エ ク リ プ ス

エクリプス(eclipse):食、(星の)掩蔽えんぺい、光の消滅、失墜、…をおおい隠す、に影を投げる






 パソコン―――。数世代前までは無骨なハードディスクと四角いディスプレイ、その他諸々の周辺機器からなるパーソナルコンピュータのことを指していたが、今や「パソコン」と言えば人型のものが一般的となっていた。
 人工知能を搭載し、まるで人間のように振舞う"彼ら"。人間はそんな彼らと生活を共に送るようになったが、やはり名称がパソコンから変化しないことからも解るように、人は人、機械は機械と線引きはきちんと行っていた。
 その理由はおそらく、パソコンである彼らが例えどれほど表情豊かに言葉を話そうと、持ち主である人間に尽くそうと、その胸の奥もしくは頭の中にあるのは心という名の不確定なものではなく、最先端の技術によって作られたプログラムでしかないことを理解していたからだろう。
 人間が機械に心を傾けても機械は心を返さない。返せない。だから、人間は線引きをする。機械は機械なのだと。そうして自分を守っているのだ。きっと。
「・・・そう思うのは、僕が線引きを行えなかったからでしょうか。」
 部屋の主によってポツリと呟かれた言葉は窓辺に佇立していた一台のパソコンの元までしっかりと届いていた。それは決して大きな声ではなかったけれども、パソコンたる"彼"ならば感知出来て当然というものだ。試しにテストでもしてみれば、"彼"はざわめく人ごみの中から己の持ち主であるその男の声をしっかり聞き分けることが出来るだろう。
 したがってその声から憂鬱もしくは悲嘆と分類される音を拾った"彼"はマイナス感情であるそれを取り除くため、プログラムに則って言葉を発した。
「どうかしたのか、古泉。」
 滑らかに紡ぎ出される少年と青年の過渡期にある声。敬語が抜けており、主である男―――古泉一樹に向けるには不適切と取られそうな台詞だが、これは持ち主である古泉自らが設定したものなので問題は無い。
 耳に馴染む穏やかな声で名前を呼ばれ、古泉は微笑を浮かべた。
「いえ、何でもありませんよ。それより、もっとこちらへ来てくださいませんか?」
「・・・ふん、しょうがねえなぁ。」
 古泉が椅子に腰掛けたまま手を差し出せば、"彼"は少々呆れたような声音でそう言って古泉の元へ歩み寄り、そのまま古泉の手に自分のそれを重ねるとほんの微かな力で握り込んできた。
 持ち主に合わせて組み立てられた、もしくは学習能力によって新たに設計されたプログラムに従って行われるその行為に、古泉は泣きたくなるような安堵を覚える。この指先の温度すら作られたものだと解っていながら、それでも古泉にとって"彼"は己の心を傾けるに足る存在だった。だから同時に、痛いほど切ない。
「キョン君・・・」
「ん?なんだよ。」
 言葉の素っ気無さの割には随分と優しい音をした台詞を耳に入れながら古泉は"彼"―――キョンと言う名のパソコンをその腕の中に閉じ込める。キョンも主人の不安定な精神状態を感知していたのでその力には逆らわない。座っている相手に合わせて腰を屈め、頬を擦り付けるようにして古泉の肩口に頭を預けた。
「古泉、何が不安なんだ?俺に出来ることはないのか・・・?」
「僕にはあなたがこうやって抱きしめられてくれるだけでいいんです。こうやって、温もりを感じさせてくれるだけで。僕の傍にあなたがいると感じていたいのですよ。」
「古泉の傍に・・・?俺はいつでもお前の傍にいるぞ。お前が俺を捨てない限り、ずっと一緒だ。」
 額をつき合わせるようにしてキョンが笑う。古泉も微笑を浮かべるが、しかし胸にはチクリとした痛みを感じていた。
 キョンが一緒にいるというのは、彼がパソコンと言う名の商品だからだ。消費者に購入された商品は消費者が飽きるか商品が壊れるかして捨てられるまで購入者と共に在る。それは当然のことで、よもや商品が消費者を捨てるなどという滑稽な事態は起こるはずがない。しかしまるで感情を持っているかのようなパソコンがその台詞を言うと、当然のことだからそんな言葉が出たのではなく、本来なら商品であるはずのパソコンそのものが購入者である人間と離れがたく思っているといった錯覚をしてしまいそうになるのだ。特に、こんな風に笑みを浮かべながら優しい音で綴られると。
 人間だけが、自分だけがこんなにも相手を愛しく思ってしまう。相手は、パソコンであるキョンは古泉の行為に対して予め決められた反応をすることしか出来ないのに。古泉がキョンに恋をしてもキョンを愛しても、キョンは笑顔を浮かべて優しい声をかけてくれるだけで、古泉に恋をしたり、ましてや愛することなどないのだ。
 パソコンからの反応だけで満足していればいいのだが、人間である古泉はそうもいかない。やはり気持ちを返して欲しいと思ってしまう。しかしそれは原理的に無理であるため、結局、キョンを想う分だけ古泉は辛くなる。
 不毛だな、と古泉は胸中で独り言つ。だがこの想いを消し去るつもりは無かった。例え万に一つも報われることなどなくとも、それ故に酷く辛い気持ちになっても、キョンと共にいることで得られる安らぎや溢れだしそうな愛しさは苦しみを覆い隠すように古泉を満たしてくれるから。それはきっと、幸せ、と言うのだろう。
 そう。古泉はキョンといられるだけで幸せだった。
 だからそれでいい。それだけでいい。
「そうですね、キョン君。あなたと僕はずっと一緒だ。」
「ああ。そうだよ。」
 ずっと一緒にいような、とキョンが囁いた。



□■□



 持ち主が死んだ。
 そのことをパソコンであるキョンは情報の一つとして内蔵されている記憶媒体に記録した。死因は病気や事故といった「不幸」な出来事ではない。キョンの持ち主の死因は老衰である。
 持ち主を失ったパソコンは廃棄かリサイクルとなる。そしてキョンは型が少々古くとも大切にされていたが故に外見は傷一つ無く、また機能も最新型に劣らぬほどチューンアップされていたので、そのままリサイクルに回されることが決定していた。初期化により人間で言う所の「記憶」である部分は完全に消去され、また新しい主が見つかるまで電源を落とされるのだ。
 キョンは一人で、主―――古泉一樹の墓の前に立ち、顔の擬似筋肉繊維を微動だにさせないままそれを見下ろしていた。もうこの場に主はいない。だから主が望む表情を形成する必要も無い。プログラムに則りそう判断が下されたからである。
 パソコンは無駄なことをしない。一見無駄に見えるようなことも実は持ち主の感情を良い方向へと促すためのものだ。全ては必要だから行われていることなのである。
 では、この状況は何なのであろう。
 持ち主が自宅で息を引き取ったのを確認したキョンは次に必要な事務的諸事をひたすらこなし続けた(古泉には子供や兄弟といった血縁者がいなかったため、葬儀等のことは全てパソコンであるキョンが済ませたのだ)。役所への報告も葬儀屋の手配も墓の準備も。そうして持ち主の遺骨が墓石の下に埋められたのを確認した後はもうすることなど何も無い。あとは持ち主である古泉一樹の自宅で回収業者が回収しに来るのを待つだけである。墓前にいつまでも突っ立っている必要など微塵も無いのだ。
 にもかかわらず、今のキョンはパソコンの定義に反して「無駄なこと」を行っていた。墓前にしばらく佇み黙祷を捧げろ等といった設定はなされていない。初期設定として持ち主が死亡した場合の行動はプログラムされているが、その時にも、また購入されて古泉一樹の所有物となった後にもそういう感傷を誘うような動作までは規定されていないのである。
 パソコンであるにもかかわらずパソコンには有り得ない矛盾を抱えたキョンは、しかしそれに"気付く"ことなく墓前に立ち続けた。と、その時。
 ポタリ、と石の上に落ちた雫。
 キョンはそれを降雨だと判断した。しかし頭上に広がる空は青く、綿雲が一つ二つと数える程度にしかない。そんな空から雨が降ってくるのはおかしい。過去に蓄積されたデータを検証しつつ、キョンはその雫がどこから落ちたものであるのか調べた。その結果は・・・。
「該当データ確認。これは、」
 涙。
 ただし、パソコンの双眸から零れ落ちるそれは成分的にはただの真水でしかないのだが。
 これもまたパソコン「キョン」の矛盾だった。彼はそのように設定されていない。涙を流す機能は搭載されていたが、持ち主の墓前でもそうするとは。
 しかしキョンの双眸からは止まることなく水が零れ落ちていた。プログラムのエラーか、それともネット接続の際にウイルスの侵入を許してしまったのか。その判断を、もしくはエラーチェックをキョンは行わない。体内に保管されているタンク内の水が枯れるまで双眸から無色透明の液体を溢れさせていた。
「こ、いず、み・・・」
 タンク内の水が全て外に排出された後、キョンは未だ墓石の前に立ったまま主である男の名前を音声化した。滑らかとは言い難いそれをキョンが何度も繰り返す様は、他人から見れば壊れたとしか言いようが無い。しかし生憎、この場には人っ子一人いなかった。存在するのは数多の墓石と一体のパソコンだけ。
 風がザァっと音を立てて吹く。キョンの短い髪もバサバサと踊るが、キョンは人間のように目を閉じるということをしなかった。頬に乾いた涙の後を貼り付かせ、その風に溶け込ませるように一言。
ずっと、一緒に。
 キョンが原因不明のまま機能を停止させたのはその直後のことだった。








キョンの最後の台詞は反転で見ることが出来ます。

別に「ちょびっツ」パロ("パソコン"設定)じゃなくても良かったんですけどね・・・(苦笑)
本来は『キョンに「きょんっ!」と言わせたいだけの話』のために「ちょびっツ」パロを始めたのですよ。
その途中で何を間違ったか、こんな話が出来上がってしまいました。
しかも肝心の『キョンに「きょんっ!」と〜』は途中で挫折・・・orz
そんなわけで途中放棄ですが、読んでやろうという方は↓の文章からどうぞ。

女体化キョンですよ?古泉がおかしいですよ?キョンがキョンじゃありませんよ?いいんですね?