズムで生活させて俺にいってらっしゃいとでも言わせたいのか。」 「それはそれで素敵ですね。」 アホか。 相手の精神構造が全く理解出来ず、頭痛を覚えて額に手をやる。 「ど、どうしたんですかっ!?頭が痛むんですか!?」 それを見た古泉が慌てて駆け寄ってきた。俺が座るソファの前に膝をついてこちらを覗き込んでくる。見上げる顔の整った眉は見事なまでに八の字で、双眸には心配そうな色が湛えられていた。それにしても台詞をどもるとはお前らしくもない。 「あなたが大切だからです。それで、痛いところは?」 「・・・お前のそんな珍しい顔見てたらどっかいっちまったよ。だから離れろ。顔が近い!」 そう言った途端、と言うよりもむしろ一つ目の台詞を言い切った時点で古泉の周りに花が飛んだ。いや、比喩じゃなくて俺にはそう見えたんだ。パァァア!って感じにファンシーなお花が沢山。確かにこいつは花さえ背負えそうな見た目をしているが、流石にこういった可愛らしいものはどうかと思うぞ。 しかし何がそんなに嬉しかったんだ古泉よ。全くもってお前の思考は理解不能だね。 「今はまだ理解していただかなくても構いませんよ。理解していただけたならこれ以上嬉しいこともありませんけどね。」 にこやかに告げ、古泉が立ち上がる。それから俺に手を差し出し・・・ってお前、俺相手に王子様のマネでもするつもりか。そういうのは可愛らしい女の子にやってやれ。お前のファンだったら卒倒しかねんがな。 俺は差し出された手をペチリと叩いて自力で立ち上がった。そのまま古泉の横を通り過ぎ、寝ていた部屋へ足を向ける。横目で見た古泉の表情は苦笑のように思えた。 右足を動かすたびに鎖が音を立てる。こんなことをしてくれている奴に対してどうして俺は詰ったり怒鳴ったりしないんだろうね。あまつさえ古泉に怪我が無さそうでほっとしてやがる。あぁもう、古泉を理解する前に俺自身が理解不能だ。 頭を掻きながら、鎖を挟んだまま半開きだった扉を開ける。ちらりとリビングを振り返ればやはり苦笑を浮かべた古泉一樹の姿。 「古泉、」 「はい?」 「・・・おかえり。そんでもって、おやすみ。」 憮然としたまま告げて俺は扉を閉めた。ここは古泉の部屋なんだろうが知ったこっちゃないね。そして同時に扉の向こうに消えた古泉の表情も知ったこっちゃない。視界の端に映った端正な顔が、花が綻ぶように笑っただなんて俺の見間違いだ。そして同時にちょっとばかり嬉しく感じてしまったのも気のせいに違いない。 (2007.10.03up) |