voice 06






見た?
見た。
何を?
あの噂って本当だったんだー
噂、噂……あれか。
おお、知ってる?
一応。
来良学園の近くの、
そう言えば『D・R』の帝人って来良学園なんだっけ?
そうそう。
来良学園の近くで何があったんだ?
ってか噂って?
そっちは知らないの?
知らないよ。
静雄と帝人の事だよー
確かにそう言う目で見ればそう見える場面も多々あったような?
だから何が……!
ああ、あのね。
『D・R』の静雄と帝人が付き合ってるって噂。
あれ、本当だったんだよ。
だって物陰に隠れてキスしてるのを見たって。
『ダラーズ』のメンバーが。
それだけじゃないよ。
え。
もっと?
もっと。
…………。
………………。
……………………。
許せないね。
許せないな。
帝人を独り占めするなんて。

彼は私達『ダラーズ』のものなのに。



□■□



「……ん?」
 夕方。仕事から帰宅し、郵便受けから取り出したチラシやダイレクトメールの中に一通の白い封筒が紛れ込んでいるのに気付いて静雄は首を傾げた。
 封筒には宛名の所に「平和島静雄様」とだけ書かれており、差出人の名前はない。また静雄宅の住所も無ければ消印も無く、何者かが直接この郵便受けに放り込んだのだろうと推測された。
「…………」
 非常に怪しかったがしばし逡巡した後、静雄はビリビリとその場で封を切る。
 静雄も(不本意ではあるが)伊達に「池袋の自動喧嘩人形」とは呼ばれていない。多少の悪意なら常人よりも特殊な身体が防ぐはずだった。
 そして封筒の中身を取り出した静雄は―――
「おいおい帝人。こりゃお前の危惧した状況よりマズくなってきたかもしれねぇぞ」
 静雄が手にした一枚の便箋。そこに書かれていたのは静雄への警告だった。
『帝人に触れるな』
 ただその一言だけを無地の便箋にプリントアウトしたそれは、静雄が知る限り決してあの折原臨也の手口ではない。ひょっとすると奴が帝人との(一応の)約束を破って噂を流し始めたのかもしれないが、その可能性は低いだろう。
 帝人と静雄の関係を知っているのが臨也だけならまだ良かった。相手が誰だか判っているし、いざとなれば全力で潰しにかかる事もできる。しかしこの手紙の差出人は全くの不明で、性別も年齢も、むしろ一人が複数かすら判らない。
 帝人と静雄の関係を知る人間が折原臨也を除いて最低一人はいる。しかも手紙の内容からも明らかだが、その誰かは静雄達の関係を望んでいない。そして静雄は折原臨也の所業を知っているからこそ、彼が愛していると公言してはばからない人間の不安定さや醜さも理解していた。―――つまり、
(この差出人が次に何をするかなんて分かったモンじゃねえな……)
 まさか手紙だけでは終わるまい。
 いや、ここできっぱり静雄達の関係が終わってしまえばそれも有り得るのだが、静雄が帝人を手放す気などさらさら無いのだから可能性は推して知るべし。
 ぐしゃりと手紙を握り潰し、静雄はそれをスラックスのポケットに突っ込んで再び足を外へ向ける。
 携帯電話を取り出してコールする先は今から向かう先にいる大事な少年の元だ。どこに自分達を監視する『目』があるか判らない状況ではあったが、この状況を知らせて静雄がそのすぐ傍にいた方が安全性は高いように思えた。



□■□



 帝人の携帯電話が着信を告げたのはアパートの郵便受けから真っ白な封筒を取り出した直後の事だった。一体誰からの手紙だろう、とは思うものの、着信音が特別な相手にのみ設定されたものだったためそちらを優先する。
『帝人? 今、家にいるか』
「はい。……どうしたんですか、静雄さん。なんだかいつもと違うみたいですけど」
 と言うよりも少し焦っているような、そんな感じだ。
 帝人が指摘すると、電話の相手―――平和島静雄は『詳しい事はそっちで話す』と答えた。
『お前は俺が行くまでちゃんと施錠して部屋に篭っててくれ。頼むから、俺以外の人間は部屋に上げるなよ』
「え? ちょ、静雄さん?」
『いいから返事』
「あ、えっと。はい。わかりました」
『よし。じゃあすぐ行くから』
 プツリと切れる通話。
 何がなんだかさっぱり解らないが、ひとまず帝人は静雄に答えたとおり内側から扉に鍵をかける。それから一息ついてようよう白い封筒の存在を思い出した。
「そう言えばこれ何なんだろう」
 帝人は知らなかったが、それは静雄の元に届いた物と全く同じ代物だった。
 白い封筒には「竜ヶ峰帝人様」とだけ書かれており、切手や消印は勿論のこと住所も差出人の名前も無い。直接アパートのポストに投函されたと思われる封筒は汚れや皺も見当たらず、帝人の手の中で不気味な雰囲気を放っていた。
 変な物が入っていませんように、と心の中で小さく祈りながら、帝人はハサミを持ち出して手紙の封を切る。中に入っていたのは一通の白い便箋だ。三つ折りにされたそれをカサカサと開き―――
「っ、うわ」
 背筋に冷たいものが走った。
 手紙に書かれていたのはたった一行。

 歌ってる帝人が大好き。だから誰か個人の物にならないで。

「なんだ、これ……」
 パソコンからプリンターで打ち出されたであろう文字はひどく淡々としているのに、その一行に込められた感情はドロドロとして気持ちが悪い。差出人の名前が判らないから余計にそう感じるのだろうか。
 無理矢理に唾を飲み込み、身体の中で渦巻く気持ち悪さを静めようとする。
 ひょっとしたら似たようなものが静雄の元にも届いたのかもしれない。だからさっきのような電話を―――
 今頃こちらに向かっているであろう恋人の声を思い出して帝人は俯けていた顔をぱっと上げた。静雄の元にどんな内容の手紙が届いたのか心配ではあるが、その一方で彼ならば大丈夫だとも思う。本人が望んでの事ではないが、伊達に池袋最強と呼ばれていはいない。
 静雄が味方なのだから平気だ。たかが奇妙な手紙一つで弱ってなどいられない。
 気を持ち直した帝人は間も無く到着するであろう静雄のために茶の用意をしつつ、手の動きとは別に手紙の内容と意味について考え始めた。おそらくこの手紙の主は帝人達のバンド『D・R』を知っている者―――更に言及するならファンの誰かではないかと思う。彼または彼女が単数なのか複数なのかは不明だが、熱狂的なファンが他とは違う行動を取るという話は耳にした事があった。……まさかそれが自分の身に起こるとは帝人も思っても見なかったけれど。
「それに後半の台詞……。誰か個人の物にならないでって」
 ひょっとして自分が静雄の物であるとバレてしまっている?
 一瞬、帝人の脳裏に折原臨也の姿が浮かぶ。あの人が誰かに情報を流してしまったのだろうか。けれど臨也は去り際に言った。話の続きはまた今度、と。そんな彼が帝人と静雄の関係を早々にバラしてしまうとも考え難い。
「決定的なシーンを見られちゃったのか。はたまた誰かが街中で僕らを見かけて偶然にもそう感じてしまったとか?」
 先日も『お仕置き』と称して外で致されてしまった身である帝人はその事を思い出して顔を赤くする。それから路地裏での記憶を払うように頭を振って普段の自分達が客観的にどう見えるか考えてみた。
 恋人であるという以外にも同じバンドのメンバーの静雄とは街中でよく一緒にいる帝人だ。どちらも笑顔で話すし、静雄に至っては甘やかすように帝人の頭を撫でたり腹が空いてるだろうと言って近くのファーストフード店に連れ込む事も。そういった何気ない日常の1シーンを、どこかの誰かが「仲が良すぎる」と感じてしまったのかもしれない。
 そこまで推測した帝人だが、だからと言って今までの態度を崩す気は欠片も起きなかった。正臣達もそうだが、大好きな人達と一緒に居てどこが悪いと言うのだ。顔も見えない他人にどうこう言われる筋合いは無い。
「それに僕の歌は元々大事な人達のために歌ってるものだし」
 脳裏にその『大事な人達』を思い描きながら呟き、帝人は茶の用意を完了させる。するとまるで見計らったかのようなタイミングでインターフォンが鳴った。
「帝人、いるか?」
「あっはい! 静雄さん、今開けますね」
 静雄の到着が予想以上に早く、帝人は小さな笑みを浮かべる。きっと彼は帝人の事を心配して全速力で走ってきてくれたのだろう。それが嬉しくて、帝人は不安も恐怖も全く含まれない笑顔のまま静雄を迎え入れた。
「どうぞ」
「……悪いな、突然」
「いえいえ。来てくださって嬉しいです。……たぶんこれと同じ物が静雄さんの所にも届いていたんじゃないですか?」
「あー。お前にも、か」
 四畳半の部屋はドアから小さなテーブルまでの距離も短い。座布団を置いたそこに静雄を座らせて早々に帝人がテーブルの上に置いたのは例の白い封筒とその中身の便箋だった。
 便箋に書かれた文章を読み、静雄の眉間に皺が寄る。それから無言でスラックスに突っ込んでいた白い紙を取り出し、帝人に差し出した。
「俺の所にはこれが来てた。どこの誰かは知らないが、偉そうな事を言いやがる」
 ぐしゃぐしゃに皺が寄っているそれを帝人が受け取って確認すれば、確かに「一体お前は僕の何なんだ」と言い返したくなるような言葉が記されていた。いつまでも見つめていたいとは思わない白い紙をさっさと折り畳み、帝人は一つ溜息を吐く。
「こんなものに従うつもりはありません。警戒はしますけど、それ以外は何も変えたくないですね」
「俺もお前に触れないとか考えらんねえし」
 テーブルに置かれた帝人の手の上に静雄のそれが重なった。大きな手はそのまま帝人の右手を包み込むようにして持ち上げ、手の甲にやわらかく湿った感触が押し付けられる。
「しずおさん」
「お前の歌は俺達のもので、お前は俺のものだ。それに異を唱えるってんなら、俺がそいつらを片っ端からぶっ飛ばしてやるよ」
 静雄はそう告げると握ったままの手を引き寄せ、己の腕で囲うようにして帝人を抱きしめた。帝人もそれに逆らわず、大人しく腕の中から恋人の精悍な顔を見つめる。
「心強いです」
「それにまあ、俺が傍にいられない時は紀田達もいるし。しばらく一人になる事だけは避けろよ」
「……その事なんですけど」
 やっぱり正臣達にも言うんですよね? と帝人が問うと、静雄は当たり前だとでも言いたげに首を縦に振った。
「お前があいつらに心配かけたくないってのは解る。でもあいつらだってお前がこんな事になってるって知らされなかったら、後々ものすげぇ怒るぞ。絶対」
「ですよねー」
 静雄とは違い、同じバンドのメンバーである正臣、杏里、青葉は普通の高校生だ。そんな彼らに不穏な気配は感じさせたくない。だが帝人がそう思っていても彼ら自身が同じであるとは限らない。むしろ静雄が言うように、黙っていたのがバレたら「どうして黙ってたんだ!」と怒られてしまうのは確実である。
「お前はあいつらが大切で、あいつらもお前が大切なんだから。……こういう時はちゃんと頼らせてもらえ。仲間だろ?」
「はい」
 優しく諭すような物言いに心がふわりと温かくなるのを感じながら、帝人は静雄の腕の中でそう小さく頷いた。








(2011.02.06up)



<<  >>