voice 10
静雄が向かったのは都内某所の高級ホテルだった。
腹立たしい事に臨也も一緒だ。またノミ蟲と過去に色々あったらしい来良の後輩達は各自己の“チーム”を連れて、今回の犯人達―――ダラーズの主犯以外の対応に赴いている。本当は彼らも帝人を直接自分の手で救い出したかったのだろうが、臨也が指示した“数の使い方”に従い、静雄とは別行動となった。 この世で最も嫌悪する人間と一緒だという事で――しかも癪な事にそいつと一緒にいた方がスムーズに大事な人間を助けられるため――静雄は欠片も苛立ちを隠そうとせず、こめかみに血管を浮かばせている。 大事な人間が誘拐されて、折原臨也が視界の中にいて。だがそれでも静雄がキレて暴れ始めていないのは、帝人の安否の方が怒りを我慢する事より大きく勝っていたからに他ならない。 臨也は目的地のホテルに到着すると、静雄を置いて真っ直ぐにフロントへと向かった。そこで何事かを話し、薄っぺらい物を受け取る。おそらく帝人が囚われているという部屋のカードキーだ。臨也はそれをコートのポケットに仕舞いながら静雄の所に戻ってくると、 「最上階」 そう言って上を指差した。カードキーを静雄に渡す気配はない。 なんだ手前はそこまで付いてくる気かよ、と静雄が睨み付ければ、臨也は肩を竦める。飄々とした態度がこちらの苛立ちを煽るが、静雄がそれを自制しているうちに彼はエレベーターへと歩みを進めていた。静雄もその背を追い、タイミング良く来たエレベーターに二人で乗り込む。 他の客は静雄の苛立ちを感じ取り、彼が『池袋の自動喧嘩人形』であると知らないにも拘わらず近寄ろうとはせず、結局、箱の中には臨也と自分しかいない。そんな状況で臨也は急速に上昇していく数字を眺めながらカードキーを取り出し、 パキリ。 躊躇いもせずに薄っぺらなそれをへし折った。 そして静雄が何かを言う前に「ねえシズちゃん」と口を開く。 「派手にぶち壊しなよ」 「は?」 視線は合わない。未だに臨也は階を示す数字を眺め続けている。 「大きな音がしてもホテルマンは来ないように言ってあるし、今日は何を壊したって構わない。弁償費用も俺が出すよ」 普段の折原臨也なら絶対に言わないであろう台詞を吐きながら、静雄と犬猿の仲であるその男はようやく視線を話し相手に向けた。整った顔には薄い笑みが浮かび、口は淀みなく動いている。 だが彼の赤い双眸にははっきりとした怒りが蠢いていた。 臨也は何気ない世間話の延長のような口調のまま、そして凍り付くような怒りを抱えたまま、池袋最強の男に告げる。 「相手は帝人君を奪おうとした愚か者ばかりなんだからさ、徹底的に潰すのがこの世の理ってもんだろう?」 □■□ 目が覚めると、帝人の身体はソファに逆戻りしていた。 「……」 先刻と違うのは両手両足がそれぞれ拘束されているという事だ。どこから調達してきたのか、銀色に輝く手錠が足首にはまっているのが見える。おそらく後ろに回された手にも同じ物がかけられているのだろう。 身じろぎすればカチャカチャと金属の擦れ合う音がして、正面に座っていたアリスが文庫本から顔を上げた。彼女は半ばまで読んでいたそれを栞すら挟まず閉じ、何事もなかったかのようにニコリと微笑む。 「おはようございます、帝人さん」 「なんで、こんな……こと」 言葉が途切れ途切れにしか発せない。かがされた薬の所為でまだ頭がくらくらしていた。 アリスは本をローテーブルの隅に置くと、ことりと幼子のように頭を傾ける。 「だって帝人さんが悪いんですよ? 私達の願いを嫌だと突き返すから」 「そんなの、誰だって、いやって言うに……決まって、る」 「私達『ダラーズ』が願っても、ですか?」 「当たり前、だよ。僕の事に口を出していいのは、僕と、その相手だけ、なんだから」 「……そうですか」 アリスはふるふると首を振って残念そうに告げた。 薬まで使って帝人を引き留めた割にはあっさり退こうとしているなとも思ったが、朦朧とした頭ではあまり物事を考えられない。帝人は、解ってくれたなら早くこの手錠を取ってくれと言おうと口を開く。しかし、その前にアリスが空のティーカップを持ったままソファから立ち上がり、 ―――ガシャンッ!! 「ッ!?」 落とした、どころの話ではない。勢い良くテーブルへと叩きつけた。 カップはバラバラに砕けて大きめの破片がいくつか散らばっている。帝人はその光景に目を瞠り、声を失くす。しかもアリスの暴挙はこれだけで収まらず、制服姿つまりスカートを穿いているにも拘わらず足を振り上げてローファーでテーブルの上の破片を踏み砕いたのだ。 バギャ、と靴とテーブルの間で鈍い音が鳴る。 少女が足を退けると、そこには粉々になった元ティーカップが。一つの破片は大体1センチあるかどうかくらいで、もっと小さい物もあった。アリスはそれらの破片を指で摘まみ上げ、自分の手のひらに乗せる。そのまま帝人の正面まで来ると、破片が乗った手のひらを口元に近付けてきた。 「な、に」 「帝人さんが他人のものだと言うならば、私達は貴方の声を奪う。私達にとって竜ヶ峰帝人とは声です。その素晴らしい歌声に集約されています。だから私達はそれを奪う。もう貴方を誰のものにもさせない」 「っそ、んな」 無茶苦茶だ。 そう思っても正面に立つアリスの目は本気だった。 彼女は砕いたカップの破片を無理矢理帝人の口に含ませようとする。これを飲み込んでしまえば喉は激しく損傷し、歌うどころかまともに声すら出せなくなってしまうかもしれない。 ろくな抵抗もできない状況で帝人はそれでも必死に抗った。だがアリス一人では上手く行かない事を悟ると、彼女は同じ部屋にいた仲間を呼んで帝人を押さえつけるよう指示する。両肩をぐっとソファに沈められ、口を無理矢理開かされた帝人にアリスの手が近付き――― 「手前ら、俺にぶっ殺される用意はできてんだろうなあっ!!!!」 外に通じる扉が弾け飛ぶ轟音。そして帝人やアリス達が向けた視線の先には金色の獅子が立っていた。 帝人は名を呼ぶ。愛しい、愛しい、己が声も心も捧げた青年の名を。 「静雄さんっ!」 (2011.06.25up) |