「・・・!」

やられた。
あの短時間でも俺の記憶から「母ちゃん」を探られてしまった。


目の前で淡いブラウンの髪が揺れる。
その向こうに「してやったり」というヤツの顔。

「気がつかなかったか?わしがおまえを攻撃する時こっちの手だけを使っていたことに・・・
覗いたのだ!このツメで!おまえの記憶を!!」

知ってるさ。でも、知ってるだけじゃ反応できなかった・・・!
覗かれたのがほんの少しだったから『以前』にもコイツと戦った事があるってのはバレなかったらしい。
けれど、一番探られたくなかった事が、一番こんな場所に担ぎ出されたくなかった人が―――!



「どんな冷徹な死神も決して斬ることのできぬ相手が一人はいる。それは必ずだ。それを探し出すことでわしはこれまで死神共を退けてきた。そしておまえにとってその相手とはこいつである筈なのだ!!」
「・・・そうでしょう・・・?一護・・・!」


疑似餌があの人の声で喋る。
6年間、どんなに望んでも得られなかった声で。
いや、正確には3,4ヶ月前に一度聞いた。その時も本当のおふくろではなく、コイツが作った紛い物だったけれど。

そう。これは二度目の屈辱。
自分の中にある神聖なものをまさに土足で踏み荒らされている。


「どうした。名前を呼ばれただけでもう身動きがとれんか。ヒヒッ!青いな。」

「二度も・・・」
「んん?」
「二度も、こんな場所に俺のおふくろ担ぎ出してんじゃねぇよ!!」

怒りに任せて斬魄刀を振り上げる。
けれど目の前には母。

「だめよ一護!刀を引いて。・・・お願い。母さんを斬らないで・・・!」


これは贋物!これは贋物だ!母ちゃんじゃねぇ!!

けれど、頬を掠める髪の感触。甘い匂い。
(俺の記憶が元なのだから当然だけど)どちらも記憶と寸分たがわない。



「はて・・・二度目とはおまえも可笑しな事を言う。だがまぁ良い。」

おふくろの向こうでグランドフィッシャーが嗤う。

「これで、終わりだ。」


ヤツの右手が疑似餌ごと俺を貫いた。
その所為で、母の姿をとった、けれども体温の無い贋物と触れ合う。

俺は軽く波打つ長髪を一度だけ左手で梳き、そのままグランドフィッシャーの手を掴んで口角を上げた。


「・・・そうだよ。母ちゃんはそんな風に喋ったりしねえ・・・そんな不安げな声を出したりする人じゃない。」


躯に触れるのは冷たい温度。それが贋物と母親との違いを明確にする。
そうだ。そうなんだ。
記憶の中のおふくろはいつだって穏やかで、笑ってて。
怒ったり泣いたり、こんな風に必死な様子を見せることなんて一度たりともなかった。
俺の中のおふくろは温かな「安定」の象徴。
こんなものとは違う。


「ホント、テメーは俺が出会ったなかで一番カンに障る虚だぜ。」

そう言って、俺はヤツの胸の穴から左腕へと斬魄刀を走らせた。

「うぎゃぁぁぁああああ!!!」

ザックリと左腕を斬られ、痛みにのた打ち回るグランドフィッシャー。
でもこちらも既に限界だ。
まだヤツには勝てちゃいないのに。ヤツはまだ動ける・・・疑似餌に移って。

頭部から伸びた管の先、おふくろの姿をした疑似餌部分は力なく地面に横たわっている。
そしてポツポツと降り出した雨が髪を濡らし、衣服を濡らし、頬を濡らし。

斬魄刀を支えにして俺は荒く息をするだけ。
動かなくてはいけないのに動くことが出来ない。
あれを斬らなくてはいけないと頭では理解しているのに―――。

受けたダメージがデカすぎた。
動けという意志に体が従ってくれない。



「・・・ちご!一護っ!!」

ルキアが茂みから現れる。
全身ずぶ濡れで血相を変えて走ってきた。

「たわけ・・・!なにを一人で戦っておるのだ!」
「・・・キア、頼む。アイツを・・・」

アイツはまだ死んでねぇ。まだ動けるんだ。
だから、早く止めを―――

俺の声にルキアがグランドフィッシャーの方を向く。
さっきまで血を吐き出しながら荒い息をついていた巨体は今は静かに地面の上。
まるで息絶えたかのように。
けれど違う。まだ昇華されることも地獄の門が開くことも起きてはいない。


「大丈夫だ一護。あの虚は倒した。貴様があのように倒したではないか。」

ルキア、違うんだ!
アイツは“動けなくなった”だけじゃダメなんだ―――!

もう声が出ない。
そしてとてつもなく瞼が重い。
意識が途切れ、る―――・・・











気がついたらルキアの膝の上に頭を預けて寝かされていた。
俺が意識を失った後、突然グランドフィッシャーが動き出し、疑似餌に乗り移って逃げたのだそうだ。
逃げる虚か、それとも腹に穴を開けて死にかけている俺か。
一瞬で選択を迫られたルキアは俺の命をとった。


「・・・負けたのか。」
―――また。

体に戻り、木陰で雨宿りしながら呟く。

「何を言うか。奴は逃げ、こちらには一人の死者もいない。間違いなく貴様の勝ちだ。」

それは“死神”としての勝利なのかもしれない。けれど“俺”にとっては二度目の敗北だ。



「・・・一護?」
「少しだけ雨に当たってくる。」


立ち上がって俺は歩き出した。
暗い空から降り続く雨が元々濡れていた体をさらに濡らしていく。
髪を濡らした雫は額を伝い、目尻を伝い、そして頬に一筋の線を描いて地面に落ちる。

泣いてるみたいで、嫌だった。



























胸を満たす思いはただ苦く―――。


(06.02.02up)










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