MASTER
& VALET
「キョンー、どこいくの?」
「散歩。」 「昼間なのに?あんた自分がヴァンパイアだってこと解ってるんでしょうね。」 「解ってるって。でもまあ、それなりに年喰ってるおかげで日光浴びても平気だし。」 「そりゃそうだけど・・・」 屋敷の中央階段からこちらを見下ろしていた少女は複雑そうな顔で視線を逸らし、小さな声で、あんたが良くてもあたしがついて行けないじゃない、と早口で呟いた。 それを聞いて俺はこっそり苦笑する。本人は他人に聞かれないくらいの音量で呟いたつもりなのだろうが、生憎この耳は聴力が優れている同族の中でも特に優秀なので、きっちりばっちり拾えてしまえるのだ。 「ハルヒ、」 俺が名前を呼ぶと少女―――ハルヒは渋々視線を戻す。彼女は俺と違い、吸血鬼に転化してまだ十年ほどなので、日の光の下には出られない。・・・俺?俺はこの血族――ヴァンパイアにも幾つかの血族があるのだ――の始祖で長い時を生き続けてきたため日光も十字架も流れる水も平気だ。正確な年齢は忘れた。でも、自分が他人(ハルヒ)を転化させたのは千年ぶりくらいだったと記憶している。 「ハルヒ、拗ねるなよ。お前も日の光が平気になったら昼間でも外に連れて行ってやるから。」 「それまで何年かかると思ってんのよ。」 むすっとした表情で睨み付けてくる。 そうだな・・・一般的には転化してから数百年くらいか? 「サイアク。あんた、あたしが何のためにヴァンパイアになったと思ってんの。日の光を苦手カテゴリに追加するためじゃないのよ。わかってる?」 「俺と一緒に居るためだろ。」 そう答えると見上げた先の少女の顔が一瞬にして赤くなった。 判りやすくて非常に結構。その可愛らしさに免じて今日は太陽が沈んでから一緒に外へ出掛けてやるよ。 「ホントっ!?」 「ホント、ホント。ついでに何か土産でも買って来てやるから。」 だから今は大人しくしてろよ。 「絶対よ!約束だからね!破ったら心臓の上に白木の杭を打ち込んでやるんだから!!」 ンなことやったら俺の血族であるお前まで死んじまうだろうが。 吸血鬼という種の中でも俺の血族は特殊で、始祖――つまり俺――の状態に全員が影響される。つまり俺の具合が悪くなれば血族全員の調子が崩れ、俺が死ねば血族全員も死ぬ、ということだ。何と言うか、責任重大だな。俺。 「その時はその時よ。別にあたしは構わないし。」 「いや、他の奴は。」 「きっとそいつらもあたしと同じこと言うんじゃない?」 そう言ってきゃらきゃら笑い、ハルヒは顔を引っ込めた。 全く、一番若い血族のくせにどうしてああも天上天下唯我独尊ちっくなんだろうね。甘やかしすぎたか? この十年間のハルヒに対する自分の態度を振り返りつつ、両開きの扉を開く。深い森の奥にあるこの屋敷やその周囲は昼間でも薄暗い。だからこそ、まだまだ日光が苦手なハルヒも住んでいられるのだが。 さて、今日は久々に人間の街へ行ってみるか。まだ人間だった頃の方が少しばかり長いハルヒに喜んでもらえるものがあるかもしれない。あいつだって女の子だしな。 近隣の村でも良いのだが、圧倒的に人口が多い街の方が紛れるためにも土産を探すためにも良いだろうと判断し、今回は鳥やコウモリに変化して飛んで行くのではなく、ゲートと呼ばれる異空間経由の移動方法を取ることにする。風を切って飛ぶのも好きだが、目的地が遠い場合はこれに限るな。 座標軸を定め、空間を切り裂いてゲートを開く。古めかしい衣装を街にいても違和感の無いものに変化させてから俺はゲートをくぐった。 他の奴は如何か知らないが、俺の場合、散歩イコール食事だったりする。たまに、本当に外を歩くだけの時もあるが、九割九分くらいは人間の血を頂いて帰って来ているな。今のところ。そして今日は珍しくも何ともなく食事のつもりで外に出ていた。今は真昼間だが、この身体には昼も夜も関係ない。腹が空いたら出掛ける、というのが俺のスタンスだ。 「でもまずはハルヒへの土産探しか。」 森の中から人気の無い路地裏へ出た後、そう呟いて街の中心地へ足を向ける。 何を買って帰れば良いかね。あいつ、何でも喜んだ顔するからイマイチ好みが判らないんだよな。ああでも、人間の女の子の間で何か特別な意味があったのか、服や指輪を持って帰ってくると異様にテンションが上がっていたような記憶が・・・。ならば今日もそっち系の物にした方が良いのだろうか。・・・って、こういう思考が"甘い"のか。でも俺から見ればハルヒは自分の子供か孫みたいな存在だしな。人間だって爺さん婆さんが孫のことを目に入れても痛くない、と言うらしいし。 露店が立ち並ぶ通りに出た。街の中心を貫くメインストリートとは別にそこよりもやや道幅の狭いこの通りは、人間や物の密集具合だけを比べるなら、この街一の大通りだろう。まあ、第二のメインストリートか。 この辺では住民の生活に必要な物が粗方揃うようになっている。食品や普段着るような衣服、雑貨等々。ちょっとした装飾品もここで買うことは出来るが、贈り物や土産物の場合ならやはりメインストリート沿いに建つ店に入った方が良い。質と共に値段も跳ね上がるけどな。 俺が現れた裏路地からメインストリートに出るにはこの道を通るのが一般的だ。裏道を使えばもっと早く辿り着けるのにそうしないのは、こちらの方が露店を冷やかしたりして楽しむことが出来るから、というのが理由だろうか。ただし俺の場合、人通りの多い所を通ることで土産を買った後の"食事"の対象を探す意味もあったりするが・・・どうせ目を惹くような人間など滅多に無く、大抵は「こっちはまあまあ美味そう。あっちは相当不味そう。」などと心の中で格付けをするだけに終わる。むなしい。 そうそう。この道は人通りが多く雑然としている。上品さは二の次だ。そして今の俺の姿はメインストリートを歩くように合わせた格好である。つまり"そういう人間"にとってはまさしく"カモ"以外の何者でもないわけだ。よってこういうこともあったりする。 「放せよ!」 「だったら俺から盗った財布を返してくれないか。」 軽くぶつかってそのまま去ろうとしていた子供の腕を捕らえる。帽子と長い前髪の所為で表情までは窺えないが、声にははっきりと焦りが滲んでいた。残念だったな。普通の人間なら上手くいっただろうが、ヴァンパイアは人より感覚が優れているのさ。動体視力その他諸々もばっちりだ。 こういう所ではスリも多い。老若男女、やる奴はやる。今回は少年だったが、以前はどこにでもいそうな主婦っぽい人間だったこともあった。 スリは犯罪だ。しかし大抵の場合、彼らは生きるためにやっている。ある意味俺達ヴァンパイアの吸血行為と同じなのかも知れないな。だからまあ、すぐに盗った物を返してくれるならこちらもその後どうこう言うつもりは無い。そこで「はいサヨウナラ」ってわけだ。 少年は必死に俺の手から離れようとする。そんなことしても無駄だぞ。見た目より身体能力は高いんでね。ほら、びくともしない。 この通りでスリは日常茶飯事であるため、人々がこれくらいで足を止めることはない。ああまたか、という気分なのだろう。あと付け加えるとすれば、こんな所で立ち止まるな、邪魔だ、といった小さな苛立ちとか。 俺は後者の感想を優先し、少年を引っ張ったまま近くの細い路地に入る。もちろん抵抗はされたが、吸血鬼の腕力に勝る人間はいない。子供なら尚更。 「ほら、さっさと返せ。それが無いと土産が買えん。」 イコール、ハルヒに怒られちまう。(・・・いや、その思考回路は可笑しくないか。俺の方が偉いはずなのに。) 「放せっ!」 「返してくれたらな。」 片腕を拘束しておいて言えた義理ではないかもしれんが、あまり力づくは好きじゃないんだよ。俺は。素直に返してくれれば何もしないからさ。 相手を刺激し過ぎるのもあれだから猫なで声っぽく言えば、逆に怒らせてしまったらしい。キッと音がしそうなくらい鋭く睨み付けてくる。初めて顔を見たが、年齢の低さも相俟って――まだ十代前半くらいだよな――まるで少女のような甘い容貌だった。その目の鋭さは完全に男のものだけども。 整った顔立ちを精一杯怒りに染めて少年が視線を合わせてくる。おいおい、知らないからしょうがないのかもしれんが、吸血鬼と目を合わせるなんて自殺行為だ。こっちがその気なら一瞬で操られちまうぞ。 「放せってば!」 「・・・だからなぁ、」 はあ、と溜息をつけばそれに合わせて抵抗感が強くなる。残念。どんなに頑張ろうと、隙をつこうと、俺が放そうとしない限り逃げられないんだって。つうかお前は「放せ」しか言えんのか。普通はこれくらいで諦めるだろう。本当にしつこい。 「放せよ!!」 「うるさい黙れ。」 ぴたり、と少年の動きが止まる。 ・・・・・・ああ、やっちまった。目を合わせていた所為で俺の魔力が相手を一時的に従属させてしまったのだ。しかしやってしまったことは仕方ないだろう(と言うことにして)。少年のポケットに捻じ込まれていた財布を取り返し、一応中身も確認。よし、プラスマイナスゼロだ。 「なんでそんなに必死だったんだ・・・?」 答えさせるための命令ではなく独白として呟く。俺が駄目でも他の奴を狙えばいいのに。ここじゃあそんなモンだろう。一体何が少年を強情にしていたのやら。・・・そりゃまあ、俺より金を持っていそうな奴もそうそういないだろうがな。 お世辞にも裕福とは言えなさそうな少年の身なりを眺め、溜息を一つ。俺ってハルヒに甘いんじゃなくて、子供全般に甘いのかもしれん。 財布から金貨を三枚取り出し、未だ焦点が定まっていない少年の手に握らせる。これだけあれば大抵のことはどうにでもなるだろう。当分の生活費にしても、(もし病人がいるなら)薬を買うにしても。 「俺が立ち去ったら目覚めろ。」 暗示を上書きして相手に背を向ける。 今ここで血を吸っても構わないのだが、大人だろうが子供だろうがオスの血はそれほど美味くない。少年から匂う血の香りもそれを証明していた。良く評価してもBランクプラスってところだな(男でも若いから「Bランク」、そして顔が良いから「プラス」だ)。よってシチュエーション的にはまあまあ良くても吸血対象がそんな感じなので、俺は後ろ髪を引かれることもなく賑やかな通りに戻った。 「それじゃあ少年、元気でな。」 ちょっとしたハプニングもあったが、俺はメインストリートに辿り着き、そこでしばらくフラフラした後、宝飾店に入った。購入したのは銀の台座にルビーが嵌った指輪。血に例えるよりも燃え盛る焔に例えた方が相応しい赤色鮮やかなルビーがハルヒの性格をよく表しているように思えた。 ところでこの指輪の台座(リングの部分)は店員曰く純銀製らしい。魔を祓う力もあるんですよ、と微笑まれた。だが生憎、俺の血族は銀が平気なんでね。転化したての頃は日光と同様に苦手なものとなるが、適性がある者ならば数年、ない者でも数十年で平気になる。おそらく魔力の大きさに関係しているのだろう。銀が持つ退魔の力に打ち勝つ程度にはこの血に力が宿っているというわけだな。 ちなみにハルヒは転化してから半年ほどで銀が平気になった。異様とも言えるスピードだが、これはハルヒに適性があったことと、ただの血族の者ではなく始祖である俺の血を直接注がれたことによる相乗効果なんだと思う。この調子なら一般的には数百年かかる日光への耐性も百年しないうちに完璧になるんじゃないだろうか。 まぁそんなこんなで指輪を土産とし、店を出た俺は本日の主目的を果たすべく街を彷徨い始めた。店員の女性から血を頂かなかったのは、綺麗な顔が化粧で作られたもので、しかも処女ではなかったから。あれじゃあ性別がメスであってもBランク、下手するとBランクマイナスかCランクだな。 同じヴァンパイアでも個人によって多少血の好みは異なるが、基本的には男より女、老人より若者、そして処女―― 一応「童貞」も――の方が美味いとされる。美醜は食事の際の気分の問題だ。俺はもちろんおおよそその法則に従った好みをしていた。偏屈者じゃないんでね(と、以前ハルヒに言ったら呆れるような顔をされた。何故だ)。 そう言うわけで、美味そうな(出来れば)お嬢さんはいないかな、と思いながら薄暗い路地裏を歩く。行きとは違い人気の無い所を選んで通るのは、吸血行為を他の人間に見られないようにするためだ。こういう大きな街じゃ、吸血鬼の存在を普段から意識している人間なんか殆どいない。けれども教会に行けば対吸血鬼用の道具が保管されているし、先刻訪ねた宝飾店のお嬢さんの台詞にもあったように「退魔」という単語が普通に使われている。つまりヴァンパイアを始めとする魔物に対し、街の人々は無意識の部分でそれを認め、同時に強く恐れているわけだ。よって吸血行為が人間にバレて噂が街中に広がったりすると、しばらく――ただし人間にとっては相当な時間であり、長命種である吸血鬼の視点からすれば「しばらく」と言える時間だ――は非常に動きにくくなるのである。 まあ慣れた奴だと、例え誰かに見られても言い振らされる前にそいつを捕獲し大量吸血をして殺したリ、視線を媒介とする精神操作で記憶操作及び行動を意のままに操ることも躊躇わずに出来るけどな。・・・・・・って、あれ?この匂いは―――。 路地を歩いていると、ふいに嗅いだことのある匂いが漂ってきた。なんだっけ、と比較的新しい記憶を浚いながら、念のため気配を消して匂いの元に近付く。この匂いは男、だよな。でも若い。つい最近、この匂いを感じたはずなんだが。 「・・・だよ。・・・〜〜・・・、・・・ら。」 声が聞こえる。この匂いの主だろう。それに混じったのは獣の体臭。これは犬か。精気をあまり感じないから病気か老衰のどちからに違いない。だとすれば、この声はその弱った犬にかけられているわけだな。 そっと物陰から覗く。・・・ああ、こいつだったのか。 粗末な木箱の傍らにしゃがみ込んでいる人物。それは数時間前、俺から財布をすろうとした少年だった。木箱の中にはボロボロになった布が申し訳程度に敷かれ、その上に老犬が力無く横たわっている。どうやら病気らしいな。年も年だし、どうせ長くは生きられまい。 少年のすぐ横にはその犬用らしい薬やら餌やらが置かれている。この場所には随分と不似合いなそれらだが・・・そうか。あの金貨で高価な薬を買ったのか、この子供は。必死だったのはこの犬のためってわけだ。 ゆっくりとだが餌を食べる犬を見て、少年は嬉しそうに微笑んでいた。自分の力で――と言えるかどうか定かではないが――生き物を救えたと感じているのだろう。少年の身なりから親がいるとは思えないし、だからもしかしたらこの犬を自分の家族か仲間だと考えている可能性もある。 もしそうなら随分と残酷だな。 犬は薬と栄養価の高い餌のおかげでしばらく元気を保っていられるだろう。しかしそれは老犬だ。じきに死んでしまう。普通の生物に不死なんてものは無いからな。 この犬が死んだら少年はどうするのだろう。泣くのか、諦めるのか。・・・まあ、俺にはどうでもいいことなんだがな。 匂いの原因も突き止めたことだし、気配を殺したままその場を離れる。あんな子供より俺の餌探しの方が重要だ。 |