雨の日は嫌いだった。
あの時までは、確かに。






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雨の降る日は傍にいて
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「…なんだよ、アンタ、また来たのか?」

この時期、一護はよく学校帰りに寄る場所があった。
忘れもしない、忘れられない、記憶に残る、見慣れた河原。
梅雨に入り、雨続きの湿ったこの場所。
増水で水は濁り、人一人いないはずの河原。
しかし、最近、学校帰りの一護よりも先に、この河原には先客が居る。

「なんスか、居ちゃいけませんか?」
「や、そうじゃねえけど…」

今時まず見ない番傘を差して、先客は川の流れに目をやったまま言った。
一護は、その隣に立ち、同じように川の流れを見つめた。

「アンタ、相当暇なんだな?」
「そうですねえ。この時分は…」

傘越しに、チラリと横顔を覗き見ると、先客はタイミングよく一護の方を見、ふいに目が合う。

「…物好きだよな。浦原サン」
「あら、そうですかね」

一護は、この男の名前しか知らなかった。
別にそれがどう、ということでもないが、会ったのは二週間前ほどで、それからことある事に浦原はこの河原に現れた。
一人で居たいがためにここに来ていた一護が、浦原の存在を不快に思わなかったのは、『大人』相手に珍しいことだった。
浦原は、いつも黒系の服を軽く着こなしており、外見は二十代半ばほどに見えるが、本当の年齢は知らない。
金色というよりは、月のような髪色で、肩上までの線細い髪の毛。
初めて会った時、一護は時間が瞬間止まったような心地がしたのを覚えている。
二週間ほど前、予報外れの激しい雨に打たれながら、この河原で立っていた日。
この、不思議な河原の時間共有の始まり。






−−−




日が暮れた河原は、天候も手伝ってこの時間にしては暗かった。
濡れ鼠で、帰り際に絡まれたせいで、ボロボロ。無論、勝ったのはこちらだが。
土砂降りの雨に打たれながら、一護は切れた唇の端を手の甲で拭った。
増水した川の流れを見つめながら、誘われるようにふらりと足を進めた時だった。


「探しものですか」


五月蝿い雨の中、その声は不思議とよく透って、一護の耳に届いた。
静かな声音に、一護が声の方を振り向くと、見慣れない番傘を差した男が、河原に立っていた。

「それとも、忘れもの?」

男は静かに訊ねてきた。

「…な、に…言って…」

一護は、その男を凝視しながら、声を絞り出した。
番傘から覘く男の瞳に、吸い込まれるような気がして、心臓が鳴る。
すると男は、軽く首をかしげて一歩、一護のほうへと足を踏み出してきた。

「おや、違うんですか?今のキミ、そんなふうに見えたんスけどね」

男の言葉に、一護は眉間に皺を寄せた。
確かに、それに近いものはあるのかもしれないと思う。
ここは、『失くした場所』で、おそらく、自分は、それを今も縋るように探している。
一護が俯き、唇を噛み締めていると、不意に体中を打っていた雨が止んだ。
驚いて顔を上げると、目の前には男がいて、男の差す番傘が一護に差しかけられていた。
一護が男の顔を見上げると、男は柔らかく笑う。

「キミの求めるものは、随分と難儀なものらしいっスね」
「…あんた、なんで…」

男はまるで、一護の心内を知っているかのように言葉を紡ぐ。
戸惑いを隠せずにいる一護に、男は少し首を傾げるような仕草をした。

「過去、キミが何をここに置いてきたのかはわらない。けれど、おそらくそれは取りにはいけないものなんでしょう。
 でも、キミにとって、それは思いのほか近くにあるもののような気がしてるんじゃないっスか?」

返事が出来ないのは、それが本当だから。
初めて会っただけのこの男が、どうして正確に心の内を知ることが出来るのか。
傘によって外界から遮られたように、五月蝿いはずの雨音は遠くに聞こえていた。

「キミは、もう歩き出しているのに、それがキミを立ち止まらせているように感じさせている」

男は、ただ静かに言葉を発し続ける。
音は遠ざかり、まるでそこだけ切り取られたように時間が止まっている気がした。

「キミにとってそれは、何より大切なものだったんスね」

優しい瞳で見つめられて、一護は知らず唇を噛んだ。
調子が狂う。
この男と話していると、心が荒らされる。
一護は、言い知れぬ焦りから、早くここを離れようと、男の脇をすり抜けて行こうとした。
しかし、それは、男の手に腕を取られ、叶わない。

「…見つからないの?」

真っ直ぐに見つめられて、一護は言葉に詰まった。
見ず知らずの男に、なぜこんな事を言われなくてはいけないのか。
ふつふつと怒りは沸くのに、男の優しい色の瞳がそれを消していってしまう。
暴かれる。
一護がそう思ったときには、言葉は零れ落ちてしまっていた。

「…見つかんねぇんだ…。ずっと、…探してるけど、…ぜんぜっ…」

隠してきた、己の弱い心内はボロボロと剥がれ落ちてしまった。
たった、半時ほど前に会った男の前で、簡単に。
嗚咽まじりに、一護は言葉を零して、俯いた。
雨に打たれて全身は濡れていて、身体も冷えてしまっているのに、頬を伝う涙だけは温かくて。

ぽん、と優しく頭に手を置かれ、子供みたいに撫でられて。
いつもなら、そんな子供扱いを不快に思わないわけがないのに、その時は、それが優しく感じられて。
会ったばかりの男の胸に顔を埋めて、幼い子供のように泣いてしまった。

「見つかりますよ。慌てなくていい。ゆっくり大人になんなさい」

男はそう言って、優しく笑った。






−−−






多分、浦原は気付いていたのかもしれない。
一護は思った。
雨の多い、この時期。
一人で居たいと思う反面、どこかでそれを怖がっている自分がいる。
その一護の矛盾した思いの中に、浦原はすんなりと馴染んでしまった。簡単に。
側にいて、こんなにも落ち着く相手は、他にいない。
一護はそう思う。

浦原が、この河原に来るようになってから、一護の胸が波立つ回数が減った。
こんな、あの日を思い出しそうな雨の日でも、浦原の隣に並んでいるだけで、一護の心は不思議と落ち着くのだった。

なぜ、浦原が、毎日のように河原にやって来てくれるのかはわからない。
いつまで、こんな毎日が続くかも分からない。
けれど、せめて、雨が止むまでは、側にいて欲しいと、そう思った。


傘に落ちる、パラパラという雨音を聞きながら、一護はそんなことを考えていた。


「明日、キミ、昼までっスよね、学校」
「…え?」

物思いに耽っていた一護は、急にかけられた声にハッとして、顔を上げた。

「明日、学校、昼までっスよね、土曜日だから」
「あ、うん。…それが?」
「明日も、ここに来てくれませんか。キミがよければ」

浦原の思いがけない言葉に、一護は目を丸くした。
突然の申し出に、一護が何も言えずにいると、浦原が小さく首をかしげながら見つめてきた。

「駄目?」
「…や、別にいいけど…」

天気予報では、明日も一日雨だったはずで。
そして、雨の日は毎日欠かさず一護はここに来てる。
それを浦原は知っているはずなのに、初めて、浦原はそんなことを言ったのだ。
どうせ明日も土砂降りなんじゃねぇの?
一護がそう口にするより早く、浦原は言った。

「じゃ、決まりっスね。明日、…そうっスね、一時頃にここで」

一護が了承すると、浦原はそれだけ言って、さっさと身を翻して歩き出した。
呆気にとられて、一護はそのまま、その後ろ姿を見送ってしまう。

「お、おい!ちょっと!」

後ろ姿が見えなくなるころに、我に返り声を上げたものの、浦原は気付かずに行ってしまった後だった。
浦原の姿が見えなくなると、否、浦原が隣にいなくなると、急に辺りの雨音が大きくなった気がした。
途端に不安に駆られる心は、ザワザワと揺らめくばかり。
いつまで?
いつまでこうして会えるだろうか。
一護は傘の柄を握り締めて、荒れた川に背を向けた。










土曜日の朝、目を覚ました一護は、窓の外を見て目を見張った。

「…マジかよ…」

外は、降水確率100%の予報を裏切って、照りつける太陽の光に満ちていた。
昨日の湿気はどこへやら。地面すら、完全に乾ききっていた。

まさか、浦原が何かしたんだろうか。
そんなあり得ないことに思いをめぐらせて、即座に否定する。
そんなこと、あるわけねぇ。

「…学校、行くか」

どうせ考えても分からないのだ。
一護はそう思って、いつものように身支度を整えた。





授業を終わらせて、一護はそのまま河原へと向かった。
自宅に一旦戻るのが面倒くさかったのもあるが、ただ、なんとなく早く会いたいと思ったのだ。

その日は、梅雨時期の湿気を感じさせない、カラっと晴れた晴天だった。





















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