平和島静雄、いや、竜ヶ峰静雄は困惑していた。
 母親が再婚するという話を聞いた当初、しかも相手方の名字が『竜ヶ峰』だと聞き、真っ先に8つ下の後輩・竜ヶ峰帝人の顔が浮かんだのは否定しない。だがその後すぐに「そんな偶然が起こるものか。確かに珍しいが同じ名字の他人だろう」と思っていたのである。
 しかし実際、初顔合わせの場所に居たのは当の帝人本人。これから弟になる人間だと紹介され、それどころか一緒に住めと親達に求められる始末。―――と、こんな言い方をしてしまうと静雄が帝人との同居を嫌がっているように聞こえるかもしれないが、そんな事はない。
 帝人と言葉を交わした回数は決して多いと言えないけれども、その少ない接触の中で静雄は穏やかな性質で気遣いのできる帝人に対して少なからぬ好意を抱いていた。
 だからこそ同居を肯定し、こうして帝人との生活を楽しみにしつつ、けれども下手な事――と言っても静雄はまだ具体的な「下手な事」のイメージができていない――を自分がしでかさないか不安にも思っているのだ。
 しかしながら互いに同居を認めた以上、『その日』はやって来る訳で。
「……お前の荷物って少ないな」
「まあ、あんまり物が多くても四畳半には入りませんでしたし」
 とは言うが、それにしても帝人の荷物は少なかった。
 静雄は本日この部屋に越してきた新しい弟を手伝うつもりだったのだが、帝人の細腕で運べぬような物など殆ど無く、やる事がない。おかげで過去回想もできてしまった。
 半ば物置として使っていた部屋を片付け、そこに帝人の荷物を運び込む。それほど広くはないのだが、運び込まれる量が少なく、またベッドも置かれていない――帝人は以前のアパートから継続して同じ布団を使用するらしい――ため、どことなくガランとして見えた。
「今度この部屋に置く家具でも買いに行くか。机とかベッドとか、あった方がいいだろ?」
 静雄の誘いに、ちょうどパソコンの設置を終えた帝人が振り返る。童顔に浮かぶ表情は少し困ったような笑みだ。
「それが……」
「ん?」
 やはり自分のような人間と買い物に行くのは遠慮したいのだろうか、と静雄は落ち込みつつ、それがバレないよう平常を装う。しかしながら、
「実は予算が無くって」
 静雄の心配は一瞬にして杞憂に終わった。
 話を聞くと、どうやら帝人は基本的な生活費を親に頼らずアルバイトで稼いでいるらしい。その際のアルバイト内容(ネットビジネス)に関してはあまり静雄の理解が及ぶところではなかったが、それにしてもこの歳で……と素直に驚く。
「それに、その」
 偉いなぁ、と思わず静雄が相手の頭を撫でそうになる前に帝人は躊躇いながらそう発した。加えて、余程言いにくい事なのか、視線が逸らされる。
 どうしたのかと首を傾げる静雄。
 帝人はしばらく言うべきかどうか迷っていたようだが、やがて少し聞き取りにくい声でごにょごにょと告げた。
「それに、一緒に住んでも静雄さんが僕との生活に耐えられなくなってしまったら、僕はまたあっちに戻る事になるでしょうから」
「ッ! ンな事はっ」
 決して帝人が意図した訳ではないだろうが、“兄”ではなく静雄“さん”。そして『行く』や『移る』ではなく『戻る』と表現された元のアパート。
 たとえ書類上は兄弟になっても二人の距離は全く縮まっていないのか。嬉しいと思っていたのは自分だけだったのか。
 その思考回路に、頭に血が上るのではなく、逆に全身の血の気が引くように身体の末端が冷たくなっていく。
「静雄さ……兄さん?」
「なんでもねえ。ちょっと煙草吸ってくる」
「あ、はい」
 不自然に固まった静雄を心配して帝人が声をかけてくれたが、今はきちんと答えてやれそうにない。静雄はひらひらと片手を振り、部屋を出てベランダへと足を向けた。


「俺が嫌だなんて言う訳ねえだろ……」
 ベランダの手摺りに腕を置き、静雄は煙を吐き出しながら呟く。
 相手は以前から親しくなりたいと思っていた人物なのだ。その接近方法がいささか突飛とは言え、緊張はしても嫌悪する事など有り得ない。……帝人の方はどうか知らないが。
「でも嫌な訳じゃねえとは言ってたよな、確か」
 先日の出来事を思い出し、若干己にそう思い込ませるように静雄は続ける。だったらまだ何かできるはずだ、と。
「って事はあいつが俺と一緒に暮らしたくなるようにすればいい訳だ」
 さて何ができるだろう、とベランダへ出る際に持ち出していた灰皿に煙草を押しつけて静雄は室内に戻る。
 喜ぶ帝人の顔を脳裏に思い浮かべると、降下していた気分も現金なくらい上昇していた。











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