キョンに「きょんっ!」と言わせたいだけの話










 夜、寝静まった住宅街、人気の無い道。そして此処は大都会。奇妙なことが起こっても不思議ではない、と言っても構わないそんな所を一人で歩いていた青年は、しかし視界の端に映ったその光景を見てひぅ、と息を呑んだ。酔いも一瞬で冷める。
 確かに人口密度の高い地域はそれに比例して事件も多い。しかし、だがしかし、自分がそんな目に合ったりもしくは事件後のまだ警察も誰も来ていない――つまり自分が第一発見者な――状況に陥る謂れは無いだろう。そんな情けない台詞を延々と脳内でリピートさせながら、青年は顔を背ける勇気すら持てないまま街灯の灯りが照らす"それ"に気付いてしまった己を恨んだ。
 こんなことなら遅くまで皆に付き合うんじゃなかった・・・。そう思うが、参加してしまったものは仕方が無い。今年の春に入学した大学の同期や先輩達と飲み会なんて。お前が居れば可愛い女の子も簡単に参加OKしてくれるからさぁ頼む!と友人二人プラス一学年上の先輩一人に頭まで下げられてしまっては断ることすら出来なかったのだ。
 飲み会、むしろ合コンと称した方がそれらしいものに参加し、両脇を可愛らしい女の子と大人びた二つ年上の女性に挟まれて決して悪い気分ではなかったのだが、その結果が"これ"だと事前に知っていたのなら、青年は時間を巻き戻して早々に帰宅することを選んだだろう。
 青年は一人暮らしである。つまりこのまま帰宅しても家には誰も居ない。方向転換して回り道でもすれば今視界の端に映っているものが一体何であるのかハッキリと確認せずとも済むのだが、もしかして"あれ"なのかと脳内が判断を下してしまった以上、見なかったフリをするのも相当怖い。祟られるのではないかと思うのは理系の人間にあるまじき思考回路かもしれないが、怖いものは怖いのである。例え今年十九の男であったとしても。(そのギリギリ未成年者が酔っていたということに関してツッコミをしてはいけない。世の大学生とは得てしてそういう状況を迎えるのが常なのだ。)
 驚愕と恐怖と後悔で身体をガチガチに固まらせながらもそのまま日が昇るまで待つわけにはいかず、結局、数秒か数分かは分からないが、青年はようやく動きを見せた。もちろんそのままUターンは後が怖いので前進、である。どうせなら第一発見者として警察に連絡した方が後々数倍心は安らかだ。それにもしかしたら青年が連絡すべきは警察ではなく救急車を呼ぶために119番をコールする状況なのかもしれない。そちらならもっと良い。むしろそうに違いない。きっと"あれ"は警察ではなく救急車のお世話になるべきものだ。
 暗示を掛けるかのように青年は何度もその案に頷き、じりじりと近寄っていく。街灯に照らされながらも殆ど電柱の影に隠されたそれが徐々に露わになるにつれ、青年はごくりと唾を飲み込んだ。"どうか生きていますように"。
 電柱の影から見えていたのは人の足。生白く細いそれは女性のものだろう。明日がプラスチックの収集日である所為か、そこには透明なビニール袋に詰め込まれたプラスチック類がキラキラと光を反射しつつ放置されていた。その上に足、である。靴は履いていない。辺りに転がっているわけでもない。靴下やストッキングを身につけいてるようでもなく、素足が晒されていた。
 ゆっくりと近づく青年の視界では徐々にその足の上が明らかになっていく。踝、脛、膝、太腿、と来て一旦停止。何故ならその女性と思われる存在が靴どころか下半身に衣服を纏っているようには見えなかったからである。素足ではなく素っ裸なのか、と年頃の男としては興奮すべき状態でもその対象の生死が不明である現在、青年の顔が脂下がることもなく――それでも青年の友人は「美形って得だよな。そんな表情をしても見苦しくない。」と苛立ち紛れに教えてくれたが――、反対に青ざめる始末。それはそうだ。もし彼女(とする)が生きている人間ならば普通は裸であんな所に寝ているはずがない。むしろ異常者が彼女を裸にして放置したと考える方が妥当なのだから。
 やっぱり自分が抱いた希望は潰えてしまうのか、と嘆きながらも引き返すことすら恐ろしい青年は、そうして「どうにでもなれ!」的心情で一気に距離を詰めた。男は諦めが肝心だ、潔く殺人の第一発見者になろうと心の中で滂沱しながらそれを見て、青年は――――――唖然とした。
 へたへたとアスファルトの上に座り込み、ははは、と多少精神状態が心配される様子で笑う。
「パソコン、か。」
 発した言葉は安堵と呆れに満ち、次いで苛立ちへと変換される。明日はプラスチックの収集日だと言うのに、どうして粗大ごみに分類されるものがこんな所に捨てられているのだ、おかげで自分は不必要な恐怖を感じてしまったではないか、と。
 座り込んだ青年の視線の先にあるのは異常者が作り上げた殺人現場でも、勿論酔いつぶれて裸になりごみ捨て場で眠ってしまった女性でもなく、世間一般で『パソコン』と称される人型のコンピュータ。青年が生まれる前ならば四角いモニタと大きなハードディスクの組み合わせやモバイルとしての小型なノート型その他諸々が主流だったパソコンも今では人型のものが一般的となっていた。SF小説などではアンドロイドと称されていたそれらも世間一般に広がってしまえばただの『パソコン』。当然、廃棄する時も殺人にはならず粗大ごみとして廃棄されるし、美品であればOSを初期化して中古販売、ということもある。
 そのように人型パソコンを『物』として扱う一方で、それらは世代を重ねるたびにリアルさを追求されてきた。機能性だけを重視するのではなく、見た目も質感も、人によっては表情や発声まで。最近新型として発売されたパソコンもパッと見ただけでは本物の人間と間違えるほどで、パソコンオタクでもない青年はショーウィンドウ越しにそれを見た時も、おそらく"耳"が無ければ硝子の向こう側に居るのは生きた人間だと思ったに違いない。
 "耳"―――それは人間とパソコンの見分けをつける上で最も一般的かつ分かりやすい特徴と言えた。何故ならパソコンの"耳"は人間のように音を聞くための器官ではなく、また小ぶりなものでもなく、顔の側面についた硬質で握り拳くらいの大きさを持った 『収納箱』もしくは『カバー』と称すべきものだからである。パソコンの耳は上下に開く仕組みになっており、その中には他の電子機器と接続するための端子が収納されている。目に見えてパソコンがパソコンであることを示す部分だ。
 そして今青年の視線の先にある少女の形をしたパソコンも髪の間から硬質な耳を覗かせており、目を閉じて電源がオフの状態のまま放置されていた。また裸だと思っていたその身体には申し訳程度に包帯のような白い布が巻かれており、辛うじて局部が隠されている。
 恐怖、安堵、怒りと来て、そのパソコンを捨てた誰かへの怒りを頭の中で発散させた青年は、そうしてようやく少女型のパソコンのあられもない状態に気が付いて、
「うっわ・・・」
 顔を真っ赤にさせた。
 これはパソコンである。しかし最近の物は本当に人間そっくりで、つまりは少々胸が控えめなその少女型のパソコンも耳以外は『少女』であるのだ。まるでAVかエロ漫画の登場人物のような格好をした。
 素肌に包帯を巻いただけなんて、これ何てエロゲ?と呟いてしまいそうなパソコンは目立った傷も無く、また人間そっくりの質感からもそれが最新機種かそれに近いものだということが推測される。しかしこんな所に放置されているのだからきっと彼女はゴミなのだろう。勿体無いことに。加えてこの青年、実はまだパソコンを持っていなかった。それもそのはず、パソコンはかなり高価なのだ。決して大学生がほいほいと購入出来る物ではない。特にこのような等身大のものなど。青年と同じ大学に通う人々の中にはそういったものを所有する者もちらほら存在するが、殆どは未保持者か比較的安価な(それでも十分高価だが)モバイルパソコンしか持っていない者達ばかりである。
 青年は赤くなった頬を何とか冷やそうと努力――「これはパソコン、これはパソコン。」と唱えてみたり――する一方で、とある考えに至った。曰く、
「・・・ゴミなんですから、持って帰っても構いませんよね。」
 丁寧語であるのはこの青年の仕様なのだが、それはこの場で突き詰める必要の無いことなので脇に置いておくとして。
 次いで「誰も見てませんし・・・」と呟いた後、青年は腰を上げる。そしておもむろにパソコンへと手を伸ばし、その身体を抱き上げた。
 パソコンは「物」であるのだから肩に担いでも良かったのだが、やはり人型の物をそう軽々しく扱うような気も起こらず、青年はその"少女"を所謂姫抱きの形でマンションに持ち帰った。部屋に辿り着くまでの間、誰にも会わなかったことに安堵しつつ。



* * *



 パソコンは起動させねば意味が無い。でなければただの人形である。
「まあ、パソコンは"商品"ですから、それなりの見た目ではありますけどね。」
 拾ったパソコンをとりあえずベッドに寝かせ、自分はその端に腰掛ける格好で古泉はポツリと呟いた。見下ろす先の少女は傷一つ無く綺麗なものだ。これがもしパソコンではなくただの等身大人形であったとしてもそれなりの値段は付くだろう。こういう系が好きなマニアの間で売買されるなら更に高値になる可能性も。
 しかしながら現在このパソコンを所持しているのは古泉であり、人形を愛でる趣味も無ければ起動さえさせずにさっさと売り払ってしまおうなどという思考を持ち合わせている人間でもなかった。拾ったのはパソコンなのだからまずは起動させるべきだろう 、というごく一般的な流れに行きつくわけである。
 古泉は現在、一人暮らしを始めた所為でパソコンは未所持な状態だが、実家では父親が仕事用にパソコンを持っている。ゆえに簡単な知識程度はあった。
「何はともあれ、まずは電源を・・・」
 呟きながらスイッチを探すのだが、定番とも言える背中や胸元、首の付け根、額、後頭部、へそ等々、どこにもそれらしきものは無い。古泉は頭を悩ませながらもやがて、もしかするとこのパソコンは個人が製作したものであるかもしれない、という考えに至った。何故なら、普通、一般企業が作ったパソコンは説明書が手元に無くとも起動程度なら簡単に出来るよう、電源を入れるためのスイッチも分かりやすい位置に付けられている。しかしこのパソコンはそうではなく、加えて個人でパソコンを作る者達の中には一風変わった――言い方を変えると変態的な――場所に起動スイッチを設ける者がいるからだ。
 古泉は初っ端からぶつかった問題に思わずこめかみを押さえる。ただし顔を若干赤く染めながら。
 その理由はこのパソコンが少女型であることからご想像出来るだろう。少女型で、尚且つ一般的ではなく(おそらく)変態的な場所にそのスイッチがあるのだから。起動させるには古泉がそのスイッチを押さねばならない。
 健康な男子としてそう言うことに興味が無いわけではないが、どうしても躊躇ってしまう。スイッチを押すのが恥ずかしい(正確には、スイッチを押すために"そういった部分"を探らなければならないのが恥ずかしい)。けれど折角のパソコンなのに起動させなくては勿体無い。
 一人の部屋でしばらく唸った後、古泉はついに決心した。むしろ決心と言うよりも羞恥と良心に打ち勝つための根性を蓄えていたと表現すべきか。とにかく、古泉は「これは機械ですからね。」と誰に聞かせるでもない台詞をわざとらしく呟きながらパソコンに手を伸ばした。その指が押したのは白い布に一応覆われてる胸の頂上。
「・・・・・・右はハズレですか。」
 顔の赤味を三割増しで一言。
 しかしここまでやってしまえは後も同じことだと古泉はもう一方の突起に触れる。
「・・・・・・・・・・・・。」
 パソコンは無反応。その瞬間、古泉は思わず逃げ出したくなった。
 あとそういう趣味でスイッチが作られるような場所と言えば―――・・・想像して、古泉の視線が向いた先は、それまでなるべく注視しないようにしていた箇所。少女型パソコンの足と足の間、その奥に存在する秘部だった。
「お、落ち着け古泉一樹。オーケーオーケー、大丈夫だ。相手はパソコン。無機物だろう?だから戸惑う必要は無い。僕はただ、少々変わったところにあるスイッチを押すだけ。そうだ。何も問題は無いんだ。」
 そう早口で捲くし立てながら必死で自分に言い訳をする姿は他人の目には随分と奇異なものとして映ったことだろう。しかし幸いなことにこの部屋には古泉しかいない。無音のままそこに在るクローゼットやらベッドやらテレビやらに囲まれて、問題ないと繰り返した古泉は、一度深呼吸を行ってから唾を飲み込んだ。やけにその音が響くのは気のせいだということにしておきたい。
 ゆっくり、じりじりと伸ばされた手は白い包帯の上を通り過ぎ、両足の付け根へと向かう。目的の箇所に指先が接近するのに比例して古泉の顔が赤味を増し、指先がするりと秘部に触れる直前、ごくりと喉が鳴った。
 何を躊躇うことがある。これはパソコン。どんなに人間そっくりであっても結局は無機物なのだ。と頭の中で念じながら古泉はぎゅっと目を瞑った。
「ッ、」
 パソコンの秘部に指が押し込まれる。同時に、カチリと確かな感触。
 これでやっと起動だと安堵する古泉だが、再び目を開けたその視界に映ったのは包帯のような細い布を解き、白い裸身を露わにした少女だった。
「な・・・う、っあ・・・ちょっ!?」
 顔を真っ赤に染めて戸惑う古泉の視線の先、少女型パソコンは驚きすぎて顔を逸らすことすら忘れている彼と確かに視線を合わせ、にっこりと微笑む。そして。
「きょんっ!」
「うわっ!!」
 どすん、と音を立てて古泉を押し倒した。






















お粗末さまでした。(力尽きたぜ・・・)















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