新羅と静雄の会話から時間は少し戻る。
傷の手当てを受けた帝人は全身の至る所をガーゼや包帯で覆われたままソファに腰掛けていた。取調室の椅子とは比べ物にならないそれは、この施設の責任者の部屋に設けられた物だ。 「甘いの苦手じゃないなら」 言って、臨也が左手に持ったマグカップを少年に差し出す。中身は甘い匂いのする白い液体―――ハチミツを落としたホットミルクだ。右手にはそれと正反対の黒い液体―――コーヒーのカップが握られていた。 「どうも……」 帝人がホットミルクを受け取ったのを確認し、臨也はローテーブルを挟んで少年の正面に腰を下ろす。 「傷、痛む?」 「……まあ、そこそこ」 「あまりやり過ぎないよう、ちょくちょく見張ってはいたんだけどね」 「見張って……? ああ、あの部屋の鏡、マジックミラーだったんですか」 「ご名答。まあ、こういう施設には当然のように存在する設備ではあるかな」 そう言ってコーヒーを一口含んだ後、臨也は微笑を浮かべた。 「気に入らないかい?」 「いえ。捕らえられた立場の者がどうこう批判を言えるものでもないでしょうから。むしろ今回ばかりは貴方のおかげで取調べの激しさもある程度抑えられていたようですし」 「そう思ってくれているなら助かる。嫌われたままじゃ会話もろくに成り立たないだろうからね」 「……僕は貴方に好きも嫌いも言った事なんてありませんよ」 「こうして話ができているならその事実だけで充分さ」 臨也は長い脚を組み替え、その脚の上に頬杖をつくような格好で帝人の顔を窺う。視線の先にある僅かに青を溶かし込んだ黒い瞳が困惑に歪んだ。 「そう言えばさっきも仰ってましたよね。話がしたいって。どういう事ですか?」 「どうも何も、そのままの意味だけど?」 わざとらしく小首を傾げて臨也は薄らと口元に笑みを刷く。 「そんな顔しないでくれ。解ってるよ、話がしたい理由だろう? ……まあ、あれだ。ぶっちゃけ、ダラーズのトップに興味があったからさ」 「僕にですか?」 「うーん、君個人と言うより奇妙な組織のリーダーにして創始者である人物に、と言った方が正しいかな。その人物が何を考え、どう行動する人間なのか。そういうところに俺の興味が惹かれてしまった訳だ」 「はあ……」 そうですか、と帝人は頷く。 なんとなくではあるが、臨也の言いたい事が理解できたのだろう。 「でも“奇妙”とは酷い言い草ですね。僕達はただ同じ意思を持って集まっただけに過ぎないんですよ」 「ネット上でね。しかし電子の海の中だけで形成されていた組織は、今こうして現実世界で堂々と姿を現わしている。にも拘わらず他の反政府組織と違って君達はどこにもいなくて、どこにでもいる。実に奇妙じゃないか」 「貴方がそう思うなら、まあ貴方の中ではそうなんでしょうね。それで、貴方曰く奇妙な組織を創った人間にこうして興味を持ってしまったという訳ですか」 「そう。……あーでも。今は竜ヶ峰帝人君、君自身にも興味があるよ。だってあのシズちゃんを幾日もせず手懐けたツワモノだからね」 「シズちゃん……?」 眉根を寄せる帝人。一体自分がいつ何処の誰を手懐けたのか全く判っていない態度だ。 どうやら意識してあのいけ好かない化け物看守を懐かせた訳ではないらしい相手の様子に、臨也は喉の奥で苦笑を殺す。 「君の担当になってた看守だよ」 「ああ。静雄さんですか。……いくら貴方の方が偉いからって“手懐ける”って表現は良くないと思いますけど」 「いやいや、俺からすればその表現が一番ピッタリくるね。平和島静雄は当施設の立派な化け物だから。あれは人間じゃないよ」 帝人はこちらがノロ過ぎる上層部の動きに苛々している間にあの男と親しくなり、笑みを浮かべ合う仲になっていた。静雄の方はどうでもいいが――むしろ凶悪犯が逃げ出してその際に大怪我を負うとか、いっそ死んでしまうとかすればいいのにと思っている――囚人の癖に看守と仲良くしている少年に、臨也は純粋に驚いたものだ。例え帝人がまだ実際に静雄の異常性を見た事がなかったとしても、この程度頭の回る人間ならば静雄の仕事内容を考慮して警戒心は必ず抱くだろうに。 「君はシズちゃんを怖いと思わなかったの?」 「危害を加えられた訳でもないのに余計な恐怖心を抱くつもりはありません」 「ふーん。やっぱり君自身もちょっと、いやかなり、変わってるね」 小さく笑い、臨也はカップの中のコーヒーを揺らす。 「面白いや」 「貴方に興味を持たれて良い事なんて何も無さそうですよね」 「それ、本人を前にして言う?」 「否定しない人間には言ってもいいんじゃないですか」 「あは。まあ、そうかもしれないな。……現に君は俺に興味を持たれてしまった所為でこんな所にいるんだから」 「その言い方―――」 帝人の視線は己が両手で掴むカップの中に注がれていた。甘い匂いを放つそれは会話の間にも半分ほど中身が減っており、臨也のチョイスが悪くなかった事を示している。だがカップの中身の甘さとは対照的に、そう言い放った帝人の声は些か冷めすぎていた。 「―――“この部屋”に来た事を指している訳ではなさそうですね」 「……」 臨也は「おや?」と片方の眉を上げる。それから徐々に浮かべる表情を驚きから喜びへと変化させていった。赤味を帯びた双眸は相手の一挙一動を見逃さぬよう細められ、口元には綺麗な弧が描かれる。 「まさかとは思うけど」 手にしていたカップをテーブルの上に置き、絵画か何かを鑑賞するようにスッと腕を組んだ。 「君、どこまで気付いてる?」 「まだ何も……と言うべきなのでしょうが、今の貴方の台詞でほぼ確信を得ました」 そう答える帝人もまたカップを手の中からテーブルの上に移すと視線を上げて臨也を見た。その瞳は――光の加減か意識の差か――どこか青味を増したような感じを受ける。 双眸に滲む感情は怒りだろうか。 話すのも楽しいが、こうして怒った表情を鑑賞するのもまた一興だ、と臨也は思った。そんな考えが顔に出たのか、帝人は僅かに顔を顰め、それでも声を荒げる事なく一つ息を吐いて言葉を続ける。 「貴方だったんですね、僕達に要らぬちょっかいをかけていたのは。おかげで下が暴走するわ、それで情報が漏れるわでこっちは大変だったんですよ」 「やだなぁ。ちょっかいも何も、俺はただ今の政府に不満を持ってる彼らの背中を軽く押してあげただけだよ?」 「それが要らぬちょっかいだと言ってるんです」 僅かに語尾が強くなる。 帝人のそんな様子に臨也はくすりと吐息で笑い、帝人の顔を更に顰めさせた。 「まさかとは思いますが、それって僕をこちらまで引き摺り出すためですか」 「正解。俺がちょっと働きかけただけで君のチームの人間は面白いくらい単純に動いて、君を炙り出すための情報を提示してくれた。けど……それを解っているにしては少々落ち着きずぎやしないかい」 ここまで考え付くなんて流石だと帝人を賞賛する一方で、そうであるにも拘わらず今のこの大人しい態度は可笑しくないかと臨也は首を傾げる。するとそんな臨也の変化に反比例するかの如く、今度は帝人がうっすらと微笑を刻んだ。 「ダラーズのトップともあろう人間が何の確証も益もなく捕まるとお思いで?」 ゆっくりと、薄皮を一枚一枚剥いでいくように帝人の笑みが深くなる。 帝人のそんな変化を真正面から目にした臨也はぎょっと目を見開き、しかし僅かに間を置いた後「くくっ」と喉を鳴らした。 「あー、なるほどねえ。話がしたいってのは俺だけじゃなかったって事だ」 竜ヶ峰帝人は自身が統率する組織の異常とその原因に気付き、探りを入れるためにわざわざ捕まったのだろう。勿論、捕まらずに情報を収集できるならそれに越した事はないが、些か国家権力の追跡が強力すぎてこの場にいる羽目になっているのだと推測される。 「ええ。この施設の所長さん、つまり貴方が情報を収集し操作する能力に長けているというお話は……まあ、有名な所では有名ですからね。とは言っても、正直なところ、僕もまさか貴方の口から直接お伺いできるとは思ってませんでした」 「そうかそうか。……でも君が知ったところでそれを仲間達に伝えられなければ意味はないよ」 折角欲していた情報を掴んだとしても、それを必要な所に展開できなければ意味が無い。今の帝人はまさにその意味の無い状態であり、残念だが彼の目的は果たされる事なく臨也の話し相手をするくらいしかできないのだ。 そう思って臨也は声に僅かな哀れみを含ませる。しかし事実を指摘されたはずの帝人は激昂するでも慌てるでもなく、それどころか浮かべた笑みを崩さず、 「ご心配には及びません」 僅かに苦笑の気配を滲ませて肩を竦めた。 「たぶんそろそろ、痺れを切らした僕の部下や友人達が動き始めるでしょうから」 ―――僕が全て承知してこんな所に来たとは教えていませんでしたので、そりゃもう必死に。 帝人がそう言った直後。 ビーッ! ビーッ! ビーッ! ………… 室内で、否、施設内で大音量の警報が鳴り響いた。 それから僅かに遅れる事、数秒。執務机の上に設置された電話が緊急回線で繋がれ、施設内に反政府組織と見られる一団が侵入したと伝えた。 それを耳にした臨也は目を見開き、帝人を見つめる。 「タイミングよすぎない?」 「こればかりは……偶然です」 その言葉は真実なのだろう。帝人が苦笑の度合いを深め、軽く頬を掻いた。 だが偶然だろうが何だろうが、侵入した賊はダラーズのリーダーである竜ヶ峰帝人を奪還する事を目的としている。回線越しに次々と伝えられる情報――賊の一部が二手に別れ、一方は重犯罪者を収容する場所へ向い、もう一方は施設の責任者である臨也の元(つまりこの部屋)へ向かった事――を聞いていれば嫌でもそう推測できた。(そのどちらにも向かっていないのは、きっと陽動を担当している者達だ。) 「侵入者の半分近くが黄色い布を身につけている、か……とすると基本メンバーは黄巾賊かな」 「よくご存知ですね。布の色だけで判るなんて」 侵入者の特徴を告げる声の後、臨也がそう言うと、帝人は「流石です」と本心からなのか揶揄しているのか判らない表情で賞賛を送る。 「貴方の事です、どうせ黄巾賊のリーダーの名前くらいなら余裕で知ってるんじゃないですか」 「一応は、ね。君と同い年だっけ?」 「ええ」 「確か名前は―――紀田、正臣」 「正解」 答えは臨也とも帝人とも違う、第三者によって齎された。 声がした方―――この部屋の出入口へ視線をやると、その扉の所には前髪をやや長めにした茶髪の少年が立っていた。彼の背後に控えているのは同じ黄巾賊のメンバーだろう。そして彼らの足元に倒れ伏しているのは本来彼らを捕らえるはずだったこの施設の職員達だ。 「正臣!!」 一番最初に帝人が反応する。ソファから立ち上がり、親しげに新たな登場人物の名前を呼んだ。 先程帝人の口から自分を助けるために部下や友人達が動き始めているはずだと聞いたが、とするとダラーズのリーダー・竜ヶ峰帝人と黄巾賊のリーダー・紀田正臣は友達同士という事になる。臨也もダラーズと黄巾賊の間に交流があるのは知っていたが、まさかここまで深く関わっていたとは少々予想外だ。 「よう、帝人。遅くなって悪かったな」 正臣の方もまた親しげに帝人を呼び、室内に足を踏み入れる。しかし友人に向けられた笑みはすぐに消され、明るい茶色に染めた髪よりもやや濃い色の瞳がギロリと臨也を睨んだ。 「あんたがここの所長さんか。早速で申し訳ないけど、俺の親友、さっさと返してもらうぜ」 訂正。友人ではなく親友らしい。 臨也は肩を竦め、それからフイと軽く腕を振った。瞬間、その手には制服の袖の内側に仕掛けられていたナイフが現れる。 折りたたみ式ナイフを慣れた手つきで素早く展開して臨也はその切っ先を正臣へと向けた。 「そう言われてもね。俺だって帝人君を捕まえるために色々やってきたんだよ。それを返せの一言で素直に返すと思うかい?」 「思えねえな」 言って、正臣が腰のベルトに吊り下げていた黒い特殊警棒を引き抜く。 「ま、力づくってのも悪くないぜ」 「寝言は寝てから言えよ、糞餓鬼」 ヒュン、と鋭い音が空気を裂いた。 臨也が投げたナイフは正臣の顔があった場所を通り抜け、壁に突き刺さる。最低限の動きで銀色を回避していた正臣はそれに軽く嘲笑を浮かべて臨也へと突進する。 鋭く突き出された警棒は、しかし空振り。 「速いなあ」 揶揄を含んだ声で臨也は笑い、新たに握り込んだナイフを正臣のがら空きになった背中目掛けて振り下ろした。 「そっちこそ、デスクワーク派にしてはいい動きしてんじゃねえの」 身体を捻りナイフを警棒で受け止めながら正臣が答える。 まるで互いの感情を表すように、二人の間では銀と黒が噛み合ってギチギチと耳障りな音を奏でた。暫らく競り合いを続けた後、どちらともなく相手の得物を弾いて距離を取る。 臨也の武器は投擲可能なナイフ。対して正臣の武器は接近戦用の警棒。常識的に見ると、二人の距離が広がれば広がるほど接近戦用の武器を持つ正臣の方が不利になっていくだろう。現実は部屋の中であるためそれ程距離が空く事はないのだが、室内だからこそ今度は椅子などの障害物の多さが目立ってくる。それらを避けて素早く駆け寄らねばならない正臣と、必要ならば障害物を通り越して相手に攻撃を加えられる臨也では、やはり正臣の方が不利だ。しかし――― パン、と軽い音。 その音を耳が捉えて脳が理解する前に臨也の右足が力を失った。 「な……ッ!?」 正臣の警棒を握っているのとは反対側の腕が真っ直ぐ臨也へと向けられており、その手には小型の拳銃、俗に言うデリンジャーが握られている。その小ささゆえポケットに入れて持ち運びができる代物だ。 そして臨也の右足からは赤い液体が滲み出していた。貫通と言うよりは酷く掠めたと表現すべきなのだろうか。とにかく、正臣が放った銃弾により負傷した事に違いはない。 正臣がその場で膝をついた臨也を見下ろす。 「あまり時間をかけすぎると応援が来て不利になるのはこっちだからさあ。悪いな、そのまま暫らく蹲っといてくれよ。―――そんじゃ帝人、帰るぞ」 「うん」 「あ、陽動は罪歌の奴らがやってくれてるから。ダラーズは今回後方支援な。脱出ルートは全部あっちで管理してもらってる」 「ん」 正臣の補足説明を聞きながら帝人が差し出された手に己の手を重ねた。その時。 「おいっ! ここに帝人がいるって…………あ゛?」 続いて臨也の部屋に現れたのは金髪サングラスの長身の男。その姿を認め、帝人が目を見開く。 「静雄さん!?」 「げ、シズちゃん。……タイミングが良いのか悪いのか」 「帝人……お前大丈夫なのか? あと臨也の野郎はなんでンな所で蹲ってんだよ」 「僕は大丈夫です。それとこの人は僕を助けに来た親友の邪魔をしたので」 「ちゃあんと致命傷は避けてっぞー」 帝人の言葉を引き継ぐように正臣が告げる。 そこでようやく静雄の意識が全く知らない人間である正臣に向けられ、「親友?」と帝人の言葉を反芻した。 「迎えに来てもらったんです。だから静雄さんともこれでお別れですね」 「は?」 「簡単に言ってしまうと脱獄です」 「はあ!? お前それ本気か!?」 「本気も何も現在進行形ですよ」 やだなぁ静雄さんってば、と帝人が笑う。表情は和やかなものだったが、言っている事は相当だ。 静雄がこの部屋を訪れたのは臨也に気に入られてしまったという帝人を心配したためである。しかし本来の仕事は囚人の監視。この状況ならば少年の(なんとか)無事らしい姿を見て安堵するよりも前に、今から逃げ出すというその身柄を拘束するのが正しい処置だろう。 そう判断した静雄の雰囲気が変わる。攻撃対象は竜ヶ峰帝人の脱獄幇助に関わる者。 自分達に政府側の人間の攻撃意志が向いたのを悟って、帝人の傍にいた正臣を除く黄巾賊のメンバーが一斉に静雄へと殺到した。しかし彼らが対象に攻撃を加えるよりも早く、彼らの視界を埋めたのは高速で顔面を襲った拳の肌色、漫画のように吹っ飛ばされた仲間の背中、そしてバキリという音と共に一瞬で蝶番を弾き飛ばして攻撃道具となった扉の茶色だった。 「ああ、だから静雄さん一人であの場所の担当が勤まってたんだ……」 ほんの僅かな間に戦闘不能となった青年達を眺め、帝人が静かに呟く。ただしその声に含まれるのはこの異常な現象に対する恐怖ではなく、ただ単なる納得だ。むしろ「凄い」という賞賛の気持ちすら入っているかもしれない。 が、帝人がそうである一方で、彼を助けに来た立場である正臣は正面切ってやり合うならば臨也よりも厄介であろう人物の登場に苦虫を噛み潰したかの如く顔を顰める。幸いなのは静雄が訪れる前に臨也を戦闘不能に追いやって二対一を免れた事だが、それでも楽観視など到底無理な状況だ。 静雄の視線が再び帝人達に向けられた。帝人を背後に庇い、正臣が右手に特殊警棒を、左手にデリンジャーを構える。しかしこの小さく弾数も少ない拳銃で相手が動きを止めてくれるとはどうしても思えない。帝人を逃がし、そして倒れている仲間達もきちんと回収してこの場を去りたいというのは無理すぎる願望なのか。 「ああもう、あともう一人くらい欲しいぜまったく……」 「でしたら私がお手伝いします」 「っ、杏里!?」 「園原さん!!」 「ん? 女……? ってオイいきなりかよ!!」 少女の声が新たに参戦し、静雄が咄嗟に反応する。持っていた扉を盾代わりに使い、自身に襲いかかってきた銀光を受け止めた。 分厚い木製の扉に阻まれたのは銀色の日本刀。その柄を握っていたのは正臣に「杏里」と、帝人に「園原さん」と呼ばれた黒髪の少女だ。 大人しそうな外見とは裏腹に、飾り気のないシンプルな黒いワンピースを纏った少女・園原杏里は眼鏡の奥の双眸をぼんやりと赤く光らせ、静雄の怪力から生み出される攻撃を流れるような捌きで躱してあっという間に帝人達と静雄の間に立つ。 「竜ヶ峰君、私も助けに来ました。それから紀田君、勝手に予定を変更してすみません。でも私以外の“罪歌”メンバーは全て順調に動いてますので、自己判断で私とあと黄巾賊の人達を少々お借りしてこちらに」 「いや、正直助かった。ありがとな、杏里」 少女が静雄を牽制する最中、彼女と共に遅れて駆けつけた黄巾賊の別メンバーが静雄に負傷させられた仲間達を支えて先に脱出する。得物を考慮してまともに戦り合えばきっと己を凌駕してしまうだろう杏里の背中を眺め、正臣もまた帝人を連れて部屋を出るために足を踏み出した。しかし黄巾賊のメンバーが部屋を出た時には無反応だった静雄が、帝人が逃亡を図ろうとすると、正面の杏里を無視して身体の向きを変え――― 「させません」 「邪魔すんじゃねえ!!」 鋭く銀色の光が走り、対して部屋に置かれていたあらゆる物がその対処へと宛がわれる。たった二人の人間により、下手に動けば何に当たるか判らない混戦状況が生み出され、その最中で帝人も正臣も足を止めるしかない。杏里もそれを解っているため、刀を振るうその横顔は些か苛立ちが混じっているように見える。正臣の表情は更に顕著だ。 そんな中、正臣の横に立っていた帝人がこれまでと何ら変わらない穏やかな口調で静雄の名を呼んだ。 「静雄さん」 ぴたり、と静雄の動きが止まる。それに合わせて杏里の攻撃も止んだ。 一瞬にして部屋には静寂が訪れ、部屋の全ての意識が帝人に向けられる。 「帝人……」 「静雄さん。今、貴方が僕を捕まえたいと思っているのは国益のため、この国の治安のためですか」 朗々と帝人の口が疑問を放つ。黒い瞳に僅かな青い光を湛え、「それとも」と、負傷により膝をついている臨也に一瞥を送った。 「そこにいる貴方の上司のように私欲のためですか」 「……ッ」 ハッとし、静雄が息を呑む。何故か咄嗟に答えを出す事ができなかった。 そんな静雄の様を確認し、帝人は薄く薄く微笑を浮かべる。 「答えられないうちは貴方に捕まって差し上げるつもりはありません。―――行こう。正臣、園原さん」 「りょーかい」 「はい」 臨也は負傷により立ち上がる事すらままならず、帝人の問いに答えられない静雄はその場で足を固定されたかのように視線だけが少年の姿を追いかける。 そして、この派手な脱走劇は侵入者達の勝利でもって終わりを告げた。 * * * 後日、刑務所長である臨也の執務室にて。 「シズちゃんから改まって話があるとか……一体どうしちゃったんだい?」 机に松葉杖を立てかけて椅子に腰を下ろしていた臨也が机を挟んだ正面に立つ長身に向かって揶揄を放つ。 だが普段ならばそこですぐに怒声を上げるはずの人間は、全く声を荒げる事なく鋭い視線を臨也に送った。その双眸に浮かぶのは帝人に質問を投げつけられた時には持っていなかった決意。 「力が要る」 「……んん? 怪力ならシズちゃんの十八番だろ?」 「手前みてーに“上”で使える力だ。俺はそれが欲しい」 「それで? その力を手に入れて君は何をするつもりなのかな」 静雄の言いたい事が解っていると空気で語りながら、それでも臨也は直接相手の口から言わせようとする。だがそれは静雄の望む所でもあったのだろう。金髪の男は強い意志を込めて告げた。 「あいつを、帝人をもう一度捕まえる。そのためには手前のような力が不可欠なんだよ」 「ははっ。じゃあ帝人君がいないここでは、俺が代わりに訊いてあげるよ。……それは国益のため? それとも私欲のため?」 「俺があいつを捕まえたいからそうするだけだ」 つまりは、後者。 臨也はくつくつと喉を震わせ、赤い瞳で静雄を射った。 「オーケイ。ただし俺が力を貸すんだから無償って訳にはいかない。シズちゃんが欲しい力を手に入れて、君だけの力で帝人君をもう一度捕まえたとしても……」 その時を想像し、臨也の双眸が楽しげに歪んだ。 「半分、俺が貰うよ。俺もあの子が欲しいからね」 「…………わかった」 「じゃあ交渉成立だ」 臨也がパチンと両手を打ち鳴らす。 それがやがて始まる次の攻防の合図となった。
望むなら手を伸ばせ!
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