さて。スリ少年と出会ったあの日から一週間が経過し、俺はまた"渇き"を覚えて街に行くことにした。本来なら一回の吸血で一ヶ月ほどもつはずなんだが、中々いい餌が見つからず、ハルヒを待たせては悪いとも思ったので結局テキトーな人間の血を軽く吸うに留めたのがいけなかったらしい。不味いわ、あまり量を飲んでいないわで(不味かったから少ししか飲めなかったのだ)、早々に渇きが再発してしまったのである。
 一週間前に土産として渡したルビーの指輪にチェーンを通し、それを首から下げて上機嫌を保っていたハルヒは、しかし本日また俺が昼間に外出することを知って、ぶすっとした表情を見せる始末。今日は雨だから一緒に行くと言い放った彼女に俺が首を横に振ったからだ。
 そりゃ確かに大雨の時は朝でも昼でも外出可能だが、今みたいに小雨の場合は日光で灰になるといった事態にはならなくともハルヒのレベルだと火傷程度の傷は負ってしまう。加えてもう一つ。ハルヒはよく俺と一緒に行動したがるのだが、こいつ、俺の吸血行為を目の当たりにすると物凄く機嫌が悪くなるんだよな。ただし理由は一言も教えてくれない。
 どうせ今日もハルヒが嫌がることなのだから、こんな時に無理して外出しなくてもいいじゃないか。大人しく留守番してろって。
「・・・浮気じゃないわよね。」
「浮気も何も、俺は妻帯者じゃないぞ。」
「そのなの知ってるわよ。あたしが言いたいのは、気に入った人間が出来たんじゃないかってこと。」
 それは無い。この前行った街でも面白そうな人間は一人もいなかったしな。
「あたしみたいな?」
「お前みたいなって何だよ。」
「だってキョンはあたしのこと気に入ったから仲間にしてくれたんでしょ?」
 否定はしないが、あれは半分くらいお前が・・・いや、それは今考えなくてもいいことだ。
 "否定はしない"の部分でニヤニヤしだしたハルヒに、とにかく、と大きめの声で言って、本日は(本日も?)留守番を言いつけた俺は不満気な彼女の愚痴を聞き流しながら屋敷を出た。


 小雨の中、一週間前に踏んだのと同じ地面に足を付ける。どうして前回あまり良い餌に出会えなかった街を再び訪れたのか・・・それは俺自身にもよく解っていなかった。今度こそ、というリベンジ精神の所為かもしれないし、もしかしたらあの少年と犬のことが少しばかり気にかかっていたからなのかもしれない。
 良くない天気の所為か、今日はあまり人が出歩いておらず、いつも賑やかな通りでさえ余裕で傘を差して歩くことが出来た。
 真っ黒な傘を広げて人もまばらな道を歩く。今日はもう、ハルヒへの土産を探すようなことはしないつもりだ。あの様子だと何かプレゼントするより、少しでも早く帰った方が正解だろうからな。
 横を通り過ぎて行くのは数人の子供達。傘を差したまま――いや、"振り回しながら"と表現すべきか――楽しそうに笑っている。少し身なりが良いことから推測するに、あの子供達は学校帰りなのだろう。
 この街ではある程度「財」を持った者しか学校に通えない。学費やその他諸々にかかる費用が全て個人持ちだからだ。ゆえに貧しい者、特に親を失った子供なんかは殆どが学校に通えない。先日見かけた少年のように犯罪行為に走るか、低賃金で働くしかないのである。
 確かハルヒが昔住んでいた地域では十五歳までの教育が義務化されていたんだよな。しかもあいつはその更に上のレベルの教育機関に所属していたはずだ。つまり将来有望な人物だったということ。それなのに俺と出会ってその全てを捨ててきちまったんだから・・・なんともまあ、いろいろな意味で凄い奴だよな。
 つらつらとそんなことを考えながら歩いていると、いつの間にやら俺の足は更に人気の無い路地裏の方へ向かっていた。はてどうしてだろう、と思ったが、すぐにその理由に気付く。
「生き物が死んだ匂いか・・・」
 足の向いた方向から「死」の匂いがする。適当なことを考えていたから、身体が匂いの方へ引き寄せられたのだろう。気付いてから引き返しても良かったのだが、俺はなんとなくそのまま足を進めた。
 何度か角を曲がって匂いの元に辿り着く。・・・ふむ。なるほどね。どうして自分がそのまま足を進めたのか解ったような気がする。
 俺の視線の先には見覚えのある木箱と布と"それ"。周りの景色も同様に見たことがあるな。
 ここは、あの少年と老犬がいた場所だ。しかし先日目にした光景と違うのは雨が降っていること、少年がしゃがみ込んでいないこと、そして犬が死んでしまっていることだった。
 木箱の中に存在しているのは弱々しくも餌を食べていた犬ではない。すでに熱を作り出すことが出来なくなり、冷たく固いものとなってしまった肉と毛の塊だ。老衰か、それともこの雨にやられたか。どちらか俺には判らなかったが、きっとあの少年は悲しむのだろうと思った。
 ぼんやりと犬だったものを眺める。それはきっとそう長くない時間のことであっただろう。焦点が定まっているのかいないのか自分でも微妙なところだった俺がふとそこから視線を外したのは、「死」の匂いに別のものが混ざったからだ。
 人間自身の匂いよりも更にキツイそれ。厚く塗られた化粧の匂いだ。それからアルコールのも。おいおい、こんな時間から酒かよ。つーか酔っ払いらしいそいつ、こっちに近付いて来てねえか?
 しばらくその場で突っ立っていると本当に化粧と酒の匂いを纏った人間が現れた。見た目は二十代から三十代ってところか。そんでもってそっち系の商売の女だろうな。でも酒を飲む時間じゃないぞ、やっぱり。アルコール中毒者か?
「ん〜?なぁにぃ、・・・どうしたのお兄さぁん。」
 現れた女は呂律が回らない舌でそう言う。お兄さん、とは俺のことだろうな。俺の方が(見た目だけは)年下っぽいのに。
 こちらが無言のままでいると女はまた「ん〜?」と声を出して、その視線を俺からこちらが今まで眺めていたものに移した。つまり、犬の死体に。
「うわっ!なぁにそれぇ!きったなぁい!!」
 不快そうに顔を顰め、しかしながら女はこちらに近付いてくる。
 犬ぅ?しかも死んでんのぉ?きもちわるいー。等々零しながら女は俺の横に立ち、そして。

 死んだ犬の腹を蹴り上げた。

 犬は木箱から蹴り出され、冷たい地面に転がる。もちろん動くことはない。閉じられた目が開くことも。
 それを見ながら女は笑っている。突き刺さるような不快極まりない声で。
「もうっ・・・お兄さんも何見ちゃってんのよぅ。あんなキモチワルイもの。・・・ねえ。それよりさぁ、アタシとイイ所に行かない?サービスしちゃうよぉ?」
 俺の身なりを上から下まで確認しながら女は腕を絡めてきた。自分がやったことの愚かさに気付く様子もない。そしてこの場を満たすのは静かな「死」の匂いではなく、酒と化粧と愚者の"臭い"。―――ひどく、堪らなくひどく不快だった。
「ねぇ、お兄さぁん。」
 甘えた声で顔を近づけてくるその女の行動に、俺はついにキレた。
「きゃっ!」
 ダンッ、と女を壁に押し付ける。左手で女の肩を掴み、右手は相手の左手の自由を奪う。痛みで「何すんのよ!」と怒鳴る声が耳障りだ。そう、だから早くとめてしまおう。
 くぁ、と口を開く。その中のひときわ目立つ犬歯に気付いて女が悲鳴を上げた。
「ヴァ、ヴァンパイア・・・!」
 ご名答。こんにちはお嬢さん。そして、サヨウナラ。
「―――ッ!」
 女の首筋に噛み付く。ああ不味い。不味いな、この血は。でもやめない。このまま吸い尽くして殺してやる。
 俺達ヴァンパイアは滅多に吸血で人間を殺したリしない。普通は軽く操ったり記憶を操作したり、はたまた不意をついて相手に気付かれないうちに、そしてまた死なないように血をいただく。人間を殺してその数を激減させたり、そうでなくとも騒ぎになると困るのはこちらだからな。でも、それを解っていても、感情が先走ることもあるようだ。今の俺は渇きを潤すためではなく、この人間を殺すために血を吸っていた。酷く不味い血だが、とりあえず吸血量が多いので渇きの感覚は消えていく。しかし苛立ちは消えない。血が不味いのも理由だが、やはりこの酒や化粧の匂い、そして何より女の行動の所為だろう。
 女が両足を擦り合わせ始めた。同時に耳元で聞こえる堪えようのない喘ぎ声。吸血によって感じているのだ。最初のうちは必死に行っていた抵抗は、もはや影も形も無い。それどころか、こちらは殺す気でいるのに「もっと」と言わんばかりに身体を押し付けてくる。
 血を失う代わりに強烈な快楽を得るというのは吸血される人間において当たり前の現象であるが、やはりこのような女が相手では気持ちが悪いだけだった。
 ひっきりなしに嬌声を上げる女の口を片手で塞ぎ、俺は吸血のスピードを上げた。ビクリと身体が大きく震えて女がイったのだと判る。舌打ちでもしたい気分だ。
 と、その時。
「・・・ッあ、」
 第三者の声がして思わずそちらに顔を向ける。
 そこにいたのは十代前半であろう、みすぼらしい格好の子供。―――あの少年だ。
 少年は雨に濡れながら目を見開いてこちらを見つめていた。俺もその少年に視線を向けたまま女から一歩距離を取る。支えを失った女は口の端から涎を垂らしてずるずると地面に座り込んだ。しかし少年の目はそんな女の方には向かない。ただじっと俺を見据えていた。
「・・・何か用か。」
 口元に付いた血を指で拭いながら問いかける。
 こうもはっきりと吸血行為を他の人間に見られたのは初めてかもしれない。おそらく気が立っていて、しかも酒と化粧の匂いが濃かったから、少年の接近に気付けなかったのだろう。
 だが人に見られてはいけないものを見られたと言うのに、俺は今あまり焦っちゃいなかった。少年が逃げようとしても簡単に捕まえられる自信があるから、というのは当然だろう。しかしそれよりも俺は自分に向けられるその目に危機感を覚える必要は無いと確信していたのだ。
 少年の視線が動いた。はっと息を呑むような気配がしたのは、女に蹴り飛ばされた犬に気付いたからだろう。こちらのことなどすでに眼中に無いかのように少年は駆け出し、犬の元へと辿り着く。そして冷たいそれをゆっくりと抱き上げた。泣き声や恨み言は無い。ただ静かに少年は犬を腕に抱くだけ。
「・・・・・・使え。」
 そう言って俺が差し出したのは自分が纏っていた黒色の外套。これでその犬を包んでやってくれ。
「・・・、いいんですか。」
「ああ構わん。使ってくれ。」
 そのまま抱き締め続けるのもどうかと思うし、木箱に入っているボロい布で包むよりもこれを使った方がいいだろうからな。ただの気分の問題なんだろうけど。
「ありがとう、ございます。」
 少年は俺の手から外套を受け取り、それで老犬を優しく包む。
「どうするんだそいつ。土に埋めるのか?」
「そのつもり、です。」
 目の前に立っているのが以前、自分がスリをしようとした人物であることに気付いていないのか、少年は不慣れな敬語で頷いた。
 会話はそこで止まる。少年は犬を抱いたまま黙って俺を見ているし、俺は俺で、さてこれからどうしようかと考えていたからだ。
 先刻の光景を見て、少年は俺がヴァンパイアであることに気付いているのだろうが、その表情に恐れの色は無い。存在しているのは驚きと戸惑い、それから老犬の死に対する悲しみだ。年齢の割には少々達観し過ぎているような印象も受けるが。それとも何か別のことを考えているから、そんな風に落ち着いていられるのだろうか。
 どちらにせよ、犬を土に埋めるつもりらしい少年が土の無いこんな所で突っ立っているのはやはり(表情に出していなくとも)俺を恐れているからなのか。背を向けた途端、首筋に牙を立てられて血を全部吸われてしまう・・・とかな。いやいや、流石にそこまではしないぞ。記憶を弄るくらいのことはさせてもらうかもしれんが。
 そうだ、記憶と言えば。
 視線を向けたのは壁に凭れ掛かった自失状態の女。少年の登場でこの女への苛立ちもすでに収まっており、今更血を吸い尽くして殺してやろうという気にはなれない。
「その人、ヴァンパイアになってしまうんですか・・・?」
 俺の視線につられるように、少年が女の方を見て疑問を口にする。なるほど、一般の人間は血を吸われると吸血鬼になってしまう、と考えているのか。
「いや。血を吸われたくらいじゃ同族にはならねえよ。」
「そう、なんですか。じゃあ、どうすればヴァンパイアになってしまうんです?」
 どうしてそんなことを訊いてくるんだろうね、この少年は。ただの好奇心にしては、この状況は些か不釣合いだろう。
 こちらが僅かばかり訝しげに顔を顰めたのを見て、少年が犬を抱く腕に力を込める。女と犬、そして俺の間を行き来するその目は何かを迷っているようであり、またすでに決心したことを再確認しているようでもあった。
 少年の視線が犬の頭部で止まる。そして、少年は口を開いた。
「僕は・・・僕も、ヴァンパイアになりたい。不死になりたいんだ。」
 敬語が抜けていたのはその台詞が独白のようなものだったからか。それとも、とってつけた程度の敬語など消えてしまうほど強い意志を持って音にしたからか。
「・・・ヴァンパイアは不死なんかじゃないぞ。ほぼ不老で、人よりずっと寿命が長いだけだ。」
 始祖だけは例外なのだが、それは関係ないな。
「それでも、人間から見れば不死と同じ、・・・です。」
「弱点も多い。」
「かまいません。長く生きられるなら、それで。」
 顔を上げた少年の瞳には強い決意が宿っていた。
 なぜ?なぜそんなに強く異質な「生」を望むのか。下手をすれば人間の寿命より早く灰になって消滅してしまうかもしれない、とても危うい命を。
「長く生きられるなら、ね・・・。お前はそのためだけに、太陽の下に出て行けない身体になるのか?人間の生き血を啜れるのか?」
 人間が吸血鬼になるのは実のところそれほど難しくない。ヴァンパイアが人間に己の血を一定量与えるだけでいい。たまにヴァンパイアにする側とされる側の相性が悪くて拒絶反応を起こし、最悪死に至る場合もあるが、そんなことは滅多に無いからな。それに対し、ヴァンパイアが人間になったという例は今のところ一つも無い。つまり、一度吸血鬼になってしまった人間は、もう二度と元には戻れないということだ。だから俺達の同胞になるならよく考えなくてはならない。
 まあ、俺自身はこいつが同族になろうとなるまいと、どちらでも構わないと思っちゃいるんだがね。性根が腐ってるわけでもなさそうだし、化け物と言われてしょうがない俺の姿を目の当たりにしても恐怖や嫌悪以外の感情を持つことが出来た人間だからな。それに、汚れちゃいるが見目も悪くないし?(同胞にするなら俺がこの手で転化を行うのだろうし、それなら見目が良いに越したことはないんでね。)
 そんなわけで、本当は俺にとってこの少年が吸血鬼になりたがる理由なんぞ瑣末なことに過ぎなかった。しかしあえてそんな問いかけをするのは、この少年を思ってのこと。どうやら俺は(他の人間よりは)この少年に情を持ち始めているらしい。こいつが後悔しない方法を取ってくれればいいなと思っている。それはもしかしなくても同情、なのかもしれんがな。
 どうか目先のことばかりでなく、もっと多くのことを見通してから決めてくれ。吸血鬼になれば人間よりも遥かに長い寿命や強い力を手に入れることが出来るけれども、その分代償も大きいんだ。その代償のことを考えてさえ、お前は自分が人間でなくなってしまうことを望めるのか?
「だって・・・僕は死が怖い。」
 少年は視線を老犬に向けて呟いた。
「こいつが死んで初めて解ったんです。死、という意味を。僕には死んでしまったらしい両親の記憶なんてない。だから『死』に触れたのはこれが初めてだった。そして解った。死はこんなにも虚しい。空っぽだ。何も残らない。ただ冷たい肉の塊になって路上に転がるだけなんです。それまでどれほど自分が頑張っても、周りが愛情を注いでも、全てが無かったことになってしまう。・・・僕は自分もそうなるのが怖い。」
「だから、ずっと生きていくために人間をやめるって?」
「いけませんか。」
 いけませんかと問われて、いけません、とキッパリ答えられる立場ではないかな、俺は。
 死の恐怖を知って化け物を恐れなくなった少年は再度確認するかのように「いけないんですか。」と問う。その声の年齢にそぐわない理解と幼稚な思いを感じ取り、俺は小さく苦笑した。子供らしからぬ理解があっても、やはりこの年齢じゃあ死を達観することは出来ないんだろうな。
「・・・・・・駄目じゃないさ。」
「それじゃあ!」
 少年の顔に喜色が現れる。おいおい、ちょっと待ってくれよ。
「ただし今のお前の年齢は少々幼すぎる。だから成長するまで養ってやるから俺の屋敷に来ないか。」
 そうしてまだ人間として成長していく中でもう一度考えてみればいい。ヴァンパイアになってしまうか、それともこのまま人間として生きていくか。死を拒絶し続けるか、受け入れられるようになるか。・・・とは、口に出して言うと何か言い返されそうなので告げたりはしないが。
 俺の提案に少年は少し考え込むような仕草をして、
「まさか僕をそのまま餌にするなんてことは・・・」
「だったらこの場で襲ってる。」
「ですよね。」
 そう言い、ほっと息をついた。
 まあ安心しろよ。他の吸血鬼に関してもお前が俺の所有物だって示しておけば手を出して来ないから。
「しょ、所有物?」
「形式上は、って話だ。まだしばらく人間として過ごすお前がそのまま街に帰りたいと望めば、その意思を尊重してきちんと返してやる。でもお前が俺の一族に加わるなら、お前は俺の・・・そうだな、部下、みたいなものにはなるかな。一応。」
「それならかまいません。むしろ吸血されて死ぬ危険性がなくなるなら有り難いことです。」
 不穏な単語に片眉を上げていたその表情がまた元に戻るのを確認し、俺は少年に手を伸ばす。少年はその意味を理解したらしく、そろりと手を重ねた。そこに転がってる女は・・・まあいいか。傷はすぐ癒えるようになってるし、記憶の方も酔っ払いだから何とかなるだろう。
「それじゃあ本当に連れて行くぞ。」
「お願いします。」
 その返答を聞き、俺は一回り小さな手を握りしめる。じわりと汗が滲んでいるのを感じて、相手が緊張していることを知った。よく見れば頬も僅かながら血の気が引いている。ならばそれを解すために笑いかけてやるとしますか。一族に加わるかもしれない子供だからな。
 そう思って笑みを浮かべると、
「―――ッ、」
 少々戻りすぎなくらい少年の顔に血の気が戻った。頬を薄らと朱に染めた少年は俺から慌てて視線を外し、代わりに強く手を握り返してくる。
 おーい、一体どうしたんだ。
「な、なんでも、ありません。早く行きましょう。」
 そうかい。
 急かす少年に頷き、そうして俺は屋敷へ続くゲートを開いた。この同行者を見てハルヒがどんな反応をするのか少々気がかりに思いながら。


 開口一番、俺が連れて帰って来た少年を見てハルヒが吐き出した台詞は。
「キョンが男好きだったなんて・・・!」
「勝手に俺を男色家にするな。あと、マジでショック受けてます的な顔はやめてくれ。」
 どっと疲労感を覚えて肩を落とす。本気にしろ冗談にしろ、それはあまり笑えないぞハルヒ。
「まあ冗談だけど。・・・キョン、あんた街にお気に入りはいないって言ったじゃない。なのになんで人間の男の子なんか連れて来てんのよ。」
 顔に不機嫌ですと表示させながらハルヒは腕を組んで俺の斜め後ろにいた少年を睨む。
 おいハルヒ、初対面の相手をビクつかせてどうする。もうちょっとやわらかい対応は出来んのか。
「・・・だって、こいつもキョンの血でヴァンパイアになるんでしょ。それってキョンがこいつを気に入ったってことと同じじゃない。」
 そっぽを向いて不貞腐れたように呟くハルヒ。
 ふむ。どうやら彼女はやきもちを焼いてくれているようだ。親が新しく生まれた子供ばかりを構って、先に生まれた子を蔑ろにしてしまう・・・そんな風に今の状態を捉えているのかもしれんな。
 安心しろハルヒ。そんな可愛い娘を蔑ろに出来るほど、俺はデキた性格なんぞしとらん。それに、
「まだこいつを一族に加えると正式に決定したわけじゃない。転化するにしても今の年齢じゃあ少々幼すぎるしな。しばらく人間のままで様子を見ることになってる。」
「え、そうなの?」
 大きな目を瞬かせるハルヒに俺は、ああ、と答えて頷く。すると視線の先の彼女は途端にしかめっ面を解いて安堵したように表情を和らげた。
「なーんだ。じゃあそいつ、そのまま人間の街に戻るかもしれないわけね。」
「ああ、その可能性は有「僕は帰りませんよ。」
 俺の台詞に被せるようにして発言したのはハルヒの視線に怯んでいた少年本人だ。先刻までの様子からは想像出来ないほど挑戦的な目をハルヒに向けて、もう一度同じ台詞を繰り返す。
「僕は帰りませんよ。ここで育ち、そしてあなた方の一族に加えていただきます。」
 きっぱりと告げ、少年は次いで俺を見た。
「あなたの血を貰って・・・ですよね?」
 その微笑は一体どこから来たものなんだろうね。ハルヒの怒りゲージが上昇していくのを肌で感じながら――なんかこう、ピリピリくるんだって――俺は小さく肯定する。そういう約束だしな。(血を貰って転化するというのはハルヒの台詞から推測したものだろう。しっかりした奴だ。)
 こちらの肯定を受け取ると、少年はにっこりと笑みを深めてみせた。もうハルヒの睨みは効かないらしい。笑顔のまま平然と流してやがる。
 その様子にハルヒもぷちんとキたようで、
「ちょっとあんた!なに勝手に言ってくれちゃってるわけ!?あんたみたいな奴が同族になるなんて、あたしはゴメンだわ!」
「おや。そう言われましても、決めるのも実行するのも僕とこの人ですよ。あなたは関係ないんじゃありませんか。」
「・・・ッ!」
 おいおい。何やら勝手に盛り上がり始めたぞこの二人。しかもハルヒの方が劣勢のようだ。もしかしたら少年の敬語モドキな台詞に気圧されているのかもしれん。少年自身もおそらくそれに気付いているのだろう。ハルヒがどんなに声を荒げても笑顔とその口調はキープしたままだ。
「あんたみたいな生意気な奴はさっさとここから出て行ってちょうだい!今すぐ出て行かないならあたしがっ、」
「あなたがどうされるのですか?まさか僕を殺すとでも?そんなこと出来るはずがない。だって僕はすでにこの人の所有物なのですから。」
 唖然として止めずにいたら随分過激な――それとも"怪しい"?――会話になりやがった。それとな、少年よ。所有物なのですから、の部分で笑顔のまま俺を見るのはやめろ。なんかお前、性格が黒くなってるぞ。
「ここにいることで僕があなたの所有物になると言ったのはあなた自身ではありませんか。」
「まぁそうなんだが・・・」
 ハルヒと喧嘩するために、しかもそんな怪しい使い方をするために言ったことじゃないんだけどなぁ。
 溜息を吐くついでにハルヒが立っていた場所へ視線を向けると、彼女はもうすでに自室へと引き篭もってしまったようだった。「ふんっ!勝手にしなさい!もう知らないんだから!」ってところだろう。あとで機嫌を直してもらうために夜の散歩にでも誘ってみるか。もちろん吸血無しで。
 とにかく、ハルヒの機嫌が斜めでもこの少年が屋敷に住むことに変わりはないし、どうせ彼女ならそのうち受け入れてくれるだろう。(そう思うのは俺がハルヒを信用しているから、ってことになるのかね?)
「それじゃあ少年、まずはお前が寝起きする部屋に案内するから、ついて来てくれ。」
「あ、あの!」
「ん?」
 一歩踏み出したところで呼び止められ、何だろうかと振り返る。言いたいことがあるなら遠慮なく言ってくれていいぞ。
「言いたいこと、と言いますか・・・。その、あなたの名前は。」
 ・・・あ。そう言えば教えてなかったな。
 ふと今までの己の行動を思い出して苦笑する。そうして少年に俺の名前を告げてやるのだが。
「・・・・・・・・・え?」
 やっぱりな。生まれた時から吸血鬼である始祖(俺)の名前は人間や人間から転化したヴァンパイアにはよく解らない発音形態らしい。聞き取れないし、口に出すことも出来ない。
「呼べないだろ。まあ無理するな。あなた、でも、お前、でも、あとは――あまり推奨出来んが――ハルヒが呼んでたみたいに本名をもじって"キョン"と呼んでくれても構わん。好きにしてくれ。」
 苦笑と共にそう言えば多少迷いながらも頷きが返ってくる。
 そんでもって、自己紹介には俺だけじゃなく相手からの名乗りも必要なわけで。
「少年、お前の名前は?」
 こちらが問えば、少年は嬉しそうに目を細めて笑った。
「イツキ。古泉一樹です、マスター。」








ハルヒVS古泉(恋敵は互いに判るものらしい)

ハ「キョンはあたしのなんだから!」
古「僕は負けませんよ。十年少々長くあの人と一緒にいたからって、そんなの関係ありません。」
ハ「ふんっ!ずいぶん強気にでちゃって。」
古「ライバルには容赦しないタイプなんです。」



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