voice 08






『お掛けになった電話番号は、現在電波の届かない場所にあるか、電源が―――』
 合成された女性の声を最後まで聞く事なく、平和島静雄は通話を切った。
「帝人」
 ぽつりと、本来ならばこの電話の先にいるはずの人物の名を呼ぶ。何かとてつもなく嫌な予感がした。
 金曜である今日、帝人は普通に学校に行ったはずだ。そうでなければ同級生や下級生である『D・R』の他メンバーから静雄に連絡があるはずだし、また帝人が体調不良等で登校できない状況だったなら彼本人から恋人である静雄にメールか電話が来るはずなので。
 これがただ単に携帯電話の充電が切れただとか、たまたま電波状況の悪い所で遊んでいるという事なら問題ない。しかし前者は恋人の性質を考えると有り得ない事だったし、後者もまた今日は夕方から静雄に家に泊まりに来る事になっていたので確率は限りなく低い。
 じわりと手に嫌な汗が浮かぶ。
 奇妙な手紙や臨也の登場が脳裏を掠め、静雄の心拍数が上昇した。自分ならまだいい。全然構わない。『池袋の自動喧嘩人形』とも称される己は大概の悪意や害意を物理的に跳ね除ける事ができるからだ。しかし帝人は違う。歌が上手くて電子機器に強い、けれどただそれだけで体力だって平均以下の恋人が自分に伸びる魔手をそう易々と回避できるとは思えなかった。
 静雄は汗の滲んだ手で携帯電話を操り、正臣、杏里、青葉へと順に電話をかけていく。どうかその中で一人でもいいから帝人と一緒にいてくれと願いながら。
 しかし、
『そちらにもいませんか……。これはちょっとマズいかもですね』
 正臣が外れ、杏里も外れ。最後にかけた青葉がふざけ切れていない口調でそう言った。
『平和島さん、今から大丈夫ですか? とりあえずメンバー全員で集まりましょう』
「今は家にいるから大丈夫だ。それに大丈夫じゃなくても絶対行く。集合場所はどこだ」
『わかりました。では―――』
 集合場所と、他の二人への連絡は青葉がする事を聞いて静雄は電話を切る。それから財布をズボンの尻ポケットにねじ込み、玄関のドアを蹴り破る勢いで飛び出していった。


 集合場所は帝人が住んでいるボロアパートの前だった。走りながら遠目に来良の制服が三つ見えて、既に他の者達が到着済みである事を示している。おそらくこの近くにいたのだろう。
 だがだいぶ三人に近付いた頃、嫌な“臭い”を感じ取って静雄は両目を釣り上げた。三人のすぐ近く、静雄からは見えない位置にもう一人いる。
「いーざーやー! 手前っなんでこんな所にいやがる!!」
 叫びつつ拳を振り上げ、打ち下ろす。ドゴンッとアスファルトに亀裂が入り有り得ない音がするも、しかし攻撃対象はひらりと身を躱して薄く笑った。
 黒いコートが動きに沿って揺れる。帝人が行方不明な現在、五割の確率でその原因になっていそうな男、折原臨也がそこにいた。なお、残りの五割はあの気味の悪い手紙の送り主だ。
「いきなり殴りかかってくるなんて酷いじゃないか、シズちゃん。俺は今日、君達に有益な情報を持って現れたって言うのに」
「ああ゛!? 害虫駆除して何が悪いってんだよ……って、情報だと?」
「そう」
 コートのポケットに両手を突っ込んだまま肩を竦め、臨也は赤味の強い双眸を眇めた。
「帝人君と連絡が取れないんだってね」
「手前の仕業じゃねえのかよ」
「俺を見ればキレて全力で攻撃してくるシズちゃんにしては大人しい態度だね。人の話を聞こうとできるなんて。やっぱり大事な大事な帝人君関係だからかな。ちなみに俺は今回ノータッチだから」
「茶化してる暇があるならさっさと全部吐きやがれ。それとも言わせてくださいってなるまでシメあげてやろうか?」
「できない事は口にしない方がいいよ……っと。そんな話をしてる場合じゃなかった。帝人君の件だ」
 そう言って臨也は静雄や正臣達を見回す。静雄は当然のように怒りを溜めに溜め込んで今にも爆発しそうな形相だが、正臣達もまた厳しい顔つきをしていた。敵意さえ感じられるそれは、先日来良の四人が臨也と遭遇した時に帝人が見たものと同じだ。
「ああ、紀田君達はなかなか良い顔になってきたね。これなら使えそうかな」
 臨也はぼそりと独りごち、聞き取れなかった他の者達は訝しげな顔をする。だが彼らが何かを言う前に臨也はすっと目つきを鋭くすると、

「帝人君が『D・R』のファンに誘拐された」

「は……?」
 それは誰の声だったのか。
 四人は瞠目し、声を失くす。
「この前の手紙の一件も同じ犯人だろうね。……いや、“同じ犯人達”と言うべきか。相手は複数だから」
 そんな中、臨也はどこまでも冷静に状況を語っていた。
「一応実行犯の特定も済んでるよ。それ以外の人間についても今、うちの助手が調べてるからそのうち判る。そんな訳で俺は―――っ」
 つらつらと喋る臨也の胸倉を静雄が思いきり掴み上げた。臨也は無理矢理肺から空気を吐き出す羽目になり、ヒュウと空気の抜ける音がする。だがいつも浮かべている余裕の表情は失わず、そのまま投擲するでもない静雄の行動をニヤニヤと眺めていた。
 そんな臨也の態度に静雄のこめかみでブチリと大きな音がし、獣のように咆哮する。
「臨也テメェ! そこまで知っててなんで帝人を助けなかった!? それとも何か? 手前は今回もやっぱり俺達が苦しんでるのをその胸糞ワリィ顔で眺めてやがるつもりか! ウソかホントかも怪しい情報でひっかき回すんじゃねえよノミ蟲が!!」
「…………あのさぁ、シズちゃん」
 激情を向けられた臨也は、しかし胸倉を掴まれたままぽつりと言った。
「状況が状況なんだ。人の説明は黙って聞けよ」
 静雄が煮え滾るマグマなら、臨也は凍て付くドライアイスだ。普段他人をからかって遊ぶ時の声音ではない。ぞっとするような冷たい声で臨也は続ける。
「知っていたら助けたさ。俺がこの情報を得たのは帝人君が誘拐されてようやく奴らの尻尾を掴めたからだ。……だからさぁ」
 そしてピジョンブラッドの瞳が最大限の蔑みを込めて静雄を射った。
「現在進行形で何もできていない奴が偉そうに言うな」
「……っ」
「そうそう。他人の話を聞く時は胸倉なんか掴んじゃいけないからねー」
 解放され自由になった臨也は肩を竦めて言う。
「気に入ったものを横から掻っ攫われて俺が怒らないとでも思ってるの?」
「じゃああんたはこれから反撃するって事っすか?」
「イエス! 紀田君、正解。でも百点ではないかな」
 黙り込んだ静雄の代わりに口を開いた正臣へ臨也は意味深長な視線を向ける。嫌な予感がするのに、その相手が吐き出す言葉が必要だと予感させるような、そんな奇妙な心地を抱かせる視線を。
 そして正臣の予感は的中し、それぞれ少年少女の胸に秘めていた過去さえ情報屋は悪意をもって眼前に晒した。
「反撃するのは俺一人じゃない。池袋最強の男に、カラーギャング『黄巾賊』の元将軍、同じく『ブルースクウェア』の創設者、そして『罪歌』の母……池袋の戦力が今、ここに集まってるんだよ。この俺がそれを使わない訳がないだろう?」
「……っ」
「「「…………」」」
 静雄は瞠目し、未だ十代半ばの高校生達は気まずげに視線を合わせては逸らすという行動を繰り返している。十代の三人は互いの後ろに控えている存在を全て知っていた訳ではないが、それでもなんとなく「ある」という事は以前臨也と顔を合わせた際に気付いてしまっていた。それゆえの気まずさだろう。
 黄巾賊、ブルースクウェア、罪歌。これらはそれぞれ黄、青、赤をチームカラーとするカラーギャングであり、一昨年の冬頃まで激しい抗争を続けていた池袋最大の三勢力だった。その中でも最も多く衝突を繰り返していたのは正臣が“将軍”を務めていた黄巾賊と青葉が作ってその兄が動かしていたブルースクウェアなのだが、これは臨也が陰で糸を引いていたためだと今の正臣と青葉は知っている。
 また罪歌というのはその二人もあまりはっきりとした輪郭が捉えられない組織で、気が付くと自分達のチームの中に罪歌の人間が紛れ込んでいる―――否、いつの間にか自分達の仲間だった人間が罪歌側についているという状況が度々発生するような気味の悪いチームだった。しかも罪歌側につくと時折操り人形のような茫洋とした目になる人間が多く見られたため、その気味の悪さはいや増した。
 罪歌は黄巾賊やブルースクウェアと違い、臨也の助言を受けて抗争を続けるような組織ではなく、むしろいちいちちょっかいをかけてくる黒コートの情報屋とは敵対関係にさえあった。
 だが最終的に臨也は黄と青のチームをぶつけて相殺させ、赤とは対立したままだったため、今も三色のトップとは険悪な雰囲気が残ったままになっている。
 にも拘わらず、この青年はそれぞれのリーダーの目の前で彼らを利用すると宣言したのだ。
「黄巾賊とブルースクウェアは確かに昔、派手に潰し合ったけど、まだ初期の中心メンバーは残ってるだろう? それに罪歌は杏里ちゃんが大きな動きを見せなかった事でダメージも少ない。今も呼びかければかなりの数が応えてくれるんじゃないかな。そして単体戦力最強のシズちゃんも加わって、“数”も“一カ所にぶつけられる力”も大きな集団ができあがる」
 そして重要な情報を握る青年は整った顔にニコリと微笑を浮かべた。
「帝人君を助けたければ俺に利用されな」
「…………」
 静雄も、他の三人も答えない。だが実際、各人の中に答えは一つしかなく、それを見透かして情報屋はうんうんと満足そうに頷いた。直後、誰かの携帯電話がメールの着信を告げる。それに反応し、中身を確かめたのは―――
「……流石波江。ナイスタイミング」
 パチンと携帯電話を閉じて臨也は笑いかけた。両手を広げ、道化師のメイクのように口元を引き上げる。
「この件に関わった人間の全てが割り出せた。こちらも動こう。池袋の組織戦で俺に勝てる奴はそうそういないよ。君達が身をもって体験したように、ね」








一応、こんなイメージです↓
黄巾賊とブルースクウェア…大体原作通り。
罪歌…not妖刀。若干宗教臭い。

(2011.06.24up)



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