打ちっ放しのコンクリートの壁が続く長い廊下。途中には三つの門があり、いちいちそれらの鍵を開けなくては奥に向かう事も表に出る事もできない。異様なまでの厳重性を持つその空間は、この刑務所の中でも反政府的な行動を取った重犯罪者を収容する専用の区画だった。
カツカツと硬い足音を立ててその廊下を歩むのは、看守の制服に身を包んだ長身の男。帽子から零れる髪は美しい金色をしていたが、その美しさゆえに人工の物だと知れる。整った顔立ちは残念ながら濃い色のサングラスで両目が隠されており、その表情を詳しく窺い知る事はできない。しかしほんの少しだけ持ち上がった口角と、普段の彼より幾分軽い足取りは、この場に似合わず男の気分が上昇傾向にある事を示していた。 男が歩むのに合わせ、廊下にはカチャカチャと軽快な音が鳴る。発生源は彼の手元―――これから彼が向かう先にいる人物のために用意された食事の器達が奏でる音だ。 蛍光灯の灯りに照らされた最後の門を開錠すれば、目的地はすぐそこにある。この辺になれば相手も男の足音を聞きつけて、 「あ、静雄さん!」 鉄格子の合間から顔を覗かせ、男の名を呼んだ。女の子のような、と表現するのは失礼に当たるだろうが、しかしながら確かにどこか甘さの残る少年の声が男・平和島静雄の頬を緩ませた。 「よう、帝人。変わりねえか?」 「はい。いつも通りです」 鉄格子を挟む形で静雄の問いに答えたのは黒髪黒目の少年。収容者データが正しければ今年で十七歳になるはずなのだが、見た目の方はそれよりもぐっと幼く、刑罰適応外の年齢に見える。 帝人と呼ばれた少年が静雄に向ける表情はどこにでもいそうな――むしろ昨今では珍しいくらい――純朴かつ素直なもので、とても政治犯罪を犯した人間とは思えなかった。静雄は最初、子供が間違えてこんな所に収容されてしまったのかと慌てた程である。 「昼飯ちゃんと食えよ」 「全部残さず、ですか……?」 「当たり前だ」 「うう。ちょっと多いんですよね、ここのご飯」 帝人のそんな台詞に苦笑しつつ、静雄は鉄格子の下部にある横長のスリットからトレーに乗った食事を牢の中へ移す。 静雄からすれば随分と少なく感じられる量なのだが、帝人にとっては違うらしい。それだから大きくなれないのだと揶揄すれば、格子の向こうで幼顔がぷくりと頬を膨らませた。 「お前ホンっト、そんな顔してっとただの餓鬼に見えるな」 廊下に直接座り込み、静雄は幼い囚人にそう言って笑いかける。帝人も慣れたやり取りの一つだとして、トレーを自分の元に引き寄せながら微笑を浮かべた。 「これでも一応、ダラーズを作ったのは僕なんですけどね」 「そうらしいな」 ダラーズとはこの国にいくつもある反政府組織の中でも最近急に頭角を現し始めた――言ってしまえば活動が活発になってきた――テログループで、少々特殊な構成であるがゆえに、メンバーは数百とも数千とも言われている。 ネット上のとあるサイトにハンドルネームとメールアドレスを登録する(ただし紹介制)だけでメンバーになれるため、何処の誰がダラーズなのか見分けるのは非常に難しい。なのに数だけは多くて実際に目に見える行動を起こす。政府側からすれば厄介極まりない連中なのだ。 メンバー不明。創始者の特定など夢のまた夢。―――そうであったはずなのに、匿名の情報提供によりダラーズのトップは今ここにいる。ただし見た目や雰囲気がこんな状態であるため、上層部は帝人に対して未だ直接的な事情聴取(と言う名の拷問)を行えずにいた。帝人本人は自分がダラーズの創始者である事を認めているのだが、政府内にも「そんなまさか」と思う人間や、少年を酷い方法で罰する事により民衆から反感を買うのを恐れている者達が大勢存在しているのである。 という訳で、帝人は牢に収容されたまま、のんびりと政府の決定を待っている状態で、静雄はそんな少年の監視兼世話役を担っていた。 これ程までにテログループとの関わりがあるなど考え難い帝人が、どうしてその創始者となったのか。まだ静雄も『帝人=ダラーズのトップ』と信じられなかった頃、本人にそれを聞いた事がある。すると帝人はこう答えたのだ。 「変えたいと思うのはいけない事ですか?」 その時の真っ直ぐに前を見据える澄んだ瞳が、静雄に帝人の言葉を信じさせた。 (でもやってる事はテロだろうがって言ったら、こいつ、悲しそうに笑ったんだよな……) まるでテロ活動がダラーズの目的ではないのだと声も無く主張するかのように。帝人本人は笑うだけで何も言わなかったが、今こうして目の前で食事に手をつけている少年を眺めるだけでも、静雄は己の予感があながち外れていないような気がした。 「静雄さん? どうしたんですか、ぼうっとしちゃって」 お疲れですか? と続く帝人の言葉に静雄は「いいや」と首を横に振る。 「それならいいんですけど……あまり無茶しちゃ駄目ですよ」 「ありがたい言葉だが、テロリストのお前がそれを言うか?」 からかうようにクッと喉を鳴らせば、帝人はまた可愛らしく――と表現すると相手の機嫌を損ねるのは目に見えている――頬を膨らませた。 「そりゃそうですけど……。でも僕は、僕らダラーズは、この国を変えられればという思いを持って集まっただけで、静雄さん個人に負の感情を持っている訳じゃありませんし。むしろ静雄さんは―――」 帝人は一瞬言いよどみ、やや恥ずかしげに静雄と目を合わせた。 「?」 「むしろ静雄さんはすごく素敵な方だと思います」 「……お前なぁ、看守にンな事言う囚人がいるか?」 柔らかな笑みを添えて告げられた言葉に照れるべきなのか、それとも呆れるべきなのか。ただ帝人にそう言われるのは決して不快ではなかったので、静雄は苦笑を浮かべる。 見た目に反して物怖じない少年だと思っていたが、まさか重犯罪者用の牢の看守――つまりは“それなり”の人間――である静雄の事をそんな風に思ってくれていたとは。 「やっぱお前って変な奴だな」 「やっぱって何ですか、やっぱって。静雄さんこそ反政府グループの人間に対して優しすぎますし、だから僕も“こう”なんじゃないですか?」 「そうか? 俺はお前がそんなんだから、俺が“こう”なんだと思ってるんだが」 「……卵が先か鶏が先か、みたいになってますね」 「だな」 終わりが見えなさそうな話題をそう言って終わらせる。 静雄は肩を竦め、それから煙草を咥えようと―――したが、鉄格子の向こうで食事中の人間がいるじゃないかと思い直し、ニコチンの摂取を諦めた。 「静雄さん?」 「……いや、何でもねえ」 ちょっとした気遣いをわざわざ悟られるのも気恥ずかしく、ぶっきらぼうに答えれば、くすりと小さな笑いが返って来た。 「ん?」 何だ、と視線で問い掛ける静雄に対し、帝人は、 「やっぱり静雄さんは優しい、素敵な方です」 そう言って嬉しそうに微笑む。 なにやら顔面が熱くなったような気がした静雄はふいと顔を背けて「あ、そう」と、これまたぶっきらぼうに呟いた。 □■□ 「この無能共が」 鋭く吐き捨て、男は重厚な執務机の上に数枚の書類を投げ出す。 現在不機嫌そうに顔を顰めているその男は、眉目秀麗と言う言葉がそのまま具現化したかの如く美しい容姿をしていた。齢は二十代という所まで判るのだが、それ以上の推測は難しい。 白く長い指で黒髪を掻き揚げながら、男―――この刑務所で所長を務める折原臨也は書類を睨みつける。 「ぐだぐだやってないで、さっさとOK出せってんだ」 (折角 剣呑な視線に晒される書類には、とある囚人のデータとその処遇について記載されていた。 囚人の名前は竜ヶ峰帝人。反政府的な活動を行ったとしてこの施設に収容されたが、その容姿や言動から人違いではないか、もしくはテログループのリーダーというのが本当だとしても刑罰をどの程度与えるのが適当か――下手に罰して国民から反感を買うのが一番怖いのだ――等々、上層部で話し合いが繰り返されている最中の人物である。 長引く話し合いのおかげで臨也はかの有名なダラーズのリーダーに“取調べ”を実施する事ができないでいた。 (まったく……何のために俺が動いたと思ってる) これまで全く存在が掴めなかったダラーズのリーダーの情報をとある方法で入手し、匿名で流したのは臨也である。それもこれも全てはダラーズのリーダーに興味を持った臨也が己のテリトリー内にその少年を招き入れるため。だと言うのに――― (なんでシズちゃんなんかと仲良くなってるかな、あの子) 臨也はその地位ゆえに他者よりできる事は多いが、逆にできない事も多いのだ。未だハッキリとした処遇が決まっていない犯罪者に臨也ほどの地位の者がわざわざ時間を作って会いに行くのもその一つ。そこを世界で一番嫌悪する男・平和島静雄に上手く掻っ攫われたような気がして(静雄は看守として普通に働いていただけなのだが)、臨也はチッと舌打ちを漏らした。 また、そもそも臨也は静雄と顔すら合わせたくないほど互いに嫌い合っているため、そう簡単には帝人の居る特別区画まで足を延ばす訳にはいかないのである。つまり上から正式なお達しがあり、帝人の身が静雄の管轄区域から取調室に移されるのを待つしかないのだ。 「……しょうがない。ちょっとジジイ共の尻でも叩いてみるか」 声に苦笑を滲ませながら臨也は呟く。 ただしその表情は苦笑とは似ても似つかず、現状に対する苛立ちと今後に対する期待で寒気がするほど歪められていたが。 |