「自白剤、使わなかったんですね」
「薬物は下手に使用すると後遺症が残るから。“パア”になった君と話すのは気が進まなかったんだよ」 その暗い部屋に一歩足を踏み入れると、予想外にハッキリとした声がかけられ、臨也は肩を竦めてそう答えた。 部屋の中央にはコンクリートの床にボルトで直接固定された椅子があり、今はそこに一人の人間が座っている。正確には“座らされている”だが。両手を肘置きに、両足を椅子の脚に太いベルトで縛り付けられているのだから。 「うちの取調べを受けた感想は?」 「取調べではなく拷問だと思いますよ、これは」 「そう」 (流石ダラーズのリーダーって所か。その気丈さは立派だ) 胸中で呟く臨也の視線の先には、椅子に縛り付けられた状態の竜ヶ峰帝人の姿が。その小柄な体躯には、至る所に打撲痕や、鞭やナイフによる裂傷が刻まれていた。 肌蹴た衣服から覗く白い肌に、痛々しいほど赤い傷。そのコントラストが妙に艶かしく、臨也はぺろりと唇を舐める。 「酷い顔ですね。ここの所長さんはサディストでしたか」 「ん? 俺が所長だってよく判ったね」 まだ名乗ってもいないのに、と臨也は片眉を上げる。 帝人が吐息だけで微かに苦笑した。 「一応、政府の有名所は顔と名前のチェックをしていましたから。勿論貴方も……折原臨也さん」 「なるほど。勤勉家だねえ」 「お褒めいただき光栄です。ついでにご褒美としてこの枷を外していただけるともっと嬉しいのですが」 「いいよ」 「……へ?」 まさか本当に許可するとは思っていなかったのだろう。強い光を帯びていた瞳がキョトンと丸くなった。元より随分あどけない顔の持ち主だったが、唖然とした表情の所為で更に拍車が掛かっている。 臨也はくすりと笑いを漏らし、帝人を拘束していたベルトを外し始めた。 「え? あ、の……」 「最初に言っただろ? 俺は君と話がしたいんだ」 まず脚を固定していたベルトを解き、未だ困惑中の帝人に笑いかける。 「会話するのにこんな物は要らない。むしろ後々傷口に黴菌が入って熱でも出たら大変だからね、放置なんて以ての外だ。消毒もしておかないと」 「でもこれを全部解いたら僕は貴方に危害を加えようとするかもしれません」 「それはないよ」 帝人の言葉を切って捨て、臨也は続いて腕の戒めに手を伸ばした。 「武器になりそうな物は君をここへ収容した際に全て取り上げているし、もし君がこの後すぐ俺に殴りかかってきたとしても俺はそれを制圧できるから」 「大した自信ですね」 「事実だよ。そうでもなきゃこの仕事はやってられない」 言うのと同時、パチンと最後の金具の外れる音がして帝人の手足は完全に自由になった。 少年が殴りかかってくる気配は無い。 「信じられないなら一度攻撃してみるといい」 「……やめておきます。反撃されて痛い目を見るのは嫌ですから」 「そう言う割には取調べで何も吐いてくれなかったようだけど?」 「大事な仲間の情報をそう易々と喋る訳にもいかないでしょう」 「ふぅん」 帝人の言葉に相槌を打つ臨也。それから口の端を吊り上げて綺麗な弧を描くと、チェシャ猫のように両目を細めた。 「でもその君の大事なお仲間の中には君の意を無視して暴走する奴らも多いらしいじゃないか」 「…………」 帝人の双眸が己より高い位置にある臨也の瞳を見上げる。そのまま臨也が何も返さないでいると、少年は小さく溜息を吐いて――いや、自嘲したのか――、ゆるゆるとかぶりを振った。 「そこまでご存知でしたか」 「ダラーズは今の政府に不満を抱えた人間が集まって形成された集団だけど、だからってテロを行って人命を失う事を目的としている訳じゃない」 「仰るとおりです」 長らく固定されていた手首の調子を確かめながら帝人は肯定する。 「ですが、 「大変だねえ」 「……」 「あれ? 怒った?」 「いえ、返答すべき言葉が見つからなかっただけです」 まだ何か言いたそうではあったが、帝人はそう言って口を閉じる。臨也は「それならよかった」と言いながら肩を竦め、次いで帝人の目の前に左手を差し出した。 「?」 「手を。別の部屋に案内するよ」 「……」 早くも臨也がどんな人間が(少なくとも表面上は)理解したらしく、帝人は溜息を一つ吐いて差し出された手に己の右手を重ねる。 「じゃあ行こうか」 笑みを浮かべながら告げ、臨也は取調べの影響でふらつく帝人の手を引いて冷たい部屋を後にした。 □■□ (ああ、くそっ……!) 静雄は苛立たしげに煙草の吸殻を足で踏みつけた。ここは施設内で働く者がよく喫煙スペースとして使用する場所なのだが、静雄を恐れて今は誰もいない。そんな空間に舌打ちが大きく響いた。 帝人が取調室に連れて行かれてから既に48時間が経過している。静雄自身はこの施設内での“取調べ”に関してノータッチであるが、どういった事が行われているかくらい充分承知していた。実際に取調室から戻って来た囚人達の姿も嫌と言うほど見てきている。 ゆえに未だ戻らないあの小柄な少年の事を考えると、訳も分からず胸を掻き毟りたくなった。 (丸二日だぞ……。あんな細っこいのが耐えられる長さじゃねえだろうが) この苛立ちを少しでも抑えられまいかと新たな煙草に手を伸ばすが、足元に散らばる吸殻の数から察するに、あまり効果は得られていない。しかし何もしないままいる事もできず、静雄はライターの火を咥えた煙草に移した。 そんな時。 「おや、静雄じゃないか」 苛立つ男を恐れもせず軽快な調子で声をかけたのは、静雄と同じ年頃の白衣を纏った青年。その姿を認めて静雄はぱちりと瞬く。 「新羅?」 「私がそれ以外の何かに見えるなら今すぐ眼科に行く事をお勧めするけど、何もそういうつもりで君が言ったんじゃないのは解っているからね。まあ、つまるところ、どうしてここに? という意味で取っていいのかな」 「解ってんならさっさと答えろ」 「うーん。随分苛立ってるねえ」 ドスのきいた声に新羅は少しばかり苦笑を浮かべ、 「落ち着きなよ」 「それができりゃ苦労しねえ」 「だろうね。ま、俺がこっちに来た用だけど、無論、元同窓生である君や臨也と旧情を温めようと思った訳じゃあない。お仕事さ」 そう言って新羅は手に持っていたアタッシュケースを示す。 新羅は医者だ。それの彼が仕事と言うのだから、当然、誰かを治療するために呼ばれたのだろう。この施設で働く人間が(外部から医者を呼びつける程の)怪我を負ったという話は聞いていない。とすれば――― まさかと思い、静雄は口を開いた。 「今日の患者、もしかして小柄な餓鬼だったか?」 「うん。よく知ってるね」 「っ! どんな状態だった!? あいつは大丈夫なのか!?」 「へえ、静雄が苛立ってる原因はあの少年だったか」 静雄の仕事を知っている新羅は得心したように頷き、眼鏡の奥で微笑を浮かべる。 「安心しなよ。それなりに怪我は負っていたけど、命に別状はない」 「そうか……」 よかった、と静雄は息を吐いた。大して表情に出したつもりは無かったのだが、新羅が苦笑を浮かべているのを見るに、そうではないのだろう。 とにかく、帝人が大丈夫らしいと判って、静雄の苛立ちは随分と軽減された……のだが。 「あのさ、静雄」 折角喜んでるところ悪いんだけど、と少し気まずそうに新羅が言った。 「あの子何者?」 「あ? ンな事、医者とはいえ部外者のお前に教えられる訳が―――」 「それは解ってるよ。僕が訊きたいのはあの子がどんな罪でここに来たかって事じゃなくて……」 「?」 言うべきか言わざるべきか、新羅は僅かに逡巡した後、意を決したように口を開いた。 「臨也に気に入られてるなんて、よっぽどじゃない?」 「は……?」 「だからね、あの子。取調室でも囚人用医務室でもなくて、臨也の部屋に連れて来られてたんだ。あいつがただの囚人を自分の部屋に入れるなんて有り得ない。静雄、君は何か知って―――」 最後まで言い切る事なく新羅は口を閉じる。 その視線の先では静雄の目が凶悪にギラつき始めており、 「よくは知らねえが……どうせろくな事じゃねえに決まってる」 治まっていたはずの感情の波が苛立ちを遥かに通り越して激怒となり、静雄の声に表れていた。 新羅はこの後の展開が判ったと言わんばかりの表情で軽く息を吐き出し、旧知の人間に背を向ける。 「それじゃ僕はこれで。……職を失わないように気をつけなよ。って言っても、君はその怒りを止められないんだろうけどね」 返答を求めない言葉に応える声はない。 新羅の背を見送る事など全くせず、静雄は青年医師が来た方向―――この施設のいけ好かない責任者の元へと足を向けた。 □■□ 静雄が臨也の所へ向かったのと同じ頃、収容施設から然程離れていない某所で黄色を纏う少年達が集まっていた。 その中心で集団のトップらしい茶髪にピアスの少年が傍に控えていた別の少年に問う。 「進捗は?」 「完了っす。『赤』と『青』の二つもOKだとさっき連絡が入りました」 「よし」 素早い答えに茶髪の少年は頷き、次いで眼前に控える仲間達に強い視線を送った。 「陽動と後方からの情報支援の準備は整った。あとは俺達が動くだけだ。……皆、準備はいいな?」 「「「おう!!」」」 幾多もの応えが重なり合う。 それを全身で受け止め、少年は叫んだ。 「行くぞ!!」 ―――あいつを、助けに。 |