MASTER
& VALET - dark -
■凍藍の王(会長)→キョン?
「それ以上やったら即座に首を刎ねる。いくらあんたでもだ。」 「・・・ふ、それは怖いな。」 そう言い、こちらに覆い被さっていた男は吐息を漏らして身を起こした。首筋に今にも噛み付かんとしていた鋭利な犬歯が真っ赤な口内に覗く。 先日の夜会の主催者であったこの男―――『凍藍の王』は人間ぶってかけた眼鏡(もちろん伊達だ)の位置をくいと直すと、 「この前のお詫びのつもりだったんだがな。」 そう言って小さく笑った。 この前の、とはつまり、夜会で起こったゴタゴタのことを指している。俺の代理として夜会に招待されたハルヒと一樹が他の一族の吸血鬼に俺を貶める発言をされたと言ってキレたやつだ。その"他の一族"と言うのが、実は主催者である『凍藍の王』の第五世代だったというわけ。 いくら五世代目と言っても一族は一族。己の血を引いている者の不始末を詫びるためにこの男は今夜、俺の屋敷を訪れていた。しかしそれがどうしてこんな事態になるんだ? 「口で詫びるだけってのもアレだしな。どうせなら態度で示してやろうかと。」 「その態度とやらが先刻のやつとどう繋がるってんだ。」 まさか俺の血を吸って快楽を与えようと?冗談じゃない。 「冗談のつもりは無かったんだがな・・・。お前、ここ何百年と他人に血を吸われたことなんてなかっただろ?」 転化させるために与えたことはあってもな、と薄ら笑いのまま『凍藍の王』がこちらの顎に手を掛ける。向こうの方が身長は高く(年齢は俺の方がずっと上なんだが・・・)、自然、相手を見上げる格好になるのが非常に歓迎出来ない現状であることは明白だ。 「それがどうした。生憎、俺は仲間同士で吸血するタイプじゃない。」 あんたのように単純な快楽を求めるほど若くもないしね。 告げて、顎に掛かったままの手を外させる。 「若い、か・・・。もうそろそろ九百を数える俺であっても、お前にとっちゃ『若い』で済まされちまうんだな。まったく、『黒森の王』には敵わん。」 そう言いつつもあんたの言い方はいつも尊大だな。まるであんたの方が年上みたいだ。 「それはお前の接し方にも原因があるんじゃないか?俺のことを呼ぶのも「お前」じゃなくて「あんた」だしな。」 「そりゃあ俺はあんたのことを同じ『始祖』として見てるからね。」 吸血鬼の上下関係は大体生きてきた年数で決まる。しかしやはりその一族の始まりの一人である『始祖』は特別だ。年齢のことに囚われて自分より年若い始祖を軽視する二世代目(直系とも言う)や三世代目もいるが、まあその辺りは個人の自由ということで。ただ俺の場合は大多数と同じように始祖は始祖だと考えているだけの話である。 「つーか問題はそこじゃないだろう。あんたからの謝罪は言葉だけで十分だ。以上終わり。」 もうそろそろ部屋から出て顔を見せてやらんと、ハルヒと一樹がいつここに突入してくるとも限らん。と、『凍藍の王』が訪ねてきた時の二人の様子を思い出して内心で苦笑する。心配性だな、あの二人は。まあ、嬉しくないと言えば嘘になるが。 俺は男から離れて扉の方へ向かう。 「玄関まで送る。早くしないと朝が来るぜ。」 確かこの男はまだ日光に弱かったはず。と言うより、実は俺のように日光に耐性を持つ一族の方が少数派だ。 さて。これ以上ここにいてごちゃごちゃ言われても面倒だし、それに朝が近付いているのは本当だから、今回はこれでお帰り願いましょう? 「朝が来るならここで一泊させてくれないのか?」 「無理だ。うちにはデリケートな奴が二人もいるんでな。」 「あの直系二人か。随分可愛がってるようじゃないか。」 男が面白そうに目を細める。 ガラス越しのその視線に笑い返してやりながら、俺は軽く肩を竦めた。 「ああ可愛いよ。俺の家族だからな。と言うわけで、その可愛い二人がどうすりゃいいのか困っちまうんで、申し訳ないがあんたを泊めることは出来ん。」 俺がそのまま肯定するとは思っていなかったのだろう。返答を聞いた男はしばらくの間目を丸くし、しかし次いでくすくすと笑い出した。何だ? 「いや・・・家族、ね。そうか。あの二人も難儀なもんだな。」 「言ってる意味が解らん。」 「解らなくてもいいさ。むしろその方がいいのかもな。」 継続性のあるぬるま湯の中の生活の方がもしかしたら良いのかもしれん、と意味不明な台詞を呟いて、男が漆黒のコートを羽織る。やれやれ、どうやらようやくお帰りらしい。 「それじゃあ今夜はこれで。邪魔したな。」 「いや、こちらこそ手間を掛けさせた。次の夜会には是非とも顔を出させてもらうよ。」 「そうしてくれ。俺としても代理二人じゃ正直つまらん。」 吐息だけで小さく笑い、『凍藍の王』はコートに付いた金色のボタンを留める。それを見届けて俺は扉を開けた。 ■古泉→キョン 「不味い・・・」 闇の中、口元に付いた血を拭いながらそう呟いて意識の飛んだ女を見下ろす。ゆるやかなウェーブがかかった漆黒の髪の女は生憎我々吸血鬼が好む処女ではなかったが、人間の中で美女と分類される容姿を持っていた。先刻受けた快楽のために弛緩した身体を床に投げ出しているその姿も、本当ならばかなり魅力的と表現すべきものなのだろう。 僕を今の僕にした『彼』の言を借りるならば、この人間の女はAランクプラスもしくはマイナスと言ったところか。つまり僕が摂取した血液は上質の方に入るのだ。けれど僕がそう思えないのは・・・。 僕が吸血鬼に転化してもう随分経つ。未だ日の光の下を平気な顔で歩くような離れ業は出来ないが、転化のために使用された『彼』の血の力と僕に元々あったらしい素質のおかげで、他よりは速いペースで苦手な物も無くなってきている。吸血行為など手慣れたものだ。『彼』曰く、俺より上手いんじゃないか?とまで。僕もその言葉は否定しない。何故なら僕は本当に、『彼』よりも獲物とすべき人間の確保を容易にこなしてしまえるのだ。吸血鬼としての技量と言うよりは、むしろこの顔のおかげで。 人間の女の大半は僕のこの容姿に正の感情を抱くらしい。おまけに優しい笑顔と物腰で接すれば、獲物が気を許す確率は更に上がる。そうなれば、あとはそのまま吸血行為に持っていくなり視線を合わせて術をかけるなり、好きなことが出来てしまえるのだった。 純粋に吸血鬼の視線を媒介とする術においては、僕なんて『彼』の足元にも及ばない。けれど容姿とそれを理解し利用する意思を持っている(ある意味「黒い」と表現できる)僕だからこそ、その部分を補えてしまえるのである。 そういうわけで、僕はその気になればそれなりに上質の血を容易に手に入れることが出来た。今回もそのはずだ。けれど僕の舌と頭はそれを美味いと感じない。何故か。理由は簡単だ。僕がこんな血よりも遥かに甘美で芳醇な血液の味を知っているから、これに尽きる。 人間は吸血鬼の血を一定量以上摂取すると同族に転化する。だから僕も人間のままこの姿にまで成長した後、かつて子供だった僕を拾った『彼』の血を直に飲むことで転化し、『彼』の一族に加わった。そう、『彼』の血を味わった当時の僕はまだ人間だったのだ。けれど僕はその赤い液体を今まで味わったことがないくらい美味なものと感じ取っていた。 それ以来、僕は『彼』の血以上に甘美なものを知らない。どれほど美しい人間であっても、加えて処女でも『彼』の血には敵わないのだ。 吸血鬼は同族の血を吸っても意味が無い。実際に吸血することは可能であるし、その付属効果である快楽を得るためにわざと互いに吸血しあう者達もいる。けれど生きるために必要なのは人間の血。ゆえに『彼』の血を吸ってその甘さに酔いしれることなど僕には出来ないのである。 僕が『彼』の血を至上のものと思えたのは『彼』の力の所為もあるけれど、きっと僕が『彼』に対して抱いている感情が大きく関係しているのだろう。愛しい者の血はどんなものよりも甘美である、というわけだ。 愛しい『彼』。僕の至高の存在。・・・・・・我が主《マスター》。 はあ、と溜息を一つ。視線の先では床に転がった女の首筋の傷が既に癒えていた。 今回は先に暗示をかけていたので、このまま去ってしまっても問題は無いだろう。とにかく、早くあの屋敷に帰りたい。『彼』に触れたい。その指先一つだけでもいいから『彼』を感じていたい。 身長は『彼』よりも高くなってしまったが、それでも年の差を理由にして甘えれば、嫌な顔をしつつも最後には「仕方ない奴だな。」と苦笑して触れさせてくれるはずだから。その温もりを僕に分け与えてくれるはずだから。僕のこんな、眷属として抱くには不適当な感情に気付かぬまま。 比較的暗い(黒い)雰囲気の話。 |