voice 07






 気味の悪い手紙を受け取った後、帝人は他のメンバーにも手紙の事を伝え、警戒はしつつもこれまで通りの生活を続ける事にした。そんな手紙に屈して生活態度を変えたくないというのが帝人のみならず皆の思いだったからだ。
 数日経った放課後。ステージに立つ予定も練習の予定も無いその日に、帝人は同じ来良学園に通う正臣、杏里、青葉と揃って街を歩いていた。
 元々来良学園一年生の仲良し三人組として帝人と正臣と杏里の三人は校内でも有名な組み合わせだったのだが、彼らが進級しそこに青葉が加わった事で、現在は仲良し四人組と呼ばれるようにもなっている。だが実のところ――彼らの傍にいる人間にはすぐ判る事なのだが――、正臣と青葉の関係はあまりよろしくない。二人とも馬が合わないのか、それとも帝人の知らない過去に何かあったのか。大きな衝突はしないまでも、一緒に居なければならない時は必ず自分達の間に他人を挟むようにしていた。以前帝人が何故だと問いかけた時は「なんとなく」だとか「帝人先輩に引っ付きすぎだからですよ」とはぐらかされてしまったため、真相は二人の胸の内である。
 ちなみに以前「どっちも話してくれない」と愚痴った帝人に対し、同じクラスで学級委員でもある杏里はいつも通りの笑顔のまま「私にも理由は判りませんが、きっと竜ヶ峰君の歌が無ければ同じ空気を吸うのも嫌なんでしょうね」と刺々しい言葉をサラリと言ってのけた。そんなまさかとは思いたいが、本当にその通りなのかもしれないのが怖い。
 しかしながら、それでも外から見れば仲良し四人組である。一人だけ社会人である静雄がいない今、悪質なファンに狙われているらしい帝人を守るのは自分だと、正臣も青葉も、そして帝人の知るところではなかったが実は杏里までもが息巻いていた。
「あ、僕ちょっとビッグカメラに行きたいんだけど、いいかな?」
「おう! いいぜー」
「はい、大丈夫ですよ」
「先輩先輩! 何を買うんですか?」
「外付けのハードディスクで何か良いのないかなと思って」
「あれ? 帝人、それ前に買ってなかったっけ?」
「前のは買おうと思ってやめたんだ、結局。まあ今日も見るだけで終わっちゃうかもしれないけどね」
 首を傾げて問う正臣に帝人は苦笑を浮かべてそう答える。その横では家電の扱いが苦手な杏里が独り言で「外付け、硬いハード円盤ディスク……?」と不思議そうな顔をし、更に隣の青葉が「パソコンの部品の一種ですよ」と杏里の眉間に皺が寄らないよう付け加えていた。
 そんな会話を交しながら一同は駅前に向かうためサンシャイン60通りを進む。だが全国チェーンの薬局を過ぎた辺りで四人の前に黒い影―――否、黒いコートの青年が現れた。
「貴方は……」
 帝人の声に青年は微笑む。
「やあ、帝人君。先日ぶりだねぇ。どう? 元気にやってる?」
 薄く笑うのは折原臨也。
 赤味を帯びた目が細められ、眉目秀麗という言葉がぴったりな整った容貌に鋭い気配が混じった。
「俺がちょっかい出す前に色々と面倒な事になってるみたいだね。で、周りの子達は君のナイト様なのかな」
「……」
 臨也は既に手紙の事を知っている模様だった。その辺の情報収集の速さは流石と言うべきか。静雄の話やネットから折原臨也は情報屋であるというのは知っていたが、その手腕は噂に違わぬものらしい。油断できない厄介な相手だと再認識し、帝人は友人達をからかう男の視線を遮ろうと一歩前に―――
「……え?」
 前に出ようとして、しかしそれは三人に揃って拒まれた。
 杏里と青葉が前に出て、正臣は片腕を伸ばし帝人を自分の背後に押しやる。予想外の事態に帝人は三人を眺めるが、それは更に帝人の混乱を増す事となった。
 三人が臨也に向けた視線。それが酷く鋭いものだったのだ。
 臨也はこの池袋でそれなりに有名な人物であり、三人がそれぞれ池袋の住人としてその存在を知っていても何ら可笑しい事はない。また正臣は帝人がこの街にやって来た時から折原臨也と言う人間には近付かないよう忠告する程だった。
 だが何故、三人が黒いコートの青年を見てすぐに臨也と気付き、過剰なまでの敵愾心を向けているのか。疑問を帝人が口にする前に、臨也本人がその答えを半分だけ提示してみせた。
「紀田君、園原さん、黒沼君も。お三方共に久しぶり。どうやら楽しい学園生活を送れているようだね」
「……!?」
 帝人は思わず三人の顔を凝視する。
 彼らは池袋の住人として臨也を一方的に知っているだけでなく、臨也と“顔見知り”だったらしい。加えて臨也が「久しぶり」と言ったのだから、知り合ったのはここ最近の事ではない。
「三人とも折原さんと知り合いだったの……?」
 驚く帝人。しかし三人の様子に帝人の混乱はいや増す事になる。
「え、ってか杏里も?」
「紀田君と黒沼君まで……?」
「紀田先輩は解りますけど、なんで杏里先輩が?」
 臨也と知り合いらしき正臣達は他もそうであると互いに知らなかったのだ。
 驚愕と混乱の中、顔を見合わせる三人と帝人の様子に臨也は小さく肩を揺らす。
「君達ってさぁ、仲が良いって言われてる割には全然お互いの事知らないよねぇ」
 クツクツと笑いながら吐かれた言葉には隠す気も無い悪意が混じっていた。だがその言葉はただの戯言ではなく、今の来良生徒四人の態度で事実であると証明されてしまっている。
「俺と帝人君は最近知り合ったばかりだけど、君達三人は前々から俺と仲良しだったじゃないか。それなのにずっと教えてなかったんだ?」
「あんたと知り合いだなんて人生の汚点にしかならないからな。つーか帝人にまでちょっかい出してきやがって」
「紀田君の意見に同意します。黒沼君と紀田君に貴方が何をしたのか知りませんが、良くない事だったくらい簡単に予想できます。これ以上私達に何かするつもりなら、私は貴方を許しません」
「杏里先輩がどうしてこんな下種野郎と知り合いなのか気になる所ではありますが、とりあえず僕らの目の前から消えてくれませんか。……あと帝人先輩に手を出したら今度こそマジで殺すぞ、情報屋」
「おー怖い怖い。一つ言えば三つ返って来るのは人数からして当たり前だけど、本当に殺気塗れの返事ばかりだ」
 口元に冷笑を刷きながら臨也は肩を竦めた。
 一介の高校生に殺気を向けられるなんて、この男は過去に一体何をしたのだろうか。
 帝人は親友達が目の前で初めて見せた刺々しい雰囲気に飲まれそうになりながらも、正臣の陰からじっと臨也を見据える。その見極めるような視線に臨也がふと顔を向けた。
「あ、そうそう。今日は帝人君に用があってここまで来たんだよ」
 帝人に用、の部分で真っ先に反応したのは帝人本人ではなくその前に立つ正臣達だ。声は出さずとも、何のつもりだと警戒を露わにしているのは誰にでも解る。
 しかしそんな三人の態度など何処吹く風と、臨也は赤味を帯びた目を楽しげに細めた。
「君とシズちゃんが受け取った手紙についてさ。重ねて言う事になるけど、俺はあれに関わっちゃいないよ。帝人君に何かあると困るから俺も一応調べ始めてるくらいだし……。まあ、君の熱烈なファンダラーズの一部が動いてる気配はあるけどねえ。とりあえずしばらくの間、君は君のナイト様達に守ってもらうといい。それが一番安全だ」
「……それを言うために今日は?」
「そ。なにせ君は俺が口説いてる最中の歌姫様だからね。事があってからじゃ遅いだろう?」
 青年の顔は嘘か本当か解らない表情を浮かべている。
 そんな曖昧な態度が余計に正臣達の警戒と苛立ちを煽ったのか、
「用が済んだんならさっさとどっかに消えてくれませんか」
「紀田君……君、今物凄く怖い顔になってるよ」
「……帝人に指一本でも触れてみろ。ただじゃ済まさねえぞ」
「そういう大きな口は相応の実力をつけてから叩いてもらいたいもんだけど……」
 正臣の態度に、くすり、と臨也が笑う。
「ここで君達を煽っても仕方が無い。それにこの時間帯だと、ぐずぐずしてると厄介な人間もやってきそうだしね。そろそろ切り上げた方が無難かな」
 臨也は踵を返し、高校生達に背を向ける。しかし、
「折原さん」
 去ろうとした臨也を止めたのは帝人だった。
 足を止めたファーつきの黒いコートの背中を見据えたまま、帝人は、これだけは言っておかないとという硬い表情で告げた。
「ご忠告は感謝します。でもそれだけの用でわざわざ僕の友人達の神経を逆撫でしないでもらえませんか」
「それはできない相談だよ、帝人君」
 ちらりと赤い目が帝人を一瞥する。
「俺は君への忠告をすると共に、君のナイト様達にも自覚を持ってほしかったんだから」
 己が一体何であるのか。どういう力の持ち主なのか、立場を持つ者なのか。それを臨也と再び言葉を交わす事で自覚させたかったのだと、臨也は笑いながら言った。
「言っておくけどね、俺は利用できるものなら何でも利用する。君を他人に害させないためには君のナイト様達に本当の全力でもって動いてもらわないと。今の平和ボケし始めてる彼らじゃ足らないんだ。もっと俺と遊んでた時ぐらいには戻ってもらわないと、ね。……まあ、その殺気立った顔を見る限りでは徐々に戻り始めたみたいだけど」
 それでもまだまだ足りないなぁと付け足した臨也は今度こそこの場を去るために足を動かした。
 彼の歩みを止めようと声をかける者はいない。正臣と杏里と青葉は臨也の台詞を受けて黙りこくり、帝人は何が何やら解らず言うべき言葉が見つからないのである。
 やがて黒いコートが雑踏に消えると、最初に小さな声で青葉が口を開いた。
「帝人先輩」
 その声で正臣と杏里も伏せ気味だった視線を上向かせる。
 帝人は「なに?」と首を傾げ、後輩の言葉を待った。
「折原臨也との事ですが……」
「うん」
 教えてくれるのだろうか、と僅かな期待は生まれたが、青葉の顔を見る限りそれもなさそうだ。
 そして帝人の予想は当たり、後輩はしゅんと眉尻を下げて言った。
「過去の事はいずれお話するかもしれません。でも今はまだちょっと……すみません、先輩」
 真実を話して帝人に嫌われない自信がないのだと、後輩は申し訳なさそうに告げる。
「まあ帝人がどうしても知りたいってんなら話すしかねえとは思ってるけどよ」
「できればあまり皆さんを私のゴタゴタに巻き込みたくないんです」
 青葉に続き、他の二人もそれぞれ胸の内を吐露した。
 なるべく昔の事は話したくない。それが自分の我侭だと三人は理解している。
 だがそれは帝人を大切に思っているからこその言葉でもあり、帝人は一つだけ小さな溜息を吐いた。
「青葉君、正臣、園原さん……」
 そんな顔で、そんな声で、そんな事を言われてしまっては、臨也と彼らの間に何があったのか強引に聞き出すなんてできないではないか。
「じゃあいつか、話したくなった時に話してよ」
「おう。絶対な」
「わかりました」
「了解です、先輩」
 示し合わせた訳ではないが、四人からほぼ同時にふっと笑いが漏れる。
 臨也の登場によって不穏なものになっていた空気はすぐに払拭され、いつも通りの明るさを取り戻した中、正臣が最初の目的地がある方向を指差した。
「そうと決まりゃあ気を取り直して買い物の続行だ! ビックカメラだろ。さあさあ行こうぜー」
「あ、ちょ待ってよ正臣!」
「紀田君、走っちゃ危ないですよ」
「帝人せんぱーい! 紀田先輩だけ先に行かせて俺達はゆっくり行きましょうよ」
 走り出した正臣と、正臣を追いかけようとする帝人と、その二人を笑いながら眺める杏里と青葉。
 手紙や臨也の事は気にしつつも、そこには確かに彼らの変わらぬ日常があった。





『D・R』の帝人をはっけーん。
嗚呼、楽しそうだなぁ。
楽しそうだね。
俺達とは別の人間と一緒に。
……本当に楽しそう、だね。


 不穏な気配が間近に迫っている事を未だ自覚できないまま。








(2011.05.31up)



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