n o i s e - f r a g m e n t

- i -






■「h」の続き。古キョン。キョンの変化(キョン視点)



 季節は夏。
 学生は夏休みに入り、一ヶ月強の自由を謳歌する。
 これまでのシークエンスの中で最も長く続いた今回のことをTFEI端末の少女は確かに"嬉しい"と感じていた。









「う・・・っ!」
 耐え切れずに吐き出されたものがシャワーの水に押されて排水溝へと消えていく。白濁したそれは、意味を成さない生命の欠片。空きっ腹に流し込まれ、しかし全て排出されてしまうもの。
 翌日が休みの時に彼の家へと行くと大抵、次の日の朝にはこういう事態に陥っていた。
 彼曰く、「あなたがいけないんです。」だそうだ。
 何がどうしてそうなるのか俺にはさっぱりわからんのだが、考えても意味が無いので考えない。結局、彼がそうしたいのなら俺はただ従うだけだ。
 そして今は夏休み。必然的に俺が彼の家に入り浸る頻度も上昇し、太陽が高くなった頃にシャワーを浴びる回数も増している。
 生理的な涙がお湯に紛れて判らなくなるのに従って俺自身の心の在り処さえ消えていくような気がした。
 「今でも古泉のことを好きか」と訊かれたなら、はっきりと肯定できる自信が無い。だって、この行為の必要性は十分に理解しているし、もとより彼が悪いわけではないのだが、こんなのは嫌なんだ。
 友人だと思っていたのに俺はもう古泉に笑いかけてやれない。表情は全て嘘で塗り固められ、本当の自分と言うものが無い。唯一真実があるとすれば、セックスの時くらいか。快楽に溺れた表情と、確かに"感じている"という感覚は生憎今の俺には偽れるようなもんじゃなかった。なんとも皮肉なものだとは思うけどね。
 無意識に吊り上がっていた口角を自覚し、慌てて修正する。
 浴室に備え付けられていた鏡に映り込む見慣れた顔は、少し気を抜くと自嘲を浮かべてしまっていた。
 やれやれと呟き、冷水に切り替えたシャワーを頭から被る。
 こんな己に反して彼から伝わってくる感情がとても穏やかだということが、せめてもの救いであるように思えた。


「デートしませんか?」
 昼前にベッドから離れてシャワーを浴び、昼食を摂ってくつろいでいると、ソファの右側に腰掛けていた彼がそのイケメンをフル活用するが如くにこやかな笑みを浮かべて隣に座る俺にそう言った。
 これを"提案した"や"伺いを立ててきた"と表現するのは誤りだ。神の意思は絶対なんだから、彼がそう思いついた時点で全ては決まってしまう。
 と言うわけで、俺は俺というキャラクターらしく最初は拒絶を示しながらも結局は了承することと相成った。
 そうそう。俺は長門の助言以来、彼への態度に幾つかの修正を加えたが、それでも基本の『キョン』をガラリと変えたわけじゃない。俺の姿は思いっきり凡人レベルだから、神が気に入ったのは外見的なものではなく、残りの中身ということになる。ゆえに『古泉一樹』にだけ異様に甘くなってしまっては、神が気に入ったこの性格とは言い辛くなり、結果として俺が神の鍵でなくなってしまう可能性があるからだ。
 ってなわけで、俺は彼の心理変化に気を配りつつ、基本的には素っ気無い『キョン』を演じ、必要に応じて甘さを見せるようになっている。
 ―――『俺』は嘘ばっかりなんだな。
 本当に嬉しそうに笑う古泉を見て、俺は泣きたくなった。


 私鉄からJRに乗り換えて近隣の大きな街まで出る。高校生が休日に遊ぶと言えばやっぱりこの辺りに出てくるのが妥当だろう。暑さを避けて入った建物内にはいろんな店が立ち並び、普段SOS団の市内探索で軽くなるばかりの俺の財布に更なる強力な誘惑をかけてくる。・・・いや、本当に親からの小遣いだけでやりくりしてるわけじゃないから、実際にはそんな誘惑に流されたってあんまり痛くないんだけどな。ま、俺の仮初の財政事情は知っていそうな彼の前では例のアルバイト代を使うわけにもいかないってことだ。
 今度一人で(もしくは同胞達や家族と一緒に)来れた時はあれを買おう、これを食おうなんて思いながら古泉の話に耳を傾ける。
 隣から伝わってくる気配も此方へとダイレクトに伝わってくる感情も共に良好。街中だから手を繋いだりはしないが、おそらく軽く触れ合うだけでも彼の機嫌は更に上がるのではないだろうか。
 そう思うと――外出で気が晴れた所為もあるのだろうが――少し、嬉しく感じた。好かれているんだなぁ、と。
 どうやら俺は過去に一度、己に最大の愛情を注いでくれるはずだった血縁を失ったことが原因で、他人からの好意にはニブく、しかしその一方で向けられる好意を些か過剰に喜ぶ傾向にあるらしい。こんな人間を好きになってもらえるはずがないと心の底で思い、だからこそ向けられる好意に気付いた時はその貴重な想いが自分にとって歓迎すべきものなのか忌避すべきものなのか考える前に嬉しいと感じてしまうのだ・・・・・・と、組織に入ったばかりの頃、精神科医のおば・・じゃなくてお姉さんに言われたことがある。
 それを信じるわけじゃないが、しかしながらヘテロタイプであるはずの俺が同性からの想いを今こうして嬉しく感じないでもないのは、つまりあの医者の分析した通りなのだろうか。「カムバック午前の俺!」とまではいかないが、どうにも朝と昼で変わり過ぎてないか自分。
 と、そんな風に思考しつつ己の胸の内に生まれた喜びなんてものを頭の片隅に追いやって感情抜きの冷静な思考を取り戻す。
 ちょうど通りかかったのは洒落たメンズものの店。スラリと背の高いマネキンが華麗に服を着こなしてショーウィンドウの中に立っていた。
「何か気になるものでも見つけましたか?」
 俺の様子に気付いた彼がそう言って足を止める。視線の先には俺が目を留めたのと同じマネキンが立っていて、「入ってみます?」と笑いかけられる。
「そうだな。」
「ふふ、でもどうしたんですか。あなたの趣味とは少し違っていますよね、この店。」
 確かに。
 この服の雰囲気は俺って感じじゃないだろう。でもな。
「お前には合ってるだろ。」
 マネキンに目を留めたのも、古泉一樹ならこの服を着こなせそうだと思ったからだ。
 そう教えてやると隣の男が急に赤面した。
 ・・・ここに居るのは俺達だけじゃないんだ。赤面等は自粛しろ。
「自粛するのはあなたの方ですよ・・・。」
「何のことだかサッパリだ。ほら入るぞ。」
 本当は予想もついたが、告げずに入店する。話をそこで強制終了させたのは決して自分の言った台詞の意味にあとから気付いたからってわけじゃないぞ。断じて。
 流石は機関の教育と言うべきか、すぐに通常スマイルを装備し直した古泉が「これなんかどうですか?」と俺にも似合いそうな服やら小物やらを勧めて来る。服のサイズがぴったりなのには何も言わんよ。俺も似たようなもんだしな。しかしこういう店においては彼の方が得意なので、こっちは勧められても勧め返すということがない。
 ない・・・のだが、俺は偶々目に付いた"それ"を手に取った。
「なあ古泉、これなんかどうだ?」
 ようやく勧め返せたと思ったらドッグタグつきのペンダントかよ、俺。職業柄か?と思ったが、もう遅い。
 物凄い勢いで振り返った古泉は涼宮ハルヒ並にキラキラと目を輝かせていた。うお、マジか。
 彼は俺からペンダントを受け取り、それが置いてあった場所に表示されている文字列をざっと読んで・・・・・・レジに持って行きやがった。
 おいちょっと待て。喜んでいるのはこっちも感知出来ているが、何故一瞬の思案すらなくお買い上げしちまうんだお前は。
 ん?ただ普通に買うだけじゃなくて、店員に何か言ってるのか・・・?
 古泉に何かを言われた店員はニコリと頷いていったん店の奥に消える。それからすぐに戻って来て待っていた古泉に何かを見せると、続いて彼が頷く。でもって渡された紙に何かを書いて・・・・・・あ、戻って来た。
「あのドッグタグ、頼めば好きな文字を入れてくださるそうなので、僕とあなたの二つ分お願いしてきました。」
「俺のもか?」
「ええ。・・・あ、代金は気にしないでください。僕からのプレゼントということで。」
 如才ない笑みを浮かべてそういった彼に俺は渋々と礼を告げる。
 別に自分の分が欲しかったから勧めたわけじゃなかったんだがな・・・。ま、お前がそれで嬉しいと思ってくれるならそれが何よりさ。
 しばらくして銀色のプレートに文字が掘り込まれたドッグタグつきペンダントが二つ、代金と引き換えに古泉の手中に渡った。
 彼がレジへ持って行ったのはタグの表に十字の溝があって、その片隅に小さな緑色の宝石――ガラスかも知れない――が嵌め込まれていたものだったのだが、「どうぞ。」と言って渡された方にその緑の石が嵌っていて、古泉の手に残った方には青色の石が輝いていた。
「お前には青より緑の方が似合って・・・・・・そう言うことか。」
 言いながら渡されたタグを引っ繰り返してその理由がわかった。
 俺が持っている方のドッグタグの裏面に刻まれていたのは「ITSUKI KOIZUMI」の文字。そんで、おそらくいそいそと古泉が自分の首にかけた方には俺の名前が刻まれているのだろう。
 恥ずかしい奴め、と軽く罵ってから俺も相手に倣う。ここでペンダントが鞄の中に仕舞われでもしたら、こいつがどう思うのかくらい予想もついてることだしな。
 案の定、俺が文句を言いつつもドッグタグを首からぶら下げると彼の機嫌は急上昇した。
 その様子を店員が微笑ましそうに眺めていたなんてことには気付かないフリだ。








古泉を嫌いになりきれず、むしろ友人としてはまだ本当は好きなので拒絶と許容が同梱状態にあるキョン。
更に古泉の笑みを見ながらその心に直接触れている所為で「古泉」呼びの頻度も上昇中。
確実に変わり始めております。

(「j」に続く)

(2007.08.13 up)



<<  >>