れた

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 目を開けると、見覚えの無い天井が広がっていた。天井に取り付けられた照明が放つのは少しクリーム色が入った白色光。視線をずらせば木目調の結構値が張りそうな扉も見える。何処だ、ここ。と言うか、俺はなんでこんな所に。
「・・・ぁ、」
 頭の中から記憶を引っ張り出して息を呑む。そうだ。あいつに、古泉に告白されたんだ。俺もあいつも同じ男だっていうのに。
 同性愛を否定するわけじゃないが、まさか自分がその対象になるなんて思っても見なかった。勿論、今も半信半疑だ。だってこう言うのも癪なことだが、古泉は人並み以上に整った顔をしていて対外的な性格も悪くはないから恋人なんて選び放題に違いない。そんなあいつに対して超が付くほど凡人の俺だぞ?突然の告白だなんて、イコール嫌がらせか冗談で繋げた方がよっぽど真実味がある。
 そこまで考え、いつもの癖で「やれやれ」と顔に手を持っていこうとする。しかし腕が思わぬ抵抗を受け、俺は何事かと万歳の状態だった右腕に視線をやった。
 ・・・おいおい。冗談だろ。
 視界に映る銀色の鎖。手首に付けられた手錠から伸びたそれは俺が横たわっているベッドの足にまで続いているらしい。引っ張るとすぐにピンと張り、確かに鎖の先が何処かへ固定されていることを予想させる。まさかと思って左腕も動かそうとしてみれば、右腕と同じ結果になった。
 ちょっと待て。これは一体どういうことだ。どうして俺がこんな目に遭わねばならんのだ。それとも夢の中の出来事だとでも言うつもりか。それにしちゃあ随分と鮮明な夢だな。ガシャガシャと結構派手な音を立てながら両腕を動かそうとする度に、手首に体温で生温くなった鉄の感触が伝わってくるぞ。・・・って、足もか!?身体が起こせないのできちんと見ることは叶わないが、両足首にも手首と同じ感覚がある。生温くなった鉄の感触と、動かそうとしても阻止される強すぎる抵抗感。そして微かに許可された動きに伴うチャラチャラという金属音。
 サアッと全身の血の気が引いた。完璧に拘束されてる。そしてここは何処だ?この部屋の主は?こちらの意識が途切れる前にそいつが言っていた言葉は?その意味するところは?この状況との関連性は・・・?
 深く考えずとも解る。目の前に見える天井は、あいつの部屋に初めて足を踏み入れた今日、天井高いな・・・と思いながら見上げたものだ。この部屋の主は俺をここに呼んだ古泉一樹。古泉の部屋に招かれた俺は出された茶に口を付けて、話は何だって聞いたらあいつから告白されて、でも俺は冗談だと一蹴して、意識が途切れて―――。その寸前、網膜に焼き付いたのは古泉の嬉しそうな、でも何かがおかしい笑顔。これだけの条件が揃っているのだから、俺をこんな目に合わせたのは古泉一樹以外に考えられんだろう。
 でもどうしてこんなことを。俺が古泉の告白を断ったからか・・・?いや、そもそも古泉の告白を本気のものだと考える所からして間違ってる可能性の方がずっと高い。機関がついに趣旨変えをして強硬的な態度を取るようになったとか。その行動の一環としてハルヒにとっての『鍵』であるらしい俺を監禁してどうにかしようとしているとか。話があると言って俺を自分の部屋に呼び、睡眠薬が入った紅茶を出して眠らせるのが、機関の人間としての古泉の仕事だったのかもしれん。好きです云々はただの時間稼ぎに過ぎないと、そう考えれば納得もいく。
 そこまで思考が辿り着き、同じSOS団の仲間として色々な目に遭ってきたはずの古泉に対し裏切られたと腹を立てる一方で、機関に属する限り古泉本人がどう思おうとその命令には従わざるを得ないんだろうなと言う悲しみに似た何かが胸を締め付けた。それはきっと、俺が古泉に対して抱いている感情の表れでもあるのではないかと思う。つまり俺はあの胡散臭い笑顔を振り撒く男に対して、少なくとも心の半分くらいは信頼で占められていたというわけだ。
 脳内会議で今回の古泉の行動が機関の命令によるものだと決めつけ始めていたその時、離れた所でドアの開閉する音が響き、続いて俺が寝転がっている部屋――ベッドもあるし、寝室だろうか――の前を通る誰かの足音が耳に届いた。ここが古泉の家なら古泉本人か機関の関係者なんだろうな。でも足音は一人分だけだったようだし、それなら前者の可能性の方が高い。・・・あー、情け無いことだが、そっちの方が有り難いとか思ってしまった。よく知らない、もしくは全く知らない人間なんかより古泉の方がまだ安心出来るってもんだろ?
 部屋の外を他人が通り過ぎたというたったそれだけのことで、こんなにも古泉への信頼具合があからさまになってしまった。実に俺らしくない。やはり身動き取れない状況というのが精神的にかなりの負荷を掛けてきているのだろうか。
 思わず眉間に皺を寄せていると、一度部屋の前を通過した足音が再び近付いてきた。古泉だよな・・・?と思いつつも身構えてしまうのは生物の防衛本能的に仕方が無いことだと主張したい。
 ドアノブを掴む音。カチャリとノブが回されて一枚板らしき木製の扉がゆっくりと音を極力抑えるように開いていく。
「おや、もう起きていらっしゃったんですね。おはようございます。とは言っても、もう既に一日経って夕方なんですが。」
 いつも通りの如才ない笑みを浮かべて古泉一樹がそこにいた。手に持っているのはイメージカラーが青だったりする有名なスポーツドリンクの500mlペットボトル。紅茶の時と同様、「喉が渇いたでしょう?」と軽く持ち上げる仕草さえ実に絵になるのはどういうことだ。そのままCMに起用してもらえるんじゃないか。
 少し濁ったような液体がペットボトルの中で揺れる。それが人工の光を反射するのを見ていると、ようやく俺は自分の渇き具合に気付いてカラカラな喉に無理やり唾を送り込んだ。ああ、確かに渇いてるな。お前の話が正しいなら俺はほぼ一日の間何も口にしていないわけだから。意識したら腹まで減ってきたぞ。
 思考を視線に乗せて古泉へと飛ばす。何故声に出さないのかと言うと、"出せない"からだ。喉がカラッカラなんでね。どうせ引き攣ったような声しか出せんだろう。それなら早くあいつの持ってるペットボトルの中身を喉へ流し込んでやりたいってわけだ。
 閉鎖空間限定超能力者はそれでも一応俺の視線の意味を正確に悟ったらしく、わかりました、とキャップを開けながらベッドに近付く。しかしながら、寝たままでは流石に飲みにくいぞ。大方、顔にかかって事後処理が面倒臭くなるに違いない。
 胡乱げな目で相手の出方を窺っていると、古泉はベッドサイドに膝をつき、あろうことかスポーツ飲料を俺の目の前で呷った。そのまま飲むってか!そりゃなんのイジメだ!?
 思わず渇いた喉のまま叫びだしそうになった瞬間、いつも近い近いと言っている秀麗な顔が近付いてきた。おいおい、なんの冗談だ。確かに出来ないわけではないが、それはやや非日常的な生活を送っているとは言えども男子高校生同士でするようなもんじゃないと俺は思う―――・・・。
 呆気に取られ目を見開いていた所為で近付きすぎた顔がいつも以上によく見えた。ああ、やっぱり睫毛長いなぁこいつ。薄い瞼が降ろされていて嫌でも見えてしまう。喉に流れ込むのは期待していたよりも冷たさが失われ、生温くなった甘い液体。触れ合う部分がやけに濡れている。そりゃそうか。だって俺は今こいつから口移しで、
「ぃ、ッ!いきなり噛まないでくださいよ。」
「ふっ、ざけんな!!」
 再び距離を取った相手を思い切り睨み付ける。男にキスされただと?ハルヒとのあれはノーカウントだから、もしかしてこれが俺のファーストキスだとでも言うのか。別に初めてのそれがどうだこうだ言うつもりも無いが、それにしたって相手が悪すぎるだろう。なにせ異性ですらない。俺の嗜好は至ってノーマルなんだぞ。
 だから怒って当然だろう。相手から逃れるために相手を傷つけるのだって。
 けれど俺の感情とは正反対に、古泉は唇に赤い色を滲ませながら悪気の無い顔で微笑んだ。
「元気そうで何よりです。もっと怯えられると思っていましたから。」
「誰が怯えるって?言っとくがな、俺はむしろ怒りまくってるよ。目が覚めたら鎖で拘束とは、『機関』も随分ふざけたマネしてくれるじゃねえか。」
「・・・『機関』、ですか?」
 俺の台詞に古泉が僅かに首を傾げる。その動作に、俺の方こそ首を傾げたいんだが。だってこの拘束は、どうせ機関の命令でお前がやったんじゃないのか?
「いやだなあ。今回のことに関して『機関』は関係ありませんよ。あなたをこんな風にしたのは全て僕の意思です。」
 さも当たり前のことのように視線の先の優男は笑顔を崩さぬまま言ってのけた。向けられる笑顔に、背筋をぞっとした嫌なものが這い上がる。
 冗談だろ?冗談だと言ってくれ。これがお前の意思だって?こんなことをしてお前に何の得があるって言うんだ。精々限定的エスパーの他に変態高校生の名前が追加されるくらいだろ。マイナスはあってもプラスなんて何処にも無い。
「あなたはもう昨日お話した僕の言葉を忘れてしまったんですか?あなたの価値をあなたは解っていない、と。少なくとも僕にとっては、あなたを探して現在血眼になっている『機関』に見つかり次第自分がどうなるか判らないリスクを負っても、そして勿論大好きなあなたから侮蔑の目で見られようとも、それを補って余りある程のリターンがあるんですよ。」
 また「大好き」か。それはお前の冗談なんだろう?彼女なんて幾らでも選び放題なお前がなんでよりにもよって俺なんだ。普通に考えて有り得ない。よってお前の言葉は嘘だと判断させてもらいたいね。しかしながら俺は学校を今日一日無断欠席したみたいだし、機関が本当に血眼になって俺を探してるってのが本当ならお前が今俺をこうしていることもすぐに気付かれちまうんじゃないのか。
「まだ僕の言葉は信じてもらえないんですね・・・。まあいい。始めからその覚悟はありましたし。・・・・・・それで『機関』の方ですけど、それは僕が上手くやっていれば大丈夫ですよ。まさかあちらも僕が裏切っているとは思わないでしょう。なにせあなたが行方不明になった所為で閉鎖空間が多発していますからね。僕が命を張ってまであなたを監禁するなんて、普通は考えませんよ。」
「・・・・・・それなら現状維持を望んでる長門が黙ってるはずないだろ。」
 古泉、お前のやっていることは高一の時に急進派の朝倉がやろうとしたことと同じ結果になるんじゃないか。ハルヒの出方に対する注目の仕方は異なるだろうけど、『鍵』の俺に危害を加えるってのはな。だとすれば、長門が今にも天井を突き破ってこの部屋に降って来たって可笑しくないんだぞ?
 けれど古泉はそんな俺の思考を読み取っておきながら、更に笑みを深めて最後通告のように言葉を紡いだ。
「それも心配ご無用です。長門さんは助けに来てくれませんよ。ちょうどあちらの意思が概ね急進派に染まり始めたようですから。情報統合思念体は僕の行動を放置して涼宮さんの出方を観察するみたいです。言うまでもありませんが、朝比奈さんが助けてくれる可能性もゼロですからね。もしかしたら・・・いえ、きっと僕があなたを監禁した犯人だということにすら気付いていないでしょう。」
「・・・ッ、」
 ここまで言われては俺も認めざるを得ない。どれだけ気持ちが否定したがっても。友人として古泉一樹という人間を信頼していたくても。
「本当にお前の意思で俺をこんな目に遭わせているんだな。」
「ええ、そうです。」
 何故だ。俺が好きだと、お前の言うことが偽りの無い理由なのか。
「信じていただかなくても構いませんよ。でもそうですね・・・、もう一度言わせてもらえるのなら伝えておきます。あなたをこうしたのは僕の意思。僕はあなたを僕だけのものにしたいんです。心が駄目ならせめて身体だけでも、ね。」
「正気か。」
「僕はほどほどに正気のつもりですよ。」
 そう言って笑った古泉の瞳に宿る色が一体何なのか、俺はようやく気付くことが出来た。日本人の割に色素の薄い双眸に宿っていたのは狂気の色だ。まさしく「ほどほどに」正気なんだな。色々考える理性はきちんと残しているくせに、感情が随分と危ない方向に走ってやがる。
「ようやくお気付きですか。僕はずっと、あなたをこの目で見つめ続けてきたというのに。」
 狂おしいほどに愛おしい、と。顔を近付けながら男は笑う。
 先程俺に噛まれたことで学習したのか、今度はガッチリ顎を固定され、口が半開きの状態でやわらかな湿ったものと接触させられた。甘い液体は流れてこない。しかし代わりに熱くてぬめった何かが侵入してきた。やめてくれ。俺にそんな趣味は無い。
 逃げたくても頭はしっかり固定されて首すら満足に動かせず、ただ蹂躙されるがままだ。古泉の舌が歯の裏を撫で、上顎へと滑っていく。
「・・・ふっ、ぅ・・・」
 苦しくなって鼻から息を出そうとすると、思わぬ甘ったれた吐息が零れ落ちた。気色の悪さと羞恥が混ぜ合わさった思考が熱に浮かされ始めた脳内で渦を巻く。なんだこの感覚は。気持ち悪い。こんなの俺じゃない。他人の熱が不愉快だ。退け。やめろ。これ以上するな。離れろ。気色悪いんだよ。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。上顎をくすぐられる。舌を絡め取られる。相手の方へと持って行かれる。やわやわと甘噛みされる。吸い上げられる。粘性のある液体が口の端から溢れて首まで伝う。
「ん、っ・・・ぁ・・・、」
 同性にされてるんだぞ?しかもどっか狂ってるやつに。
 なのになんで、
「気持ちイイ、でしょ・・・?」
「ひぅ・・・っ!」
 股間に手を伸ばされた。するりと撫でられそこの状態をはっきりと認識される。
「硬くなってますよ。身体は正直ですよね。」
 耳元で注ぎ込まれた囁きに身体が震えた。
 気持ち悪いはずなのに。ふざけんなって怒り出しそうなくらい嫌なはずなのに。どうして俺は気持ちいいだなんて感じちまってるんだよ・・・!
 唇を噛む俺の顔を眺めながら古泉は満足げに口元を緩める。
「ふふ。認めたくないって顔ですね。でも男なんてみんなそんなもんですから、気になさるようなことではないでしょう。快楽に弱い生き物同士、少しは溺れてみてもいいんじゃないですか?」
 ―――女神様が許すかどうかは別にして。
 そう告げて、俺の制服のボタンに古泉の手が掛かった。








(2007.10.01up)



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