「ですから、僕も払います。払わせてください。」
「駄目だ。大学生は大学生らしく、その辺のことは気にせず自由に遊んでろ。」
「いいえそうも行きません。ここはやはり対等な立場として僕にも支払い義務は生じるはずです。」
 さて、初っ端から何を言い争っているのかと言うと、別に詳細を説明するほど大したことじゃない。ぶっちゃけてしまえば俺達が住んでいるマンションの家賃の話だ。
 古泉が高校を卒業したその後も俺達は同じこの部屋で暮らしている。一緒に生活を始めてすでに一年以上が経過し、しかも外面的には全く、内面的には色々と変化があったのたが、相変わらず古泉一樹は俺の息子であると正式な書類に記載されている状態だった。そのことに関して古泉が時折不満を漏らすのは、まあ、またの機会に話すとして、とりあえず最近の古泉は(紙の上はともかく)心理的に俺と親子ではない関係になっているためか、何かにつけて俺と対等な立場に立ちたがるようになっていた。
 そりゃあな、十年・・・いや十一年前まで、あいつと俺は同い年で、むしろあいつの方が色々と大人びた雰囲気を纏っていたさ。だが諸々の事情により、今のあいつと俺の年の差は十。片や大学一年生で、片や社会人だぞ?家賃にしろ光熱費にしろ、その他の費用にしろ、そういった金銭が絡んでくる場面で対等になろうってのはかなり無理があると思うね。それは古泉も内心重々承知しているはずだ。なのにあいつはアルバイトで稼いだ――勿論週一で働いているごく普通のバイトだぞ――金をそちらに回したがるのである。そんなことはせず、そこらの学生と同じように自分で稼いだ金は自分が遊ぶためのものに使えばいいのに。
 眉間に皺が寄り始めたのを自覚しつつ、俺はこの頑固者を解き伏せるべく最終手段に出た。
「まだいっちょまえに社会に出てもいないやつが偉そうなことを言うんじゃない。そういうのはせめて・・・そうだな、こいつの代わりになるものを自分で買えるようになってから言え。」
 と言って、俺はシルバーゴールドのそれが嵌った左手薬指を古泉の前で振って見せる。途端、奴の勢いはごっそりと削がれ、恨めしそうな目で銀色に光る輪を睨みつけた。
 森さん経由で『機関』から渡され、俺と古泉が親子という関係を作り上げるために使用した小道具であるところのこの指輪は、後で知ったことだがシンプルな外見を裏切ってかなり値が張るものだった。勿論、石がごろごろ付いてるような物と比べればそうでもないのだが、所謂デザイン料的なものがそれなりに掛かっているらしい。まあ確かに見た目はいいよな。で、ただの大学生である古泉がこれくらい値の張るものを自腹で買おうとすれば、中々に大変な思いをしなくてはならないのである。
 ちなみに中学・高校と古泉が例のアルバイトで稼いだ方の金は使用禁止だ。そりゃあ学生として遊ぶために使うなら俺は文句を言うつもりなんてないのだが、こういう無駄な――そう、無駄だ。こいつはもっと自由に青春とやらを謳歌すれば良いのである――ことには使って欲しくない。大事な学生時代を消費して溜まった金をこんなことに使うなんて以っての外だろう。古泉もそれを解っているからこそ、今のところそちらのアルバイト代のことを話に出すつもりはないようだった。
 恨めしげな瞳はしばらくして瞼の奥に隠され、代わりに溜息が一つ吐き出される。美形は何をやっても様になる、と思ったのは高校時代から数えてもう何度目になるだろうか。・・・まあいい。そういうものは虚しくなるか自分の思考回路に赤面するかのどちらかでしかないからな。
「解りました。今日のところはこれで引き下がることにします。」
「今日のところは、って諦めが悪いぞ古泉。せめて就職するまでは俺に頼ってみたらどうだ。」
 そのための今の俺だしな。ってどうした古泉。何を赤くなっている。
「いえ・・・あなたのそれは無意識ですか?物凄い殺し文句ですよ・・・?」
 ・・・・・・。さあ、何のことだかさっぱりだね。え?俺の顔も赤くなってきてるって?そんな馬鹿なことがあるものか。きっと目の錯覚だ。うん、そうに違いない。
 ああ、そうだ古泉。お前、今日はこの後、友達と会う約束をしているんじゃなかったか。確か夏休みに保養所へ一緒に行った木戸君と。いくら仲の良い友人だからって遅れて行くのはマズかろう。そろそろ出発したらどうだ。
「・・・そうですね。では、話はこの辺で。あなたの言うように学生らしく遊んでくることにしましょう。」
「おう。気を付けてな。」
「はい。」
 時は土曜日の朝、場所はリビングダイニングにて。
 窓から差し込む朝日を浴びながらのひとコマである。



□■□(木戸幸也視点)



「お待たせしました。」
「いや時間ピッタリ。でもいつも早いお前にしちゃ珍しいよな。」
「ええ、まあ。色々とありまして。」
 そう言って、待ち合わせ場所である某ハンバーガーショップに時間ピッタリやって来た古泉が俺の隣の席へ腰を下ろした。時刻は午前11時30分。飯時と言えなくもないので、俺が席についたテーブルにはやけにボリュームのあるハンバーガーとポテト、そしてコーラが食いかけ(飲みかけ)で鎮座している。
「食うか?」
「いえ、自分で注文してきますよ。」
 ポテトを差し出しながらそう言えば、古泉が笑って手で制し、下ろした鞄を再び肩に掛けてスマイルゼロ円を受け取りに向かう。来て早々Uターンさせるのは忍びなくもなかったが、まあ、俺と古泉の仲だ。今更気にすることでもないだろう。何せ俺はあいつの想い人まで知っちまってるんだしな。
 と、その『想い人』が誰なのか聞かされた高校三年生の夏を思い出して苦笑を噛み殺す。あの時の古泉は、今思えばなかなか見物だった。王子様然としていた男が指輪一つで急に態度を変えたのだから。と言っても、本人ですら気づいていなかった気持ちを自覚するキッカケを与えちまったのは俺だったみてえだけど。
 そんで、そのことが腐れ縁の始まりだったのかどうかは知らないが、俺と古泉は同じ大学に進学した。それを知った時は流石には驚いたが――だってこいつの頭ならもっと上に行ってたって可笑しくなかったんだ――、しばらく考えた後、その理由に思い至って「ああ、なるほど。」と呟いた。そういやこいつ、想い人とはまあそれなりに上手くいったらしいからな。次の日高校で顔合わせた時にピンときたもんだ。何せ受験シーズンでピリピリしてる教室の中、一人だけ微妙に表情が崩れてたし。はいはいゴチソウサマって感じではあったね。今でも悔いているのはそのことを古泉本人に指摘したことだ。そしたらあいつ、余計に蕩けた表情を晒しやがったんだよ。馬鹿だ俺は。自分の神経を逆撫でしてどうする、って思ったね。
 だが後から悔いると書いて後悔と読むように、時既に遅し。おかげで俺はその日から古泉の惚気を聞く係になっちまったってワケだ。まあ、それはそれで面白くて別に悪いことじゃないんだけどな。・・・っと、これは古泉には内緒だ。でないと余計に付け上がって惚気率が上昇しちまう。さすがにそれは勘弁願いたいのさ。
「お待たせしました。」
「おー、おかえり。」
 プレートを持った古泉が席へと戻って来た。上に乗っていた物は俺と似たり寄ったりだ。まあ、いくら王子様フェイスでもやはりこいつだって食べ盛りの男だってことだな。見た目と注文内容の差にレジにいるクルーの女の子はさぞかし驚いただろうけど。
「何か可笑しなことでもありましたか?」
「いや、何でもない。」
 想像して笑う俺に不思議そうな目が向けられるもそう返してスルー。古泉もあまり気にしていないようで、そうですか、と軽く答えた後、俺の正面の席に着いた。
 このやり取りには別段、いつもと違うところなどない。だが俺は正面に座ってガサガサとハンバーガーの紙を剥がし出した男の表情を注視し、普段通りではない部分に気づかされた。
「・・・悩み事でもあるみたいだな。」
「わかりますか。」
 そりゃあ一応友達だし。それにお前、俺の前だと(普通他人には言えないことを知っている所為か)他の人間を相手にした時よりも表情が読み取りやすくなってるんだよ。で、何があったんだ?お兄さんに話して御覧。
「誰がお兄さんですか。ですがまあ、相談に乗っていただけるなら有り難いことはないですね。」
 ハンバーガーから手を離し、ナゲットを摘まみながら古泉は溜息を零す。おおう、この桃色とブルーもしくはブルーが混ざり合った溜息はもしかしなくてもあの人とのことか。
 そう思って古泉の台詞を待っていると、あいつはケチャップがついたナゲットを見つめながらもう一度溜息をつき、
「バイト、増やしましょうかねえ。」
 え、俺の予想外れた?
「スマン。繋がりが見えんのだが。お前、あの人とのことで悩みがあるんじゃないのか?」
「そうですよ?僕がこんなに真剣に悩むと言ったら"彼"とのことでしかありませんからね。」
「それがどうしてアルバイトの話に飛ぶんだ。バイトはあの人と一緒にいる時間が減るから控えめにするって前にお前が言ったんじゃないか。」
 古泉がバイトを控えめにする――"しない"ではないのは、古泉曰く「だってそちらの方が一般の学生らしいじゃありませんか」だそうだ――と宣言したのは高校を卒業し、大学もバッチリ決まってしばらく暇を持て余していた時のことだ。
 理由は俺が今言った通り。ちなみに俺自身は理系学生として勉学とバイトの両方に青春をつぎ込んでいる。生憎古泉みたいにずっと傍にいたいような人間がまだ現れてくれちゃあいないのさ。
 そんな俺とは対象的にそういう人間がいる古泉が、アルバイトを増やすって?一緒にいる時間を削ってまで働きたいってお前、やっぱり金の話だったりするのか?
「正直に言ってしまうとそういうことです。なんとしてでも僕が普通に働いて稼いだお金で買いたい物があるんですよ。」
 普通に働いて、って部分が気になるが、指摘はしないでおこう。友人に向けるには不似合いな敬語といい、こいつにも色々あるんだろうよ。
「買いたい物ってのはやっぱ高額な?」
「ええ、安い物でもかなり値が張ってくるでしょう。と言っても、彼に差し上げるものですからね、安物なんて論外です。」
 ほほう、プレゼントか。もしかして近々あの人の誕生日でもあるのか?
「誕生日はまだ先ですが・・・それと同じく大切なことですよ。」
 じゃあ期限とかは。
「特にありません。ですが早ければ早いほどいいでしょう。」
 なるほどね。
「よし解った。俺にちょっとしたツテがあるからその人に聞いてみるわ。」
「え、いいんですか!?」
 ガタン、と机に手を付いて古泉が立ち上がる。おいおい周囲の視線を独り占めか?恥ずかしいから止めてくれ。
「すみません。・・・でも本当に?」
「ああ。たぶん上手くいくと思うからしばらく待っててくれ。」
 そう答えつつ、立ち上がった古泉を席に着かせる。
「だけどとりあえず今日のところは予定通り遊ぼうぜ。この後で合流する奴らもいることだしな。お前のバイトはその後でしっかり世話してやるよ。」






















第二部スタート致しました。

またしばらくお付き合い頂ければ幸いです。


(2008.05.17up)
















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