れた

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「お話ししたいことがあります。」
 SOS団五人揃ってのいつもの帰り道。
 古泉にそう言って呼び止められたのは普段となんら変わらぬ、それこそ日常に埋没してしまいそうなほど普通の日のことだ。俺を引き止めたニヤケ面は決して何かを思い詰めている風でもなく、台詞のわりには友人を誘うような気安さで自分の部屋に案内した。
 モデルルームばりの綺麗な部屋には長門の所とは違う"作られた"人間くささがあって、微妙な心地になる。同情するわけではないのだが――きっと古泉だってそんなもの望んじゃいないだろう――、ハルヒが他人に与えた影響力の強さを思い知らされたと言うか何と言うか。
 沈みかけた気分を上昇させるために七夕で見たこいつの意外と男らしい、ぶっちゃけると粗雑な文字を思い出しながら、この部屋を維持すんのも大変だろう?とからかい混じりで話しかけると、
「わかります?頼めばハウスキーパーがついてくれるんですけどね。プライバシーのことも考慮して欲しくて部屋のことは自分ですると言った手前、そうも行かなくて・・・でも涼宮さん達がいらした時に備えておかなくてはなりませんし。」
 少し困ったように笑った。ついでとばかりに、リビングはまだ大丈夫なんですが自室なんかは気を抜くとすぐに腐海の森です、とおどけながら。
 それから古泉が茶の用意をすると言ってキッチンの方へと姿を消し、俺はリビングのソファに座って待たされること少し。手持ち無沙汰になっている間、俺はあいつのお話したいこととは何ぞや、どうせまたハルヒに関することなんだろうが・・・とあくまでも軽く、そう、軽く考えていた。一年半近い古泉との付き合いであいつの笑顔のレパートリーもある程度把握していたし、その経験と夕暮れの中浮かべられた表情を照らし合わせてすぐさま焦らなければならない事態ではないと思っていたからだ。
「お待たせしました。紅茶なんですが、大丈夫ですか?」
「ああ。すまんな。」
 名前は知らんがテレビか何かで見たことのあるような陶磁器のティーセットとお茶請けにデパートの地下食品売り場で売っていそうなクッキーの組み合わせとは。これも機関の方針か。確かに『古泉一樹』像には合致するが、はっきり言って俺はあんまり好きじゃないね。
「そう言うと思ってました。でも生憎、ここにはこれしかないんですよ。だから我慢してください。」
 苦笑を浮かべながら古泉はそれはもう優雅にカップに口をつけた。本当は言いたくないが実に絵になる光景だ。
 見飽きたこの美形に関して今更嫉妬したりすることもなく、俺も相手に倣って紅茶を啜る。たぶんこれは美味いと称すべき味なんだろう。絶対言わんがな。
「それで、俺に話って?」
 しばらく古泉の淹れた紅茶とクッキーを堪能した後、ここに来た本来の目的を果たすため、俺はカップから口を離してそう告げる。どうせまたハルヒのことなんだろう?俺に迷惑がかかりそうなことならひと思いにさっさと教えてくれ。結局どう足掻こうと涼宮ハルヒという名の台風に巻き込まれることは決定済みだからな。諦めもついてるさ。
「いえ、今回は涼宮さん絡みじゃないんですよ。」
 ローテーブルを挟んだ向かいに座るこの部屋の主がそう言って薄らと微笑んだ。
 じゃあ何だ。ハルヒ絡みでもないのに、お前が俺と二人きりで――しかもわざわざこんな持て成しまでして――話すことなんてあったのか?
「おや。まるで涼宮さん絡みで無ければ会話など成り立たないような言い方ではありませんか。僕はあなたのことを同じ部活に所属する友人だと思っていたのですが、あなたにとってはどうやら違っていたようですね。」
「そういうわけじゃない。俺だって高校に入学してから一番喋った同性が誰なのかきちんと自覚しているつもりだ。」
 中学から一緒だった国木田より、同じクラスの谷口より、誰よりも多く言葉を交わしたのは元謎の転校生にして超能力者であるSOS団副団長だってな。
「それは良かった。僕の独り善がりだなんて悲しすぎますから。」
 顎の下で手を組み、古泉は笑みを深くする。明文化せずとも俺の言わんとしていたことを理解したらしい。忌々しいことだ。文章の隠れた意味を探すのはお前のような理系人間の得意分野ではなかったはずだぞ。・・・はいそこ、照れ隠しだとか言わない。
「話が逸れた。ほら、その話しとやらにさっさと移れ。お前の愚痴くらいなら同じ部活のよしみで聞いてやらんでもないからな。」
 お前の事情とやらを多少は知っている俺の方がクラスメイトよりも幾らか愚痴りやすいもんだろう?だからって「聞ける」と「愚痴の源を解消する」なんてことがイコールで繋がるわけじゃないけどな。
「ふふ、それは実に喜ばしいことですね。必要になったら是非お願いしたいと思います。しかしながら、今回お呼びしたのは僕の愚痴を聞いてもらうためではありません。」
 目の前の男は表情を変えずにさらさらとそう言ったはずなのだが、台詞に続いて長めの前髪を指で弾くしぐさの一瞬前、こちらを見る目がいつもと違っているような気がした。本当に一瞬の出来事で何処が如何違うのか言葉で表現することは不可能なのだが、たぶん俺の思い違いや見間違いではないと思う。
 一体何だ?その目を見て感じたものは決して良いと思えるようなものではなく、古泉には悪いがあまり心地のいいものではなかった。ぞくり、と悪寒らしきものが背筋を這い上がってくる。冷たい物を持っているわけでもないのに指先が痺れ始めていた。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。しかし愚痴でもハルヒに関することでもないとは、他に何か俺に言うことなんてあったか?」
「前々から思っていましたが、あなたは本当にご自分の価値を解っていらっしゃらない。あなたが涼宮さん専用の精神安定剤かつ起爆剤であることに変わりはありませんし、学校で唯一僕の愚痴を聞いてくれそうな人であることも事実です。しかしあなたがたったそれだけの人間だなんて、そんなはずないじゃないですか。」
 言いながら肩を竦めて、やれやれ、と首を振る。おい古泉、それは俺の台詞だろう。しかし前半はともかく後半で一応褒められているような気がしないでもないのだが、なのにどうしてこうも腹が立つのかね。お前の話とやらの前にその辺りを説明して欲しいくらいだ。
「それはまた次の機会に、ということで。まずは今日あなたをここにお呼びした目的の方からお話させてください。」
 そうだな。前フリが随分と長くなっちまったが、もうそろそろ如何にかせにゃいかんだろう。なるべく手短に済ませてくれると嬉しい。お前の話はいつも遠回りすぎるからな。
「大丈夫ですよ。すぐ済みます。」
 古泉は俺の胡乱げ視線を受けて苦笑し、勿体振るように顎の下の手を組み直す。
 そして、
「あなたが好きです。友情ではなく恋愛感情的な意味で。」
「・・・・・・冗談はよしてくれ。お前が日々『機関』の人間として疲れてることは想像に難くないし、その愚痴も吐き出してくれていいと言ったが、流石にそういうふざけたことを許容できるほど俺は出来た人間じゃないぞ。」
「いやだな。本当ですよ。」
 微笑を絶やさず古泉は、でも、と続ける。
「あなたの性癖が至ってノーマルだということは知っています。だからこそあなたがそう答えるのも想像の範疇でした。つまり僕の想いは遂げられないどころか相手にもしてもらえないということをね。ですから先手を打たせていただきました。・・・もうそろそろ効いてくる頃なんじゃないですか?」
 何を、と思った瞬間、視界がブレた。そのまま倒れ込みそうになり、慌ててテーブルに手をつく。高そうなティーカップを触れるか弾き飛ばすかしたらしく、ガシャンと異様に大きな音が立った。なんだ、これ・・・。
「本当はこんなことしたくはないんですよ?僕はあなたのことが大好きですから大切にしたいんです。でももう耐えられません。だから心が駄目なら、せめて―――・・・」
 俺はそれに続く台詞を聞き取ることが出来なかった。瞼が重くなり、脳が中心から痺れていくような感覚。強制的に眠りへといざなわれた俺の身体はテーブルに突っ伏すようにして力を失った。最後に、嬉しそうに笑う古泉の顔を網膜へと焼き付けて。








(2007.10.01up)