After 1 黒鷹と白梟
「ねえ、白梟。僕よりずっと後に生まれたあなたは知らないだろうけど、この世界のシステムを回す僕らにはちゃんとモデルがいたらしいんだよ。」 長い冬が明け、柔らかな春の日差しが差し込む王宮のテラスで。 白梟を訪ねた黒鷹は何の前振りも無くそう話し始めた。 「それがどうかしましたか。」 「・・・ふふ、相変わらずあの人以外には冷たいね。まあいいけど。」 相手のこんな態度は今更なことであったが、几帳面かつ生真面目な白梟としてはいつまで経っても慣れることはなく、勿論好ましく思えるようにもならない。ただしそんな白梟の態度を知っていて黒鷹が改めるならば、それはとっくの昔に改められていただろう。つまり今この時もまた、彼女の意思など関係なく、この男は自分のしたいように振舞うというわけだ。 諦めて溜息をつく白梟に、黒鷹は小さく笑って話を続けた。 「それでね、僕があなたに話そうと思ったのはそのことにも関わってくる、世界が生まれるきっかけになった昔話なんだ。」 「・・・?」 「ああ、そんな怖そうな顔しないで。僕はただ、もうそろそろあなたも知っていた方がいいと思っただけ。あなたにもその権利はあるだろうから。」 はっきりと己の顔付きが険しくなったのを自覚しつつ、宥めたいのか更に怒らせたいのか解らない相手の言葉を聞く。耳を塞がずにいるのは、先述した通り、この男がこちらの都合を慮るつもりなど全く無いと知っているためだ。 それを解っているのかいないのか――おそらく解っているのだろうが、黒鷹にとってはどうでもいいことなのだろう――二度に渡って大切に育てた『玄冬』を失った相手は、そんなことを微塵も気にしていない"ような"表情でゆっくりと言葉を続けた。 「・・・まあ、聞いてよ。この世界と同じく『彼女』の望みを叶えるために生まれたモノの、その根源の理由を。」 * * * 「ハルヒ!」 少女はかつてそう呼ばれていた。 愛しい、愛しい『彼』に。 実のところ、彼女が彼に想いを伝えたことは無かったし、また彼も彼でそういうことにかなり鈍く、彼女の感情に気付くことはなかった。ゆえに恋人と言えるような甘い関係になることはなく、また振った振られたでこれまで築いてきた(特別だと自負したい)友情が壊れることもなかった。 それでいい。いつかもっと深い関係になりたいのも事実だったが、今はまだこの優しい関係に甘えていようと少女は思う。・・・思って、いた。―――そう。過去形だ。『今』はもう、そんなことを言うことは出来ない。否、それどころか彼女は己の年相応で可愛らしい少女としての感情を一切合財失ってしまっていた。 愛しい少年の死によって。 「う、そ・・・」 眼前に晒された事実に瞠目する。口から出た音はひどく掠れていて、まるで自分の声ではないようだった。 ありえない。こんな、こと。あって許されるはずがない。 自分を庇って崩れ落ちる彼。アスファルトの地面に広がる赤い液体。彼の胸から引き抜かれた銀色の――しかし地面に広がるものと同色のそれでテラテラと光る――ナイフ。 頭の中が真っ白になって、全身から力が抜けた少女はパタリと地面に座り込んだ。 「そんな、嘘よ。嘘・・・キョンが、キョンが・・・!」 殺された、なんて。 少女の愛しい『彼』をナイフで刺し殺した人間はもう既に姿を眩ませている。人気の無い道の真ん中で息をしているのは、血溜りにへたり込んだ少女だけ。真っ白になって何も考えられない頭は、ただひたすらに「どうして?何故こんなことに?」と答えの無い自問を繰り返し続けている。 この場にいつもの仲間達がいれば、きっと事態はまた別の方向に向かっただろう。むしろ少女本人は知らなかったが、少女とその大切なものを守るために彼女の仲間達は彼女に知らせていない力を使ってこんなことを起こさなかったに違いない。しかし現実としては、彼女の仲間達は傍におらず、近くにいたのは『彼』だけだ。そして彼は彼女(もしかすると彼本人)に向けられた白刃から彼女を守り、結果として鼓動を止めてしまった。 「なんで。なんでキョンが死ななきゃいけないの。殺されなきゃいけないの。どうして、どうしてどうしてどうして!?」 血溜りに落としていた手を顔の前に持ってくるとそれは真っ赤に染まっており、うわ言のような彼女の言葉を受け止める。 どうして彼が死ななくては、殺されなくてはならなかったのか。 どうすれば彼は死なずに済んだのか。 ぐるぐると渦を巻く思考。出口の無いそれに、しかし彼女は突如として何かに気付いたかの如くハッと息を呑んだ。名案だとでも言うように見開かれた双眸が宿すのは、決して常人が浮かべることのないヒカリ。 「・・・ああ、そうよ。そうなんだわ。人が人を殺さない、"優しい世界"があればいいのよ。」 そうすれば、『キョン』は死なない。 それに、もし――― 「もし『キョン』を殺すような世界なら、そんなもの塵も残さず滅んでしまえばいい。」 特別で強大な力を持っていた彼女は大切な者を失った悲しみで狂っていた。ゆえにその力は無意識のうちに、そしてまた意識的に暴走し、彼女の"願い"を叶え始める。 まずこの世界を捨て、新しい世界を作ろう。 そうして始まった彼女の「創世」は、しかし何度も何度も繰り返されることになった。彼女が住んでいたのとそっくりに作り上げられた世界では、行く末を見守る彼女の目の前で大規模な戦争が勃発した。当然、その世界の『彼』も死んだ。途端、少女は一瞬のうちに自ら作り上げたものを跡形も無く消し去ってしまった。また別の世界では、一人の暴君によって幾人もの人間が惨殺された。その中には『彼』と同じ顔の人間もいた。彼女は悲しみ、その世界を見捨てた。 幾つもの世界を生み出し、壊し。それでも望んだ結果は得られない。やがて彼女は今までの世界と全く異なるシステムを持つそれを創り出すことに決めた。 これまで以上に心血を注ぎ、心を砕き、作り上げたのは、人殺しを絶対に許さない――もし人が人を殺したならば、その業でもって滅んでしまうような――世界。人が人を殺めるほど死に至る世界。 生き続けたいならば、絶対に人を殺してはいけない世界。その基準を測るものとして生み出されたのが『玄冬』 玄冬が現れるとはつまり、規定値を超えて人が人を殺めたということだ。そしてその時点で少女の望み通りにはいかなかったということであり、この世界は失敗作というレッテルが貼られることになる―――と言う訳ではない。 玄冬の出現と世界の終焉には少しだけタイムラグがある。正確には、玄冬出現のための規定値と世界終焉の規定値に僅かな差があるのだ。しかもその「僅か」という例えは世界規模で見た場合であり、個人規模または人間の規模として見たならば充分に長い時間と言える。ということは、玄冬が出現したことを知った時点でそれ以上の戦争や犯罪と言った人殺しを止めれば、世界は滅びずに済むということだ。―――つまり、玄冬は世界を滅ぼす存在ではなく、人々に警告を与えるための存在なのである。 ただし玄冬がいるだけでは、それが現れた時点で多くの人間が未来に希望を見出せなくなるかもしれない。そのための対応として、『花白』という存在が用意された。 花白の役割は人々の罪の証である玄冬を殺して(=人々の罪を浄化して)世界を存続させることだと定義されているが、それはただの定義であり、実際に行われて良いことではない。何故なら、もし玄冬が殺されて世界が存続したとしても、それは人を殺めすぎた世界であり、少女の望んだものではないからだ。 それを踏まえた上で『玄冬』のモデルとして使われたのは少女が一番大切に想っていた人間。『彼』を殺すということは、少女にとって最も嫌悪すべきことである。なにせ狂った故にその自覚が薄れて表面上は優しい世界を欲しているとは言え、彼女の言動の根底にあったのは『彼』の死なのだから。 そして、玄冬を殺す世界=『彼』を殺す世界=少女にとっての失敗作、とイコールで繋がる。一度失敗した時点で、それは見捨てられて当然のものだったのだ。 "もし『キョン』を殺すような世界なら、そんなもの塵も残さず滅んでしまえばいい。" その言葉とはやや異なり、一人目の『玄冬』を殺した世界がそれでも存続を許されたのは、少女に残ったひと欠片の慈悲か。それとも『キョン』の死よりも己達の存続を望んだ世界を消し去ることすら厭わしいと感じたためか。どちらなのか知る術などないが、現実として、その世界の創造主である少女は二人の管理者を残したまま姿を消した。 * * * 「だからいくら待ったってあの人が・・・僕らの創造主『涼宮ハルヒ』がこの世界に戻って来ることは無いよ。なにせ僕らは既に最悪の間違いを犯した後なんだからね。一度ならず二度までも。・・・・・・あなたは彼女に固執しすぎた。僕らはきっと、もう終わりにしなきゃいけないんだ。」 「う、嘘です!そんな出鱈目を言って!!あの方にこの世界を任された『管理者』として恥を知りなさいっ!!」 黒鷹の話が終わると、そう言って白梟はヒステリックに叫んだ。そんな彼女を見る黒鷹の目は悲しげだ。 理由は知らなかっただろうが、おそらく彼女も薄々勘付いていたのだろう。あの人がもう二度と自分達の前に現れてなどくれないことを。それでも自分の存在意義を「生み出した者のため」としか見出せなかった彼女は、あの人が戻って来ることだけを支えにこれまでの長い間を生きてきた。だと言うのに、それを真っ向から否定され、己を見失ってしまっている。 「―――ああ、そうです。」 「・・・白梟?」 ふと声を荒げなくなった白梟を怪訝に思い、黒鷹は彼女の名を呼んだ。しかし気付けば彼女の瞳は黒鷹を見ておらず、幻でも見ているかのように空中を彷徨っている。 そのまま「一体何が?」と思う黒鷹の目の前で白梟はうっそりと微笑んだ。 「そうです。そんなことありえません。・・・ねえ、黒鷹、」 一端言葉を切り、焦点の定まらない双眸でこちらを見てから続ける。 「あなたがそんなことを言うのは、今度こそ『玄冬』を殺させないためなんでしょう?少なくはない愛情を持って育てた人間なんですからね。だからわざわざこんな嘘をついて・・・。ですが、黒鷹。あの方が特別な思いを込めて創ったこの世界をそのまま放置するはずがないのですよ。いつかきっとあの方はここへ戻って来てくださる。」 だから私はあの方が戻られるその日まで、どんな犠牲を払ってでもこの世界を存続させます。 創造主に対する狂信者の瞳で白梟はきっぱりとそう告げた。彼女の視線を受け、黒鷹は小さく息を吐きながら黒い帽子のつばで視界を閉ざす。胸に去来するのは落胆か、それとも諦めか。 「・・・ま、どっちでも同じことか。」 ぼそりと呟き、黒鷹は白梟に背を向けた。 「わかったよ、あなたがそう思うならそれで構わない。もう僕のどんな言葉もあなたには届かないだろうからね。・・・それじゃあ、邪魔したね、白梟。また遊びに来るよ。」 そう言って黒鷹は返答を待たずに白梟の前から姿を消した。 三度目の悲劇を迎えるために。 After 2 古泉 それだけが望みとなった。 世界が再び春を迎えても、国と人は変わらない。むしろ国を率いる者達は更なる富と権力を望み、自己満足を求め、戦いを生み出した。 その中で"世界を救った"『花白』は体のいい象徴として戦争に担ぎ出されるようになっていた。そんな国と人に古泉は失望を―――感じなかった。 望まれるまま戦場に立ち、否、自ら進んで戦場に立って、彼は人殺しの指揮を執り続けたのだ。 「殺せ!我らの国に逆らう者は全て殺して血の川を築け!!汝らには救世主『花白』がついている!!」 行けっ!という号令と共に国軍の兵士達が一斉に駆け出した。 生まれたのは悲鳴と怒号。剣と剣のぶつかり合い。地面に染み込む敵味方双方の血。人は人を殺し、殺され、骸が山と積みあがってゆく。 その様を軍の象徴として戦場に立っていた古泉は、笑みを浮かべて眺めていた。 殺せ、殺せ、殺せ! 敵も味方も関係ない。自国がこの戦争に勝とうと負けようとどうでもいい。ただそこに戦いが生まれ、人が人を殺せばそれでいいのだ。 古泉は戦いを望む。人の死を望む。人が人を殺すことを望む。骸を積み上げ、地を血で満たせ。そして、そして、そして。 「・・・じゃまですよ。」 自分に斬りかかって来た敵兵を一閃し、その血を浴びながら古泉は笑った。 声を上げ、楽しそうに。これから訪れる未来の輝かしさを確信しながら。 「殺して殺して殺して、世界を死で満たして、僕は待っています。あなたが生まれてくるのをずっとずっと、待っていますから。だから早く生まれてきてくださいね。」 「僕の愛しい『玄冬』さん。」 古泉一樹は此処にいます。 だから、さあ早く。世界の限界よ、来たれ。 |