n o i s e - f r a g m e n t

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■「i」の続き。古キョン+利賀(キョン視点→利賀視点)



「こうなったのは貴女の所為でもある。だから貴女は此方に力を貸すべきだ。」
 利賀と名乗るその人物の言葉に長門有希が頷いたのは、己の行いを悔いていたから。そしてまた、世界を一からやり直すためでもあった。
 それは夏休みが終わって、ようやく秋の兆しを肌で感じられるようになってきた頃のこと。









(時間は少し遡り―――)

 夕方、ちょうど部活も終わって家に着くか着かないかの時に閉鎖空間が発生した。
 発生件数自体減少傾向にある現在にしては珍しく中規模のそれを感知し、俺は携帯で迎えの車を呼んで発生場所へと向かう。
 車の後部座席に乗り込む際、首にかけていたドッグタグがチャラと小さな音を立てて視界の端を過ぎった。
 彼にプレゼントされて以来、俺はこのドッグタグを常に首から下げておくようにしている。当然、制服の時はシャツの内側に隠しているが、まあ、教師や谷口あたりに気付かれなければ平気だろうと思う。何故そんなことをしているのかと言えば、勿論これをプレゼントしてきた奴がそう望んだからだ。いや、実際口に出して頼まれたわけじゃないんだが。俺がこうしておくと凄く喜ぶんだよな、あいつ。
 ちなみにこのドッグタグのことは組織にも報告していなかったりする。なんと言うか、そこまで他者の介入が入るなんて嫌じゃないか?古泉も知らないとは言え可哀相だろ。と思ってしまったのだ。
 だいぶ絆されてきてんのかな、と苦笑しつつ、タグの隅に埋め込まれた緑色の石を眺める。もう学校は終わったんだから、このまま外に出しっぱなしにしても構わんだろう。
 走行を続ける車の中、自分ではない名前が刻まれたドッグタグの裏面を親指で撫でて俺は小さく笑った。



□■□



「あっ・・・」
 その声が聞こえてきたのは神人の攻撃を避けた直後。
 二体現れた神人への対処として俺とキョン、水井と比佐と芳養の二組に別れて行動していたのだが、突然何かに気を取られてキョンが空中に停止する。
「キョン早く、」
「タグが・・・」
「タグ?」
 右手で胸元を掴み、きょろきょろと地上を見渡す彼の様子に、俺はその胸に在った銀色のプレートの存在を思い出した。装飾品の類はあまり身に着けない人だったから、珍しいなと思って覚えていたのだ。
 しかし今はそれが無い。
 よほど大切なものだったのか、キョンの意識は今、神人の動きではなく地上へと向けられている。
 それに危機感を覚えて注意を促すが、彼は気もそぞろな返事しかしてくれなかった。
 過去の悪夢が脳裏を過ぎる。あの時もキョンは俺という神人以外のものに気を取られて危うく命を落とすところだったのだ。彼の代わりにこの世から消え、同時に少し前まで微笑んでいた彼に自らの血で血化粧を施したのは《ファースト》の二人。
 不安に心臓を鷲掴みにされ、俺は大声でキョンの名を呼ぶ。
「キョンっ!!」
「あとちょっと・・・・・・・・・あった!」
 上半分を破壊されてコンクリートの中に埋まっていた鉄筋が剥き出しになっていた所の、その捩じ切られた鉄筋の端にキラリと輝くものを見つけてキョンが最短距離を飛ぶ。
 この時、キョンの意識はペンダント状のドッグタグにだけ向けられており、俺の意識もキョンにだけ向けられていた。早々に見つかって良かった、これでようやく神人倒しに全力を注げる、と考えていたのだ。
 だから"それ"に気付いた時には既に何もかもが手遅れだった。
「キョ・・・、」
 ドッグタグを回収して安堵するキョンのすぐ近くに現れた巨大な青白い物体。
 名前を呼んでも俺が飛び出して行っても間に合わない。
 ただ何も出来ない俺の目の前で焦ったキョンの表情が神人の手の向こう側に消えた。
 そして、轟音。
 キョンが浮かんでいた所には神人の光る左腕があり、その先に立っていた半壊のビルは既に全壊。
 ―――視界が真っ赤に染まった。


 その後、神人をどうやって倒したのか詳しくは覚えていない。
 しかし閉鎖空間が消滅する前に彼の身体を探し出し、抱き上げた骸から温度が失われていく感覚だけは鮮明に思い出せる。その右手に握られていたのは小さな緑色の石が埋め込まれた、もとは美しい銀色だったドッグタグ。今にも落としそうだったそれを俺は自分のポケットに移して閉鎖空間を出た。
 おそらく駆けつけた残りの三人にどうしてこんなことになったのか問い質されたのだろうが、生憎その辺りも記憶は不鮮明だ。気付いたら手元には彼の身体が無く(組織が回収したのだろう)、俺は自室でぼんやりと暗くなった窓の向こうを眺めていた。
 ポケットに手を突っ込む。取り出したのは茶色く乾いた血がこびりついたドッグタグ。
 千切れた鎖の部分を繋ぎ合わせるように持って蛍光灯の明かりで照らせば、汚れていなかった宝石の部分がキラキラと輝いた。
 でも少し思ったんだが、キョンには緑よりも青の方が似合うんじゃないだろうか。
「・・・・・・・・・、」
 その時、タグの裏面に目が留まった。
 汚れて見えにくくなっているが、そこに刻まれているのはキョンの名前ではない。
 心臓がドクリと大きく脈打つ。
 そんなまさかと思いながら爪でこびりついた血をこそげとった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ははっ。なんだよこれ。」



* * *



 一度コンタクトが取れた後、長門有希の協力を得るのは実に容易かった。
 組織に管理されている限定的超能力者の俺では出来ることなどたかが知れているが、TFEI端末が首を縦に振ってくれるならば殆どの障害は取り除かれたと言っても良い。組織や機関の妨害も宇宙的存在には手も足も出ないのだから。敵対すれば最悪の相手だが、協力を得られるならこれ以上便利な道具もないな。
 口元を小さく歪めて俺はただ待っていた。世間一般の夕飯時を余裕で回っている時刻だったが構わず長門有希に接触を計り、既に全てを把握していた彼女にマンションへと招き入れられて更に電話で『主役』を呼び出してもらう。
 俺の意図などとっくに気付いているくせに――それだけでなく、もしかして彼女も俺と同じことを望んでいるのだろうか――此方の言うまま動くTFEI端末。電話を終えた長門有希と向かい合わせに座りながら、俺はポケットの中にあるドッグタグに触れていた。
 ―――ピンポーン
 お気楽な電子音が響いて長門有希が立ち上がる。ぼそぼそと少女の声が聞こえてから暫らく後、扉が開いて人の気配が一つ増えた。
「どうしたんですか長門さん。こんな時間に・・・」
「大切な話。」
「大切な話、ですか。」
 会話と共に近づく足音。
 そして長門有希と話していた人物が俺に目を留め、訝しげな雰囲気を纏った。
「どちら様ですか?」
「はじめまして、古泉一樹さん。俺は利賀と言います。・・・あ、キョンの中学からの知り合いです。」
「彼のお知り合いがどうして長門さんの家に、」
「それは彼からあなたに話があるため。」
「僕に?」
「ええ。古泉さんにお知らせと、あとお渡ししたい物がありまして。」
 立ち上がり、古泉一樹の方へと歩いて行く。
 日常的に作り笑いを浮かべている人間だからなのか、あちらも俺の作り笑いに気付いて警戒の色を濃くした。
 しかしそんなことなど気にせず、俺は古泉一樹の前でピタリと立ち止まり、ポケットの中にあった"それ"を取り出した。
「・・・っ!?それは!!」
「形見ですよ。誰の物かは貴方が一番よく知っているはずだ。・・・だって貴方の首にかかっているものと同じデザインですからね、これ。」
 嗤いながら、巨大な閉鎖空間発生の予兆を感じる。しかし俺は笑みを絶やすことなく言葉を続けた。
「今日の夕方、この持ち主が死にました。」
「冗談はやめてください。」
「冗談ではありませんよ。ですよね?長門有希。」
「・・・・・・・・・そう。」
 TFEI端末の回答に、古泉一樹が膝をつく。それを冷たく見下ろしながら俺はその脚の上に持っていたドッグタグを落とした。
「血がついてますよね。それが彼の血です。なんでしたらそこのTFEI端末に鑑定してもらっても構いませんが。」
「・・・・・・・・・」
「別に行なわなくてもいいんですか?それじゃあ話を進めますね。次に彼の死因についてですが、ドラマ等でもよくあることです。・・・そのドッグタグに気を取られていたんですよ。それでね、」
「っう、」
 茶色い髪を掴み上げ、俯いていた顔を此方に向けさせる。僅かに呻き声が聞こえたが、それがどうした。
 綺麗な顔にニコリと笑いかける。
 さあ、我らが『神』に死よりも辛い絶望を。
「こんなもの如きのためにキョンは死んだんです。貴方が創った閉鎖空間の中で、貴方が創った神人に殺されたんですよ、神様。」
「・・・え?」
「なんて顔してるんですか神様。全ては貴方がそう望んだからなんですよ。貴方が望んだから彼は貴方の恋人にならざるを得なくなり、他の選択肢を切り捨てるしかなかった。貴方が生み出した閉鎖空間で彼は三年間ずっと戦い続け、そして貴方に縛られたまま死んだんです。何もかも貴方の所為だ。自分は超能力者だなんて思い込んで・・・滑稽なものですね。貴方が居たから俺達は人生を狂わされ、彼は命まで失ったのに。」
 そう告げて手を離す。
 本当は殴り殺してやりたいくらいだったのだが、もう必要ないだろう。
「愛しい人間をその手で殺した感想は?」
 だってほら。世界の崩壊が始まった。








みんな、彼が居ない世界なんて欲しくないんだよ。
だから何度も繰り返す。

(2007.08.13 up)