古泉が家に来た翌日。俺は午後から講義があったので、古泉に留守を任せて家を出た。もちろん家事関係は何もするなと言いつけて。
90分×2回の講義を終えた後、谷口達の誘いを断ってマンションに一番近い北門へと向かう。冷蔵庫の中身と今朝のチラシの内容を思い出しながら帰り道の途中にあるスーパーで何を買おうか思案しつつ、すっかり主夫な自分に溜息をついた。しかしごくごく一般的な家庭の子供が一人暮らしするんだから、これくらいは必要なことだろう。父方の家は中流、母方は親との仲が悪いらしく詳しくは知らないのだが、そういうわけで親戚(というか祖父母)からの援助も期待出来ないしな。 ん?なんだ?門の辺りがざわついている。 たむろするのは人の勝手だが、もう少し場所を考えて欲しいもんだね。自転車で帰る奴らが微妙に迷惑してるぞ。車で学内に入ろうとしていた人はウィンカーを消して別の門に回ってるじゃないか。 一体何があるのやら、と気にならないわけでもないが、今の俺の最重要課題は今晩の献立を考え、良質かつ安価な食材を手に入れることだ。あまり要らぬことに時間をとってしまっては主婦の皆様に良い品を購入されてしまう恐れもあることだし、早々にここを去るのが得策だろう。あと、家に置いてきた古泉の動向も気になるし。 人垣――なんと女ばかりだ――とそれを遠目に見守るギャラリー ――こちらは男と女が半々くらい――の間に出来たスペースを通っていると、 「あ、ようやく見つけました!」 突然、まだ聞き慣れてはいないが確かに知っている声がした。 ぎょっとしてそちらに振り向くと、人垣が割れ、声の主がこれがデフォルトですと言わんばかりの笑みを浮かべて俺の方に近づいてきた。なんでここにお前がいるんだ。 「お迎えに上がりました。」 「お迎えって・・・。どうしてわざわざそんなことを。」 ギャラリーの視線が痛い。特に女性からのものが酷く突き刺さってくるのだが、これはやはり見目麗しい男を俺が彼女達から取り上げた形になっているからか。いやいやお嬢さん方、そんなにキツく睨まなくても、どうぞ深夜のテレビショッピングをチェックしてみてくださいよ。こいつと同じ顔の男が買えるらしいから。しかも無料おためし期間が一週間。 しかしそんな女性陣の視線をものともせず、古泉は如才ない笑みを浮かべて「理由は単純です。」と言う。 「僕があなたの所有物であり、あなたのためだけに存在しているからです。なので今日のようにあなたが帰宅途中でお買い物をなさると予想された場合には、その荷物持ちとして僕がこの大学までお迎えに上がるのも当然のことです。」 すまん、後ろの半分は聞いてなかった。なんていったのか教えてくれなくてもいいぞ。俺が、そしてギャラリーが唖然とするには最初の一文だけで十分だったからな。ははは。所有物?そうだな、お前は一時的とは言え俺の所有物らしい。しかし、だ。古泉、お前は俺が最初そう思ったように、どう見たって人間だ。きっとギャラリーの皆様も古泉のことをアンドロイドだとは夢にも思わないだろう。生憎、世界に向けての公式発表では二足歩行で予め設定されたいくつかの言語を喋る"機械"が人間に似せて作られたものの現時点における限界だ。そんな一般常識を持つ人々の目の前で、男が男に、自分はあなたの所有物だと言ってみろ。どんな反応が得られるか想像できるだろう? 「なんなのあの二人・・・」 「ちょ、ヤバくない?」 「うわ。もしかしてホモ?」 訝しみの視線と悪意の込められた視線。最悪な雰囲気だ。しかもここにいるのは古泉の容姿に魅せられた女性が大半である。突然現れて古泉を独り占めにした俺にはやっかみや嫉妬で溢れた威力倍増の悪意がぶつけられるのが、悲しきかな、現状だ。 「古泉、お前本当に馬鹿だな。」 思わず口を突いて出た言葉は言った本人が驚くほど冷たかった。 女性の噂話は伝わるのが早い。明日には俺のホモ説がまことしやかに囁かれていることだろう。さよなら俺の楽しいキャンパスライフ。こんにちは悪意に満ちた視線と噂。 こんな出来損ないに少しでも優しくした俺が馬鹿だったよ。 「お前いらない。ここから出て行け。」 「そ、んな・・・」 帰宅して第一声、俺は古泉に冷たく言い放った。 その驚いた顔も所詮プログラムされたものなんだろ?俺はもう騙されないぞ。 俺のこれからの大学生活をぶち壊してくれた奴にもう用はない。さっさと元いた所に帰って壊されろ。粗悪品は破棄されて当然なんだから。 「ぼ、くは・・・壊されたく、ありません。もっと、あなたと一緒にいたい、です。」 涙?そんなただの水で気が変わるほど俺が受けたダメージは小さくないんだよ。人間ぶりやがって。気持ち悪い。お前、目障りなんだよ。早く消えてくれ。 「いやです!どうかあと五日、それだけで良いのでここに置いてください!腹が立つなら思い切り殴ってくださって構いませんし、逆に無視し続けてくださっても構いません!だからどうか・・・!」 お前そんなに必死になって。・・・壊れたくないってか。粗悪品のくせに。 「っ、そうですね。こんな感情を持つなんて、粗悪品に違いありません。」 感情、だなんて随分高尚な表現を使うもんだ。だが、まあいい。そこまで言うならあと五日、ここに居てもいいぞ。 「本当ですか!?」 ただし俺はお前をいないものとする。お前はなるべく俺の目障りにならないように部屋の隅にでも座っていろ。 「はい。ありがとうございます。」 翌日、古泉と同じ部屋にいるのが耐えられず、俺は講義も無いのに朝から大学にいた。しかし居心地の悪さはどちらも同じようなものだ。俺の容姿まで正確に伝わっているらしく、見たこともない人間から嫌な視線を受ける。きっと自意識過剰な部分もあるのだろうが、とにかく精神が滅入ってしまいそうだ。かと言って部屋に引き篭もろうものなら古泉を殴りかねない。人間ではないのだから殴り殺しても罪にはならないのだが、気は進まない。どうせ何も解決せず、憂さ晴らしにもならないのに手を痛め、加えて"ゴミ"の処理に困るのがオチだ。 唯一の救いは昼からの講義で一緒になった谷口と国木田がその噂を笑い飛ばしてくれたことだろうか。 次の日も、また次の日も俺はなるべく家に帰らないようにし、帰った時には古泉を見ることすらしないで過ごした。大学内で突き刺さる視線の量はちっとも減らない。むしろ尾びれ背びれがついて更にキツくなっている。それでも大学へ行くのは学費を払ってくれる親のためと、自身のプライドのためだ。噂話に屈するなんて、自分で自分が許せなくなる。 古泉の台詞は深読みしてください。古→キョンなんです・・・! そしてキョンがこれからしばらく嫌な子。でも、普通ホモ説とか流されたら凄く嫌ですよ、ね? キョンも追い詰められてるんですってば。 (2007.08.30 up) |