n o i s e - f r a g m e n t

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■古泉→キョン



 あなたが僕を好きになってくれればいいのに。
 あなたが僕を好きになるはずなんかない。
 嗚呼なんて二律背反な想いだろう。



□■□



 部室のドアをノックしようとしたちょうどその時、ドアの方がひとりでに、しかも思いっきり開いた。
「あらキョン、遅いわよ!あたしたち、これからみくるちゃんの写真集用に撮影現場の視察に行って来るから、ちゃんと留守番しててよね!あと古泉くんにもそう言っといて!」
「え、ちょ、ま・・・っ、」
「それじゃ、行って来るわ!」
「い、いってきます〜。」
「行ってきます。」
「・・・・・・・・・おい。」
 嵐だ。時間の短さとその密度からスコールに例えてもいい。何も出来ずに見送ってしまった。ハルヒのあの行動力は解っているつもりだが、解っているのと対処できるのとは別らしいな。
 朝比奈さんと長門を引き連れて、と言うか引き摺って駆けて行った彼女の後ろ姿が消えた後、俺は癖になっている「やれやれ」という台詞を吐き出しつつ中に入った。定位置の椅子に腰を下ろし、自然と下がる瞼に抵抗することなく目を瞑る。
 ただひたすらに眠い。
 原因は俺の役目を考えれば簡単。本日未明に閉鎖空間が発生したのだ。しかも所用で組織の上層部に呼び出され、定期ではない方の報告をこなした後に。
 真っ黒スーツという格好で、これからさっさと帰宅すればいつもより些か遅めの就寝だが明日には響かんだろう、と思っていた矢先、彼から生まれるノイズとそれに引き続いての閉鎖空間の発生を感知して俺は組織所有のビルを飛び出した。神人の処理を遂行しそれに付随する雑務も終わらせて帰宅できたのはそれから三時間以上あと。朝日が目に沁みたぜ。
 勉学という学生の義務を放棄して授業中に幾らか眠れたが、一日中ずっと眠っていられるはずもなく、後ろからハルヒにシャーペンで突かれたり、うとうと出来るような授業じゃなかったりして俺は現在進行形で寝不足である。
 だから彼が来るまでの少しの間、気持ちだけでも眠っておこうと思った。机に突っ伏すと爆睡する可能性があるのでそれは却下だが、目を閉じて座っているくらいなら大丈夫だろう。
 そして俺は欠伸を一つ零してからほんの僅かな眠りに落ちた。



□■□



 ドアをノックしても返事が無い。今日はクラスのHRで少し遅くなったのにSOS団団長や専属メイドの未来人はまだ来ていないのかと思いながら部屋に足を踏み入れた。
 正面の窓にかかったカーテンが揺れている。いつもの定位置に読書好きのTFEI端末はいない。
 いるのは彼一人だった。
「・・・寝て、いらっしゃいますね。」
 椅子に座ったまま瞳を閉じて俯いている彼の顔を覗き込む。
 気持ち良さそうに、とはいかず、些か寝苦しそうなその表情にクスリと小さく笑いが洩れた。
 珍しいと思うと同時に普段見ることが叶わない彼の寝顔をこうして見られるのが嬉しい。彼にそんな気は全く無いのだろうが、なんだか自分が彼の特別になれたような、他の人よりも一歩踏み込む許可をもらえたような気がするのだ。
 ほんわか暖かい気持ちで彼を見つめていると、ふとその口元がゆるく弧を描いたような気がした。
 いや、気のせいではないらしい。
 ちょっと信じられない面持ちで目を瞬かせ、もう一度見てみると、やはり彼は眠ったまま薄らと微笑んでいた。
 まるで僕の心情に呼応してくれたかのようなタイミングの良さに心拍数が上昇する。決して悪い意味ではなく、良い意味でだ。だって――偶然なんだと頭では解っているけれど――彼と僕が直に繋がっているように思えたからだ。涼宮ハルヒという少女を通してでしか繋がりを作れなかった僕達の間に、もしかすると直接的な何かがあるんじゃないかって。
「・・・僕が嬉しいからあなたも嬉しいなんて、そんなことあるはず無いのに。」
 自惚れないよう『現実』を口にしてみるけれど、胸に生まれた高揚感は収まらない。きっと彼は何か良い夢を・・・そう、例えば未来人がらみの何かとか、そういうものでも見ているに違いないんだと繰り返し考えてみても結果は同じ。
 頭ではなく心が、嬉しいと感じている僕と微かな笑みを浮かべた彼の様子を結びつけて、僕を幸せにしてくれていた。
「あなたが好きです。あなたは僕なんて好きになってはくれないでしょうが・・・でも、僕は好きなんですよ。こんな風に勘違いしてしまえるほど。」
 彼が起きないよう小さな声で告げて、そっと組まれた腕に触れた。ブレザーの分厚い生地越しだから触れられた方は何も感じないだろう。でもこうして彼との距離を物理的なゼロにする行為に、僕は言葉では言い表せない意味があると思う。酷く、一方的ではあるけれど。
 と、その時。
「ん、」
「・・・ッ!?」
 目が覚めたかと思って慌てて身を引いた。
 音を立てずにそれを成し遂げ、なおかつ平素の“古泉一樹”を一瞬で形成した自分を褒めてやりたい。機関での職業訓練のおかげだろうか。凄いぞ機関。凄いぞ古泉一樹。・・・って何を言ってるんだ僕は。
 注視すれば、どうやら寝言のようなものだったらしく、彼が起きる気配はない。ほっと胸を撫で下ろして混乱した己の思考を落ち着かせる。
 跳ね上がった心拍数も元通りに治まった後、僕は懲りずにまた彼の元へと近づいた。こんな彼を見られるなんて滅多に無いチャンスだからだという思考が働いた所為かもしれないし、いつ彼が起きるかわからないというスリルを求めた結果なのかもしれない。
 膝を折って彼の顔を下から見上げる。
 軽く閉じられた口唇のやわらかな色に目を奪われてしまいそうだ。
「さすがにキスしたら起きてしまいますかね。」
 苦笑を浮かべてそう言ったつもりだったけれど、実際に空気を震わせた音はもっと真剣みを帯びていた。
 気付けば至近距離に彼の唇。
 無意識の行動に呆れる余裕も無く、ただ触れる寸でのところで止めるのが僕の理性の限界だった。
 なのに、彼は。
「・・・こ、い・・・ずみ。」
 聞き間違いようもなく、彼の口から零れ落ちたのは僕の名前。
 彼が微笑むような夢に出ていたのが僕だったのだと喜ぶ前に、彼との関係を崩したくないのなら絶対保っておかなければならなかった何か大切なものの糸がプツリと切れたような気がした。
「すみません。」
 唇に触れる、やわらかくて温かいもの。甘いと感じたのは脳が勝手に作りだした情報だろうか。
 まだ彼を起こしてはならないという部分においては理性も残っていたらしく、深く口付けるまでには至らない。しかし僕は疑いようもなく、眼前の愛しい人の唇を奪っていた。
 触れるだけのそれをゆっくりと離し、名残惜しげに舌先でなぞる。握り締める拳には汗が浮かんでいた。
「・・・・・・っ、」
 さっと立ち上がって手に取ったのは自分の鞄。
 赤く染まった顔を自覚したまま僕は無言で部屋を出る。きっと今の僕では彼が起きた時にいつもどおりの僕ではいられない。何と言うか、もう全てが想像以上で、嬉しいのやら恥ずかしいのやらワケが解らなくなっていた。
 こんな時でもやはり音はなるべく立てないよう注意しながら扉を閉めて、走り出したいのを我慢しつつ彼に触れた口を手のひらで抑え、僕は暫らく頭を冷やすため何処か人のいなさそうな所へ足を向けた。



□■□



 ふと目が覚めた時、部室にはまだ誰もいなかった。時刻を確認するが、ハルヒ達が出て行ってからそれほど経ったわけじゃないらしい。しかし古泉が来ていない、というのは些か疑問に思えるような時刻だ。またいつぞやの如くホームルームが長引いているのだろうか。
 例のアルバイトというわけではないだろう。もしハルヒの機嫌が悪化して彼が閉鎖空間へと赴いているならば、俺もハルヒのものと連鎖的に発生することが多い古泉製閉鎖空間の空を飛び回っていなければならないからだ。けれど今の彼の心情は探るまでもなく安定・・・とは言えないが、不快ではないようだ。突発的に嬉しいハプニングがあった人間っぽい、困惑と歓喜が合わさった感情を見せている。
 これなら大丈夫だろうと安心して椅子に座り直した。
 そう言えば、寝ている間にもこれに近い感情を感じ取っていたような気がする。
 どうやら感応能力が高いらしい俺は眠りがそれほど深くならない限り彼の感情を常に受け取ることが出来る。だから眠りが浅かった先刻は彼の感情の変化を意識せずとも感知することが出来ていた。まあ、寝ているおかげで負の感情が生まれた時以外はあまり意識していない、つまり起きた後はよく覚えていないのだが。
「・・・なんか喜んでたような?」
 理由は思いつかないけれど。
 無意識に唇を指でなぞりながら、誰もいない部室で俺はそう呟いた。








ちょっとだけ古泉を幸せにしてあげたかったのです。

(2007.07.27 up)



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