voice 04






「やあ、こんにちは」
 それはまるで青空にでも話しかけられたかと思うほど爽やかで澄み切った声だった。
 しかし今いる駅前は人通りも多く、まさか自分がそんな声の持ち主に話しかけられるなどと思ってもみなかった帝人は、声の方に振り向く事もなくスタスタと歩き続ける。
「え、ちょっと君! 君だよ君、竜ヶ峰帝人君!!」
「……僕、ですか?」
「そう!」
 肩を掴まれ名前まで呼ばれれば間違いようもない。
 こんな声の持ち主が一体自分に何の用かと思いながら帝人が振り返ると、そこには目を瞠るほど美しい青年が淡い笑みを浮かべて立っていた。
 まさに眉目秀麗。柔和な笑みはそれだけで異性を虜にしてしまえるだろう。だが黒髪の間から覗く赤味の強い双眸は酷く冷えきっており、帝人に警戒心を解かせようとはしなかった。
「あの、僕に何か? それに貴方はどちら様ですか」
「ああ名乗り遅れて申し訳ない。俺は折原臨也。先日、君の歌を聴いてファンになった一人だよ」
「折原臨也、さん……?」
 どこかで聞いた事があるような名前に、帝人は「はてどこで聞いたっけ?」と小首を傾げる。すると臨也は「そう」と頷いて軽く両手を広げた。
「君ん所のリーダーとは犬猿の仲の、ね」
「……ああ、あの折原さんでしたか」
「知ってるんだ?」
「あまり良いお噂は耳にしてませんけど」
 折原臨也が『誰』であるかに思い至り、帝人は苦笑を浮かべた。
 帝人がまだ池袋に来たばかりの頃、親友から聞いた『関わってはいけない一般人』の中に彼の名前も含まれていたのだ。ちなみに帝人達のグループのリーダーである静雄の名前も挙がっていたのだが、今はこうして同じ音楽を奏でる仲間であるので、親友のピックアップも一概に正しいとは言えないのかもしれないが。
 ただし、と帝人は心の中で呟く。
(この人に関しては用心しておいた方がいいかも)
 親友に言われたからではなく、また恋人である静雄と明らかな敵対関係にあるからでもなく。臨也のその冷めた目を見て、帝人はそう思った。
「でもその折原さんがどうしてわざわざ僕らのライブに?」
「ただの興味本位さ。シズちゃんがバンドなんてやってるって耳にしたからね。でも思わぬ収穫だよ! 君みたいな素敵な歌声の持ち主に出会えるなんて!」
「ありがとうございます」
「おや? 謙遜しないんだね」
「だってそんな事したら僕の声を褒めてくれる他の人の言葉も否定する事になっちゃうじゃないですか」
「他の人ってのは『ダラーズ』?」
 帝人達のバンド『D・R』のファンの総称を口にする青年に帝人は「まぁそうですね」と半分だけ肯定を返す。
 確かに自分達を好きでいてくれる彼らの存在は大きい。だが帝人が歌い、その声を誇る事ができるのは、何よりも同じバンドの仲間達が帝人の歌を好きだと言ってくれるからだ。
 そんな返答の様子に帝人の心情を何となく察したのか、臨也は若干楽しそうな顔で「ふぅん」と呟いた。
「やっぱりただのファンより同じチームのメンバーの方が何倍も大きな存在ってわけか」
「ええまぁ。でも普通はそうじゃないですか?」
「そうなんだけどねぇ」
 解っちゃいるが納得しかねるといった風情で臨也は続ける。
「“ただのファン”でしかない俺としてはちょっと面白くないな」
 その声が妙に冷たく、またどろりと不快な粘り気を帯びている事に気付いて、帝人は小さく肩を震わせた。頭の中でけたたましく警報が鳴り始める。今すぐここを離れろ、と。
「……あ、の。歌を気に入ってくださってありがとうございます。でも僕これからちょっと用事があるので」
 そう言って相手に背を向けようとする帝人。
 しかし臨也が細い腕を素早く掴んで引き留めた。
「放してくださ―――」
「ねえ、俺のために歌ってよ」
「え?」
 ニヤニヤとまるで物語に出てくる不思議な猫のように笑う臨也は帝人の腕を掴んだまま声をひそめて告げる。

「『ダラーズ』の歌姫は“平和島静雄の歌姫”でもあるってバラされたくないだろ?」

「ッ!」
 ビクリと帝人の身体が強ばる。
 臨也の比喩が何を表しているのか、当事者である帝人には嫌と言うほど解った。
 帝人と静雄の関係は表向き同じバンドのメンバー、もしくは年の離れた仲の良い友人と言う事になっている。しかし事実は異なり二人は正真正銘の恋仲だ。同性で年齢も丸八年の差があるけれど、二人は惹かれ合い心を通わせた。その事実に幸福を覚えこそすれ、後悔などするはずもない。しかし世間一般的に自分達の関係がどのような目で見られるのか帝人もよく理解していた。
(静雄さんとの関係が公になる……?)
 それは困る。
 静雄には仕事があり、帝人には学校がある。臨也がどうやって帝人達の関係を知ったのか解らないが、とにかく自分達の平穏を守るためにもそれをバラされるのは避けたい。
 眉根を寄せて考えを巡らせる帝人に臨也はまるで最高の解決策を目の前にぶら下げる悪魔のような美しい笑顔を作った。
「何も君の全てを寄越せと言ってるわけじゃない。君の歌を俺にくれって言ってるんだ」
「でもっ、僕の歌は―――」
「シズちゃん達のために歌ってるって? じゃあ交渉は失敗って事かな?」
「くっ」
「あははっ! イイ顔」
 臨也がニヤリと口の端を持ち上げてそう告げた直後、

「あの、それくらいにしてくれませんか」

 第三者の手が臨也から帝人を引き離すように伸びてきた。
 腕を掴まれた臨也はぎょっとなって帝人から手を離す。途端、臨也を掴んでいた第三者の手は何の抵抗もなく外れ、同時に帝人を隠すかの如く少年の前に人影が立った。
「……あんたは?」
 現れたのは何の変哲もない一般人だった。臨也と同じくらいの年齢で、性別は男。どこにでもいそうな若者だが臨也の頭の中に記憶されている人物ではない。帝人の知り合いだろうかと思って青年越しに帝人を見やれば、彼もまた知らない人物の登場に戸惑っているように思われた。
「一体俺達に何の用かな」
 取り込み中に邪魔されて若干苛立ちを露わにしながら臨也は続けて問う。
 美形が怒ると怖いというのはよくある話で、その青年も臨也の顔に浮かんだ苛立ちを目にして息を詰めた。だが臨也が更に追い打ちをかけるよりも早く、その問いに答える人間がもう一人。
「その人を困らせないで欲しいんです。帝人さんは私達のものなんですから」
「はあ?」
 声のした方に視線を向けるとこの近くの女子校の制服を纏った少女が臨也を鋭く睨み付けていた。
 しかも少女の後ろには同じ学校だろう人物達が更に数人―――。いや、数人程度ではない。男も女も大人も子供も、気付いた時には臨也と帝人を取り囲むようにして何人もの人間達が集まっていた。
「あっ、もしかして……」
 何かに気付いたように帝人が両目を見開く。その姿を見た名も知らぬ多くの者達は一様に穏やかな笑みを浮かべ、帝人の予想を肯定するように頷いた。
「私達は『ダラーズ』。竜ヶ峰帝人の歌声に惹かれて集まった者達」
「だから貴方のように帝人さんを困らせる真似は許せないんです。それに―――」

「―――独り占めなんて以ての外だ」








(2010.12.30up)



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