そいつを初めて見た時、俺は我が目を疑ったね。おいおい有り得ねえだろ、って。
 五月の中頃、そいつは涼宮ハルヒに連れられて文芸部室に足を踏み入れた。さらっさらの髪に甘いマスク、柔らかな物腰とその雰囲気にバッチリ合った声。本性とは180度違う態度に頬が引き攣りそうになるのを必死で抑えながら俺は差し出された手を握った。
 にしても、その名前は何だ。よくもまぁそんな名前なんて名乗っていられるもんだな。その姓、お前の嫌いな母親の姓じゃねーか。折角お前の大好きな父親の姓を名乗れてたって言うのに。なあ、そうだろ?古泉一樹。


 俺と一樹は異父兄弟と言うやつだ。年齢は一樹の方が四つ上。俺達の母親(旧姓古泉)は一樹が生まれた後、俺の今の父親と浮気をした。母親が俺を身篭ったことで浮気が発覚し、一樹の両親は離婚。一樹は父方に引き取られ、俺を身篭っていたおふくろは今の俺の父親と結婚して俺を出産し、その後二人の間には妹も生まれたのである。
 俺の両親はごく一般的な家庭を築き、まあそこそこ幸せに暮らしている。しかしそんな俺達を一樹は酷く憎んでいた。一樹の父親も後に新しい女性と家庭を築いたのだが、そうなる前の父親を一樹は間近で見てきたからだ。
 妻に浮気されていると知った後、一樹の父親は悲しみで相当酷い状態になっていたらしい。自分を蔑ろにした母親より目に入れても痛くないくらい可愛がってくれる父親を好いていた一樹は、その父親の落ち込みようにいつしか浮気をした自分の母親を憎むようになっていた。そしてその母親と結婚した俺の父親と、母親の子供であり一樹の両親の離婚の原因でもある俺に対しても同様に。
 俺がその話を知ったのは小学四年生の時。一樹は中学二年生だった。
 その日、俺は母親に連れられて電車を乗り継ぎ、当時の俺にとって偶にしか訪れない大きな街に来ていた。向かった先やその順路なんて覚えちゃいない。けれどどこか落ち着いた雰囲気のある料理屋(?)の個室だったように思える。そこで俺は初めてそいつと顔を合わせた。
 おふくろは手でそいつを示し、開口一番、あなたのお兄ちゃんよ、と微笑んだ。何の冗談かと思ったね。お兄ちゃん?俺の?俺は長男じゃなかったのか。つうか俺の兄ならどうして俺達家族と一緒に暮らしていないんだってな。
 高校生や大学生が親元を離れて生活することは普通にある、という事実はその当時の俺でも知っていた。しかし続けて母親が口にしたのはそいつの名前と年齢。いや、名前は関係ないのだが年齢だ。そいつは、一樹はまだ中学生だった。それは可笑しいだろ、と思ったね。そして幼い俺は素直に問うた。どうして一緒に暮らしていないのか、と。兄なら一緒に暮らしてもいいんじゃないか、と。
 疑問を口にした瞬間、おふくろは苦笑し、俺の兄だと言う一樹は俺を小馬鹿にするように口の端を持ち上げた。二人の反応にムッとしながらも静かな場所で癇癪を起こす気にもなれず、俺はただ押し黙るのみ。理由も解らずそういう反応をされるのは非常に不快だった。でも穏やかな皮を被った雰囲気が聞くに聞けない状況を作り出し、俺はただひたすら静かに腹を立てていた。
 その時だ。おふくろの携帯が鳴って彼女は部屋を出て行ってしまった。残されたのは俺と一樹の二人。料理に手を付けても良かったのだが、確かその時はあまり食べたい気分じゃなかったはずだ。自分の好きなものが無かったのか、それとも別の原因があったのかは不明だが。そしておふくろがいなくなった所為で余計な気まずさを感じている俺に、一樹が嫌な笑みを浮かべたまま言ったのだ。
「お前なんにも知らないのか?それじゃあ僕が面白くないから全部教えてやるよ。」
 言い切るのと同時に浮かべられた微笑は天使の皮を被った悪魔の笑顔と形容しても良かったのかもしれん。思えばあの時既に古泉一樹の欠片が出来上がり始めていたんだな。見た目だけは完璧な笑顔ってやつだ。
 まあその辺りはさておき。一樹はそうして何も知らなかった俺におふくろが席を外していた間のたった数分で全てを教えた。俺のこと、一樹のこと、一樹の家庭のこと、一樹の父親の苦しみ、一樹が俺達母子をどう思っているのか、自分を産んだ人間でもある母親がいかに愚かで最悪な人間か。最後の辺りは一樹の主観でかなりどろどろとした話を聞かされたな。小学四年生になんと大人げない。とは言っても、一樹だってまだ中学生でしかなかったわけだが。
 当時の俺は一樹の簡潔でしかし異様な感情が含まれたその台詞を理解できぬまま情報として記憶した。つまり一樹がどうして俺やおふくろを嫌って・・・いやむしろ憎んでいるのか、その理由は理解したのだが、だからと言って俺も自分の母親を酷い人間だと嫌うまでには至らなかったということだ。どちらかと言うと自分の母親を嫌う前にそういう感情を発露させた一樹に良くない思いを抱いたほどである。一樹も俺の態度か何かでそういうことを察したのだろう。やっぱりあんな女とその浮気相手の間に生まれた子供だな、と蔑みを含ませた声で笑った。
 とりあえずそんな感じで、おふくろが当初予定していた俺とその異父兄の交流会は表面上は特に問題なく、しかし実は最悪の形で第一回目を終えた。表面上マトモだったのは、俺も一樹も母親の前で全ての態度を出来得る限り取り繕っていたからだ。理由はきっと相手を嫌うが故に問題を起こさずさっさとこの場を離れたかったから、なのかもしれん。俺の場合はそんな一樹の態度につられていた、という理由の方が大きそうだが。
 で、第一回と表現したことから推測出来るように、兄弟間の交流はそれから半年間であと数回行われた。母親が上手くいったと思っちまったんでな。それなのに何故半年で終わったのかと言うと、一樹が受験生だったからと言うのが一応の理由である。しかし俺にとっちゃあ一樹が俺に言いたいことを全部ぶちまけたからだと思うね。会う度に母親がいない隙を狙って色々教えられたし。
 そんなこんなで俺達兄弟は見事なまでに互いを嫌いになった(一樹は最初からだが)。俺は母親がいない所では一樹のことを絶対に兄とは呼ばなかったし、一樹も俺を名前で呼ぶことはなかった。しかし一樹は名前を呼ぶ代わりに俺のことをごく偶にだが「愚弟」と称しやがった。それは他人に謙遜して自分の弟を表現する言い方だ。にもかかわらず、一樹は本気で俺のことを愚弟と言っていた。たぶんおふくろが俺の成績をぽろりと口にしたからだな。一樹の成績はその頃"上の上"だったらしいから、"中の下"なんて馬鹿にする以外なかったのだろう。



* * *



「キョン、か。これはまた恐ろしく馬鹿っぽい名前で呼ばれてるな。お前らしい。」
「そんなこと言うためにわざわざ転校してきたのか。」
「まさか。それ如きで転校するほど僕も暇じゃない。もっと大事で腹の立つことのためさ。」
 一樹が転校して来た日の夜、何故か俺の携帯番号を知っていたその異父兄本人から電話で呼び出され、俺達は近くの公園でそんな会話を交わした。一体何だって言うんだ。俺を馬鹿にするために転校して来たのかなんて訊いたのは冗談だが、馬鹿にするために公園に呼び出したというのは微妙にありそうで嫌だ。
 以前会った時よりもずっと大人に近づいた年齢詐欺中の異父兄は、実は童顔な母親の血の所為か少し大人びているだけの高校一年生と言えなくもない顔を街灯に照らされながらベンチに腰掛け缶コーヒーに口を付ける。用件が無いなら早く帰してくれ。お前の愚痴に付き合ってやれたのは小学五年生に上がる前までだ。それ以降は反抗期も手伝って顔も見たくなかったぞ。
「僕だって出来ることならお前の顔なんか見たくなかったよ。でも言わなきゃならないことがあるのは事実。それが愚痴じゃないこともね。」
「遠回しに言おうとするな。あの時と同じように要点だけまとめて喋ってくれ。」
 出来れば今度は主観も抜いて。母親について語っていたお前の台詞は実に主観ばかりで、憎まれているはずの俺でさえ下手に感情移入して大変な目に合いそうなくらいだったしな。今更そういうのは避けたい。
「わかってるよ。僕だって出来るならさっさとここから立ち去りたいからね。」
 一樹は人を小馬鹿にした笑みで俺を見ると、本題に入るため口を開いた。それにしてもいちいち動作が気に障る奴だな。
「涼宮ハルヒには願望を実現する能力がある。例えるならば『神』だ。そしてその力の所為で僕は三年前、超能力者とでも言うべき存在になった。」
「・・・・・・は?」
 俺の異父兄はいつから電波男になってしまったのだろうか。会わなかった期間に一体何があった。お前のことは嫌いだが、今なら物凄く優しくしてやれそうな気がする。義母とあまりいい関係が築けていなかったのか?それとも大好きな父親に何かあったのか。ほら、何でもいいから言えって。
「お前が『鍵』じゃなかったら殴り殺すところだな。」
「いきなりワケの解らん話を始めるお前が悪い。」
 物騒な台詞を口にする一樹にそう切り返し、頭の痛くなる話題を自己の中で如何処理すべきか思考を走らせる。ああ解ってるよ、こいつがこんなに大真面目な顔して俺に嘘を言うとは思えん。少ないながらも過去の経験がそう言ってる。一樹はこういう馬鹿なことを冗談や嘘で口にするような人間じゃないんだ。それを本人に告げれば途端に「僕の何が解る」と静かに怒られそうだが、幼少期に真正面から憎しみをぶつけて来た相手の話の真偽を読み取れずしてやってられるかってんだ。まったく、余計な能力を磨かせてくれる異父兄だね。
 しかしこの話ばかりは本当にどうしていいのやら。なんだそれ、涼宮が神?そして一樹が超能力者?そりゃ確かに俺は非日常を体験したいなーと常々こっそり思ってきたが、だからってそんな状況が自分に齎されるなんて考えちゃいない。俺の非日常は「全ては妄想です。フィクションです。」という台詞と共に完結するものでしかないんだ。テレビ、映画、ゲーム、そして眠っている間の夢。非日常を垣間見れるのはそれくらいってことだ。
「信じられないのは解る。だが信じてもらうしかない。そして『神』の涼宮ハルヒ、超能力者の僕以外に、長門有希は宇宙人、朝比奈みくるは未来人だ。そのうち両方からそれぞれアプローチを受けることになるだろう。・・・で、一番問題なのがお前だ。」
 俺?なにやら涼宮とお前以外にも電波な役柄を聞いてしまったような気がするがそれはさておき、俺は一般人だぞ。まさか実は俺が異世界人と言う訳ではあるまいな。
「その方がどれだけマシだったか・・・。さっき僕が言っただろう?『鍵』だと。それがお前の役柄だ。何の特殊性も持たないのに『神』に選ばれ、彼女に最も近く、最も影響力を持つ存在。理解出来ないとは言わせない。理解しろ。」
 命令口調かつ、苦虫を思い切り噛み潰したような表情で無茶苦茶なことを言う。一樹がこういった嘘をつくことはないと(自分の勘を)信じているが、俺はまだこいつが超能力者だなんて信じることは出来ていないんだ。それなのに後からぽんぽん突飛なことを話されて、それで理解しろだって?無茶にも程がある。それならまずはお前が超能力者だということくらい示してくれ。話はそれからだ。
 頬を引き攣らせながら理解不能の文字を顔いっぱいに表示させていると、突然一樹が立ち上がり、俺に急接近。あまつさえこちらの右手を取ったではないか。
「気色悪い。離せ。」
「我慢しろ。・・・ちょうどいいタイミングだな。今から証拠を見せてやる。」
 一体何のことだ。そう思った瞬間、一樹は俺の手を取ったまま公園の中心に向けて歩き出した。握る手の力は意外に強く、簡単には振り解けそうにない。加えて真っ直ぐに前を見据える真面目な表情。俺はいつの間にか(もしくは最初から)逆らう気を失っていた。
「目を閉じろ。すぐに済む。」
 鋭い声が飛んで来て、その声がまるで絶対に拒否不可能な命令であるかのように俺の瞼はゆっくりと落ちた。もともと光源が少なかった所為で視界は一気に闇に染まる。全てが黒だ。手は相変わらず引かれている。本当に何なんだ。
「もういい。ついでに手も離せ。」
 自分から握ってきたくせに何を言うか、と言おうとした俺の口は間抜けなことにポカンと開けられたまま閉じることが出来なかった。なんだこの世界は。色が無い。全て黒と白と灰色で構成され、生き物の気配というものが全く無かった。街灯だけが不気味に周囲を薄ぼんやりと照らしている。星が瞬いていた空は薄らと光る雲のような何かで一面を覆われ、妙な重圧感を齎した。
 ここは何処だ。
「僕達はここを閉鎖空間と呼んでいる。詳しい説明はまた後でしてやるよ。まずは僕が普通じゃなくなったという事実を見せる。」
 一樹がそう言ったのと、その視線の先で巨大な青い人型発光物体が現れたのには殆どタイムラグが無かった。何だこの非現実は。って、おい。次はお前か。
 風を感じてそちらを向けば、一樹が赤い球体に変化する場面だった。一樹の身長とほぼ同じ直径を持つ球が徐々にその赤味を増し、青白い巨人に対抗するかのように真っ赤な発光物体になる。これが超能力者ってことなのか・・・!?
 唖然とする俺を残して球体が空を飛んだ。一直線に巨人へ向かい、その胸を貫く。少しずれた箇所をもう一度貫通して・・・、いや今のは一樹じゃないな。
 気が付くと一樹以外にも赤い球体が空を飛んでいた。もうどれが異父兄なのかさえ判らない。幾つもの赤玉は巨人の周りをくるくると飛び回り、隙を狙って攻撃(だろう)を仕掛けていく。最初は突撃攻撃だったのだがそれは無駄だったらしく、続いて赤玉達は巨人の腕や足を一周するようになった。一瞬何をやっているのかと思ったが、切り裂き攻撃を仕掛けていた模様だ。一周された箇所が巨人の身体から離れて地面に落ちる。
 何度かの切り裂き攻撃の後、巨人は完全に消え去り、赤玉の一つが俺の方に飛んで来た。これが一樹か。
 赤い球体は飛んで行った時の逆再生のようにふわりと地面に着地し、その赤味を薄れさせていく。やがて風も収まると、その場には非常につまらない遊びを体験してきたような不機嫌さを滲ませる青年が立っていた。色素の薄い目がこちらを見る。
「これで解っただろう?僕が普通じゃないってことが。」
 今見ている光景が俺の妄想ではないならな。
「お望みとあらば頬くらい抓らせてもらうけど。」
 遠慮しておく。お前に抓られたらどこまで痛い目に合わされるか分かったもんじゃない。それに俺だってここが現実だと理解しているつもりだ。ただ認めたくないだけで。
「ふん。」
 俺のリアクションに満足出来なかったらしく、一樹は視線を逸らして空を見上げた。もちろん未だ灰色の奇妙なそれを。しかし隣の男に倣って顔を上に向けた途端、俺は生じ始めた変化に息を呑んだ。
「なんだ、これ・・・」
 空に無数の罅が入る。音など無いはずなのに俺の頭の中では確かに空が引き裂かれる大音量が鳴り渡っていた。罅はどんどんその範囲を増し、更に細かさも増して蜘蛛の巣状になると、最後に無音のままパリンと――これも俺の頭で作られただけの音だが――割れた。星の瞬くいつもの夜空が目の前に広がる。
「閉鎖空間は神人――あの青白い化け物――を倒せば消滅し、倒さず破壊行動を続けさせれば巨大になっていく。閉鎖空間はこの世界とはまた別の『世界』だ。今はまだ小さい内に消滅させられてきたけど、あまりにも大きくなりすぎてこちらの世界を覆ってしまった場合、今僕達のいる世界が閉鎖空間に、閉鎖空間が新しい『世界』になると考えられている。少なくとも僕達『機関』は。」
 星を見上げながら秀麗な顔は淡々と語る。その所為で視線すら合わない。そんなに俺の顔が見たくないのか、と思ってしまうのは半分同じ血を引いているくせに誰が見たって――つまり既に外見だけで――とてつもない差が存在しているからだろうか。ああ、悪かったな。顔も成績も良いこいつを見ている時、俺は劣等感と罪悪か、ん・・・止めておこう。劣等感でいっぱいになるんだよ。異父兄として悔しく思ったり憎く思ったりはするが、ただそれだけ。それだけなんだ。
 自分に言い聞かせるように胸中で呟き、思考を切り替える。
 それにしてもどうしてだろう、いきなりあんな訳の分からない空間に連れ込まれたと言うのに俺はちっとも怖くなんかなかった。そりゃあの神人(だっけ?)にもっと近寄って隣のビルなんかが崩された瞬間には命の危険を感じ取って恐怖するだろうが、遠くから赤い球と青白い巨人が戦う様を見ているだけでは非現実感に戸惑うことはあっても恐怖すること、ましてやこの異父兄を恐れることなど出来ようもなかったのだ。
「まあ、証拠も見せられたことだし。・・・信じなきゃなんねえんだろうな。それでどうして閉鎖空間なんてものが発生するんだ?これも涼宮の所為だとか言うんじゃないだろうな。」
 涼宮が世界を創り変えようとしているなんて笑えない冗談だぜ。・・・・・・って、おいおい。なんだその表情は。もしかして俺の予想が大当たりとか?
 ばっと効果音がつきそうなくらいの勢いで振り向いた一樹の目には驚愕が宿っていた。なんで、との呟きは俺の予想に対するものとして受け取って良いんだよな。それ以外にあるとも思えないし。
「そうじゃない。怖く、なかったのか?あの空間が。そして気持ち悪いと思わなかったか?こんな僕のことを。」
「は?・・・あ、ああ。まあな。別に強がるわけじゃないが、それほど怖いとも気持ち悪いとも思わなかったぞ。」
 どちらかと言えば今日の放課後、にこにこ笑顔で握手してきたお前の行動の方が気持ち悪かった。頬が引き攣りそうになるのを必死で堪えてたくらいだしな。
「そ、うか・・・。いや、そんなことは如何でもいい。」
 俺に告げるのではなく独白のようにそう呟き、一樹は驚愕を消して皮肉げかつ面白なさげに肯定を一つ。
「お前の予想通り、閉鎖空間は涼宮ハルヒが原因で発生する。彼女が苛々を感じるたびにあれは発生し、またその苛々度が大きいほど閉鎖空間の拡大スピードや神人の数、強さも増していくんだ。」
 マジか。信じられん。
 遠慮する相手でもないので盛大に顔を歪めつつ思う。だが相手の表情は残念ながらそれが真実だと語っていた。
「三年前からつい最近まで閉鎖空間はこちらの事情などお構いなしに昼夜関係なく頻繁に発生していた。しかし彼女が高校に入学してから異変が起こった。閉鎖空間の発生頻度が急激に下がり始めたんだ。一体どうしたのかと思って調べればその理由は簡単に知れたよ。彼女の精神を安定させる『鍵』が見つかったからさ。」
 抽象的な言い方は止めてはっきり言ったらどうだ。
「・・・。つまり、お前が涼宮ハルヒの理解者、もっと突っ込んで言えば想いを寄せる相手になってしまった所為で彼女の苛々が激減したということだ。」
「理解不能だな。」
「理解したくないだけだろう。しかし今は無理にでも理解してもらわなければならない。そうでないとこの世界がどうなるか分かったもんじゃないからな。僕もまだ一応、この世界に愛着染みた感情くらい持っているんだ。」
「一応、とはね。お前の大好きな父親がいる世界だろう?なのにその表現は可笑しくないか。」
 冗談のつもりで告げた途端、一樹の顔が"傷ついた"。初めて見る表情だ。俺に向けられるのは殆ど不機嫌さを露にした、つまり俺を「敵」として見ている表情ばかりだったから。
 どうした。何があった。もしかしてお前の父親によくないことが―――。
「お前には関係ない!」
「ッ、」
 激情も露わに怒鳴る異父兄は、怒りではなく悲しみに支配されているように見えた。でもその感情は大切な人間によくないことが起きた――具体的に言えば死んだ――からのものではないらしい。奴の目には悲しみと絶望が宿っていたから。・・・・・・ああ、まさか。
「お前、あの空間を父親に見せたのか・・・?」
「うるさい!!」
 当たり、だ。そしてこいつは大好きな父親に恐怖されたのだろう。そりゃ自分の息子がいきなりこんな訳の分からない人種になっていれば拒絶したり恐怖したりする可能性は大いにある。むしろそれが自然だ。特に赤玉や神人を見せられたりすればな。俺の場合はいつも密かに抱いていた夢の所為か、拒絶よりはむしろ戸惑いの中に楽しさだって含まれてしまっていたが、それは例外なんだろう。
 傷を負い、それでも自分を守るために必死に牙を見せて呻る獣のように、一樹は俺を睨んでいた。
 父親はこいつにとって唯一と言って良い程の大切な繋がりだったんだろう。けれど三年前に宿った能力の所為でその繋がりが一方的に絶たれた。もしかしたら義母ともそれなりの関係を築けていたにもかかわらずそれすら・・・という状況かもしれない。俺が恐怖も拒絶もしなかったことに対し一樹が驚いていたのにも、これで納得出来る。
 マズイことをしたな、と思った。こんな他人の傷を抉るような行為、とても褒められたことじゃない。これ以上俺が何かリアクション――特に同情染みたもの――を見せれば、こいつは更に傷を負うことになるだろう。だから今この場において最善で、また唯一でしかない方法は。
「・・・じゃあ。用も済んだみたいだし、帰らせてもらう。お前が言ったことに関しては一応"理解"だけはしておくが、その通り動けると思ってくれるなよ。俺だって人間なんだからな。」
 そう言って相手に背を向ける。背後の顔がどんな表情を浮かべているかなんて俺の知るべき所ではない。
 そのまま俺は一度も振り返ることなく公園を出て、家に帰った。自転車を漕いでいる間も家に帰ってからも携帯が鳴ることはなく、いつも通りに夜は更け、朝を迎える。
 次の日の放課後。SOS団の部室に集まった面子は昨日と同じような表情を浮かべていた。俺も、そしてあいつも。俺が気持ち悪いと称したあの笑顔で。








(2007.10.08up)



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