一体いつから『彼』がそこに居たのか。彼の存在を知る者はほぼ同じく「数年前には―――」と答えるが、それでも正確な年や月を答えられる者はいない。気がついた時にはすでに居たというのが共通認識となっている。
 『彼』の事を声高に話題にする者は居なかったが、それでも『彼』は有名だった。
 ここイギリス清教第零聖堂区は魔術師を狩るために魔術を行使する者達が集まる場所。にも拘らず、『彼』は魔術師ではなかったのだ。





ネ バ ー エ ン  #1






 イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会ネセサリウス』。その元本拠地であり現在ではイギリス清教の実質的頭脳となっている聖ジョージ大聖堂の内部にて、
最大主教アークビショップ
 淡々とした声で役職名を呼ばれ、イギリス清教のトップに立つ女性―――ローラ=スチュアートは微笑を浮かべて振り返った。髪留めを使って折り返されている長い金髪の先が動きに合わせてふわりと宙を泳ぐ。
 視線を向けた先に居たのは黒い髪をツンツンと立たせた一四歳頃の日本人の少年。
「おお、当麻か」
 少年の名は上条当麻と言う。ある事情でローラが自分の傍に置いている、従者的立場の人間だった。より正確に言えば秘書兼使用人兼護衛と言った所か。ただしいつも一緒に居る訳ではなく、別行動を取る時間もそれなりに多い。
 当麻はこの必要悪の教会において好悪含めて密かに有名人だった。
 少年が他者より注目されているのは、その立ち位置の他に、魔術が使えないという事が原因となっているのだろう。ローラや当麻本人が「上条当麻は魔術が使えない」という話を口にした事はないが、当麻が魔術を使えない事そのものは事実であり、そして特に隠す気も無ければそういうちょっとばかり周りと違う事実は噂となって人の間をあっという間に駆けるものなのだ。
(そうして当麻を知りたる者は、次いでこう言いけるのね。なにゆえ魔術師でもなき奴が最大教主の傍に仕えたりているのか、と)
 ちなみに日本人である事もまた確かに珍しいが、だからと言って特別目を引くようなものでもない。必要悪の教会には日本人を含め多種多様な人種が存在しているのだから。ただ、魔術が使えない事、最大主教の傍に仕えている事が合わさってくると、一部の白人主義者兼最大主教至上主義者から肌の色に関わる悪意が投げつけられる場合もある。そういう差別意識はすぐになくなる訳でもなく、仕方ないと言えば仕方のない事なのだろう。当麻本人も諦めている節がある。いや、むしろそんな小さな事など気にしていないのか。
(まぁ、当麻の力を知らぬ者になど何とでも言わせておけば良しなのよ。そんな罵詈雑言ごときで当麻の力が失われる事など万が一つも有り得なし、なのだから)
 内心ほくそ笑み、ローラは次いで当麻が左手に持っている小箱を視線で示した。ただの宝石箱に見えるそれは、しかしながら諸々の魔術を施した一品で、特定の人物でなければ開けられない代物となっている。
 その視線を受け、タイミングを読んだ当麻がローラに小箱を差し出した。
「頼まれていた物をお持ち致しました」
「手間をかけさせたわね」
 ひょい、と両手で小さなその箱を受け取り、ローラは礼を告げる。
 聖ジョージ大聖堂ではなく、ローラの住居であるランベス宮――警備の厳重さから別名『処女の寝室ネイルベッドルーム』と呼ばれている――からわざわざ持って来させたそれに一体何が入っているのか。当麻は知りもしないだろう。どうせ自分には関係のない事だと、興味すら持っていないに違いない。彼はただ、主人ローラに頼まれたから取りに行っただけ、としか思っていないのだ。
 この箱の中身は一体何なのか。それは何のために使われるのか。もし何らかの理由で当麻が知ったとしたら、彼は怒るだろうか。悲しむだろうか。ローラを憎むだろうか。それとも「ああ。そうだったんですか」と何事も無かったかのように平然と返すだけだろうか。どれも有り得そうで、ローラには予想がつかない。だが、当麻がどんな反応をしたとしてもローラは上条当麻らしいという感想を抱くだろう。
 他人の心と考えを読み、先を予測する事を得意とする(また立場上その能力が必要とされる)ローラは、しかしそんな自分にも判らない当麻にそっと内心で苦笑を漏らした。イギリスの王室派にも強い影響力を持つ自分が人の心を読めないとは……『最大主教』としては歓迎出来ない事だろうが、『ローラ=スチュアート』としてはなんだか楽しく思う。
「最大主教? いかがされましたか」
 ローラの変化を感じ取ってか、当麻が小さく首を傾げる。だがローラは「気にするな」と答えて片手をパタパタと軽く振った。
「当麻。貴方はもう下がってくれたりて構わぬわ。私もあと一つ用事を済ませたりしば帰るから」
「解りました。では、また何かご用があればお呼びください」
「ええ」
 一礼した後、背を向けて去る少年の姿を見送り、ローラはそっと小箱を撫でた。同時に口の中で小さく何かを呟く。するとカチ、というかすかな音と共に小箱が蓋を開けた。―――中に入っていたのは、ロザリオ。細かな鎖が通るその小さな十字架の裏には文字が刻まれている。Index-Librorum-Prohibitorum、と。

 今日は六月二八日。
 箱の中身が使用される日まで、あと一ヶ月と迫っていた。








補足
上条当麻の誕生日を2/19〜3/20(うお座)に設定しております。
なので原作開始一年前の6/28時点(このストーリの開始時間軸)では、
当麻14歳、ステイル13歳、インデックス13〜14歳、神裂16〜17歳、土御門14〜15歳となります。

(2009.04.12up)